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妖精の森  作者: 四つ葉
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 ᚪᛚᛒᛖᚱᛏ

 ノアがシモンの代理でアルベルトと話した数日後、ノアがシモンに何をどう報告したのか、交流施設にエストホルムの若い男の使用人がやってきた。アルベルトが重機を動かした時にやってきた使用人だ。ニルスと言う名の使用人はアルベルトに「シモン様が直接お会いしたいというので明日、確実に予定を空けておいてください」と随分と横暴な要求をした。突然明日と言われてもと言ったが、ニルスは全ての用事をキャンセルしてでも予定を合わせて欲しいと言う。アルベルトもエストホルムには様々な協力を仰いでいたので、ニルスの要求を飲んだ。

 人に会う予定を一つキャンセルし、指定の時間に交流施設の正面玄関から外に出る。丁度、エストホルムの馬車が来て、交流施設の前で止まった。若い御者が馬車の扉を開くと、中からシモンが降りてきた。シモンを馬車から下すと若い御者はアルベルトに頭を下げて、すぐに馬車に乗り直し、エストホルムへ帰っていった。

 重要な人に会った帰りだったのか、シモンは特別な日にしか見ることのないビョルケルの正装をしていた。真っ黒なウールのローブとベスト、七分丈の黒のズボン、白いタイツ。テーラーの腕がいいのか、ローブとズボンはシモンの体形によく合い、シモンがどんな動きをしても、美しいシルエットを見せた。真っ黒に染めたウールは質素な見た目だが上等で艶がある。色褪せもない。

 そして何より目を引くのが、しっとりとした純黒のウールに惜しみなく飾り付けられている刺繍ポーソムである。アネモネ、ブルーベル、ミモザ、リネア、華やかな色とりどりの春の花とそれらを包むように白樺の葉が刺繍されている。袖や襟、前裾にはやや鈍い銀の糸の三つ編み模様で縁どられていた。ローブの下のベストにもローブほどではないが春の花の刺繍ポーソムが施されていた。華やかな刺繍ポーソムのローブの上に、目の色に合わせたのか、惜しみなく豪華なアクアマリンが美しいブローチを胸元に飾っていた。何でも華やかなものが好きなシモンに似合いの衣装であった。

「随分豪華な正装ですね。この辺りの正装は民族衣装だって聞いてましたけど、本物を間近で見るのは初めてです。……その袖の糸は銀糸ですか?」

「いや、これは錫糸。この辺りの鉱山は銅と錫がよく採れる。銅と一緒に出る赤い泥で家を赤く塗り、柔らかい錫は加工して糸にもする。刺繍ポーソムの花は全て白樺の森に自然に咲く春の花だ」

「へえ、すごいな」

 柔らかいとはいえ、金属の錫が糸になるのかとアルベルトは感心した。とてもアルベルトが着こなせそうな正装ではない。よほど重要な人に会って来たのだろうとアルベルトは思った。

「急に予定を合わせてもらって悪いね。どうしても話がしたくて」

「奥様に泣きつかれましたか?」

 シモンがアルベルトに文句を言いたくて仕方がないことは、アルベルトは想像するまでもない。文句を聞く代金くらいのつもりでアルベルトはにこやかに嫌味を言った。ノアと違い、アルベルトの揶揄を間違いなく理解したはずのシモンは特に表情を変えなかった。

「ノアから大体話を聞いた。大きな見返りなしに妖精たちや王を確実に宥める方法がないことが納得できないんだね? その話をしよう。森を歩こうか」

「その格好で?」

 どこも汚せなさそうな正装で森へ行こうとするシモンにアルベルトは思わず顔を顰めた。

「何言ってんの。僕、地元民だよ?」

 しかしシモンはさらりと答えて、自ら森へ向かう。森は交流施設のすぐ隣だ。人が足で作った細い道をシモンは慣れた様子で歩いていく。アルベルトは慌ててシモンの後を追った。

「一回、着替えてから来ればいいのに」

「お前に会うためにわざわざ着たんだよ。どう?」

「よく似合ってますけど……」

 重要な誰かに会った帰りではなく、アルベルトに会うためにシモンがわざわざ正装をした意図がアルベルトにはわからない。そのことを尋ねようとしたが、先にシモンの方が話し始めた。

「ノアが気に入らない?」

 シンプルなシモンの問いかけにアルベルトはすっと目を眇める。シモンの服よりも話すべき話題が二人にはあった。

「気に入らないねえ。何であんなのと結婚したんですか? シモン様はよっぽど面食いなんだと思っていましたよ。でも夜の方は優秀なのかな?」

「妖精語が優秀だったから結婚したんだよ」

 アルベルトの嫌味など全く気にせず、シモンは婚姻した理由を話した。

「一人で何でもできるアルベルトがノアを気に入らないのは理解できる。僕もどっちかというとアルベルト寄りの人間だし、結婚した当初は全然会話のできないノアが好きではなかったよ」

