職員宿舎
✩.*˚ 後書きに宿舎の外観と間取りのイメージ画像を載せています。
今、俺たちが住んでいる職員宿舎は、70年前に建てられた洋館だ。
璞市役所から歩いてそれほど遠くはない場所にある。
ーーこの世界に転移した初日、としおが案内してくれた。
市役所を出て、としおを先頭にぞろぞろ歩く。
「今からご案内する宿舎は、璞市役所と深い交流があった国の、商社を営むご一家が住んでいたところです。
体格の良い方だったのでしょう。日本人向けの宿舎では狭いということで、ご自分で建てられたと聞きました。
色即是空の皆さんは開放的な環境にいらっしゃったようなので、一般的な宿舎よりもこちらの方がいいかと判断しました」
としおに渡された宿舎の外観写真をみんなで回し見する。
写真は建物を正面から写したもので、2階建ての1階中央が玄関になっていて、同じデザインの窓が1階と2階合計で左右対称に5つ並んでいる。
屋根や壁などしっかり造られていて、頑丈そうだ。
「俺たち、ここに住むのか」トイロは嬉しそうだ。
「白い壁にツタが這っているのがいいね」ミクトも気に入ったようだ。
「最近まで、どなたか住んでいらっしゃったのでしょうか」ユキがとしおに聞く。
「持ち主だったご家族の退去後、建物は市が買い取りまして、その後何家族か入れ替わりで入居、最後の入居家族が退去したのが……20年ぐらい前ですね。都度リフォームされているはずなので、建物自体は古いですが住めないということはないでしょう」
……相当古いんだな。覚悟しておこう。
「建物の中は広そうですね。窓が5つということは、部屋が5つあるということ?」
内部の様子がわからないのでとしおに聞くしかない。
「確か、玄関上は吹き抜けだったと思うので、2階の中央にある窓は飾りです」
すると、部屋はちょうど4つ……希望を聞いておくか。
「みんなどの部屋がいい? まずは1階か2階か」
「俺は1階だな。2階だと床をぶち抜きそうだ」と、トイロ。
「あり得るな……トイロは1階決定!」
「僕は2階がいいな。召喚獣が窓から入って来やすいように」
ミクトの部屋は来客が多そうだな。
「それなら、出窓があるこちらの部屋がいいかもしれません」
としおが、写真の「出窓」部分を指差した。
「ホントだ。じゃあ、ここ!」
「残ったのは1階と2階ひと部屋ずつか。ユキはどうする? 俺はこだわりないから好きな方選んで」
そう言うとユキは「じゃあ、2階がいいです」と言った。
「了解! じゃ俺は1階か。トイロは西側と東側どっちがいい?」
「そうだな、東で!」
「じゃあ俺は西ね」
すんなり決まったな。
「着きました」
としおの声に足を止めた。
黒い金属製の柵の向こうに、手元の写真と同じ建物がある。としおが扉を開き、皆で中に入った。
「これが……」
写真よりもずっといい。温かみがあって、どこか懐かしい。
「いいですね」とユキも言った。
少し赤みがかった灰色の屋根に乳白色の壁が、木々の緑に映えて美しい。建物の下の方が茶色い石で装飾されているのもいい感じだ。壁面はところどころヒビや汚れが見えるが、長い年月の中で育まれた味わいが感じられる。
写真ではわからなかったが、家の前に短い草の生えた緑の庭があり、庭を囲むように左右に大小の樹が並んでいた。木の側には名前のわからない植物が無造作に植えられている。花が咲いたり実がなったり、この庭は季節ごとに違う表情になるのだろう。
「樹や芝生は手入れ済みです。入居後はみなさんで手入れしてくださいね」
「芝生」の上に敷かれた石の上を歩き、数段上がって玄関の扉の前に来た。
としおは扉を左右にスライドさせ、明かりをつけると「お入りください」と促した。
玄関に入ってすぐのところに2階に続く階段があり、見上げると2階の天井が見えた。
「以前来た時、ここに大きなクリスマスツリーがあったんですよ。運び入れるのも大変だったと思います。
この吹き抜けを利用して、来客のために工夫をこらしていましたね」
クリスマスツリー……木に飾り付けをして楽しむ風習か。面白そうだな。
「まず、全体を紹介しますね。玄関からまっすぐ行きますと……突き当りに見えるのは浴場です」
「帰ってきたら風呂に直行できるのはいいな!」
トイロが半透明の扉を開けた。
「あ、履物を脱いでから上がってくださいね。この “タタキ” で履いているものを脱ぎます。脱いだ履物はこうして揃えておくのが日本式のマナーです。脚下照顧と言いましてね、履物を揃えることは、すなわち足元に気をつけることであり、心を整えることなのです」
「なるほど?」
「はい」
