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夏を嘲笑う  作者: 春樹蒼空
手から零れたもの
10/10

Ⅱ.

「ごめんね、急に泣き出しちゃって」

「ううん、大丈夫だよ。それよりもう平気なの?」

「うん、平気」

 力が抜けたように腫れた目で微笑む芭月が妙に苦しくて背中をさする。すると、背中に当てていない反対側の手を弱々しい力で握ってきた。黙ってその手を握り返すと、芭月は嬉しそうな顔をしてそっと私の腕から抜け出した立ち上がった。

「ちょっと目から水分で過ぎちゃったから、買ってくる。お菓子も食べたいし、コンビニまで行ってくるよ。なにか食べたいお菓子あったりする?」

「あ、じゃあ私も……」

「いいよ、さっきまでずっと一緒にいてもらっちゃったし」

「でも……」

 食い下がろうとする私に芭月は少しだけ困ったように眉を下げ、何故か優亮を一瞥してから私の髪を撫でた。

「ごめんね、まだちょっと泣きそうで……少しだけ一人になりたいの」

 そう言われてしまってはどうしようもない。大人しく頷いて、その瞳がまだ潤んでいるのを見てついていくのを諦めた。

「わかった、気をつけていってきてね」

 私と一緒にいるのが嫌になったわけではなさそうで安心した。私はずっと一緒にいたいけれど、芭月には一人でいたいときもあるのだろう。

「うん、後で連絡して。遅くなると思うし」

 屋上のドアの手前でこちらを振り返り、小さく手を振ったあと芭月の姿は見えなくなった。芭月がいなくなったことで屋上には本来の静けさが戻ってきた。蝉の鳴き声が遠くて聞こえる。

 どうしよう、優亮と二人きりになったことほとんどないから、ちょっと緊張する。

「んー、あのさ琥晴ちゃん」

 話しかけるか迷っていたところに話しかけられ反応が遅れた。

「あっ、なあに?」

 声をかけられたから優亮の方を向いたが、優亮は私ではなくフェンスを掴んで空を見上げていた。どうしたのかな……。

「琥晴ちゃんはさ、好きな花ってある?」

 え?

 いきなり何だろう? 私の好きな花? それを聞いてどうするんだろう……。なんの脈絡もないあまりにも唐突な質問に疑問がぐるぐると頭の中で渦巻いていく。ただその中に質問の答えを見つけた。

「さくら」

「ん?」

「桜が好き。でもなんで?」

「なんでって?」

「こんなこときいてどうするの?」

「あー、えっと本当は花束にできる花だったらプレゼントしようと思ったんだけど……」

 え、プレゼント……? 花束を……?


 私に?


 嬉しいようなくすぐったいような気持ちで、さっきまで緊張して強張っていた体からふっと力が抜けるのがわかった。

「花束……」

「あ、いや、急にこんな事言われても迷惑だよね、ははは」

 恥ずかしそうに人差し指で頬をかく優亮に思わず笑ってしまう。

「桜だと花束にできないよなぁ」

 すると優亮はしばらくうーんと唸って黙り込んでしまった。

「あ、そしたらさ! 春になったら……俺と芭月と琥晴ちゃんの三人でお花見でもしようよ」

 言葉が、出なかった。照れたようにはにかんでそういった優亮の顔を凝視することしかできなかった。

「なん、で?」

 ようやく出たのはその一言。私がこの言葉を絞り出すまで優亮は何も言わずに、さっきとは変わって焦ったように口をへの字にしながら私が何を言うかを待っていた。

「だって、私達が死のうとしているのは知っているでしょう……?」

 胸の中で正体がわからぬ何かが暴れている。どこか背筋が寒いような気もした。優亮の真意を測りかね、ただ彼の瞳を見つめた。

「それは……わかって、いるよ」

 どこかが痛むように顔を歪めた。苦しそうに眉を下げて。

「わかってるよ。だけど、だけど! 納得なんてできない……」

 苦しいのだろうシャツの胸元を両手で握りしめ、その手が震えていた。

「ねぇ、なんで琥晴ちゃんは、死のうとしているの……?」

 いつかに芭月に質問された内容。あのときは自然と口にしていたからか、意識すると言葉が詰まる。言葉を探して視線を彷徨わせる。顔が少しずつ下を向いて、靴先を見つめたときに、