「へえ、意外」

「そう? 話し合おうとして意見を聞けば黙り込む。少し強い言い方をすれば泣き出す。フィーカには出てこない。こっちの提案は受け入れない。どうやって暮らせっていうんだって感じだったからさ。正直、春先に結婚してたら、十分に妖精語ができる誰かを用意して夏くらいに離婚してたよ」

 意外のような当然のようなシモンの話にアルベルトは「ふうん」と頷く。

「僕みたいなのは、基本的に恋愛結婚はしない。結婚とは家同士の契約で、父も祖父も二回くらいしか会ったことのない、家が求める条件を満たした相手と結婚した。でも父も祖父も夫婦仲はとても良かった。それが当たり前だったから、僕は大人になれば会ったばかりの人と自然に仲良くなれるのだと思ってた。でもノアと結婚してわかった。そうじゃないんだ。父も祖父も仲良くなる努力をして、夫婦になったんだ。勿論、祖母も母もね。……僕は何もわかっていなかった」

「……」

「自分の期待した生活を実現しようと何度もノアに無理を強いた。僕が勝手に良いと思うものをノアの意見も聞かずに押し付けた。ただでさえ人とわかりあえないノアは本当に辛そうだった。何度も泣かせた。泣きながらノアが「別人になるから怒らないで欲しい」って言われて、自分がどれほど酷いことをしているのか理解した」

 アルベルトが何も言わないからか、シモンは自分のしたい話をしたいようにする。

「僕はノアに別人になって欲しいんじゃなかった。ただ一歩、こちらに歩み寄って欲しかった。そのためには僕から歩み寄らなくてはならなかった。だから徹底してノアが生活しやすい環境を整えた。今でも完璧ではないけど足りないところはノアが歩み寄って埋めてくれるからこれでいい。……ここまでくるのに三年かかった」

 シモンの一方的な話を聞き、アルベルトがこれ見よがしにため息をつく。

「俺はシモン様の惚気話を聞かされるために森に誘われたのかな?」

 一通り話を聞き終えて、アルベルトは正直な感想を述べた。決してアルベルトはこんな惚気話を聞くためにシモンに付き合っているのではなかった。

 少しだけ先を歩くシモンがアルベルトの方を振り返り、笑う。

「あれ? 惚気のつもりじゃなかったんだけど。……ああ、そうそう。妖精たちを怒らせた時の対処方法だよね。こればかりはノアか僕に対応させた方がいい。でもそれではアルベルトは納得できないんだよね」

「シモン様たちだって俺のヘマで死ぬのは嫌でしょう? 俺は嫌がらせで言ってるんじゃない」

「──別に嫌じゃないよ」

 あっさりとシモンはアルベルトの意見を否定した。アルベルトにとっては、全く予想外の言葉だった。

「ビョルケルの人のためであれば、僕たちはいつでも喜んで死ねるよ」

 それはつい先日、ノアから聞いた言葉と一緒だった。

「そういう精神論、嫌いなんだけど。もっと現実的な話をしてくれませんか」

 アルベルトは根拠のない精神論が嫌いだった。それよりももっと汎用性と再現性の高い論理的な手段を冷静に話し合うことを好んだ。シモンも同じタイプの人間だと思っていたので、シモンらしくない精神論を突然聞かされて、アルベルトは正直迷惑だった。シモンの精神論を嫌がるアルベルトにシモンが短く声をあげて笑う。

「精神論じゃないよ。本当にそうなんだ。僕とノアは死への恐怖心がない」

「何、言って──」

「そういう呪いを白樺の王から受けている」

「……は?」

 アルベルトが思わず足を止める。少し先を行くシモンが合わせて足を止めた。アルベルトの方を振り返る。

「これは現実の話だ。だって、妖精に求められたらその場で心臓をくり抜いて差し出さないといけないんだよ? そんなこと普通できる?」

「……」

「だからお優しい白樺の王は、死を恐れない呪いを作って契約者にかけた。死への恐怖がなければ、自分で自分の心臓を抉り出せる。僕とノアが常に持っている魔法のかかった水晶のナイフは邪魔な肋骨を簡単に断ち切って心臓を抉り出せる」

 ほらこれ、とシモンは黒のローブを開いて、腰に下げている鞘に納まった短刀を見せた。

「この呪いと水晶のナイフがあれば、自分で指を切り落とし、目を抉ることも簡単にできる」

 ローブを閉じ、シモンはまた前へ向き直し、歩き始めた。言葉なくシモンの話を聞いていたアルベルトもやや遅れて、再び歩き出した。

「でもこの呪いは自分の死は怖くないんだけど、配偶者や家族の死は怖いんだよね。妖精はそこまで配慮してくれないからさ」

「……街の人たちは、そのこと」

「何世代も前からビョルケルに住んでいる人たちは知ってるけど、比較的最近住むようになった人は知らないかな。僕たちを実質生贄状態にしていることが負い目なのか、皆この呪いの話はしたがらないし、一般人が簡単に手に取れる民俗資料には載ってない。街の人にはあまり負い目を感じずに暮らして欲しいから、ノアにも呪いの話はしないよう言ってある」

