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夏を嘲笑う  作者: 春樹蒼空
傷だらけでも
12/12

Ⅰ.

 ためらうように口をはくはくと動かして、結局やめてしまった。何度もそれを繰り返して、どのくらい時間がったのだろう。

「……私、虐待? されてるの」

 芭月が口を開いたとき、あまりの衝撃に私は言葉を失った。まるで実感を伴っていないような口調に、胸がぎゅっと締め付けられた。なんと反応するのが正解かわからなくて、ただ芭月の背中へ回した腕に力を込めた。

「殴ったり蹴られたり、罵倒されるなんてもう、日常茶飯事」

 何も感じていないかのようにさらりと告げられた事実に、ただただ目を見開いた。口からは音にならない吐息が出る。芭月は私から少し離れると、困ったように笑ってみせた。

「そうは言ってもね、よくわからないんだ」

「え?」

 口調から芭月がそう思っているのはなんとなく感じていたけれど、いざ言葉に出されると戸惑うものがあった。

「私は、『虚言癖』らしいから」

 なんてことのないように言われた言葉が理解できなかった。らしいって、どういうこと……?

 困惑する私を憐れんでか、優しく頭を撫でられた。そうされるべきは、本来芭月であるはずなのに。そう思うとどうしても苦しくて涙が溢れてきた。泣き顔を見せて心配させないように、より強く芭月を抱きしめた。

「みんなね、私の言うことを信じてくれなかったんだ」

 頭が、その言葉を理解するのを拒絶して、何を言ったのか分からなかった。

「え……?」

「どっから話そうかな。うーんと……、最初から話してもいいかな?」

 どこか物語でも語るかのような口調で、深刻さを微塵も感じさせなかった。ただ、彼女の言葉には私は頷くことしかできなかった。


 ***


 最初は、それが普通で、当たり前のことなんだと思ってた。

 物心がついたときから、私は殴られてた。だから、きっと、他のみんなもそうなんだって思ってたの。

 でも、違った。

 両親は共働きで、私は保育園に預けられた。そのときに、だーれも、体に痣なんてつけてなかった。血が出た痕なんてなかった。先生に、なんでみんな怪我してないの? って訊いたらすごーく変な顔された。

 怪我はいつもするものじゃないんだよって。困った顔して笑われたのは、今でも覚えてる。そこでやっと分かったの。

 おかしいのはみんなじゃなくて、私なんだ、って。そう思ったらすごく苦しくなった。今思えば頭がおかしくなったんだと思う。先生にそう言われた瞬間、幼いながら現実に吐き気がして、泣き叫んだの。

 みんなお父さんに殴られてないの? みんなお母さんに叩かれてないの? って。

 流石におかしいと思った先生たちが、私の両親に話を聞いたの。そしたらね、私は自分で自分を傷つける自傷癖があるんだ。構ってほしいから嘘を付く、虚言癖がある。そう、両親は先生に説明したの。

 信じらんないよね。自分たちでつけたくせに、全部私のせいにして、責任転嫁しようなんて。物心ついたばかりの子供と、ある程度世間じゃいい顔してる大人。どっちを信じるかなんて言ったら、後者に決まっているでしょう?

 それから、私への暴力は余計に酷くなった。誰も、私の言葉を信じてくれなくなった。大人がそう言うんだから間違いないって、誰もが信じ込んだ。誰もが、私を嘘つきだと信じて疑わなくなった。体に痣をつけていようが、いつものこと、と流されるようになった。

 私は、それのせいか、物事を俯瞰して眺められるようになったの。幼いながらにね。保育園のときは、大人がみんな本当()を信じているから、どうにもできないんだ。じゃあ、小学校に行けば、なにか変わるんじゃないかって考えるようになったの。私の(本当)を信じてくれる人がいるんじゃないか。そう、信じたの。

 でも、結局、なんにも変わらなかった。環境が少し変わっただけで、大人も、子供も、みーんな。

 私の(本当)を信じてくれなかった。あの人達の本当()を信じるばっかりで。気づいたら私は(本当)のことしか言っていないのに、周りに誰もいなくなっていた。

 いつも傷だらけで、それは全部自分でつけたもの。その自分でつけたものを親のせいにする異常者。

 それがみんなからの私の認識だった。そりゃそうだよね。誰も、自傷癖と虚言癖持ちのやつなんかと一緒にいたくないよ。

 でも、やっぱりさ、しんどかったんだ。苦しかったの。誰も信じてくれなくて、その間もずっと暴力は振るわれ続けて、心がどんどんすり減った。

 何度も先生に相談しても、迷惑だと言わんばかりに眉をひそめられた。何度も警察に行っても、結局両親の言うことを信じて、子供の遊びに巻き込むなって怒鳴られた。どんなに助けてくれって、何度も、何度も叫んでも見捨てられ続けた。むしろ悪者になっていった。それでもね、優亮は唯一私の敵にならないで、ずっとそばにいてくれたの。それが()()()っていうちっぽけな使命感だったとしても。