 あれ、私、どうして……。

「言いにくいならいいんだ。琥晴ちゃんには悪いけど、芭月から少し聞いてたから」

 僅かに顔を上げて優亮を見た。やはり彼は納得のいかないという顔をしながらも微笑んでいる。

「ねぇ、琥晴ちゃんは今も死にたいの……?」

「っ……」

 言葉が、出なかった。私は今――。

「今は、俺と芭月がいる。それでも、琥晴ちゃんは死にたいと思うの?」

「……わからな、い」

 あの夏の最初の日には、辛くて苦しくて、間違いなく今すぐ消えたいと、死にたいと思っていた。だけど、今は芭月がいる。優亮もそばにいる。だから今は辛くも苦しくもなくて、消えたいなんて少しも思わない。でも、

 芭月はどうなの?

 私がこうやって迷っていても、芭月は違うかもしれない。迷うことなんてないかもしれない。私が迷っている間に消えてしまったりしたら……。恐ろしい考えが頭をよぎり、思わず自分を抱きしめるように腕を握った。

「琥晴ちゃん?」

 どうして、優亮はそうも私を気にかけてくれるの。優しくしてくれるの。誰も、誰一人見てくれることもなかった私のことを。

 そう思ったら勝手に口が開いていた。

「どうして優亮は私にそうも構うの?」

 喉の奥から出た小さな声。聞こえたかはわからないけれど、驚いたように目を丸くする姿から聞こえたのだと察する。しかし、目は見開いたまま瞬きを、口は無駄に開け閉めを繰り返していた。

 何も言わない様子から、なにかまずいことを言ったのかと思い、一瞬考えたがすぐに思い当たる。言い方がきつかったかもしれない。

 慌てて訂正しようとすると、優亮はいきなり照れたように顔を真っ赤にして、片手で顔を覆った。

「どうし……」

「い、や!」

 突然大きな声を出されてびっくりする。そんな私を見てか、優亮もびっくりしたような顔をしていた。

「あ、いや、ごめん。急に大きな声出して……」

「いや、大丈夫。優亮どうしたの?」

 私が改めて問いかけると、歯切れが悪そうに口を閉じた。私にはなぜ彼がこんな風になっているのかがわからなくて、ただただ首を傾げた。

「あー、ごめん。ちゃんと言うよ。だけど冷静になりたいからちょっとだけ待ってもらってもいい?」

 そう言うと少しだけ、顔を横に向け青空を眺めているようだった。言うなればそれは、何かへの決意を固めているような。でも、何に。やっぱり私にはわからなくて優亮が落ち着くのを待つことにした。

 ようやく何かを決心したのか、息を一度吐いて私に向き直った。そして、柔らかく微笑みかけてきた。

「ごめん、ありがとう、待ってくれて」

「ううん、全然。それで、どうしたの」

 なんとなく居心地が悪くて本題に入るよう求めた。

「ああ、うん、えっとね」

「うん」

「その……」

「……?」

「好きなんだ」

「えっと……、何が?」

 主語もなしに好きと言われたら、何が好きなんて察することができなかった。

 さっき花の話をしたから、私と同じ桜が好きとか?でもそしたらあんなに悩む必要もないよな。

「琥晴ちゃんの、ことが……」

 うーん、そしたら何が好きなんだろ――

「……えっ」

 どうでもいいようなことを考えていて理解が遅れる。それでも理解しきれなかった。

 優亮が、私を?

 ありえない。

「琥晴ちゃんが、好きなんだ。……二人がもう諦めてることはわかってる。こんな事言われて迷惑なのもわかってる」

 私の顔が歪んだのがわかったのか、言い訳のように苦しそうに言葉を吐く。

「それでも!」

「知ってほしかったんだ。俺みたいに、琥晴ちゃんを好きな人がいるって……!」

 優亮の言いたいことはわかった。きっと、私が孤独に絶望して誰にも見てくれてなかったと思っているから。そうじゃないんだと、見ている人はいるんだと、そう、教えてくれようとしているのだと。

