殿下、悲しゅうございますわ。私が魔女だと疑っていらっしゃるなんて。
「ウィルミナ! お前との婚約を破棄させてもらう。お前は我が愛しのベルタを虐げ、死に追いやった。お前自身の命をもって贖うがいい!」
王城で開催された夜会にて、公爵令嬢ウィルミナは婚約者である王太子からいきなり名指しで断罪された。和やかだった夜会会場が、しんと静まり変える。けれどウィルミナは驚いた様子もなく、持っていたグラスの中身を飲み干した。そのグラスを、いつの間にやってきたのか彼女の従僕が静かに受け取る。影で控えていたはずだが、そのかゆいところに手が届く仕事っぷりにウィルミナは満足げにうなずいた。
「本当に、殿下は面白いことをおっしゃいますのね。婚約の解消については、承知いたしました」
夜の女王のようだと評される美貌を歪ませることもなく、ウィルミナは穏やかにこたえる。
「ふん、解消ではなく破棄だがな! それを受け入れたということは、お前は罪を認めたということだ!」
「この婚約はそもそも、陛下が殿下のために頭を下げて我が家に頼んできたものです。殿下さえよろしければ、婚約の解消には応じましょう。国王陛下と王妃殿下の親心を踏みにじるなど、正気の沙汰とは思えませんが。ですが、なぜ婚約の解消で私が罪を受け入れたことになるのでしょうか」
「先ほども言った通り、お前がベルタを殺めたからだ!」
「ベルタさまは、病でお亡くなりになったではありませんか。あんなにお元気でしたのに、突然心臓が止まってしまうだなんて。本当に若い身空で、お気の毒ですこと」
「この期に及んでとぼける気か!」
王太子は頑なに主張する。周囲の者たちも、ここまで王太子が強く主張するのであれば何か根拠があるのだろうと、ウィルミナの方に冷ややかな視線を向ける。けれど、ウィルミナは困ったように頬に手を当てるのみ。
「まあ、殿下。それでは一体どうやって私がベルタさまに危害を加えたとおっしゃるのでしょう」
「呪いだ」
「失礼。少し、お声が遠かったようです。もう一度お伺いしても?」
「魔女ウィルミナ! お前は、俺の愛するベルタを呪い殺したのだ!」
王太子が絶叫すると、まるでその声に応じるかのようにゆらりとシャンデリアが揺らめいた。
***
それはある春の、うららかな日の出来事である。王太子は、親密な関係になっていた男爵令嬢ベルタを連れて、王家が所有するとある別荘地に出かけていた。目的はもちろん誰にも邪魔されずにふたりで愛を育むためだ。
王都には礼節に厳しい国王や王妃、口うるさい婚約者である公爵令嬢ウィルミナがいる。ゆっくりと愛を語らうこともできはしない。それに男爵令嬢ベルタは、王都の下町育ちだ。男爵の庶子として生まれた彼女は、男爵家に引き取られるまで平民暮らしをしている。王都の外になど行ったことがない。そんな彼女を連れて、王国内の風光明媚な場所を訪れることは王太子にとって何よりの楽しみだった。
非凡な才などなく、それでもなんとか王族らしくあろうと努力していた王太子にとって、自分を支えてくれるはずのウィルミナはいつの間にか自分の前に立ちふさがる壁のように感じられてならなかった。
一方のベルタは何を前にしても子どものように目を輝かせて喜んでくれる。いつでも取り澄ました様子の婚約者とは異なるのだ。そんな貴族令嬢らしからぬベルタの無邪気さに、王太子は癒しを得ていた。そしてあっという間にそのぬかるみに溺れていったのである。
もちろん周囲の者たちも、王太子の行動を諫めなかったわけではない。むしろたびたび苦言を呈されてきたからこそ、王太子はごく少数のともだけを連れて旅行に出かけてしまったのだ。せめて通常通り、護衛や侍従を連れて行っていればよかっただろうに。限られた人数の中に、高度な医術を扱うことのできる者はいなかったのが運の尽きだった。男爵令嬢ベルタは別荘地近く、森の中の花畑で遊んでいる最中に倒れ、そのまま帰らぬひととなったのである。