 シモンが平然とする話をアルベルトは理性で理解しても、感情で受け入れることがすぐにはできなかった。ようやく今更、ノアが妖精との交渉で「怖くない」ことを強調する意味がわかった。

 アルベルトはシモンの想像もしていなかった呪いの話に何を言っていいのかわからない。自分がビョルケルのことも妖精のことも深く理解していないことはわかっていたが、自覚以上にアルベルトは何も理解していなかった。

 シモンもアルベルトも言葉なく、春の白樺の森を歩く。無言のまま三十分は歩き続けただろうか。そう言えばシモンは一体どこへ向かっているのだろうかとアルベルトはようやく疑問に思った。ふと周囲を見渡せば、見たことのない森の風景だった。白樺の木が左右に並び立つ、こんな長い一本道をアルベルトは見たことがなかった。帰り道が分からない。シモンとはぐれたら遭難すると思い、アルベルトはシモンから離れないよう、歩を早めてシモンのすぐ後ろまで近づいた。

「……あのさ、どんだけ歩くの?」

 いつまでも歩いていることを訝しんで、アルベルトがシモンに尋ねる。

「ああ、「正しいルート」で歩かないといけないから、時間がかかるんだよ。でももう少しだよ」

 シモンがアルベルトにはよくわからない返事をした。

 一本道をしばらく歩くと、シモンとよく似た民族衣装を着た二本足で立つ兎に出会った。胸の刺繍ポーソムは可愛らしいピンクのチューリップである。

「あれは?」

「森の使者だよ」

 シモンはアルベルトに答えると丁寧にお辞儀をした。そしてアルベルトにはわからない妖精語で話しかける。話している様子から挨拶をしているようであった。使者と呼ばれた兎は、シモンからの挨拶に丁寧に答え、小さな前足でシモンと握手をした。ビョルケルらしい妖精と人が触れ合う可愛らしい光景ではあったが、アルベルトにはシモンの意図が分からなかった。

 使者が道を開け、さらに先を前足で指し示す。恐らくはシモンは礼を言って、また歩き始めた。アルベルトも兎にぺこりと頭を下げて、シモンへついていった。

「アルベルトは自分の見たものを何よりも信じるタイプだよね。大事なことを人任せにするのが嫌で、何でも自分でしたい派。違う?」

「全くその通りだ。人任せなんてつまらないだろう?」

「そういうアルベルトの強さ、嫌いじゃないよ。だからさ、ノアと話しあって考えたんだけど、もうさ本人たちで話し合ってよ。場所は用意するから」

「……本人たち……?」

 本人たちとは自分と誰を指すのだとアルベルトはすぐに理解できない。

 はっとアルベルトは周囲がそれまでの環境と異なっていることに気が付いた。先ほどまで、若葉が萌えだした春の白樺の森にいた。柔らかな白樺の葉と乾いた地面、そして青い空が見えた。しかし、今、アルベルトが立つ地面は苔むし、細い小川があちこちに流れている。辺りの白樺の木は異様なまでに背が高く、上を見上げれば、葉は夏の頃のように青々と生い茂り、空は見えない。葉の影が落ち、薄暗くさえあるこの場所は、清涼で甘い匂いに満ちていた。感じたことのない匂いだった。白樺の葉の清涼な匂いと何十種類もの花の蜜を混ぜ、煮込んだような甘ったるい匂いだ。

「……なんだ、ここ」

 呼吸をすればするほど、肺が重くなるような錯覚がした。まだ春だというのに異様に暖かい。隣に立つシモンを見れば、シモンはこの異様な空間で平然としている。

「やっぱアルベルトもしんどそうだね。ノアもそうなんだ」

「……は……?」

「少ししたら慣れるよ。……ほら、あっち見て」

 シモンが指さす先をアルベルトは言われるままに見た。ぱっと目に入ったのは、一際大きな白樺の木の隣に立つノアだった。シモンが着ているものとよく似た民族衣装を着ている。刺繡ポーソムの柄や錫の糸の編み方はやや異なるが、シモンと揃えて誂えた衣装であることはすぐにわかった。正装まで揃いにしているのかとアルベルトは少し呆れた。次にアルベルトはノアの傍らに立つ白い何かを見た。それはとても大きかった。ノアたちとは違い、何の柄も入っていない真っ白なローブ、長い髪、ヘラジカのような角が生えており、白い肌に唯一異なる色の真緑の目が二つ付いている。その二つの目がアルベルトを静かに見下ろしていた。