「タタキから上がったここは脱衣所です。脱いだ服はこちらのカゴに入れて入浴します」
「脱衣所」の中央には「衝立」があり、壁際にカゴが4つ並んでいる。俺たちのために用意してくれたのだろうか。
「この容れ物何だ?」
浴室からトイロの声が反響して聞こえる。
「浴槽です。ここにお湯を張って浸かります」
「えっ……狭くない? ここにみんなで入るわけ?」
ミクトが笑い出した。
「一度に入るわけではありませんので」としおが苦笑する。
ガランには泳げるぐらいの浴場施設があると言うと、としおが「この世界にもありますよ」と言った。
「これはその縮小版のようなもので、小さな浴槽は湯を沸かすエネルギーを節約するためです」
「なるほど」
「入浴の仕方についても説明しますね。まずシャワーで体の汗を流し……」
細かいしきたりがあるんだな。何にせよ、俺はこの浴室が気に入った。
色ガラスの装飾が窓の代わりになっていて独特の雰囲気と美しさがある。「ステンドグラス」と言うそうだ。
脱衣所に戻り「これは何でしょう?」とユキ。
「衣服を洗う機械で洗濯機と言います。ガランにもあったのでは?」
としおは時々鋭い。ガランのことを知っているのかと思うことすらある。
「……後は扉を締めてボタンを押すだけです。乾燥はしてくれませんので、各自外に干して乾かしてください」
覚えることが多いな。
浴場を出てすぐ隣は洗面所だ。
「ずいぶん綺麗じゃない? 金属や壁の模様が高級な感じ」
「市役所のそっけないトイレとは全然違うな」
「こちらは来賓用につくられたのだと思います」
西側突き当りは食堂だった。写真で、建物本体の右側に続きで建っているように見えたところだ。
大きな扉はすでに開いていて、入ると北側に調理の設備、南側に大きなテーブルが見えた。
「外国製のかなり本格的な仕様の設備が入っています。オーブンと食洗機もついていますね。相当お料理好きな方か、シェフを招いてお客をもてなしたか……そんな設計ですね。
キッチンの使い方はわかりませんので、調べて使ってください」
頑丈そうで素朴な木のテーブルに同じ木で造られた椅子が6つ。南側の窓は大きく、腰掛けたらちょうど庭が眺められる。
壁面には色鮮やかで繊細な絵が描かれたカップと皿が並んでいる。美術品と生活用品を兼ねているのか。このカップで飲むお茶は美味いことだろう。
「ここは何かな?」
ミクトがキッチンと続きになっている扉を開けると、鍋や小物が見えた。
「パントリーですね。食品や調理器具を入れる場所です」
「奥にも扉があるね。ここも開けるね」
パントリーから違う部屋に行けるようだ。入ってみると倉庫のようだった。
折りたたまれたテーブルや椅子、大きな日除け傘、何かの道具や部品、箱に入った玩具のようなものが置かれている。
「バット、ゴルフクラブ、本、バーベキューセットもありますね。スポーツに親しみ、交友関係の広いご家族だったのでしょう」
屋敷の北側にも、南側ほどではないが庭があった。実がなっている樹が何本か。食べられそうだ。
「さて、お部屋を見て周りましょうか。一旦玄関に戻ります。1階の東側は」
「俺の部屋!」
ドアを開けると、窓際に大きな木製ベッドが据えられ、部屋の壁ピッタリに家具が並んでいた。
「獅崎さんのお部屋はご覧の通り、かなり頑丈な造り付けの家具が揃っています」
「こんないい部屋……いいのかよ!」
「ここならトイロが寝ぼけて暴れても大丈夫だな」
「ハハハ! 確かに」
トイロが「ベッド」に寝転ぶ。
「寝心地いいぜ!」
「獅崎さんがゆったり寝られるということは、この部屋には背の高い方がいらしたのでしょうね」
「ちと硬いけどな」
「マットや寝具は各自で買ってくださいね」
部屋を見て、としおの説明を聞いていると、この屋敷を建てた人物像が浮かんでくる。後から住んだ人たちも同じことを感じたのか。そして、俺たちもいつか「痕跡」の一部になるのだろうか。
「西側が星月夜さんのお部屋でしたね。入口ドアは洗面所の前です」
扉を開けると……
「は? これは部屋というより、倉庫?」
「食器棚があるんだけど」
「ブハハハ!」
「笑うな。俺が可哀想だろ」
「壁の向こうが食堂なので、この部屋は食堂の続きだったのかもしれません。しかしお気の毒な狭さです」
「別にかまわないけどね、俺はどこでも寝られるし」
同じような部屋が並んでいるものだと思ったが、中に入ってみると全然違うなあ。
「2階に上がりましょう」
階段は一旦まっすぐ上がり、左に曲がってまた上がるという形だ。
「……何だこれ!」
「えええ?」
壁が……ない?!