もちろん、はじめは毒が疑われた。けれど、口にした食事すべてを調査しても毒が発見されることはなかったのだ。そもそも連れてきていた使用人たちは、王太子が心から信頼している一部の者に限られている。毒物を混入させるような裏切り者などいるはずがなかった。
巡り合わせの悪さによる悲恋。そう片付けられかけた時、王太子ランドンはとある噂を耳にしたのである。それは、公爵家令嬢ウィルミナに関する噂だ。王都の貴族令嬢たちは、こぞってこう囁いていたのだ。困ったことがあれば、ウィルミナを訪ねるといい。彼女は自分たちを苦しみから救ってくれる、奇跡の魔女なのだと。
***
「殿下、悲しゅうございますわ。私が魔女だと疑っていらっしゃるなんて」
ウィルミナは扇を取り出すと、静かに広げて自身の口元を隠した。それはあまりにも寂しげに見えるが、当然のことだろう。なにせ公然の秘密だった婚約者の裏切りが本人の口によって明らかになったのだ。そのあげく、王太子によって人殺しとして断罪されているのだから。死んだ女のことなど忘れてしまえばよいものを。誰かのつぶやきに、王太子がぎりりと唇を噛んだ。
「私が若いご令嬢たちに呪いのかけ方を教えたと、そうおっしゃるのですね」
「そうだ。これについては、裏が取れている」
「それでは、その証拠を公開してくださいませ。みなさまも、きっと気になっていらっしゃることでしょうから」
辺りを見回せば、ふたりに注目する貴族たちがうなずいた。驚きに満ちているもの、軽蔑を露わにしているもの、さまざまだが好奇の色は隠せない。
「お前は茶会のたびに、若い令嬢たちを集めて悩みを解決しているというではないか。しかも、お前との茶会が終わるたびに婚約破棄やら離婚騒動が勃発する。もちろん新たな婚約や結婚も成立しているが何かしているとしか思えない。実際、幾人かのご令嬢やご夫人からはお前の教えはよく効いたと直接聞いている」
「まあ、それはそれは。殿下はもう少し、みなさまのお話に真摯に耳を傾けるべきでしょうね」
ウィルミナは辺りを見回した。何人かの令嬢や夫人たちが彼女の元に集まってくる。
「殿下はご存じないのでしょうけれど。若い女性たちの間では、昔からいろいろな言い伝えがございますのよ。それこそ身分の貴賤を問わず、面白いほど似通った文化ですの。私がお教えしたのは、そんな根拠不明なものよりもずっと現実的な、女性の心を守るためのお呪いですわ。たとえば、殿方との会話の運び方。喧嘩をしないやり方。あるいは見切りをつけた場合は、喧嘩のやり方や法律上の対応の仕方。食べ物の中に髪の毛や血液を垂らし込む昔ながらの、そう殿下がおっしゃるところの呪いなどよりも、よほど効果的でございましょう?」
「そうであれば、なぜベルタは死んだのだ!」
「せっかく殿下のために、口をつぐんでいたというのに。殿下は自ら、その秘密を暴くというのですね」
「知っていることがあるというのなら、早く言え!」
再び、王太子の怒号が響く。
「あくまで推測でございますが。殿下が訪れた場所は、蜂蜜の産地でございます。養蜂家も数多くいますが、群れから分かれた蜜蜂たちが、独自に蜂の巣を作ることも数多くあるとか。人間が管理している蜂蜜とは異なり、天然物の蜂蜜は野性味あふれる味が魅力的だそうですね。けれど、蜂蜜は採れる場所に気を付けなければなりません。もしも近くに、毒を持つ草花がある場合にはその毒が蜂蜜に混入してしまうこともあるのですから。遠い昔には、それで戦が決したこともあると言われておりますのよ」
会場の人々の脳裏に、天真爛漫だった男爵令嬢ベルタの姿が浮かんだ。あまりにも自由な彼女のことを苦々しく思う人々も多かったが、それでもなお奔放な彼女は魅力的だった。散策中に偶然見つけた、巣から溢れた甘い蜜。蜜蜂に刺されることもなく、もしも舐めることができたのだとしたら……。妖精の贈り物だわなんてはしゃぎながら、彼女は飛び跳ねて喜んだに違いないのだ。