「……、……」

 それと目が会った時、アルベルトは全く声が出なかった。誰に説明されるまでもなく、アルベルトは理解した。──それがこの白樺の森の妖精と人間の頂点に立つ白樺の王だと。

「王は美しいだろう? 妖精は長く生きれば生きるほどに成長する。あれほどまでに大きな妖精はそうそういない」

「なんで、あんな真っ白なんだ」

「白変種なんだよ。白変種は森では目立ちすぎて長生きできない。でも王はそんなハンデなんて気にもならないほどにお強いんだ。だから全ての妖精の頂点に立つ王になった」

「……はは、すげえな。本能でひれ伏したくなる」

 足が震えそうになるのを堪えて、アルベルトは笑った。一言でも失言すれば、簡単に首を落とされそうだ。ただ自分を見ているだけの王の視線にはそれだけの威圧感があった。恐ろしいはずなのに、アルベルトは不思議なほど白樺の王から視線を外せなかった。あの妖精に殺されるというのならそれでもいいような錯覚がした。

「本当であれば妖精語の話せないお前なんか会えない。でもお前が妖精と揉めた時の対処方法を僕たちに依頼するのでは納得してくれないから、会って話して欲しいとノアがお願いしてくれた」

「俺みたいな下賤な人間に王が会っていただく見返りは?」

 本来であれば妖精語もできない格下の人間にこんな格の高い妖精が会うはずない。そのくらいはアルベルトでも本能的に理解できた。

「見返りはお前との会話の結果で決めるって。王の見返りは必ず後出しなんだ。見返りを顧みず願い出ることに意味がある。お前がクソみたいな話し合いをしたら、ノアは埋め合わせとして心臓を捧げるかもしれない。王は街で起きていることは全てご存じだから誠実に話して欲しい」

 シモンの説明にアルベルトは寒気しかしなかった。自分の言動次第でノアが死ぬ。そして、きっとノアは静かに受け入れる。

「大丈夫です。アルベルトさん」

 シモンの説明と白樺の王の存在に緊張しているアルベルトにノアが声をかけた。どういう訳か、笑顔でさえある。アルベルトがヘマをしても、何か回避の見込みがあるのかとアルベルトは希望を持った。

「王がアルベルトさんとの会話に納得されなければ、私は喜んで心臓を捧げます」

 本当に全く死に対する恐怖心がないようで、美しい民族衣装を着たノアは胸に手を当て、笑顔でそう言い切った。

「大丈夫の意味が俺の期待値じゃない……!」

 ノアの声掛けにアルベルトは頭を抱えて、思わず地団太を踏んだ。こんな時でも相変わらずトンチンカンな言動を貫くノアにアルベルトは絶望するしかない。 

「シモン様、これでいいのか?! 俺とノア様じゃ、シモン様の中で重みが違うだろ!? 俺にここまでする義理ないだろ!?」

 アルベルトは妖精と交渉をしたことがない。コニーや街の人が妖精と話す様子を見た程度だ。妖精との交渉にあまりに経験不足のアルベルトがよりにもよって白樺の王と初交渉するのはあまりにリスクが高すぎる。何とかノアかシモンに交渉を代行させようとアルベルトはシモンの一番の弱みを突いた、つもりだった。

「そんなことはないよ。アルベルトがビョルケルの人である以上、エストホルムは可能な限り希望を受け入れる。そのために配偶者の心臓を捧げる結果になったとしても構わない。自分たちはそのためにいる。僕は生まれた時から、ノアは僕と婚姻した時から、その覚悟でいる。……あまり待たせると心証が悪くなるよ。ほら」

 しかしシモンは自らの覚悟を述べるばかりで、アルベルトの脅しに屈することはなかった。待たせることが良くないのは、妖精も人間も一緒だ。少しでも白樺の王の心証を損ねまいとアルベルトは、一度は白樺の王に向き合った。

「……でも俺は妖精語が話せない」

 だが、白樺の王と話し合おうと思っても、そもそも共通言語を持っていないとアルベルトはシモンに訴える。

「私が通訳します。そのまま話してください」

 アルベルトの戸惑う様子を見て、ノアが声をかけてきた。ノアの通訳はありがたいのか、ありがたくないのか、アルベルトにはわからなかった。

「ノアはきちんと通訳するよ。でもお前の訴えを王がどう思うかはわからない」

 とても心強い通訳がいるせいでアルベルトはもうこの状況から逃げ出せない。アルベルトは決して、ノアやシモンを死なせたいのではなかった。ただ確実に仕事を進める手段が欲しいだけだった。それがまさかこんな大事になるとは。とはいえ、これはシモンとノアがアルベルトのために用意してくれた絶好の機会である。アルベルトは何とかこの機会を物にしようと周囲を見た。

 よく見れば白樺の王とノアは平然としているが、シモンは手が震えていた。そうだ、あんなにもノアを大事にしているシモンが、ノアとアルベルトの願いを天秤にかけて釣り合うと本心から思うはずがない。それでもビョルケルに暮らすアルベルト一人を納得させるために、この二人はここまでするのだ。そこまで街の人に尽くすから彼らは人間からも妖精からも尊敬されるのだとアルベルトはノアとシモンのことを少し理解した。

