【短編・連載一話やプロローグにあらず・完結】魔石調達部門長、婚約破棄され、会社からも解雇されるが、実は利益の要だった。企業活動が崩壊したからもう一度戻ってきてくれと言われても、もう遅い!
流行りの「もう遅い」を婚約破棄と組織の要のハイブリットで書いてみました。
楽しんで書いたので、暖かい目と広い心でご笑覧ください。
カテゴリについては、何を選んでも「それじゃないだろう!」と言われそうで悩みましたが、魔物と魔石がある地球じゃないファンタジー世界なのでハイファンタジーにしました。
設定とかについては、本居宣長が古事記の記載に対して述べていることを引用します。
『深く疑うべきにあらず』
この世界には魔物と呼ばれる存在がいる。
動物と区別される所以は、ヒト種に対しての異常な攻撃性を見せることと、絶命すると水晶のような石を残して消滅することの二点である。そのため、退治しても動物と違って皮や肉を活用することができない、ただただ脅威なだけの存在である。
魔物の残す石は、シンプルに「魔石」と呼ばれた。使い道はないがハンターの駆除証明として持ち帰られるだけであった。
しかしあるとき、誰かがこの石からエネルギーを取り出すことができることを発見した。そのエネルギーを使った道具は「魔道具」と呼ばれ、人々の生活を豊かにしていった。
魔物は依然として脅威であることには変わりないが、同時に魔石という資源をもたらしてくれる存在ともなった。
この世界の名はクジーヌ。
魔道具が発明されて、徐々に発展・拡大し始めている世界。
この話は、そんな世界での話。
舞台は特に発展著しいミシュグル王国の、とある会議室にて幕を開ける。
「アラクエ、あなたとの婚約を破棄させてもらうわ、そして私はここにいるマガリンを婚約者とする。私の将来の伴侶も次期社長もマガリンよ。アラクエ、あなたには悪いけど会社を去ってもらうわ、今日付で解雇よ」
魔道具メーカー最大手のジャンフド、その本社大会議室には、期初の会同に参加するために多くの社員が集まっていた。
そこに突然、社長令嬢のリノールが、今期の中途採用新人で、真珠の様と評される色男のマガリンを伴い、壇上に立って言い放った。
マガリンは壇上でリノールに寄り添い、優越感に満ちた目でアラクエを見下ろす。そんな彼を愛おしく見つめるリノール。
「どうしてです、リノールさん、私に何か問題が!?」
突然の事態に驚くアラクエ。彼はその厳つい外見が災いして、女性にモテるとは言い難い人生を送ってきたが、中身は味がある男であり、少ない女性経験なりに婚約者に誠実に接してきた。
「いいえ、あなたは何も悪くないわ、あなたとの恋人関係も、私には合っていた。でも私は真実の愛に目覚めたの! マガリンと一緒だと私はもっと私自身を感じられるの!」
騒然とする社員一同、アラクエ本人が驚愕しているのはもちろんだが、他の社員も動揺を隠せない。調達部門長として魔石調達を担うアラクエは、現場の意見を取り入れ、形の均一化した魔石を常に現場に過不足なく供給しており、そのありがたさを知っている技術者は、アラクエがリノールと結婚し現社長のトランスシボの跡を継いで次期社長となることで会社の未来は明るいと考えていたからだ。
「リノールさん、私たちの婚約はあなたのお父さんの意向でもあります。それに解雇とは? 失礼ながらリノールさんに人事権はありません。従業員を解雇する権限はありません。お義父さん、トランスシボさんの決定なんですか?」
アラクエは食い下がった。確かに燃えるような恋焦がれる想いを抱いた恋愛関係ではなかったものの、恋人として良好な関係を築いていたつもりだった。
会社に対しても利益貢献に尽力してきた想いはある。社長の座や権力に執着する気は一切ないが、解雇ですか、はいさようならと去れるほど、費やしてきた時間と想いは軽くはない。
そもそも社長令嬢とはいえ、社員でもないリノールに解雇を宣言されるのは承服できない。
「もちろんだ!」
壇上に上がり言い放つトランスシボ社長。
「我が社は魔道具メーカーとして他社より一歩抜きん出た位置につくことができた。ここまでに至る道においてのお前の貢献がないとは言わない。だが、これからはより革新的な魔道具を世に出していかねばならない。そのためには、より一層の組織のスリム化が必要なのだ」
アラクエだけでなく会場全体に語りかけるように声を上げるトランスシボ。
どうやらこれはリノールの独断ではないどころか、今日の会同で社員の前で話すことはあらかじめ決められたシナリオであるらしいことに、アラクエは気がついた。
