第五話「海の先輩との出会い」
翌日の午前中、俺は再び桟橋にやってきた。昨日の成功が嬉しくて、今日も釣りを楽しみたいと思ったのだ。
「今日は朝まづめを狙ってみよう」
時刻は午前6時。現実世界でも朝の時間帯は魚の活性が高い。ゲーム内でも同じ原則が適用されているなら、いい釣果が期待できるはずだ。
竿を準備していると、桟橋の向こう側で釣りをしている人影が見えた。
「他にも釣りしてる人がいるんだ」
珍しいことだった。これまで桟橋で釣りをしているプレイヤーは見かけたことがない。興味深く思いながら、俺は自分の釣り座を構えた。
一投目から、いいアタリがあった。
「おっ、やっぱり朝は違うな」
軽快に竿を操作して、コモンフィッシュを釣り上げる。続けて二匹目、三匹目と順調に釣れた。
そんな時、向こう側の釣り人から声がかかった。
「おい、そこの狩人さん。なかなかいい腕してるじゃないか」
振り返ると、30代くらいの男性プレイヤーが立っていた。頭上の名前は『カイト』。装備を見ると、俺と同じ狩人のようだが、装備のランクが明らかに上だった。
「あ、ありがとうございます。カイトさんも釣りをされるんですね」
「ああ、俺はレベル32の狩人だ。最近は戦闘よりも釣りの方が面白くてな」
レベル32!俺の10倍以上の経験値を持つベテランプレイヤーだ。
「すげぇ……僕はまだレベル3です」
「でも、君の釣り方を見てると、ただの初心者じゃないな。現実でも釣りをやってるだろ?」
鋭い観察眼だった。
「はい、高校の釣り部で部長をやってます」
「やっぱりか。竿の扱い方が違う。アタリの取り方も、魚とのやり取りも自然だ」
カイトは俺の釣り座の近くにやってきて、隣に竿を出した。
「なあ、ちょっと面白いことを教えてやろうか」
「面白いこと?」
「潮汐だよ。このゲーム、現実と同じように潮の満ち引きがある。それを利用すると、もっといい釣りができるんだ」
俺の目が輝いた。
「潮汐!僕、それ大好きなんです!」
「おお、食いつきがいいな。じゃあ、今の潮の状況、分かるか?」
俺は海面を見つめ、波の動きや岩場の露出具合を観察した。
「えーっと……今は下げ潮の中期くらいじゃないでしょうか。あと1時間くらいで干潮になりそうです」
カイトの表情が驚きに変わった。
「すげぇな、おい。正解だ。俺がこの知識を身につけるのに2週間かかったのに」
「現実でも潮汐表とにらめっこしてるんで」
「それだよ、それ!このゲームじゃ、そういう現実の知識が生きる。特に海関係はな」
カイトは興奮したように話し続けた。
「例えば、干潮の時は普段見えない岩場が露出する。そこには珍しい貝類や海藻が採取できるんだ。満潮前後は回遊魚が岸近くまでやってくる。そういう知識があるかないかで、釣果が全然違う」
「なるほど……」
「それにな、月齢も関係してる。新月と満月の前後は大潮で、魚の活性が高くなる。特に満月の夜に釣れるムーンフィッシュは――」
「あ、それガンソウ爺さんから聞きました!」
「ガンソウの爺さんを知ってるのか?あの人はこの港の生き字引だ。いい情報源を見つけたな」
カイトと話していると、海に関する知識がどんどん広がっていく感じがした。現実の知識とゲームのシステムが組み合わさって、無限の可能性を感じる。
「ところで」カイトが俺を見つめた。「君、将来的にはどういう方向を考えてる?狩人を極めるのか?」
「実は……海関係の職業に就きたいんです。漁師とか」
「漁師!」カイトの目が輝いた。「いいじゃないか。俺も同じことを考えてたんだ」
「えっ、本当ですか?」