 腹を括って、アルベルトは王を見上げた。

「初めまして、白樺の王! アルベルトという者です」

 アルベルトが話し始めるのに合わせて、ノアが白樺の王の隣で通訳を始めた。

「これからビョルケルで、妖精と出会ったことのない人たちに妖精と触れ合える仕事をしたいと思っています」

 ノアが怖がるほどに大きなアルベルトの声はこの緑の森の中で朗々と響いた。

「白樺の森と街で、これからたくさん妖精たちを困らせたり、行き違いや揉め事が起きると思います。その時にシモン様とノア様の二人に頼る方法で、問題を解決したくありません。困ったら二人に尻拭いしてもらえばいいなんてハンパな覚悟でこの仕事を始めようと思ったのではありません。まだ妖精のことはあまり知りませんが、でも一緒に生きていきたいと思っています。どんなことも全て人任せにせずに、俺は誰とでも話し合いたい。そのために大きな揉め事になった時に俺でもできる対処方法を教えてください!」

 力強くアルベルトは王へ陳情する。その声は白樺の森のどこまでも響き渡った。少し遅れてノアが通訳する。それを王は静かに聞いた。アルベルトの声を聞いて、少し遠くから聞こえてくる妖精たちの囁き声が聞こえなくなる。王がどんな判断を下すのかと妖精たちが黙り込み、静かに成り行きを見守っていた。さらさらと水の流れる音と葉が揺れる音だけが、甘い匂いの立ち込める空間に静かに響いた。

 ノアの通訳を全て聞き終え、短く何かを王は話した。しかしそれがどんな意味だったのかアルベルトにはわからない。

「……ん? なんつったんだ?」

 王の言葉を間近で聞いたノアが困っている。アルベルトに話すべきか迷っているようだったので、短い言葉ならシモンでもわかるだろうかとアルベルトがシモンを見た。シモンも苦笑している。

「お前はノアを泣かせた個体かって」

 ノアがアルベルトに伝えないでいた真実をシモンはさっさとアルベルトに伝えた。

 アルベルトは真冬の大広場グローペンでシモンの立ち合いの元、ノアにごめんなさいをした儀式を思い出す。

 咄嗟にアルベルトは「終わった」と思った。ノアが王のお気に入りであることは、立っている位置の近さでアルベルトにも分かる。白樺の王がノアを泣かせたアルベルトを許すはずも願いを聞き入れるはずもない。その怒りの結果、ノアが死ぬことになるのは何とも不憫な話だとアルベルトはノアが哀れで仕方がなかった。

 ノアが嘘をつくわけにもいかず、白樺の王に正直に答え始めた。一言「そうだ」と頷くだけでいいはずなのだが、ノアは言葉を選びに選んで長く話していた。シモンに聞けば、ノアはなけなしのフォローをしてくれているというが、アルベルトには無駄な抵抗にしか見えなかった。

 一通りノアの言い訳を聞き、王がまた短く何か話した。隣ですぐさまシモンが吹き出して笑った。一体何が起きているのだと会話についていけないアルベルトはシモンとノアを見るしかない。シモンがくすくすと笑いながら、通訳してくれた。

「ごめんなさいできて偉いねって」

 シモンの通訳にアルベルトは妖精との人間の感覚の違いをまざまざと見せつけられて愕然とした。

「……ご、ごめんなさいしといて良かった……!!」

「ね、あの公開処刑、意味あっただろ〜? 妖精って裏表なくて、単純だから、悪いことをしてもちゃんと謝ったら許してくれるんだよ!」

 王が怒ってないことを知り、ノアもまた安堵する。王がローブの下から真っ白な手を出し、何かをノアに渡す。ノアは恭しく両手でそれを頂戴した。それまで王の隣から離れないでいたノアがアルベルトの方へ歩いてきた。

「王が貴方にこれを、と」

「え、何?」

 何を貰えるのかとアルベルトは片手を出した。

「両手で受け取ってください!」

「あ、はい。すみません」

 珍しくノアに叱責されて、アルベルトは両手を出した。ノアがまるで生き物を渡すようにそっとアルベルトの両手に何かを乗せた。それは真っ赤な宝石の原石だった。

「でかいな。……ルビーかな?」

「力強い貴方には赤い宝石が似合うとのことです。妖精は自分の宝物を気に入った人間に渡すことがあります。これは私にきちんと謝罪をし、自分の希望を王へ明確に伝えることのできた貴方への王からの返事です。研磨して装飾品として身に着けておくといいでしょう。妖精語が話せずとも白樺の王に認められた個体だと尊敬され、かなり有利に交渉できます。トラブルが起きても、王に認められた貴方からの謝罪があれば妖精たちは大抵のことは許してくれるはずです」