 率直に優しい人だと思った。良い人だとも思った。けれど、それ以上に。

「どうして……」

 唇が戦慄いてるのを自覚する。

 失望した。遅いと思った。今更だと、手遅れだと、心が叫んで苦しくなった。そして嘘なんじゃないかと、疑ってしまう。

「そう、だよね。迷惑だね、ごめん」

 頭を下げられても困る。

「違う、そうじゃない」

「え……?」

「どうして、今更……。なんでっ、今更そんなことっ!」

 自分でも驚くほど声が出た。なんの感情に対するかもわからない涙が、どんどん溢れては私の頬をずぶ濡れにする。そして足元にきっと黒いシミを作っている。

「こ、琥晴ちゃん……?」

 きっと、私が急に怒って泣き始めて、怒鳴ったのに困惑しているのだろう。正直、自分の中にまだこんなに感情に熱を込められるなんて思いもしなかった。それぐらいに、諦めていたから。

「なんで、なんでこんな私を!空っぽでどうしようもないほどなにもなくて!誰にも……実の親にすら見向きもされないっ、こんな、こんな私の……」

 言えば言うほど、私の心が追い詰められているのを自覚する。優亮の顔が青ざめていくのに気づいた。それでも、辞めることができなかった。

「私のどこが好きだなんていうの……?」

 もう言葉に力が入らなかった。自分で自分を傷つけて、疲れてしまった。どうしてこんなに心が揺さぶられているのかがわからない。どうして涙が溢れて止まらないのかがわからない。

「さっき言ったよね、芭月から私が死のうとしてる理由を聞いたって」

 涙で濡れた声で問うと、青ざめながらも困惑した表情で小さく頷いた。

 それを見て、なぜだか余計に腹が立った。

「いつから」

「え?」

「いつから、私のことを好きだなんて思ってくれたの」

 私の急な質問にまた驚いたのか、優亮は目を見開いた。その後少し口ごもって、息を吐いた。

「高一の、ときに、偶然見かけて……」

「何を」

 自分でもゾッとするような低い声が出た。

「琥晴ちゃんが、誰も見てないような、でも、誰かのためになることをしてるところ」

 驚きで涙が止まり、息が詰まった。芭月にも同じことを言われたから。

「そんな姿を見たときから、琥晴ちゃんの姿を見かけたら、自然と目で追うようになってた。好きだって自覚したのは、芭月に相談したときだけど」

 いたんだ、芭月以外に。私を、私を見てくれてた人。

 本当は、喜びが全身を包んで温かかった。固くなっていた心が少しほぐれて安心した。無意識で頬が緩んだのを自覚した。

「……じゃあ」

 けれど。

「それなら、」

 それ以上に。

「どうしてもっと、もっと早く気づいてくれなかったの……?」

 喪失感が大きかった。

「……!」

 緩んだ頬が引きつった。再び涙が頬を伝うのがわかる。

「私が、孤独に苦しんでいることを、どうして気づいてくれなかったの……?」

 壊れそうだ、心臓がバクバク鳴って、口から今にも飛び出そうで。このままじゃ壊してしまう、『大切なもの』を全部。

 それでも、止まれなかった。

「どうして、もっと早く、言ってくれなかったの……?言ってくれれば、なにか、なにか変わった!」

 そうすれば、私はこんなに孤独を感じずに済んだのだ。だけど全てそれはたらればで、結局今はもうどうにもならないのだ。

 本当はわかってる。優亮が悪いわけではないのを。だけど、どうしてもこの状況に納得がいかなくて、このタイミングに腹が立ってどうにも抑えられない激情に飲み込まれる。

「苦しかったの。辛かったの……!」

 ずっと、誰でもいい誰かに、気にかけてほしかった。話しかけてほしかった。私が望んだ誰かには、芭月しかなってくれなかった。私は傲慢だから、あのときは芭月だけでは足りなかった。

 胸のつかえを吐き出すようにあの時感じていた感情を口にするたびに、涙が余計に溢れてくる。言葉(感情)は私の口からこぼれ落ちては止まらなかった。私が言葉を口にするたびに優亮が苦しそうな顔をするのに気がついたけれど、それでも止められなかった。優亮に八つ当たりしたところで何も変わらないのに。

「ごめん、ごめん琥晴ちゃん……!」

 すっかり血の気のひいた表情で、汗を流して謝ってきた。

 確かに私はさっきまで泣き叫んだけれど、謝ってほしいわけではなかった。だから余計にどうしたらいいのかわからなくて、思わず口を閉じた。

 私が黙ると、優亮も同じように黙り込んで、沈黙が私達を包んだ。代わりに沈黙を埋めるように遠くの蝉の声が大きくなった。

 その沈黙に割り込むように、錆びついた金属がこすれた音の後に澄んだ声が聞こえた。

「ねぇ、どうして琥晴が泣いてるの?」

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