ガランにて ~破れた結界~
モンドの「転移魔法を使う魔物が現れた」という推測に耳を傾ける大人はいなかった。魔物が発生した原因はシールドのほころびであると言い続けた。
だが、モンドが正しかったことが最近になって証明されつつある。
プレ討伐隊が始まって1年。
シールドの薄い討伐隊住居地から、安全区域とされる学び舎や育成所のあるシールド3重のゾーンまで、頻繁に魔物が現れるようになってきた。
魔物の種類は固定せず、ガーゴイル、スライム、デビルバッド、ワーム、クレイジーフラワー、グヮリロなどが多く確認されている。
いずれもレベルはさほど高くないのと、討伐隊が巡回するようになったので目立った被害はない。
プレ討伐隊の活躍も大きい。スライムなら能力者がいなくても倒せるレベルだし、デビルバッドやワームは発現したばかりの魔法使いが練習相手にするのに丁度いい。
この状況についてモンドは「魔物自身が転移魔法を使っているわけではない。魔王軍が転移魔法を使って魔物を送り込んでいる」と分析する。
そして「魔王軍の転移魔法はまだ不完全だから転移させやすい魔物に絞られているが、そのうち人が太刀打ちできない大物が転移してくるだろう」と予測した。
夕食時、ばっちゃが「話がある」と言った。俺は嫌な予感がした。
「いいか、ゼクス。よく聞くんだ。私はもう長くない。結界が薄くなってきている。私がどんな風に死ぬのか私にもわからないが、確実なことだ」
俺は背筋が冷たくなっていくのを感じた。
口に入れたパンを飲み込む事ができない。
「やだよ……ばっちゃ、俺、またひとりになるの」
「ひとりじゃない。ガランでは魂は永遠だよ。お前もそのことを悟ったじゃないか」
「悟ってなんかいない……だってこんなに悲しいもの。俺は何にも分かっていなかったんだ」
「大丈夫、私がいない日常にもすぐに慣れるさ」
ばっちゃは重そうな瞼でまばたきし、微笑んだ。
そう言えば、ばっちゃはスープすら飲まなくなっていた。今日も香草茶だけ。
「それで言っておきたいことがふたつあるんだ。ひとつ目、次の村長にはお前がなる。お前はもうすぐ16で一人前だ。わからないことはこれから教える。わかったな?」
俺は泣きながら頷いた。
「ふたつ目。お前には能力がある」
「……俺に?」
「ああ。私にはわかる」
「それはどんな」
「おそらく、誰も見たことのない能力だ。その能力でお前はたくさんの人を救うかもしれない……私が分かるのはそのぐらいだ」
俺は混乱した。ばっちゃがいなくなる悲しみと、能力者になれる喜びと、村長を務められるのだろうかという不安と……それらが入り混じって押し寄せた。
その日は遂にやってきた。
遅くまで青い部屋で調べ物をしていると、バリバリと激しい音がした。
雷ではない。結界が破れたのだと直感した。
俺は大急ぎで神殿に向かい、何事もありませんようにと願った。
水晶に異常はないようで、ひとまずほっとした。
だが、外からはズシンズシンと何者かが歩き回る音や、ギャー! という不気味な叫び声が聞こえてくる。
「ばっちゃ!」
通路を走って全部の部屋を確認したが、どこにもばっちゃの姿はない。
敷地から出ようとすると足音がし、討伐隊の青年が数人立ちはだかった。
「出てはダメ」と、リーダーらしい魔法使いの少女が言った。
魔法服の大きな襟に乗った、長いお下げ髪に見覚えがあった。手伝い最初の日に魔法を充填しに来たマキナだ。あの軽い調子はなく厳しい表情で俺を見る。
外で良くない事が起こっているのは間違いない。
ばっちゃだけでなく、モンドやプレ討伐隊の子供たち、学び舎の友人らも気になる。最悪を考えれば、このまま別れる事になるかもしれない。今のうちに会っておきたい。
俺は隙を狙って走り抜けようと思ったが、バリアで弾かれてしまった。
「ダメよ! ここは最後の砦なの。この場所と君を守り抜くのが私たちの使命。黙って従いなさい」
強い口調で言われた。
「何が起きているの」
「エルダー・リリーが亡くなって結界が破れたの」
マキナは一瞬だけ目を伏せた。
「ばっちゃが……死んだ?」
「そうよ」
ずしんと体が重くなり、眼の前が暗くなった。
「外では討伐隊が魔物と戦っているわ。君が正式に次の村長になったら新たな結界が張られるはずだから、それまでは何としてもここを守らなくちゃいけないの」
マキナは、ばっちゃの予言に基づいて警備を行っていることを話した。
「ばっちゃはこうなることを知っていたんだ」
「そう。エルダー・リリーの小鳥が知らせに来たの。急いでここに来たら『もうすぐ結界が破れる。その後に魔物が敷地内に侵入するかもしれないから、ゼクス・クラウドと神殿を頼む』って。……それからすぐに亡くなった」
「そんなの……」
「気持ちはわかるけど君にできることは、今はないの。さあ、自分の部屋に戻って」
「嘘だ! ばっちゃは死んでなんかいない!」
走り出そうとしたらふたりの青年に両側から腕を掴まれた。
「嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 本当のことか自分で確かめる!」
言っていることが変だとは分かっていたが止まらなかった。
マキナは懐から水筒を出すと蓋を取り「飲みなさい」と突き出した。
「警備の中に鎮静魔法を使える者はいないの。鎮静薬入の水よ、飲みなさい」
「嫌だ」と叫びながら水筒を跳ね除けた。
マキナは落下する水筒を慌てて拾うと、俺の頬を平手で打った。
「癇癪もいい加減にしなさい!」
そう言うと、俺の腕を掴んでいた青年に「頭を押さえて……もう少し下に」と指示した。
俺は無理やり跪かせられ、顔を上に上げられた。
俺の顎を触り、親指で口をこじ開けるマキナ。
水筒の水を含むと、口移しで俺の口の中に流し込んだ。
「飲みなさい、楽になるから」
抵抗する気力はなかった。高圧的な口調とは反対の、マキナの柔らかく温かい唇の感触と、顔を近づけて来た時の甘い香りに戸惑った。
マキナに付き添われ、部屋に入るとベッドに倒れ込んだ。マキナが毛布を掛けてくれる。
「ごめんね、君はまだなんでしょう? あれはキスではないから安心してね」
何を言っているのか分からない。俺はぼんやりとした状態で、優しい波長を受け取った。
マキナが部屋を出て扉を閉めると、急に淋しくなった。
掛けてもらった毛布を握りしめると「泣いてもいいんだよ」という声が聞こえた。「誰も見ていないからうんと泣けばいい」声は繰り返した。
うん、と言って俺は心を緩めた。涙はいくらでも出てくる。
誰かがそっと頭を撫でてくれた。……おかしいな、マキナはさっき部屋を出たはずだ。また戻って来てくれたのかな。
「淋しい」と言うと、マキナは俺を抱きしめて「大丈夫だよ」「ゼクス」と言い続けてくれた。その声は途中でおふくろになり、ばっちゃになったけど、またマキナに戻った。