もしもベルタが山村の出身なら、不用意に野生の蜂蜜を口にすることはなかっただろう。周囲に毒を持つ野草がないかの確認くらい、きっとできたはずだ。王都の下町育ちゆえに、自然の掟を知らない無垢な少女は命を落としたのだとしたら……。それはあまりにも、ベルタらしい死に方だったのである。
***
「ですからね、殿下。ベルタさまがお亡くなりになったのは、呪いでもなんでもないのです。しいて言うならば、殿下の愚かさ故ということでございましょう」
「俺のせい、だと?」
「ベルタさまは、あまりに純粋な方でした。あの方は、ありのままの殿下を愛していらっしゃいました。殿下もお気づきではありませんでしたか? 彼女は不作法ではありましたが、悪意など持ち合わせておりませんでしたでしょう? 私とて、彼女の一途さをまぶしく思っておりましたものです」
「……お前は、ベルタを邪魔に思っていなかったというのか?」
「彼女の愛が報われればよいと思っておりました。彼女の愛は、殿下次第だったのです。あなたがより王族らしい振る舞いを求めれば、彼女は私のように王族を支える女になったでしょう。あなたが彼女に子どものような純粋さを求めたから、彼女は無垢に生きたのです。そう、目を離せばあっという間に命を落としてしまう幼子のように」
「そんな、それではあまりにも」
痛ましげに口元を歪ませつつ、ウィルミナは礼をとった。
「これで、私が彼女に手をかけたわけではないと納得していただけたでしょうか。先ほども申し上げました通り、婚約の解消は謹んでお受けいたします」
「……なぜだ。呪いの魔女ではないというのなら、婚約を破棄する必要は……」
「まあ殿下、あれほど大口を叩きながらそんな不誠実なことを口になさるなんて。ベルタさまも報われませんわね。そもそも呪いだの魔女だの関係ございません。私どもの間では、最初から政略結婚に必要なものが存在していないのです」
「愛は、これから育めばよいではないか!」
「お可愛らしいことを。殿下、政略結婚に必要なものは信頼でございます。私、殿下とともに国を支えることはできないとよくよく理解いたしましたの。私、がっかりしましたわ。今度こそ、真実の愛をこの目にすることができるかもしれないと期待しておりましたのに。殿下にはほとほと愛想が尽きました。それでは、御前失礼」
あれほど自信たっぷりに非難しておきながら、この体たらく。周囲の視線の冷たさに王太子は真っ青になってその身を震わせた。軽やかにヒールの音を鳴らしながら立ち去ろうとするウィルミナに、王太子が思わず手を伸ばす。
けれどその視界を遮るように美貌の従僕が深々と一礼をした。それは猫のようにしなやかで、けれど道化師のような笑みをたっぷりと含むものだった。先ほどからゆらゆらと揺れていたシャンデリアが、唐突に落下する。悲鳴、怒声、轟音、そしてもうもうと立ち昇る土煙。
騒然とする会場の視界が晴れた時、落ちたシャンデリアを前にして、王太子は腰を抜かしてへたり込んでいた。ほんのわずかでもずれていたならば、王太子はシャンデリアによって潰されていたに違いない。首の皮一枚繋がった状態で、王太子はただ静かに天を仰いだ。
シャンデリアに押しつぶされそうになったことがよほどショックだったのだろうか。黒い影が自分に反省を促しにやってくる。そんなことを言って王太子は自室にこもりきりになっているらしい。婚約破棄と断罪失敗で後がない状態だったが、これではとても政務など任せられないということで、廃嫡とともに事実上の幽閉が決定したのだった。
***
静かな公爵邸の庭で、ウィルミナはのんびりとお茶の時間を楽しんでいた。給仕をしているのは、例の夜会の際にウィルミナの隣にいた若い従僕だ。そしてウィルミナの客人としてお茶を楽しんでいたのは、亡くなったはずの男爵令嬢ベルタだった。
「今回はお早い復活ですわね。転生するまで待たなかっただなんて」
「ああ、これ? 埋葬された後、偶然、聖女さまに会っちゃったのよ。別に復活させてくれなくてもよかったのに、気合入れてくれちゃって。殿下の耳に入らないようにするのが、もう超大変だったんだから!」