「ああ。でも漁師は隠し職業らしくて、転職条件が分からないんだ。ガンソウ爺さんに聞いても『時が来れば分かる』としか言わない」
やはり漁師への転職は簡単ではないのか。
「でも、君みたいに現実の知識がある奴となら、きっと見つけられる気がするぞ」
その時、カイトの竿に大きなアタリがあった。
「おっ、来たぞ!」
竿が大きく曲がり、リールからジリジリと糸が出ていく。明らかに大物だ。
「これは……シルバーダイじゃない。もっと大きいぞ」
カイトは慎重に魚とやり取りする。その技術は俺よりもはるかに上手だった。レベル差だけでなく、VRでの釣り経験も豊富なのだろう。
「見えた!」
海面に現れたのは、シルバーダイよりも一回り大きな魚だった。背中が青く、腹が銀色に光っている。
『ブルーマリンを釣り上げました!』
「ブルーマリン!」
俺は思わず声を上げた。ガンソウ爺さんが言っていた中級者向けの魚だ。
「すげぇだろ?これが釣れるのは朝夕の時間帯だけなんだ。しかも、潮汐のタイミングが合わないと釣れない」
カイトは嬉しそうにブルーマリンを掲げた。確かに美しい魚だ。
「カイトさん、すごいです!僕も早くそんな魚を釣りたいです」
「大丈夫だ。君なら絶対できる。現実の知識がある分、俺よりも早く上達するかもしれない」
カイトは俺の肩を叩いた。
「なあ、今度一緒に釣りに行かないか?ノースリーフってポイントがあるんだ。そこなら、もっといい魚が釣れる」
「ノースリーフ!行きます!」
即答した。ガンソウ爺さんが言っていた中級者向けのポイントだ。
「よし、決まりだ。でも、そこは魔物も出るから、戦闘準備も必要だぞ。君のレベルじゃ少し危険かもしれない」
「頑張ってレベル上げします!」
「その意気だ!」
カイトは満足そうに頷いた。
「それにしても、久しぶりだよ。海に本気で興味を持ってる奴に会うのは。みんな効率とかレア装備とかそんなことばかりで」
「僕も同じです。現実でも部員が減っちゃって……」
「そうか。でも、ここなら大丈夫だ。海が好きな奴はちゃんといる。少数だけどな」
カイトは海を見つめた。
「このゲームの海は本当によくできてる。現実以上に美しいし、可能性に満ちてる。きっと俺たちが想像もできないような秘密が隠されてるはずだ」
「秘密……」
「ああ。伝説の魚とか、未発見の島とか、古代遺跡とか。海は陸地よりもずっと謎が多い」
俺は胸が熱くなった。カイトの言葉に、無限の冒険への憧れを感じる。
「カイトさん、今度ぜひ色々教えてください」
「もちろんだ。でも、俺も君から学ぶことがありそうだ。現実の海洋知識、すごく興味深い」
二人はその後も夕方まで釣りを続けた。カイトからは実戦的なテクニックを、俺からは現実の海洋知識を、お互いに教え合った。
夕日が海に沈む頃、俺たちは桟橋を後にした。
「また明日も来るのか?」
「はい!」
「よし、じゃあまた明日な。今度はフィッシュアローも教えてやる」
「フィッシュアロー!楽しみです!」
カイトと別れた俺は、今日の釣果を背負って港の宿屋に向かった。コモンフィッシュ8匹とシルバーダイ2匹。レベルも4に上がっている。
でも、それよりも嬉しかったのは、海を愛する仲間に出会えたことだった。
「明日も頑張ろう」
俺は星空を見上げながら、明日への期待を胸に抱いた。
【アルネペディア】
・カイト:レベル32の狩人プレイヤー。海釣りを愛するベテランで、潮汐や海洋知識に詳しい。ウシオの良き理解者となる。
・ブルーマリン:中級者向けの魚。背中が青く腹が銀色。朝夕の時間帯で潮汐のタイミングが合った時のみ釣れる。ノースリーフでよく釣れる。