3 学園のアイドル
「ちなみに、相手の女の子誰だったの?」
いくつかの脱線を経て、話が戻る。相手の女の子というのは、エチュードで一緒に演じた女子生徒のことだ。美國のときに続き、風汰の相手も務めたあの黒髪ロングの清楚な……
「あー、えっと誰だっけ。たしか、ちよ……ちよだ……」
「千代田さん?」
「あー、そうそう。千代田さんだ」
「えっ! あの例の、噂のっ!?」
すると、菜摘が声をあげて、
「間違いない。その噂のだよ」
理由がわからないまま、美國が横からそう答える。
「ひょえーっ! でもそーだもんね。進学クラスだから今年一緒のクラスなのかっ」
「え、あの子がどうかしたのか?」
「どうかしたのかって、知らないの? 千代田みやびって言ったら有名人じゃん」
菜摘に言われ、そこで初めて風汰は千代田ーー今日のエチュードで一緒になった女子ーーのフルネームを知った。
千代田みやび。黒髪ロングの、顔立ちの整った女の子だった。顔立ちそのものは童顔寄りなのに、身にまとっている雰囲気はどこか大人びており、角度や表情によっては色気や小悪魔めいた雰囲気すら感じさせる……つまり、男子に一番人気がありそうなタイプの子だ。
去年は別のクラスだったため、風汰は存在そのものを知らず、言葉を交わしたのも今日が初めてだったが、どうやら学年の有名人らしい。
「どういうふうに有名なの?」
「そうだね、理由はみっつかな」
菜摘の発言を補足するように、美國が口を挟む。
「ひとつ目はそのスペックの高さ。誰もが認める美人でスタイルも良くて、部活は女子バスケで1年生からレギュラー入り、2年生にして絶対的エースだ。それでいて特待生でもある」
「と、特待生っ?」
「そう。国立秀令院高校といえば天下に轟く名門校。ゆえに特待生の基準は厳しくて、優秀な学生揃いなのに学年に2~3人って言われてるけど、彼女はそのうちの1人なんだ」
「へ、へー、特待生なんだー初めて会ったなー……」
美國の言葉に、風汰は驚く。
「そして、ふたつ目。それだけハイスペックにも関わらず性格がいいこと。グループの垣根なく色んな人と話す子らしくて、彼女と接した人誰に聞いてもいい噂しか返ってこない。男子にも女子にも人気で、先生からの評判もいい」
「すげえ……完璧超人じゃん」
「そう、完璧超人だ」
「なんか欠点とかないのかな……実はワキガで体育の授業後にエイトフォー1本使ってるとか」
「で、最後のみっつ目」
風汰のしょうもないひがみを、美國はニヤッと笑って受け流して。
「これはある意味、風汰には一番羨ましいかもだけど……」
「なんだよ美國。もったいぶって」
「千代田さんは中学生のとき『恋愛』で偏差値84を叩き出したことがあるんだ」
「偏差値、84っ!?」「え、マジでそれっ!?」
風汰と菜摘が同時に反応すると、美國は自分のことのように満足げに微笑む。
「冗談と思うでしょ? でも本当でさ。実際に彼女に聞いて確認した奴がいるから間違いない。我が国で恋愛教育が始まって以来、中学では史上最高の偏差値さ」
「史上最高……」
「美人で性格良くてスポーツもできてしかも成績良くて特待生。千代田みやびをまとめるとそんな感じだね」
話を聞けば聞くほど圧倒されるスペックの高さだ。
うーむ、さすが天下の秀令院。特待生にも選ばれる生徒は一味違う。
「そうだ、風汰!」
と、素で関心していたところ、菜摘がパンと手を叩く。
「その子に教えてもらったらいいんじゃない? 『恋愛』の勉強」
「えっ? 誰が?」
「風汰が!」
「なにを?」
「だーかーらーっ『恋愛』の勉強っ! 風汰、『恋愛』の成績悪すぎて進級ギリギリだったって言ってたでしょ!?」
「うっ……」
菜摘の言葉に、風汰は思わず口をつぐむ。
「まあでも実際のところありかもね。千代田さんに『恋愛』を教えてもらうってのは」
と、そこで美國が会話に割り込む。
「『恋愛』は他の科目と違って座学が役に立ちにくい。風汰がたくさん自習してるのはわかるし、それは尊い行為だけど、生身の女の子から教わるのも大事だよ」
「それは確かにそうだ」
「そして、なにより学園のアイドルに劣等生が『恋愛』を教わるってシチュエーションが面白い」
「美國、お前はすぐそういうこと言うよな。好奇心の奴隷というかさ……でも、いいや。今回は大丈夫」
しかし風汰には、みやびに教えてもらうという案を、受け入れられない理由があった。
「なんで。クラスに全国1位がいるのに。しかもめっちゃ美人」
「それが問題なんだよ。めっちゃ美人は……緊張する」
「……え、そういう理由?」
菜摘が眉を八の字にして風汰を見る。明らかに呆れているのがわかる。
「そりゃかわいい子好きだけど、あれはかわいすぎる」
「んな、わがままな」
「童貞にはハードルが高すぎる。せめてもうちょい○スがいい」
「しかも口も悪いし……この大バカインポ野郎っ! ちんぽついてんのかっ!」
「菜摘のほうが口悪いし」
「お、おちんぽついてんのかっ!」