「あら、奇跡の愛という宣伝で王妃の座を得たらよかったのではありませんの? 聖女さまの後押しもあれば、きっと無理ではなかったでしょうに」
ウィルミナの疑問に、ベルタは勢いよく首を横に振った。
「うーん、それは無理かな。だってあたしが生き返ったところで、聖女さまが国に入り込んできたら、まず国が崩壊するし」
「まああの方は、昔から傾国として国を引っ掻き回すのがお好きですものね。今は、引っ掻き回したあとに魔女扱いされて火あぶり。その後天変地異を起こしてやはり本物の聖女さまだったのだ、これは天罰だ!と大騒ぎさせることに夢中でいらっしゃるから」
やれやれと首を横に振る。そんな彼女たちが美味しくいただいているのは、蜂蜜とスパイスがたっぷりと入ったお菓子だ。甘い物が大好きなベルタは、笑顔でさらに蜂蜜を追加でかけている。
「この甘さがたまらないわ!」
「毒入りの蜂蜜であっさり命を落としたというのに、よく平気で蜂蜜を食べることができますわね」
「あたしの知能は、愛するひとと連動するのよ。今回はちょっと残念だったわね。前回、いいや、前々回だったっけ? あの時の人生はいいとこまでいったんだけどなあ」
「本当に愚かな殿下。悲しゅうございますわ。私が魔女だと疑っていらっしゃるなんて。私は正真正銘、本物の魔女でございますのに」
ふうと小さなため息とともに、ウィルミナはケーキにフォークを突き刺した。
***
ウィルミナは、正真正銘の魔女である。かつて呪いをかけた時にそう宣言していたし、王太子にその正体を明かしていた。ようやくそのことを思い出したかと思ったのに、別にそういうわけではなかったらしい。ただのあてずっぽうだったことに、ウィルミナは肩を落とした。もうそろそろ、目の前のちょっとどこか抜けた友人の恋が成就しても良いのではないかと思っているのである。まあ、友人本人はポカをやり続ける王太子の生まれ変わりを喜んで追いかけており、そんな人生を謳歌しているようではあるのだが。
魔女は不老長寿ではあるが、不死ではない。だから魔女は、記憶を持ったまま何度でも転生するのだ。そして魔女と聖女は、実は根幹はほとんど同じものなのである。ただ呼び名が異なるだけに過ぎない。そもそも、彼女たちが自ら魔女だ、聖女だと名乗ったところで、周囲の人間たちはくるくると掌返しを繰り返しながら好き勝手に呼ぶのだから気にしても無駄なことなのだった。
正しさなんて、時と場合によって何もかも変わってしまうのだと知っている。だからウィルミナたちはただひとつの大切なものだけのために生きている。自分の中の大事なものを見失わなければ、どうということはないのだから。
ウィルミナは、ベルタに向かって問いかけた。
「私があなたと殿下に呪いをかけてから、ずいぶんと長い時間が経ちましたわね。それでも、殿下はあまり賢くはなっていらっしゃらないようですけれど」
「まあ、まあ、まあ。時代とか国の状況にも左右されるし! いつかはゴールできるって! それにあたし、なんだかんだでお馬鹿な殿下のこと大好きだもの」
「だったら、もっと積極的に支えて差し上げたらよろしいのに」
「だから、あたしの知能や行動が淑女になるのか幼児になるのかっていうのは、あたし自身でコントロールできないんだってば」
「ええ。殿下が真実の愛を貫いてくださらなければ、呪いは解けないので今回も頑張ってみたのですけれど……。よいところまでいったと思うのですよ。私が魔女であるという断定までできたのですから。まさかあんな子ども騙しの反駁でぐうの音も出なくなるなんて思わないではありませんか」
「今回の殿下、脳筋だったから」
「今回もの間違いでしょう? それに土壇場で婚約破棄の破棄を申し出てくるなんて、本当にみっともない男ですこと」
「えーん、ウィルミナが虐める~。あたしの殿下はバカワイイのが魅力なんだってばあ」