「製造部門、技術部門のトップとも話して決めたことだ、三人、前へ」
社長に促され壇上に上がる三人。
・第一製造部:アゲマズバ部長(大型魔道具担当)
・第二製造部:ファトエビス部長(精密魔道具担当)
・技術部:フラドバタ部長(研究開発部門)
「パワーこそパワー!ちまちました魔石ばっか使わせんじゃねぇよ!これからは、でっかい魔石でパワーある魔道具作るんだよ!」
吠えるアゲマズバ。
「消費者の心に刺さる魔道具作るには尖った魔石が必要なのよ、丸っこい魔石なんか使ってられないわ」
冷たく言うファトエビス。
「……革新的な技術にはインスピレーションが大事……芸術的感受性とは無縁な画一的な魔石なんていらない……」
ボソボソと俯きながら言うフラドバタ。
「わかったかね、アラクエ。君はこれからのジャンフドにはいらない人物なのだよ。各部署が各々最適なことをすれば、それが集まって全てが最適になるのだ」
それは違う、アラクエは言おうとしたが、トランスシボの更なる声に遮られる。
「労働者保護法の規定上、三十日前解雇が原則だが、規定では三十日分の給与を支払えば即日解雇を容認している。他に有給休暇の残り日数の買取もしてやる。よもやここまで言ってもごねたりはすまいな!一刻も早くジャンフドから去れ!一切の影響力も残すことは許さない!さっさと荷物をまとめろ! ぐずぐずしていると力ずくで追い出すぞ!」
もう、ここまでか。打ちひしがれるアラクエは、一人の男の視線に気がついた。
男の名はフィシュチプ。先代社長時代からの重鎮で、アラクエも彼から多くのことを教わった。
フィシュチプならトランスシボの誤りを止められると、一縷の望みを抱いたアラクエが動こうとした時、重ねてトランスシボの宣言が発せられる。
「魔石調達は各部門ごとに行うこととする。現在の魔石在庫がなくなるまでに各々調達部隊を再編していく。人員は現状の調達部門の人員を配置する。その間の調達部門長にはマガリンを当てる。調達部門の発展的解体後はマガリンには経営の中枢を担ってもらう。私の後継者となるために」
宣言を聞いたアラクエはフィシュチプと目が合う。そして静かに首を横に振るフィシュチプ。「こいつらはもうダメだ」そう言っている気がした。頷くアラクエ。
「解雇の件、謹んでお受けします」
背筋を伸ばし、しっかりトランスシボを見据えて、はっきりした口調で述べてから一礼したアラクエは会議室を出た。
その姿は拍手を持って送られた。
栄光ある未来へと至る英断を下した経営層に対する賞賛の拍手だ。去りゆくアラクエに対して贈られた拍手などであるわけがない。
……少なくとも壇上にいる者たちだけは、そう思った……
総務で手続きを終え、正門から退社するアラクエを見送るべく、数名が待っていた。
花束を持つグループは、自分の元部下たちであった。
「準備早いな、まさか知っていたのか?」
問うアラクエ。
「それこそ、まさか、ですよ、俺の仕事の早さはご存知でしょう?」
部下の一人、ギュドンが笑いながら花束を手渡してくる。他の部下たちからも挨拶を受ける。
「アラクエさんを追い出すなんてあり得ないですよ!なんですかマガリンって。あんなのただのベタベタナヨナヨしたやつじゃないですか!」
「いいんだ、もう。見送りありがとう。じゃぁな。他のみんなにもよろしく。これから大変だと思うが、気をつけてな」
次にフィシュチプと挨拶するアラクエ。
「社長になったお前さんを補佐するのが、わしの仕事人生の最後だと思っていたんじゃがな」
「先輩と仕事ができないのだけは、本当に残念です。これからのこと、よろしくお願いします」
「もう疲れたわい。なんだか眠くなってきおった。あまり期待せんでくれ」
「何を言っているんですか、その分厚い服を脱いだら、まだまだ動けますよ」
「この衣は、わしがジャンフドに入った時からずっと着ておる。じゃが、確かにこれを脱ぐ日はそう遠くないかもしれんのう」
しばしの沈黙の後、フィシュチプが問いかける。
「ベタな質問じゃが、これからどうするのじゃ?」
「この手の話では無一文で放り出されるのが常ですが、私の場合は幸いにも金銭面では困っていませんから、温泉でも入ってゆっくりしますよ、それから考えます」
「あまり入りすぎて温泉水をだし汁にするでないぞ」
「なんですか、それ、私死んでるじゃないですか」
ひとしきり笑い合った後、見送ってくれた皆に深々とお辞儀をして、アラクエは去っていった。
ジャンフドから出てすぐに、一軒の飯屋がある。労働者向けの飯屋で安くて美味いことから大人気の飯屋だ。そこへアラクエは向かった。
