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夏を嘲笑う  作者: 春樹蒼空
消えなかった明日
3/10

 私がこの世界から消えかけた、昨日。橘芭月という一人の人間に誘われて、私は一時的に救われた。一時的、だけれど。

 あのあとは結局日が沈むまで、屋上の隅で手を繋いで、真夏なのに身を寄せ合って一緒にいた。

 本当は離れようとしたけれど、ここで離れたら二度と一緒にいられない気がして、離れようにも離れられなかった。じっとりとした暑さがまとわりついてくるが、芭月とくっついているところは嫌な暑さではなく、むしろ心地よいくらいの温かさだった。

 結局ずっとくっついていて、日が沈んでも少しだけ明るかったが、芭月の一言で帰ることになった。

 本当は帰りたくなかったけれど、芭月が私の右手を引いてあるき始めたから、仕方なくついていくしかなかった。つないだ手から伝わる温もりを失いたくなかったから、歩きはじめたというのが正しいかもしれないが。

 校舎を出ると、やはり夏なのだと改めて感じる。日が沈んでもまだ熱を含んだ風が頬を撫で、髪を梳いた。

「明日はなにしようか」

 楽しそうに、私の手を繋いだまま芭月が覗き込んできた。茶色の瞳がまっすぐ優しい感情を込めて見つめてくるのが嬉しくて、返事をする代わりに見つめ続けた。

 そして、当たり前のように言われた、『明日』という言葉に少しだけ息が詰まった。さっきまで、考えもしなかった、来ないでほしいと願った明日の存在を目の当たりにして、驚いた。ただそれだけ。

「琥晴?」

「あ、いや…。なん、でもないよ。大丈夫」

 明らかに大丈夫じゃなかった私を見て、不思議そうにしていたが、聞くだけ無駄だと思ったのか、黙って私の手を引いて歩き始めた。

「なにしよっかなぁ〜。でも、琥晴と一緒ならなにをしても絶対に楽しいよね」

 そう言ってくれたことが、何より嬉しくて思わず笑顔になった。私が笑ったのを見てか、芭月もどこか安心したように笑った。

 来ないでほしかった明日が、こんなにも早く来てほしいと願うなんて、きっとフェンスを乗り越えたときの私は思いもしないだろう。

「明日が、早く来ればいいな…」

 私のつぶやきに芭月は驚いたように目を見開いた。けれどすぐにとても楽しそうに笑って、私の手を少し強く握った。

「ふふっ、どうして?」

「だって、今日はもう終わっちゃうでしょ? そしたら、芭月と一緒にいられないから。明日ならもっといっぱい、一緒にいられるから、それで…」

 芭月の顔が少しずつ赤くなっていったように見えたが、夕日のせいだろうか。

「う、わっ?!」

 突然、芭月が私の左腕をつかんで引っ張った。上手くバランスを取れなくて彼女の胸に飛び込むような形になってしまう。するとそのまま、芭月は私を抱きしめて優しく頭を撫でてきた。

「は、はづき…?」

「ううん、なんでもない」

 最後に少しだけ強く抱きしめて、私から少し離れた。けれどその手は繋がれたままで少し、いやすごく、嬉しかった。

 後は、ただ足を前に進めるという一連の動作を繰り返して、無言で歩いていた。ただ、肩をぶつけ合ったりして少しだけじゃれついたりをしながら。

 なんてことのない、ただ歩いているだけなのに、心が温かいもので満ち溢れていた。

 そして気づけば私達の家の近所まで来ていて、最後まで一緒にいることができた。

 けれど私の家の前についた別れ際、ずっと一緒にいたから離れるのが寂しい。彼女の手をしばらく離せずにいたが、芭月は優しく繋いでいない方の手を重ねて笑った。

「だいじょーぶ。明日も会えるよ、ね? 今日まで、生きててくれて、ありがとう」

 雨が水たまりに波紋を作るように、その言葉は一瞬で私の心に広がって、じんわりと視界が滲んだ。

「ん、うんっ! こちらこそありがとっ…!」

 かろうじて涙は溢れなかったが、鼻がツンとして少し痛い。

 最後にぎゅっと力をいれて彼女の手を握り、自分から手を離せた。明日も会えるという安心感を持てたから、

「また明日ね」

 って言えた。

 芭月はそんな私を見て満足そうに微笑んだ後、思い出した、というように口を開いた。

「あ、そうそう。明日、会わせたい人がいるから楽しみにしてて!」

 そういうなり、芭月はまた明日ね!と大きく手を振って、四軒ほど隣りにある自分の家にやや駆け足で向かっていった。

「あっ、ちょっ、…」

 …行っちゃった。

 会わせたい人? 私に? そんな人がいるの? なぜ? なんのために? …………??

 頭は疑問で埋め尽くされるばかりだった。玄関先で立ち尽くしていてもなにも分からないことに気づき、仕方なく家に帰ることにした。

 ドアノブをつかんだ時、一瞬だけ腕が固まったような気がしたが、気づかなかったことにして無理やりドアを開けた。

「…ただい、ま」

 自分でもほとんど聞こえないほどの声で、帰ってきたことを家族に伝える。おそらくというか、聞こえてはいないだろうから、ほとんど意味をなしていないけれど。

 玄関の向かいに階段があるのだが、そこの上の方からトントンと、軽い足音が聞こえてきて、慌てて靴を脱いで逃げるように洗面所に入った。

 足音がリビングの方に消えて、思わずほっと息をつく。音を立てないようにそっとドアノブをひねり、そのまま足早に洗面所から出て自室に逃げ込んだ。

 自室に入って扉を閉めた瞬間、ふっと体から力が抜けて座り込む。

 この家は居づらい…。どうしてこんなに息がしづらいんだろう。

「…っ………ふっ、…はぁっ…」

 息を吐き出そうとした。どうして、そんな簡単なことがこの家にいるとできないんだろう。苦しい。

「早く、明日が来てくれたらいいのに…」

 思わず独り言をこぼし、目の前にある窓を見上げる。惨めに床に落ちた独り言とは真逆に、上弦から少しふくらんだ月は空高く光輝いていた。

 大丈夫、明日はきっと早く来る。

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