泣きべそをかく友人を放置し、切り分けたケーキを口に運ぶ。その途中でウィルミナは動きを止めると自らの桃色の唇にフォークを入れることなく、そばに控える侍従に向かってフォークを差し出した。
「はい、イーノック、あーんして?」
「お嬢さま」
「あら、もうお嬢さまではないでしょう? 私の愛しい旦那さま? いつも待たせてばかりでごめんなさいね」
「ひゃあ、もう目の前でいちゃいちゃしないでよ」
客人の叫びを聞きながら、侍従はくつくつと喉を鳴らした。
***
しばらくじたばたと暴れていたベルタだが、たっぷりの蜂蜜ケーキを胃におさめて心を落ち着けたらしい。少ししてから、不思議そうにイーノックに尋ねてきた。
「そういえば、どうしてあなたは転生しないの? 悪魔は転生できないの? 一番最初に出会った時から、ずーっと公爵家で侍従をやっているじゃない。よく飽きないわね。あの時は人間界を引っ掻き回してやろうと潜り込んだのに、ウィルミナに捕まったんだっけ?」
「それはなんだか聞こえが悪いわ。私たちは恋に落ちたのよ」
「悪魔が転生できないというわけではありませんよ。物好きな悪魔は、人間の器を用意して転生することはままあります。その器の寿命が来た時点で捨ててしまえば、本来の姿を取り戻すことも可能です」
「でもやらないじゃん。それとも、悪魔的には数十年から数百年なんて誤差程度で、気にもならないって感じ? まあ、あたしたちが死んだところで必ず転生するわけで、待ってりゃ会えるものね?」
「まさか。時が来るたびに再会を一日千秋の想いで待っておりますよ。それはもう互いの魂を縁でがんじがらめにしてやろうか、王太子の魂を消滅させてやろうかと思うくらいには切実です」
「なんかそれ思うくらいっていうか、実際既にちょっと……。いや、あたしが言えた義理じゃないわね。忘れてちょうだい」
ウィルミナよりもベルタよりもずっと魔力量の多い、高位の悪魔。それにもかかわらず、イーノックはいつまでも従順に、ウィルミナの帰りを待っている。まるで伝説の忠犬のように。
「ねえ、ウィルミナ。ウィルミナも、たまにはイーノックと幼馴染とか学園の教師と生徒とか、違うシチュエーションで人生を初めてみたいわよね? まあ、どこかのタイミングで記憶を取り戻したらいつもの関係に戻るわけなんだけど」
ウィルミナは、紅茶の入ったティーカップを静かに傾ける。そして夢見るように囁いた。
「うふふ。それは本当に素敵でしょうね。私の知らないイーノックは、どんな風に私をエスコートしてくれるのかしら。でも、そうね。私にとってイーノックは初恋だから。最初に出会ったときに、運命を見つけてしまったと思ったから。どの人生でも、最初に出会うのは一番最初に出会った侍従のイーノックがいいなって。あ、イーノック。ごめんなさいね。あなたの人生……悪魔生?だから、好きにしてくれてかまわないのよ。あなたがどんな姿をしていたって、私が記憶を取り戻していなかったとて、私はあなたを見つけてみせるし、きっと恋に落ちるのだから。でも、だれか別のひとと結婚していたりなんかしていたら嫌よ。私、泣いてしまうわ」
「わたしが、そのような愚かな選択をするとでも?」
「まさか。イーノックは間違えないって知っているもの」
あまりに甘い愛の言葉は、呪いにも等しい。いつでもひょうひょうとした姿を崩さないイーノックが、耳を赤くしている。紅茶を注ぐ手が、少しばかり震えているようだ。目の前でラブシーンを繰り広げるふたりのことなど無視して、ベルタは蜂蜜の瓶を手に取った。今度は紅茶の中に勢いよく入れるつもりらしい。心を落ち着けるには糖分が一番なのだ。
「本当に。ウィルミナは魔女の中の魔女ですよ」
「どっちかっていうと、悪女じゃない?」
「あらまあ。それは光栄ですこと」
ころころとウィルミナは笑いながら、イーノックが用意した紅茶のお代わりを存分に味わうのだった。
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