「ら゛っし゛ゃい! あら?アラクエちゃんじゃない。今日は微妙な時間に来るわね、珍しい」
気合の入った声とでっかい足音で迎えてくれたのは、海賊船の船長……じゃなくて、犯罪組織のボス……でもなくて、この店の『女将』であるブーリだ。
料理の味と盛りの良さだけでなく、客たちを自分の家族のように気にかけてくれる人柄から、多くの人の尊敬と親愛を抱かれているが、その色々とドスが効きすぎた為人から「お袋さんのように慕われている」とは言われない、そんな人だ。
店内は、まばらと言うには人が多いが、料理の提供は終わっていると見たアラクエは、簡潔に自分の解雇について話をする。
「ぬぁんですってー! アラクエちゃんが解雇って、どーゆーことよぉ!!!」
「まぁまぁ、まぁまぁ、それで、これから……」
□ □ □ □ □
トランスシボは意気軒昂であった。
早速の組織再編に取り組んだ彼は、まずアラクエの遺産の一つである魔石加工部署を廃し、その人員を魔道具生産へ回した。
旺盛な需要に対応するため、生産部署の超過勤務にて増産していた。生産技師を新規採用しようか検討していたところへ他部署からの異動人員があり、これにて超過勤務なしで生産を回せるようになった。
そしてこの時はまだアラクエのもう一つの遺産である形の整った魔石が残っていた。
アラクエ追放後の最初の月の経営実績確認会にて、売上は見込み通りの前月比からの拡大。そして製造原価は見込みから減、利益は大きく拡大との報告が上がった。
売上拡大に伴い超勤対応なり新規採用すればその分発生経費は増え、製造原価の増につながるが、すでにいる人員を回して対応できれば総発生経費は変わらず、想定していた超過勤務手当の削減分だけ経費減となり製造原価削減につながったのだ。
各部長たちは、仕入れたままで未加工の魔石を漁り、思い思いの魔石を手にそれぞれの業務を進めた。
「パワーこそパワーだよ、デカイ魔石デカイ魔石」
「刺さるわー、この魔石刺さるわー」
「……インスピレーションにビンビンくるよ……」
経営層のモチベーションは高い。
現場では、未だ混乱の声が聞こえるが、組織改善というのは最初は理解されなくても、痛みを伴うものでも、トップ主導で進めなければならない。
最初は理解されないかもしれない。しかし天才も最初は変人扱いされるものだ。恐れず邁進するのみ。トランスシボはそう考えていた。
リノールは天にも昇る気持ちだった。
厳つい外見のアラクエと違い、真珠のように輝く美貌を持つマガリンを夫にできること。魔道具最大手の社長令嬢であり、将来の王国随一の大企業社長夫人になる未来が待っていること。自分が王国で最も幸福な女性であることを信じていた。
リノールは婚約破棄をする前から、マガリンとの関係を深めるという筋の通らないことをしていた。そのため、早々に懐妊をし、お腹が目立つ前に挙式・披露宴を行った。
ジャンフドが最高益を出した日からも近かったこともあり、それはそれは盛大な披露宴となった。友人たちからも盛大に祝われ、幸福の絶頂であった。
仕事面では、今まで以上に会社に顔を出し、次期社長夫人として視察に精を出し、会社に貢献している満足感を得ていた。
リノールとマガリンの間には元気な男の子が生まれ、エイジスと名付けられた。跡取りを得て祖父になったトランスシボの喜びはひとしおだった。
……トランスシボ一家の公私共に絶頂の瞬間は、まさにこの時であった。……
ある日、とうとうアラクエの遺産である加工済み魔石の在庫が尽きた。
最初の綻びは、魔道具生産から始まった。
魔石を組み込む格納部のサイズがバラバラで、魔石の大きさもバラバラのため、当てはまる魔石を探す作業が必要になり。完成までにかかる時間が激増した。それにより、生産計画通りに生産できなくなり、出荷数が大幅減したのだ。
しかし事態は売上減だけでは済まなかった。ただの減収減益だけでは済まなかった。超勤対応での経費増以外に、大きく増えた費用があった。
魔石の購入費用である。
「どういうことだ! 何故魔石の費用が上がっている!」
取引先の魔石供給業者に怒鳴り込むマガリン。
「そりゃそうでしょう。アラクエさん時代のジャンフドさんは一括大量購入してもらったのでその分だけ価格協力しましたけど、今のジャンフドさんにそんなことするわけがない」
対応する担当者。
「何故だ!? 今だって変わらないだろう!?」
「全然違いますよ。今は、大きさがーとか、尖りがーとか、芸術性がーとか、ガタガタ言ってこっちの拘束時間多いし、バラバラに買っていくから手間暇かかるし、価格下げる意味がない」
