あずきとぎ
それは穏やかな夕方のことだった。
私は庭の立葵に水をやり、ひぐらしの鳴き声を聞いていた。
6時を過ぎたが、日はたか高い。そして、今日も夫は遅いようだった。
ボンヤリと縁側で庭を見ていると、綾子が紙袋を手に現れる。
あの紙袋は、駅前ベーカリーの紙袋。なんだか嫌な予感がした。
私の名前は寿美礼。現在、アラフォーのどこにでもいる田舎のオバさん。
そして綾子は、私の学生時代からの友人である。
「こんばんは!」
学生時代、ガングロだったとは思えない、ぽっちゃりと白い肌の綾子がいった。
「こんばんは。何か用?」
「あら、そっけないわね。今日は駅前ベーカリーの『天使のおやつ』を買ってきたのに。」
綾子は責めるように言う。
「だって、これを持ってくる時は、何か、面倒なお願いをする時なんだもの。」
私は警戒を解かなかった。が、綾子は気にすることなく縁側の私の横に座り、そして、シュー生地にたっぷりとアイスの入った『天使のおやつ』を一つくれた。
「もう、そんなことないわよ。まあ、食べようよ。」
綾子は自分の分にぱくつく。溶けたらもったいないので私も食べ始める。綾子は、食べる私に笑顔を振り撒きながら話し始める。
「もうすぐ、夏休みね。」
ひぐらしの鳴き声が、オレンジ色の空に吸い込まれてゆく。
「そうね。」
「図書館では子どもたちのためイベントを考えているんだ。」
少し甘えるような綾子の声が縁側に響いた。
「わかったわ。何か、手伝えって、そういうんでしょ?」
私はため息をついて、そして、諦めたように言った。綾子は中学時代のように舌を出した。
「正解。朗読会の話をね、考えて欲しいの。」
「朗読会?」
「小学生を集めて話をするんけれど、お話を考えるの手伝って。」
綾子は甘えるように言いながら『天使のおやつ』を私にすすめて自分もぱくついた。
夕方の少し涼しくなった風に吹かれながら、私たちは縁側に座ってスイーツを食べる。
食べてからには何かを考えないといけない。
「どんなテーマなの?」
「怪談。今回はね、水の怪談にしようと思うの。」
綾子に言われて私は少し考えた。
「あずきとぎの話はどう?」
「あずきとぎ?あの、昔話の?『あずきとぎましょかぁ?』ってやつ?」
「うん。」
「でも、それ、むず関係ないじゃない。」
綾子ががっかりする。
「確かに、よく知られるお話は寺の本堂で若衆が集まっていると天井から声が聞こえるのだけれど、昔話ってバージョンがあるじゃない?
あずきとぎも違うバージョンがあるの。元は川にいた妖怪らしいのよ。」
私の言葉に綾子は少し考えて頷いた。
「なるほど。そうよね、私も昔から気になってたの。なんで天井で小豆を研ぐんだろうって。川なら納得だわ。」
綾子は頷き、そして、顔を近づけて聞いてくる。
「でっ、どんな話なの。」
綾子のアップを見ながら、私は言葉に詰まった。
「う、うん。物語的にはそれほど無いのよね。童話というか、民族研究にたいな本で読んだのよ。
昔は子供が川で遊んだりしたじゃない?でも、川って、海より危険なところがあるじゃない?」
私の問いに綾子は少し不思議な顔をする。
「どういうこと?」
「うーんと、鉄砲水とか、水の流れが日によって違ったりするし、深さも違うし、私たちも川遊びは色々と注意されたじゃない?」
私は中学時代を思い出した。
「そうね。確かに泳いじゃいけないところとか、色々と言われたね。」
綾子は腑に落ちない見たな返事をしてきた。
「妖怪小豆とぎは、川の水流の危険を音で判断させるように作られた妖怪らしのよ。川の小石がシャキシャシャキ、って小豆を研ぐような音がする川辺は流れが早いから近づかないように子供に知らせるために。」
私は話しながら、近所の川のことを思い出していた。私に家の近くの川もまた、遊泳できる場所と出来ない場所があって、遊泳も、限られた期間、大人が見守っている時だけと決められていた。
そして、川にはいろんな噂話がされた。
主に、川で亡くなった人について。そして、そんな話の後には、川には近づかないようにと言われていた。川の場所によっては水が水面に向かって沈むように流れる場所があって、その流れに捕まると、子供の力では決して浮上できないと脅された。
「あずきとぎかぁ。面白いけれど、でも、川は今は子供は泳がなし、他に色々と意見だからね。」
綾子はふっと、悲しげにため息をつく。
「何よ。」
思わせぶりな態度に聞いてみる。綾子はもう一度、ため息をついて、それから、
「そのわけは、そろそろ聞こえてくるわよ。」
「え?」
私が不審に思っていると、夕焼け空の向こうから、町に役場からの放送が流れてくる。
クマが目撃されたから、早く自宅に入るように、と、そんな内容だった。
「そうね。くま。時代は変わったわ。」
私がため息をつくと、綾子は苦笑する。
「他にも、不審者もいるから、女児が水着で川をうろうろなんてさせられないのよね。あずきとぎもびっくりよ。熱中症も怖いし。ああ、怖いものだらけね。」
綾子は困ったように笑った。
「そうね。」
私も笑う。そして、静かに暗くなる空を見つめる。
「それにしても、あずきとぎって、なんで家屋に出現場所を移動したのかしら?」
しばらくして、綾子がぼやく。
「そうね。何か、小豆を研ぐような音がしたのかしら?」
と、私がぼやくと、暗くなり始めた家の中から音がする。少しギョッとする。
「ねえ、何か、音がしない?」
私が不安になりながら綾子を見る。
「あずきとぎでも出たのかしら?」
「冗談言ってる場合じゃ無いわよ。」
私は睨み、そして、問題解決するまで帰るなとアイコンタクトを綾子に送る。
現在、この家には私だけ、暗くなる家屋で怪しい音と過ごすなんで怖すぎる。
が、主婦の夕方は忙しい。そんなに引き留めてもいられないから、音のした台所に向かって進んだ。
確かに音がする。カタカタと、天井の板を動く音が!
「ねえ、この天井いた、とってみない?」
綾子が言う。
「止めてよ。蛇とか出たらどうするのよ。」
息を呑む。蛇、多分、青大将だと思うけれど、祖母が昔、家の中に白蛇を見たとか言っていたことを思い出す。白蛇だったら、それも面倒臭い。
「へび?そんな感じはしないけど。ほら、蛇ならズルズルって体を引きずるじゃない。」
綾子は擬音をリアルに表現して私をイラつかせる。
「もうっ、止めてよ。」
私は叫んで、それから、カタカタの行方を耳を澄ませて追う。隣の部屋の押し入れのあたりに移動している。私たちはそこに移動して、恐る恐る押入れの襖を開けた。
ちぃぃぃぃ
と、言う鳴き声と共に何かが飛び出してきて、私たちは叫びあげた。
それは羽を広げると30cmはありそうな蝙蝠だった。
私たちは悲鳴をあげて、コウモリはそれに慌てて部屋を動き回ると、命からがら外へと飛び出していった。
「ありがとう。良い話、作れそうな気がするわ。」
放心していた綾子が立ち上がる。
「ごめん。驚かせて。」
私も立ち上がった。
私達は笑い合い、そして、疲れたように別れを告げた。
しばらくして、綾子が作品を持ってやってきた。
『妖怪 あずきコウモリ』という題名で、私はその話を読んで大笑いさせてもらった。