「それは良いな!」

「もちろん、王は別ですし、森で何をしてもいいということにはなりませんが」

「いやいいよ! 俺の希望とは少し違ったけど、ここまでしてくれたなら文句なんかない!」

「私たちができるのはここまでですが、納得していただけますか?」

 不安そうに尋ねるノアにアルベルトは力強く頷いた。

「……ああ、でも見返りは?」

 今度はアルベルトが不安そうに二人に尋ねる。ノアが振り返り、白樺の王に妖精語で確認した。白樺の王がまた短く答える。

「……次の謁見で何か菓子を持っていけばいいそうです」

「そんなんでいいの!?」

「お前の交渉が良かったんだよ」

「王はお優しい方です。きちんと誠意を尽くせば、大きな見返りは求められません」

 言葉に裏表のない妖精が見返りは菓子でいいと言うのであれば、そのまま信じていいのだろう。菓子作りはノアに任せ、アルベルトは森の妖精たちと有利に交渉する材料をありがたく頂戴することにした。

「宝石のお礼を言いたいんだけど」

「ああ、それなら」

 ノアが王を見て、妖精語で礼を言おうとした。アルベルトは咄嗟にノアの肩を掴んで引き留める。

「自分で言いたい。何て言えばいい?」

 何でも自分でやりたい性分のアルベルトにノアが妖精語での礼の言葉を教える。それをアルベルトは大きな声で白樺の王に伝えた。発音が変だったのか、気持ちが伝わったのか、王は少し笑って頷いた。

「最後に僕がご挨拶をして帰ろう」

 シモンが代表して、王に丁寧に別れの挨拶をする。挨拶の最後にシモンは胸に手を当て、深々と頭を下げた。同じようにノアも美しい所作で頭を下げる。二人を見習って、アルベルトも頭を下げた。

 三人が頭を上げるともうそこには白樺の王はいなかった。



 妖精の空間から元の白樺の森へ戻るとアルベルトは気が抜けて、その場に座り込んでしまった。

「なんだったんだ、あの空間」

「妖精の森と呼ばれる特別な場所です。白樺の森の中には違いないのですが、通常、人間は入れません」

「魔力の密度の濃い空間だから、魔法使いじゃないとちょっとしんどいね。あれ、今日はノア、平気だね」

「少し前にも来たばかりだから体が慣れた。また時間が空くと元通りだ」

 座り込んでいるアルベルトを心配してか、先ほどの兎が白樺の木の皮を巻いて作った簡素なコップに雪解けの水を汲んでアルベルトへ差し出した。アルベルトは先ほどノアに教わったばかりの妖精語で礼を言って、コップを受け取った。

「……水が冷たくて気持ちいい。あの空間は空気が甘ったるくて、かなわん」

 水を飲み干すし、コップを兎に返すとアルベルトはさっと立ち上がった。ノアよりも胆力のあるアルベルトにシモンは感心し、ノアは唖然とする。

「……短時間でよく立てますね……」

「こんなもん、気合いだ」

 兎に別れの挨拶をし、三人は元来た道を戻り始める。一本道の先頭を歩くのは街への帰り道を知っているシモンとノア、それにアルベルトが続いた。

「通訳するノア様、格好良かったぜ」

「でしょ〜!」

 アルベルトが珍しくノアを褒めると、何故か直接関係のないシモンが自信満々で返事をする。

「もうあの光景を見ちゃったら、ノアのトンチンカンな言動、何でも許しちゃうよ!」

「……それとこれとは話が別だろ……」

「私はあれしかできません」

 どこか悲しい声でノア本人がアルベルトに答える。ノアが悲しそうにする原因は間違いなく自分で、アルベルトは申し訳ない気持ちになった。

「ノア様はちゃんとビョルケルを守ってたんだな。散々からかって、酷いことを言って悪かった。もうそういうことはしない」

 彼が受け入れるかはわからなかったが、ノアが望むはずの穏やかな声でアルベルトがノアへ一方的に約束を持ちかける。ノアとシモンが突然足を止めて、アルベルトの方を振り返る。シモンは喜び、ノアは信じられないものを見るような目でアルベルトを見た。

「……どういう風の吹き回しですか。嫌味ですか。単純に喜ぶ私の反応を見て、また笑うんですか」

「ちげえよ。全部言葉の通りに受け止めていい」

「アルベルトはちゃんと認めることは認めるよ。良かったじゃん、ノア! アルベルトが仲間になった!」

「おう、そうだ」

「……ほ、本当に……?」

 とても信じられないとノアがアルベルトとシモンを交互に見ている。アルベルトの表情を見たって本心など見抜けないのに、ノアはアルベルトの本心を見抜こうと必死だった。いつまでも疑心暗鬼のノアをシモンが笑い、アルベルトがいい加減信じろと怒る。帰りは近道を使い、ああでもない、こうでもないと話しているうちに三人は森の外へ出た。ほんの少し前に出たはずの交流施設が、アルベルトには酷く懐かしく思えた。