「ああちんぽついてるよっ排尿にしか使わないちんぽがっ! そんでちんぽに『お』をつけろって意味じゃないっ!!」
そんなことを反射的に大きな声で叫ぶと……周囲の生徒たちが一斉にこちらを見た。顔がカッと赤くなるのを感じながら、風汰は逃げるように立ち上がり、自然と歩き始める。
「はー、なんで授業で恋愛教わる時代に生まれたんだろ……」
「風汰の言いたいこともわかんなくないよ? 他の科目と違って『恋愛』ってできないと自分を否定された気持ちになるし、風汰が今までの積み重ねで弱気になってるのもわかる……けどさ。今はもうそんな時代じゃないんだよ」
菜摘が諭すように言う。
「それに日本人はもともと不器用な人多いでしょ? 恋愛教育があったおかげで結婚できた、子供に恵まれたって人もたくさんいると思う。それってめちゃ尊いとあたしは思う。そういう現実的なメリットを考えるとさ、色々仕方ないのかも、だから考えたほうが負けなのかもってあたしは思うんだよね~」
「……菜摘ってキチってると思いきや、意外と常識人だよね」
「意外と常識人ってなにっ!」
菜摘が諭すように話してきたが、風汰は縦に顔を振らなかった。というか、主張の内容そのものより、しつこく言れってくることに対して正直腹が立ってきていた。
「ふたりとも、僕のことは放っておいてくれよ! 僕がモテなくても、ふたりに迷惑かけてるワケじゃないでしょ!」
「それはそうだけど」
「僕は自分で勉強する! ひとりの力でなんとかする!」
「やー、悪いこと言わないから千代田さ……」
菜摘がなおも言ってくるので、風汰は振り返って、
「千代田さんの力は借りないっ! たぶんワキガの千代田みやびのっ!!」
と叫んだが、振り返ったところが悪かった。廊下の角だったため、他の生徒に背中から思いっきりぶつかってしまったのだ。
「いてて……」
「風汰!」
「僕は大丈夫……その、すいませんぶつかって」
そう言って衝撃の先を見ると、そこには色んなものが散らばっていた。風汰とぶつかった相手のカバンの中身が飛び散ってしまったようなのだ。タブレット2枚にポーチ、ファイル、プリント、鏡、書類……など、つまりふたりの物が混ざってしまっていた。
「今拾うので……」
そう言いつつ、相手のほうを見る。と、そこで風汰は相手が女子生徒であることに初めて気づいた。朝日を反射するほどの綺麗な髪の持ち主で、雰囲気ですでに美人なのがわか……
「……千代田さん?」
ぶつかった相手は、千代田みやびだった。尻もちついたのか痛そうにしている。顔を上げて、風汰と視線がぶつかる。
「ごめんぶつかって。前見てなかったみたい……」
「ぼぼぼ、僕のほうこそごめん」
「いや、いいの。わたしもタブレット見ながらだったし……擦りむいたりしてない?」
「あ、うん、大丈夫」
「でもここ赤くなってるよ?」
そう言うと、みやびはスッと手を伸ばし……いきなり風汰の頬に触れた。不意打ちの行動だったので風汰は自分の身になにが起こっているのか理解できない。ただ、目の前にみやびの整った顔があった。大きな瞳、スッと通った鼻、心配そうに八の字になった眉……顔を構成するパーツは驚くほど完璧で、同時に柔らかくて甘いニオイが鼻腔から風汰の体内に流れ込んでくる。めちゃくちゃいいニオイだ。少なくともワキガではない。
恥ずかしさのあまり、風汰はバッと身を引く。
「ほんとに平気だから」
「そう。ならいいんだけど……」
みやびの反応は、風汰にとって予想外も予想外だった。自分がよそ見していたせいでぶつかってしまったのに、一切怒ることなく、こちらの心配までしてくれている。
「じゃあ、わたしはこれで」
タブレットなどを自分のカバンに入れ直すと、みやびは風汰の後ろにいる美國と菜摘にニコリと会釈をして去っていった。みやびの姿が完全に見えなくなってから、風汰は自然と声を出していた。
「え……なにあの子。普通にめちゃいい子……」
「びっくりしたね。ぶつかられたのに怒らずに風汰の心配してさりげないボディタッチまで」
「恋愛偏差値84……! あたしには絶対できないあんな対応っ!!」
美國と菜摘も、それぞれの言葉で風汰に同意。菜摘がしんみりとした口調で続けた。
「あたしやっぱ今回は風汰の言うことに賛成。風汰が言ったように、あの子は風汰が近づいていい人じゃないと思う。だって風汰、女の子の透けブラ大好きだもん」
「いやなんか話変わってないか。僕はべつに『恋愛』の先生になってもらうのはやめようって言っただけで近づいちゃいけないとか言ってないし、透けブラ好きってのも……誤解だ」
「ちょっと迷ったな?」
すかさずツッコミを入れ、脇腹に軽く肘打ちも入れる菜摘。何目線なのか、頬がぷくーっと膨れている。
「まあでも。俺も同意だね」
菜摘だけじゃなく、美國にもそう言われてしまった。最初から必要ないと言っていたものの、ふたりからNOと言われると、それはそれで複雑な風汰であった……。