深き森の銀色の獣
コンテストに出した作品です。
「ギン……」
少女は呟いた。その手に抱くは銀色の獣。
美しい毛並みは、月明かりの下で美しく輝き、神々しくさえあった。しかし、今その毛皮は赤い色で覆われ、獣の姿を汚してしまってる。
そして、少女もまた赤い色で染まっていた。その顔は虚ろだ。
少女の傍らには、一振りの剣が落ちている。
少女はその剣で獣を刺した。その証拠に、剣には獣の血がべったりとついていた。
獣の名前はギンといった。少女が名付けたのだ。
獣は不思議な事に言葉を喋った。少女を見ると目を細め、まるで笑っているようだった。
少女が初めてこの森にやってきた時、目の前にはこの銀色の獣が居た。
太い木の根に鎮座して、此方を静かに見据え、尾を優雅に揺らしていた。
少女はこの時思ったのだ。
――ああ、この美しい獣になら、私は食われてもいい……。
獣は少女を見ると、目を細め少女の傍らへとやってきて言った。
「我はこの森の王、人の子よ、神子よ、王たる我が貴女を歓迎しよう」
そう言うと、銀色の美しい獣は、少女に頭を下げたのだ。
すると、周りからいつの間に集まってきたのか、様々な獣が出てきて、少女に向かい頭を垂れる。
「森の獣は、森の王に従う。王が認めれば、獣はそれに従うのみ」
銀色の獣はそう言った。
少女は獣に名を付けた。
見たまんまの名前だと、我ながら思う少女であったが、その「ギン」という名はこの獣に相応しいような気がしたのだ。銀色の獣も、それで良いと言った。
「赤い月は獣を狂わす。獣は人を襲う」
ギンはそう言った。月を見たが普通の色だ。
獣にのみ、赤く見えるのだとギンは言った。
そして少女は、度々獣に襲われるようになった。襲ってくる獣は全て、目が赤く染まっていた。
少女はその度ギンに救われる。自分の子とも言える森の獣達を、殺さなければならないギンを思って、少女は胸が痛かった。
そんなある日の事、ギンが何処から持って来たのか、一振りの剣を咥えてやって来た。
ギンは剣を少女の傍らへ置くと、少女が何か言う前にサッと身を引く。
月が美しくギンを照らす。
ギンの右目が赤かった。
「月が完全に赤くなる前に、我を狩るがいい。我が変った瞬間、森の獣は我に従いお前を襲う」
少女は嫌だと叫んだ。
――だって、あなたになら食われてもいいと思ったの。この美しい獣に食われれば、自分もまた美しい存在になれるんじゃないかって……。
そんな少女の心の叫びを、ギンは知ってか知らずか目を細める。
そして、ギンの目が完全に赤く染まった。
左肩に突き刺さるギンの牙。腕に食い込むギンの爪。
そして少女は己が手に、剣を持っている事に気が付いた。
ぐらりと崩れる銀色の獣。
そして、月の明かりが一人の少女と一匹の獣を、明るく照らす。
ギンの瞳は、元の色に戻り、少女を映し出していた。
「初めて会った時、我もお前になら狩られてもいいと思った」
それがギンの最期の言葉。
ギンが事切れた瞬間、少女の中にギンの心が入ってくる。
光を纏い、目の前に現れた人の子。
恐れる事無く、我を見返し微笑さえ浮かべた、この人の子。
――ああ、この美しい獣になら、私は食われてもいい……。
その心の声を聞いた時、我もこの娘になら狩られてもいいと思った。
獣は決して笑わない。それでも、娘のその気持ちを知った時、我知らず笑っていたのかもしれない。
【王よ、月が赤い……】
一匹の獣が我にそう言った。
ああ、始まったのだと思った。
この世界に神子が現れる時、世界は神子を試す為、我ら獣を使って襲わせる。
我はその獣を殺した。
獣の断末魔の悲鳴が、我の心に重たくのしかかる。
我は森の王にして、獣の王。この森全ての獣は、我の子であり一部なのだ。我はそんな獣達を、人の子の為に殺していった。
そして、それはとうとう我にもやって来た。
月が半分赤い……。
あの娘を食いたくて堪らない。
【王よ、我らも共に……】
目を赤く染めた獣達が、我に言う。我はその獣達を食らった。あの娘は誰にもやらない。
森に意識を飛ばす。人が入ってきた。其方に向かうと、鎧を纏った人の群れ。
その者達の心を感じ取った時、我の心は決まった。
その人の群れ。その中でも一番偉い者。金色の獅子の様な髪の人間。
狙うはその腰に下げた、一振りの剣。
我は人の中に身を躍らす。
「……森の王……」
剣を奪った瞬間、その人間はそう呟いた。
我は娘の元へ走った。後ろから人の気配がする。追って来ているのだと分った。
元からそれが目的。
人間達は神子を迎えに来たのだ。