 その存在が私の中では大きくて、本当のことを話したの。

「お前、嘘つきなんだろ!」

 結局私の(本当)は本当になれなかった。味方だったはずの人を、敵にしてしまうほど私の(本当)は醜いらしい。

 そう気づいてから、私は人と関わることを諦めた。頼ったところで結果は全部一緒。誰も助けてくれない。それはもうどうしようもない。吐き気すら込み上げなかった。ただ、生きているだけで与えられる罰に心を壊され続けた。

 もう、体の痛み以外に何も感じないの。心の傷なんて、感覚が麻痺して苦しくもならない。辛くなんてないの。何も感じないから。

 でもね、気づいたんだよ。何も感じない。生きていることに喜びも悲しみすらも感じなくなった私は、このまま生き続けて何になるんだろうって。

 どうせなら、透明になって消えたかった。


 ***


「だから、私は死のうと思ったの」

 話を聞いてる間、息が詰まって、苦しくて仕方がなかった。だけど、それ以上に芭月のほうが苦しいのは痛いほどに分かって、必死に気づかれたくなくて飲み込んだ。

「ねえ」

 そっと、先ほどとは違った震えた声だった。肩の乗せられた頭がどことなく重く感じる。

「あの、ね」

「うん」

「な、なーんてね。い、今のはね、全部ね、全部……嘘なん」

「嘘じゃないでしょ……! 本当のことなんでしょ? ずっと、ずっとそうやって誤魔化してきたんだよね……」

 壊れてしまうんじゃないかと思うほど震えた肩が。涙をぼろぼろこぼした、ひび割れた笑顔が。私の心に突き刺さるほど痛くていたくてしょうがなくて。芭月の肩に手を添えて、まっすぐ、瞳の奥を見つめた。

 さっきまで無理しておどけた顔が、目を見開いた後、仮面が壊れたかのようにくしゃりと歪んだ。

「全部、信じてくれるの……? っ…………。私の、(本当)を、琥晴は……信じて」

「当たり前だよ! 信じるに決まってる!」

 私は自分でもびっくりするくらいの大声がでた。芭月の首にしがみつくくらいに抱きついた。めいいっぱい力を込めた。

「私は、芭月に救われたんだよ……! 芭月が私を見つけてくれたの! 他でもない、芭月の言葉一つ一つ。芭月の言葉(本当)の全部が私を助けて、救ってくれたの!」

 心に浮かんできた言葉を、全部全部、届けたくて自然と声が大きくなった。

「芭月は、嘘つきなんかじゃないよ! 誰よりも言葉を大事にして、届けようとしてる。私は、私が信じるままに、芭月を信頼してるよ」

「琥晴……。琥晴……!」

 涙の絡んだ声で、名前を呼ばれた。

「だれ、誰も……! 信じてくれなかった……! ずっと、ずっと苦しくて!」

 そのあと言葉は紡がれなくて、嗚咽が廊下に響いた。そんな芭月の背中を、私は黙って撫でた。

 芭月がこんなに苦しんでいたなんて。気づけなかった自分に嫌気が差す。いや、気づく機会は今まであったじゃないか。気づかないふりをして、深く考えることをやめたのは誰だ。私が、芭月にしっかりと向き合わなかったんじゃないか。芭月に守られることだけに身を任せて。

 私自身も、芭月を苦しめた一人になってたのならどうしよう。どう償えばいい……? 

 でも、でも、……。本当はすごく、すごく、羨ましかった。

 ――殴られてるなんて、痛そう。でも、見てもらえるんだ。空気じゃない、確かに存在しているものとして扱ってもらえる。

 そう考えてしまったとき、芭月の体に醜く咲いた青黒い花が羨ましく思えた。それさえ手に入れば、みんなが、みんなが、私を見てくれるんじゃないかと。私が、こんなにも醜いだなんて思いもしなかった。

 きっとこれは、傷の舐め合いだ。互いが互いの欲しいものを持っていて、持っている自身はいらないと拒絶している。あまりにも皮肉が過ぎる。

 口が避けても、言ってはいけない。それが分かっても、どうしても、欲しくてたまらない。

 言葉が口から出てきそうになって、奥歯を噛み締めた。喉から血の味がする。

 芭月の頭を自分の胸に寄せた。私は、そうやって自分の心を誤魔化した。

 きっと、心から泣くことができなかったのかもしれない。苦しいと叫んだところで、助けてくれる人はいなかったらしいから。これからは、私が手を差し伸べよう。助けに行こう。

 たった、ひと夏の間でも。

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