第一部 打診
まず最初に、契約には「守秘義務」というものがある。これは契約内容を第三者に口外してはならない、という条項だ。ではこれには有効期限があるのか? という疑問が、民法上問題になる。
例えば公務員。「知りえた秘密」は原則〝生涯〟口外してはならない。それは当然、その秘密の対象である民間人或いは当該国が存在しているからだ。
例えば個人情報。これもまた〝生涯〟と敢えて条文上に明記されている。
民間企業の役員も、退任時に守秘義務契約をそれまで在籍していた企業との間に締結する。けれどこの有効期限は、おおよそ「五年」というのが判例で例示されている。五年経過すれば、当該情報は既に陳腐化しているだろうから、と。
そして民間企業(事業者)間の契約に関する守秘義務条項。しかも破棄され無効化された契約に関する守秘義務条項は、最長五年で無意味化する、と解釈出来るのではないだろうか。
そのことから、筆者はとあるひとつの、破棄された出版契約に関する守秘義務を破棄し、その顛末を語ろうと思う。
筆者の「小説家になろう」の、メールボックスに。『書籍化打診のご連絡』と題されたメールが届いたのは、平成29年7月4日14時56分のことだった。
一般の作家先生と出版社の間で、契約というものがどのように認識されているのかは存じないが、筆者にとって契約は、事業者間(事業者と企業、企業間)で一つのプロジェクトを遂行する為の約定、という認識だった。だから印税だの初版発行部数だのといった数字ははっきり言ってどうでもよく、契約を交わす相手がそれに足る相手であるか、人間的に或いは企業(経営)的に信頼出来るか、といったことの方が重要だった。
その為、同日21時10分、当該出版社に返答した。「打診に対する返答、としてではなく、まず貴出版社を見学させてほしい」と。出版社を見学させていただき、そこで働かれる社員の様子を見学させていただき、その雰囲気を確かめ、挙句担当者様が信頼に足る人物かを見定めたうえで返答しよう、と。
2日後、6日07時39分、当該出版社の担当者様からのメールが。〝見学〟ではなく〝打ち合わせ〟と先方は認識されたようだが、こちらの希望を理解してくださり、14日19時に出版社にお邪魔させていただくことになった。
そして、当日。7月14日19時。出版社様を訪問させていただいた。
第一印象は、とても小さな事務所、だった。そして担当者様は筆者を応接室に連れて行き、出版を前提とした話を始めた。初版印税は、はっきり言って安かった。けど、何ら実績を持っていないなろう作家相手に高額の印税率を提示する方が、むしろ怪しい。部数もそれほど多くない。日本国内に書店がどれだけあるのかは定かではないけれど、一店に一冊置いても足りないんじゃないか? という程度。でもこれも初版を観測気球的に、ラノベ専門店に集中的に置いて売れ行きを確認すると考えるのなら、妥当だろうと思った。
けれど、ひとつ。担当者様は気になる言葉を口にした。
そもそも拙作は、「Web小説」として執筆していた。だけど商業作品としてそれは、ちょっと問題がある構成でもあった。「Web小説」なら主人公の成長を時系列に追っていき、ある程度成長してからが本番だ、という書き方も出来る。読者様は対価を支払っている訳じゃないんだから、アクションやイベントの少ない序盤部分でも暇潰しに読んでくれるだろうから。
対して商業作品の場合。第一巻相当部分にメインヒロインが出てこない。この時点で、読者はどう思うだろうか? 「二巻以降に期待」して購入する、ということをするだろうか?
ちょうどこの時期、とあるなろう作家さんが「三巻までは出版してくれると確約してくれていたのに、一巻で打ち切りと言われた。契約違反だ!」と活動報告で語っていた。実はその作家さんが作品を出版した出版社が、ここだったのだけど。でも読者の立場で考えれば、一巻が面白くなければ二巻を買う気にならず、出版社の立場で考えれば、二巻の売り上げが見込めなければ、商業的に打ち切りになるのは仕方がない、と筆者は考えていた。
だから筆者は、担当者様に申し出た。「書籍化するにあたって、作品の構成を大胆に組み替えたいと思いますが、いかがでしょうか?」と。それに対する、担当者様の答えは。
「書籍はシュリンク(ビニールで封印)され、書店で立ち読み出来ません。だから購入するのはWebの読者さんたちだけですから、そんな必要はないと思いますよ?」
……まじかよ。この担当者様、書籍出版を全否定しやがった。それでも編集長様に話を通し、可否を後日連絡する、とのことだったけど、今回の一件に最大の不安を持ったのは、この時だった。
更にこの打ち合わせの後、書店でこの出版社から書籍化されたなろう小説を一冊購入し、読んでみた。内容については割愛するが、一箇所、気になるところがあった。本文中に「漢字(カタカナ)」の形式で表記されている部分があったのだ。
なろうの執筆システムでは、「漢字(カタカナ)」の形式で記述すると、自動的に「漢字」の形式でルビ表記される。つまりこの作家さんは、なろうの原稿をそのまま出版社に提出し、そして出版社はそれを校正せずそのまま印刷に回した、ということだ。
この件も、出版社に対して不安を持った根拠のひとつだった。
けど、それらを踏まえて。
7月21日6時41分、メールにて、書籍化の打診に応諾する、と返答した。また構成の変更に関しても、変更後の原稿(前半部分)を添付して、編集会議に資してもらうことにした。
7月24日18時09分、担当者様からのメール。構成の変更に関しても問題ない、との返事。
そして、激動の8月が始まる。
(2,320文字:2023/07/26初稿)