3-4 遺跡の冒険譚
銀の財宝が積み上がる部屋は、冷たく乾いた空気に満たされていた。銀貨が月光のように淡く光り、置き去りにされた栄華の残響のように輝いている。
その中央で――小さな羽音が震えた。
「……っ」
ピトは3人の前に姿を現してしまった。普段なら、決して人前には出ないのに。
ザクレトは、反射的に身構える。片手を軽く前にかざし、小さな妖精を庇うように。
ピトはその背に回り込もうとした。恐怖が小さな体を駆け抜け、必死に震えを抑えながら。
「すげぇ! はじめて見た!」
最初に声を上げたのはサルマだった。好奇心に突き動かされ、思わず一歩踏み出す。
「ちょっと! サルマ、待って!」
慌ててノルムが腕をつかみ、サルマをその場に引き止める。その目は驚きと興奮に揺れつつも、場を鎮めようと必死だった。
ピトは怯えたままザクレトの服を握る。ザクレトの目が一瞬鋭く光る。もしこの秘密が広まれば――。
「ごめんね。」
ノルムがサルマを制しながら、一歩だけ前に出た。声はできるだけ穏やかに抑えられている。
「怖がらせちゃって……レオンさん、その妖精さんは?」
静寂。
サルマを抑えるノルムの足元の銀貨が一枚、床を転がり乾いた音を立てた。
「人類は、その昔の歴史に妖精やドラゴンを迫害してきた因果を背負うからな。」
沈黙を破ったのは、離れたところで動かずにいたゾーだった。
「我々ドワーフでさえも、例外ではないだろう。」
ノルムは、まだ動けないでいるザクレトとピトを見ながら、落ち着いた様子のサルマをゆっくりと離し、2人に優しく語り掛けた。
「妖精族から見たら、恐怖の対象よね。ごめんなさい。私たちは、あなたたちに何もしないわ。」
「驚かせて悪かった。 レオン、よかったら紹介してくれないか?」
ザクレトは肩をすくめ、息を吐いた。一度、ピトに目をやり、3人に向き直る。
「名をピトという。……ワシの秘書だ。」
あっけにとられる三人。サルマは「秘書?」と呟き、ゾーはただ無言で観察している。
ザクレトは続けた。
「ピトは音の妖精。長く共に暮らしてきた友人でもある。普段は姿を隠しておるのだ。」
ノルムが、後ろに隠れた小さな妖精をのぞき込むようにして慎重に話しかける。
「はじめまして、ノルムよ。」
ピトは少し警戒を解き、ザクレトの影からその姿をさらけ出す。
「……よ、よろしく。」
「さっきの仕掛けも、解いてくれたの、あなたよね?」
ザクレトは勘の鋭い女冒険者に目を大きく見開いた。
「鋭いな。」
「ありがとう。」
まっすぐに御礼を伝えるノルムを見て、ピトは少し嬉しそうに跳ねるように羽ばたいた。
「え?そうなの?」
何もわかっていない様子のサルマはゾーと顔を合わせる。
ザクレトは、ピンと姿勢を正して3人にお願いをした。
「……このことは、誰にも口外せぬと約束してほしい。」
その声にはいつになく重みがあり、三人は息を呑んで頷いた。冒険者としての好奇心よりも、今は約束の重さを理解していた。
「わかったわ。」ノルムが言った。
「絶対に誰にも言わない。」
場が和み始めると、ノルムは足元の財宝の中に目をやった。
ふと、小さな銀の笛が目に留まる。それを優しく手に取ると、ピトの方へと差し出した。
「これを…今回の冒険の思い出に。」
差し出された笛を見て、ピトは瞬きした。震える指でそれを受け取ると、胸の奥が熱くなった。
「ありがとう……!」
堪えきれず、ピトはノルムに小さな体で抱きついた。その羽がかすかに光を散らす。
「これから、ピトちゃんって、呼んでいい?」
「うん!私もノルムって呼ぶわ!」
そして数日後。
シュウの営むバーには、いつものように夜が訪れていた。木の扉が開き、軽やかに入ってきたノルムは、ピトと楽しそうにおしゃべりをしている。
シュウは遺跡での出来事を聞いて、ピトが姿を隠さなかったことを納得した。
「このお店が気に入ったみたいで、ほとんど毎日来るのよ。」
ピトが得意げに言う。
ノルムは頬を赤らめた。
「でも、このお店に来ればピトちゃんに会えるから、私はうれしいな!」
ザクレトはグラスを置き、二人の様子を温かく見守る。
「それで、儲かったのか?」
ノルムは笑顔で頷く。
「それはもう、数ヶ月は働かなくていいくらい! 新しい装備も手に入ったし、切りたかった髪もほら!」
「よかったじゃないか。」
ザクレトは短く答えたが、声には温かさが混じっていた。
ピトはぱっと笑って言う。
「とっても似合ってるわ!」
ノルムは照れながら礼を述べる。
「ありがとう……本当に、みんなのおかげ。」
そんな微笑ましい光景を見守りながら、シュウは笑みを浮かべてお酒を作り始めた。
「じゃぁ、そんな皆んなに……とっておきの一杯を。」
彼は棚からリキュール2本を取り出し、金属製のグラスをカウンターの上に置いた。グラスに鮮やかな緑色をしたミントリキュールと透き通ったカカオリキュール、そこに生クリームと氷を注ぎ入れる。その上から別のグラスを蓋をするようにかぶせると、両手で持ち上げて勢いよくシェイクし始めた。密閉された容器の中で氷がリズムよく動き、力強く鼓動するようにカシャカシャと店内に鳴り響いた。
音が止むと、冷えたカクテルグラスに鮮やかな翠が流れ落ちる。白と緑が溶け合い、宝石のように煌めいた。
「グラスホッパーです。」
シュウは静かに説明した。
「このお酒には、“喜び”って意味が込められてる。」
ノルムとザクレトの目の前に、そのお酒は差し出された。
ピトは宙でその様子を見守る。
「じゃぁ、みんなで行った最初の冒険の成功を祝して」
二人は眼の高さまでグラスを掲げ、ピトはノルムからもらった小さな銀の笛を両手で高く掲げた。
「乾杯!」
客足の少なかった静かな夜は、祝福で満たされた温かい一日となった。