 交流施設の正面玄関に向かうと今日は朝から市役所で打ち合わせをしていたはずのコニーがうろうろしていた。

「あ、いた! もうどこに行ってたんですか!? 施設の鍵は空きっぱなしなのに誰もいなくて、探したんですよ!?」

「悪い! 白樺の王に会いに行ってた!」

「王に!?」

 アルベルトが不在にしていた理由にコニーが驚く。

「アルベルトさんが、私かシモンが話し合う以外で、妖精を怒らせた時の対処法を知りたいと言うので王に直接話してもらったのです」

「そんな方法あるんですか!?」

「やっぱ確実に妖精を宥める方法ってのはないな。でも代わりにさ、これを貰った」

 アルベルトが意気揚々とコニーにルビーの原石を見せ、白樺の王と会い、交渉した経緯を話し始めた。コニーが驚き、感心しながら、のめり込むように話を聞いた。


 ᚾᛟᚪᚺ

 コニーとアルベルトを少し離れたところで眺めながら、シモンはノアに話しかけた。

「ありがとね。白樺の王にアルベルトと会う約束を取り付けてくれて」

「君こそ、よくアルベルトさんを連れてきてくれた。王に会って直接話せなんて普通は誰も受け入れない」

「あいつは何にも臆さないから、どこにでもついてくるよ。いやあ、アルベルトの度胸頼りだったけど、上手くいったもんだ。アルベルトのあの度胸は長所だね」

「……そうだな。まだあの人のことはあまり好きではないが、良いところは認めたい」

 大きな仕事が一つ終わって、深く安堵の息を吐いたノアの手をシモンは取った。互いの左の薬指に金の指輪を嵌めている。エストホルムに保管されていた古い結婚指輪だった。何世代前のエストホルムの領主のものか、今となってはわからない。三年前、契約でしかない婚姻のために新しく指輪を揃えるのも煩わしくて、エストホルムに残っていた結婚指輪の中からシモンとノアの指のサイズに合うものを選び、それをそのまま今も結婚指輪としていた。現在では細い白金の結婚指輪が主流だが、古い指輪は金でできており、ぽってりとした厚みがあった。古い祈りの言葉が刻印されている。死が今よりも身近だったので、古い装飾品にはどれも祈りの言葉が刻まれていた。

「ねえ、」

 ノアの左の金の指輪を指で辿りながらシモンがノアに話しかける。

「ん?」

「指輪。新しくしない? ほら、これ、うちにあった誰かの結婚指輪じゃん。ちゃんと自分たちの作ろうよ」

 ひとしきり指輪を指で辿り、シモンがノアを見る。ノアはやや困った顔をしていた。

「それはそうだが……指輪を変えると指が慣れるまでに時間がかかるし、それにこれが気に入っている」

 改めて金の指輪を見て、ノアはどこかほっとしたような表情を見せた。

「あの苦しかった三年を一緒に乗り越えてくれた指輪だから」

「……そっか、それならいいんだ。……うーん、なら、結婚式しようよ!」

「……は……?」

 何もかも唐突なシモンの提案にノアは困惑するしかない。

「な、何で今更……。結婚式なら一応しただろう」

「ええ?! あの教会で名前を書いただけの式のこと言ってんの!? あんなのもはやただの事務手続きだよ!」

 人の社会で正式に婚姻するには、教会で神父の立ち合いの元、互いの名前を結婚証明書に署名する必要があった。これはシモンとノアのような契約による婚姻であっても、通常の婚姻であっても同じだ。

「別にそれでいい」

 目立つことは何一つしたくないノアはあの事務手続きで十分だとシモンの提案を拒否する。

「えー! 絶対ヤダ! ねえ、二人とも聞いて! 結婚式したいんだけどどう思う!?」

 シモンが突然騒ぎだして、アルベルトとコニーが驚き、シモンとノアを見た。

「け、結婚式? もう三年も結婚してて、何で今更……」

「教会で式をしないで結婚できないだろ?」

「そうです! 最低限のものはしました!」

 二人の言う通りだとノアが語気を強めて、同意する。

「教会で名前を書くだけの式なんてただの事務手続きだと思わない!? 三年前の僕はノアなんて全然大事じゃなかったから色々後悔してるの! ちゃんと街中の人に祝福されたい! この人が僕の家族ですって皆に伝えたい!」