「広いワンルームですね。あ、あっちにひと部屋あるようですが」
「開放感がありますね」
ありすぎだろ。
「吹き抜け」部分は落下防止の飾り柵で囲まれ、視界を遮るものがないため広いリビングが見渡せる。
「ショールームみたいな造りになっているんですね。以前見た時にはいくつかの部屋に分かれていたのですが。前の住人は変わったリフォームをされたんですなあ」
北側の壁沿いには手洗い、収納、洗面台、ミニキッチン、冷蔵庫などが並んでいる。
「なんだか、すごく適当に並べた感」
「寄せ集め感もすごいな」
「ユキの部屋は東側だっけ。部屋ないぞ……違う、ここ一帯がユキの部屋か」
「仕切りがないので落ち着きませんよね」
「……まあ、何とかします」
「西側がミクトの部屋、入口はここか」
「すげえ!」
「わ!……広いし綺麗だ」
窓際にベッド、出窓の向かいは机と本棚、飾り棚などが並んでいる。
装飾に凝った大きなタンスや細かい引き出しのある家具、出入り口付近には靴がたくさん置けそうな棚があり、洗面所は広く、シャワー付きだった。
「こんなに違いがあるとはね」
「なんだか悪いな……クジか何かで決め直す?」
「いや、いいって」
「うん、面白いからさ」
「しかし、すげーよなあ!」
「トイロ、羨ましいのか?」
「全く? 俺は1階のあそこがいいけど。マコトは悲しくならねえの?」
「ならんけど」
「ベッドもないんだぜ? マコトの部屋。あるのは食器棚」
「基本、俺はベッドで寝ないし。食器棚でも寝ないけど」
「え? マコトいつもどこで寝てたっけ」
「床」
「マコト、可哀想!」
茶番劇を無視して、としおが言った。
「見事な造り付け家具ですね。使ってある材質も上質です。品の良いピーチカラーでまとめられていて、鏡台もあるし女性の部屋だったんでしょうね」
どんな部屋でも、自分の部屋があるっていいなと思う。
ガランでは集団生活が基本だったから。
いつ敵に襲われるかもしれない環境で、生き延びるために。
「では皆さん、わからないことがありましたらご連絡ください。
私が不在の際は、日中であれば隣の管理人ご夫妻にお尋ねください。
そうそう、電気水道などまだ通っておりません。
魔法の私用は日に5%まで使用可の許可が出ましたので、そちらの方でなんとか凌いでいただければと思います」
「了解!」
「ういっす」
「はーい」
「はい」
「5%分の魔法で何をしよう。掃除とか?」
「俺、生活魔法ってあんまり知らんよ?」
「俺も」
「戦闘用魔法を身につけるのが最優先でしたからね」
「戦闘人形、色即是空だったもんな」
「ププ」
「2階に上がって考えよう」
「腹減ってない?」
「あ、としおがお土産くれたんだった、ラーメンっていう。お湯を入れて食べるんだって」
「いいね、美味そうだ。お湯ないけどな水も」
「金属ポットがある。水魔法で水出して、火炎魔法で沸かすというアホの使い方していい?」
「いいぞ! 大魔法使い」
としおは気が利くのか利かないのかわからないな。
ラーメンは美味かった。そろそろ眠いぞ。
「それぞれ決めた部屋に行って寝る?」
「まだいいや。ところでこの家、壁があるのに風が入ってくるよ」
「家全体にシールドかける?」
「それがいいかも」
ゴロリと誰かが横になると、皆同じように横になった。
外から雨音が聞こえてくる。
「今日は疲れたな」
「変な日だった」
「なんだか移動するの面倒になった」
「僕も」
「フェアリーブランケットかけておきますね」
「ユキ、それってお守り用魔法……」
……
……
心地よい雨の音もあって俺はすぐに眠りについた。
ガランの家々が見渡せる丘の上にいた俺は、急いで下りて広場に向かった。
空が赤く染まり、大人たちが狩りから帰って来る頃だ。
どんな魔物と戦ったか、戦利品はどういうものか、見聞きするのが楽しみだった。
急ぐ理由はそれだけじゃない。俺は7歳になったのだ。ガランでは7歳になると、特別なことが待っている。
俺は「それが今日」だと予感していた。
子供を肩車した男が近づいてきた。
「マコト、この子が今日からお前の弟分だ。面倒見てやってくれ」
ガランの大人たちのひとりが、男の子を下ろして言った。
ああ、やっぱり!
俺は嬉しくてたまらなかった。
「もちろん。俺はマコト、君は何ていうの?」
「トイロだよ」
……
トイロかあ……トイロは隣で眠っているはずだが。
そうか、これは夢だ。
俺は夢で、ガランで初めてトイロに会った時のことを思い出しているのだ。