森の中に人は居てはならない。ここは獣の森。人の子は人の中へ。
しかし、我が変れば、我ら獣は人を襲う。人の世界へ出てしまう。
獣の王の代替わり。それは王を殺した者が次の王。
獣たちよ、次の王に従え。これが我の罪滅ぼし。多くの獣を殺めた我の……。
月明かりの下に居る人の子。
我はその傍らに剣を置く。
ああ、食いたくて堪らない。早く我を狩ってくれ。
「月が完全に赤くなる前に、我を狩るがいい。我が変った瞬間、森の獣は我に従いお前を襲う」
嫌だと泣き叫ぶその娘に、我知らず心が震える。
――だって、あなたになら食われてもいいと思ったの。この美しい獣に食われれば、自分もまた美しい存在になれるんじゃないかって……。
その心の声を聞いた時、我の心は喜びに溢れた。
早く食いたい。狩ってくれ。
相反する二つの心が、一つの想いの様な気がした。
目の前が完全に赤く染まった。
我の爪が神子に届く前に、その手に剣を掴んだのが見えた。
口いっぱいに広がるその甘い血の味に、腹に深く突き刺さる冷たく固い感触に、我は全てが終わり、始まるのだと感じた。
「初めて会った時、我もお前になら狩られてもいいと思った」
だから悲しむな、人の子よ。これは我の望んだ事。
子など生せぬ我が身であるが、お前の存在は我にそれを感じさせてくれた。
母に等なれぬ我が身であるが、母性と言う名の感情を我に与えてくれた。
お前の中に生きさせておくれ。お前を見守らせておくれ。
愛しているよ、我が娘。
【我らが王よ……】
獣たちの言葉が頭に響く。
少女の周りには、いつの間にか獣が集まってきていた。
獣たちは深く頭を垂れてる。
少女は獣の王となった。
「神子か……」
その声に顔を向ければ、ギンの記憶が見せてくれた、あの金色の獅子の様な髪の男性が立っていた。
その男性に続くように、多くの人間がこの場に遣って来て、血に染まる銀色の獣を抱きしめる少女を見て「おお」と声を上げる。そして、周りの獣達に習うように、その者達も少女に向かい跪いていった。
「神子、こっちへ……」
唯一頭を垂れない、その金色の男性は、少女に向かい手を差し出す。
だが、少女はギンの亡骸を抱き絞めたまま、首を振って動こうとしない。
「その傷を癒さねばなるまい?」
少女もまた深手を負っていた。
牙でえぐられ、爪で引き裂かれたその皮膚。
血が足りなくなったのか、少女の目の前が揺らいだ。倒れる寸前で、その男性に抱きとめられた。
「……私も愛してるよ、ギン……」
完全に意識を失う前に、少女はそう呟く。自分を抱く、男性の腕に力が入るのを感じた。
次に目覚めた時、少女は馬の上に居た。顔を上げると、金色の獅子の男性が自分を見下ろしている。
「目覚めたか、神子よ」
「そういう貴方は人の王か……」
少女らしくない物言いに、金色の獅子の男は眉を顰める。
「我は森の王。ギンを殺して、我が次の王となった。森の王にして、獣の王」
確かに自分の中にギンは宿っていた。それを嬉しいと思うと同時に、焦燥が胸を襲う。
少女は男の胸に縋った。男の慌てる気配を感じる。
「おいっ――」
「獣は決して泣いたりはしない。だからこれが最後だ……」
そう呟くと、少女は肩を震わせ静かに泣いた。
男が戸惑いながらも、少女の傷に触らぬように、その肩を抱いた。
ここに、人々から獅子王と呼ばれる男と、世界に選ばれた神子でありながら、獣の王となった娘の物語が始まるのだ。
だが、今は語らぬ事としよう。少女は今、傷付いている。
しかし、ほんの少しであれば見る事は可能だ。
金の獅子王の隣に立つ、銀の獣の王の姿を。
少女は笑っていた。
その肩に腕に、傷跡を残しながらも決して隠さず、人々の目に晒している。そして、その身に纏うは銀色の毛皮。
「獣は笑わないと聞いていたのだが……」
その隣で、苦い顔をして少女を見るのは、獅子王と呼ばれる男。
「それは大きな間違いだ。獣もまた笑う」
そう、確かにギンは笑っていた。
「それに、何がそんなに可笑しい?」
「それは貴方が、ギンに対してヤキモチ等を妬くからだ」
「だって、それはそうだろう? お前は何時までも、ギン、ギンと……」
「ククッ、ギンは雌だぞ?」
「はぁ!?」
そんな獅子王を見て、獣の王の少女は笑う。
「安心しろ、我に相応しいのは、獅子王のお前だけだ。何たって、獅子は百獣の王。獣の王と呼ばれるのだから」
〜深き森の銀色の獣・終〜
初めての短編小説、そしてコンテスト。結果は8位と中々の順位でした。
簡易投票などがあり、その結果を見ると、かなり好みの分かれる小説になってしまったなと、しみじみと思っております。