1-1 深夜の来訪者
夜の街の片隅、薄暗い路地を抜けた先に、小さな木製の看板がぽつんと吊るされている。
手描きの筆文字でこう記されていた。
Bar Karabiner
その看板には、錆びかけたカラビナの飾りが揺れていた。
ドアの向こうには、世界の喧騒から切り離されたような時間が流れている——。
シュウは、カウンターの奥でグラスを磨きながら机の下の置時計に目線を移す。
もうすぐ閉店の時刻。
賑わっていた店内もこの時間になると客は少なくなってくる。落ち着いた表情のまま静まった店内に時間を溶かし込んでいく。
「……。」
静かに寝息を立てている男がカウンターに顔を埋めている。
「お客さん、そろそろ閉店のお時間になりますので。」
カウンター越しに座るのは、見慣れた常連客のサルマ。マントはすっかり形が崩れ、シャツの襟元は情けないほどよれている。
「え、もうそんな時間?まだ最後の一杯飲んでないよ!」
「そこにおいてあるのは、なんでしょうね。…まったく、潰れるまで飲むなって言っただろ。」
「てえ……。」
まともな返答ができていない。今日のクエストでは成果をあげられなかったようだ。冒険者であるサルマはギルドからのクエストに失敗すると、これでもかというくらいに落ち込んでは、このカウンターで強い酒を飲み、毒を吐き、心と体の疲れを癒していく。
うなだれた男の背中を軽く支えて肩を回し、カウンターから立たせてドアの外へと向かう。
「…いつも悪いなぁ…。」
開いたドアの隙間からひんやりした夜気が肌をつたい、サルマを酔いから少し戻す。
「また飲みたくなったら来てくれよ。」
シュウのその温かい言葉に、サルマは片手をひらひらと振って真夜中へと歩いていった。
その小さくなっていく背中を見送り、シュウは深く息をついた。
看板を照らす灯りを落として、自分の店の中へと戻る。閉店後の店に誰も入らないように、重たいドアを閉めて中から鍵をかける。
いつもより強い疲労感があり、一人きりになった店の中でひと息つきたい気分だった。
おもむろにグラスに水を注ぎ入れ、一気に飲み干す。
「…さて、洗い物から始めるか…。」