 しかしそんな当たり前の理屈で納得するのならシモンは初めからこんなことは言い出さない。どうしても結婚式をやりたいと三人に駄々をこねた。

「皆、知ってますよ……」

 毎日のように妖精のように美しい家族を見せびらかしているではないかとコニーはやんわりとシモンに事実を伝える。

「契約結婚なんだろ? ただのビジネスパートナーなんだろ? 二人はもう一体どういう関係なんだよ……」

 シモンの言動が理解できず、アルベルトが頭を抱える

「関係ない! 春も来たし、お祭り騒ぎしたい!!」

「本音はそこか」

 シモンの本音を聞いてアルベルトが納得する。

「必要ありません! 私は極力誰にも注目されたくありません!」

 シモンの意見ばかり聞かないで欲しいと自己主張が苦手なノアが必死に訴えた。

「配偶者がこの人じゃ無理だろ。……まあ、それなら夏至祭のイベントの一つにしたら? 領主の結婚式なら、ちょうどいい宣伝材料だ。夏至祭だから花冠でも被って、好きな衣装を着て、教会前の大広場グローペンで街中の人間を集めて、満足するまで誓いのキスでも愛を語るでもすればいい。今更やる必要もない結婚式を男同士でしようと思う程度には羞恥心がないんだからちょうどいいだろ」

「私はあるんですが……」

「夏至祭の間は、朝から晩まで酒を飲んでて素面の奴なんていない。アンタらの結婚式イベントが追加されても普段の夏至祭とほとんど変わらないさ」

 アルベルトの決めつけにノアは抗議したが、アルベルトには些末なことだと無視される。

「さすが元イベント会社社長!」

 アルベルトの提案に大喜びするシモンの隣で、ノアは絶句した。

「ノア様、止めるなら今ですよ。アルベルトさんは実行する男です」

「ノア! やろうよ! お金ならあるから!」

 この街で一番実行力のある男と一番稼ぐ男が乗り気では、ノアはもうこのイベントを否定する材料がない。

「領主と言う立場上、シモンは長期旅行ができません。ですから、街の中でできるイベントにはできる限り付き合うという約束をしています。……家族行事です」

 結婚生活は諦観を含む許容だとシモンに常々言われている。シモンが時々言い出す突拍子もないイベントや企画に付き合う時に、ノアはこの言葉を思い出した。

「おっし、決まりだな。ノア様は結婚式の希望ある?」

 自分がやりたい訳ではないイベントの希望を聞かれても、ノアはすぐには何も思いつかない。困ってシモンを見れば、自分と揃いのシモンの正装が目に入った。

「……シモンと揃いの衣装がいいです」

 ノアにとってシモンと揃いの服とは、考える手間を省くだけではなく、とても良いものだった。妖精にも人にもシモンとの仲の良さをアピールでき、何より揃いの服を着られる程度にはシモンはノアを好意的に捉えている気持ちの証である。

「そうだね! お揃いの衣装にしようね!」

 もう明日にでも結婚式をするかのような喜びようのシモンに、結婚式に対して不安しかなかったノアはつられて笑った。シモンとするイベントならきっと何でも楽しいだろうと気持ちをゆっくりと切り替えることにする。

「王に会って疲れた。今、何時かわかんねえけど、フィーカしたい」

「十一時過ぎですね。フィーカって時間じゃないですけど、そうしましょうか。近くのカフェはどうですか?」

「ああ、そうしよう」

 コニーを先頭にして、アルベルトが歩き出す。二人に少し遅れてシモンとノアも並んで歩く。

 ノアが空を見上げると、シモンの目の色のような明るい空色がノアの青緑色の目に映る。次第にビョルケルは温かくなってきて、街中の草木は伸び、春の花を咲かせる。柔らかな萌黄色の草原のあちこちに赤い家々があった。ノアが来た時から、否、それよりもずっとずっと以前から、ビョルケルは美しい街だった。どこからか人と妖精たちが歌う綺麗な歌声が聞こえてくる。ビョルケルは今もなお妖精と暮らすおとぎ話のような街だった。その街の中でノアは暮らしていた。今まで暮らしてきた街のように一人きりではなく、人の中で。

「ノア様の妖精語はすごいな。俺の言ってることスラスラ変換してくれるんだよ。それだけでもすごいのに、また言葉が歌ってるみたいで綺麗なんだよな」

「はあ、聞きたかったなあ……」

 アルベルトが如何にノアが立派に通訳を果たしてくれたのかを改めて話し、コニーが憧れて聞いている。隣を見ればシモンがいる。ノアは自分が人の中にいることをしみじみと実感した。こんな幸いが自分に訪れる日が来るなんて、本当に想像していなかった。

「シモン」

 大事な家族の名前をノアは思わず呼んだ。日々の習慣のように。祈るように。

「ん、何?」

 シモンがぱっとノアを見る。太陽のような金色の髪、ビョルケルの空のような青い目。シモンを表す何もかもがノアは愛おしかった。

「君と結婚して良かった」

 気持ちはいつも言葉に。シモンに言われている通りに、ノアは今の気持ちをシモンに伝えた。

「僕もノアと結婚して良かったよ」

 シモンもまたノアに自分の気持ちを伝えてくれる。それがノアは堪らなく嬉しかった。二人で顔を見合わせて笑う。どちらかともなく手を繋いだ。手を繋ぐだけでは足りなくて、指を絡める。自分たちは恋人同士ではなかったが、この雪深い土地で助け合って生きている家族だった。白夜の夏が楽しみだった。

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