「ふっ、ふざけるな! だったら貴様のところからなんて買わんぞ!」
「どうぞどうぞ。別にジャンフドさんに買ってもらわなくたって他にいくらでも売れる」
魔道具製造会社と魔石供給業者の力関係は、前者の方が上、などとは夢物語である。
氷雪地帯で氷を買ってくれる顧客は貴重だが、砂漠で水を売っているなら、お客様が神様でなく、売ってくれる方が神様、そういうことである。
「もう二度と買うか!」
売り言葉に買い言葉、交渉ーーと言えるものではなかったがーーが決裂したマガリンは、他の業者の元に向かったが、元の条件で売ってくれるところはどこにもなかった。
マガリンは肩を落とし、とぼとぼと帰っていった……
……第三者で初めてジャンフドの凋落を予見した者がいたとするならば、それは魔石供給業社だったかもしれない……
もともとコネで抜擢されたと目されていたマガリンは、魔石価格交渉にも失敗し、何ら実績を示すことができず急速に社内での存在感を失っていった。
もはやマガリンの発言に重きを置くものは誰もおらず、よく言って面従腹背、という有様。不幸にも最低限の羞恥心を持ち合わせてしまったマガリンは、日々を針の筵の思いで過ごすことになった。
売上減、経費増、材料費増となり利益が大きく減ったジャンフドの状況を打開すべく、トランスシボは給与カットを行なった。すると大量離職が起きた。
安い給料でも、雇ってくれるところがここしかないのであれば辞めることはないだろうが、今は魔導機生産拡大期。求人は豊富にある。特に熟練の技術者ほど、辞めていった。
生産ラインを維持できる人員を割り込んだこともあり、人件費は減ったがそれ以上に売上が減り、とうとう利益が赤字となった。
買ってもらわねばお金が入らない、買ってもらう物がない。物を作るには人が必要、ということで、元の給与水準で再募集をしたが人は集まらない。実はリノールの過剰な視察に嫌気がさしてアレルギー反応を示した社員が多くいたのだった。
働く場所としての魅力が大きく毀損されたジャンフドは、もはや他社より高水準の給与を提示してやっと同じ土俵に乗れるレベルまで就職先としてのブランド価値が落ちていた。
なんとか最低限の人員を確保したはいいが赤字は解消できていない。そのためトランスシボは研究費の削減に手をつけた。
人員確保と経費削減を狙った物だが研究者は生産部門への異動を拒み離職。人員確保効果は得られなかった。
また、研究費は次世代への投資である。もはや新製品も出ることもなくなったジャンフドは、もはや有象無象の魔道具メーカーの一つに成り果てた。
「何か打開策はないのか! 一体何が悪かったのだ!」
その日の経営会議は荒れた。
いつの間にか退職していたフラドバタを除いた経営層と、フィシュチプ、それに相変わらずリノール。
皆が口々に非生産的な事を言う中、フィシュチプが重々しく口を開いた。
「アラクエを切り捨てた報い、それだけの話じゃ」
「アラクエだと、そんな奴もいたな! そうかこれは奴のせいなのだな!?」
「せい!? せいじゃと!? お前は社長じゃないのか、トランスシボ!? お前は社長なんじゃろう、トランスシボ! 社長はその経営判断の全ての責任を負うから社長なんじゃ! 誰のせいにもできないから社長なんじゃ!」
「ぐ、違う。商品を落として壊したのは社員のせいだが、その結果である損失の責任は社長にある、そう言っただけだ」
苦しい言い訳をするトランスシボ。
「ふん、戯言に乗ってやろう。では、何がアラクエのせいなのじゃ?」
「……魔石調達の仕組みを残しておけば……」
「残させなかったのはお前じゃ」
「……奴が辞めなければ……」
「解雇したのはお前じゃ」
「……それでも残ると粘ってくれれば……」
「そうしたら力づくで追い出すと言ったのはお前じゃ」
「……娘の婚約者なのに……」
「その婚約を破棄したのはお前らじゃ」
「……だまれ! この老害が! 誰に向かって口を聞いている! お前なぞ出ていけ!」
とうとう逆上するトランスシボ。
それに答えてフィシュチプも激昂する。
「お前こそ誰に向かって口を聞いている、小僧が! あぁ、いいじゃろう、喜んで辞めてやろう!」
フィシュチプはその厚い衣を脱ぎ、その衣をトランスシボに叩きつけながら言い放った。
会議室の出口に向かいながら、最後にフィシュチプは口を開いた。
「最後の忠告じゃ、残った設備・部材はまだまだ買い手がつくじゃろう。それを整理して事業を畳むか、続けたければ家族経営にでも縮小する事じゃな」
かつてアラクエを見送った正門から、長年働いた会社を去るフィシュチプは、足取りも軽く、胸ポケットの手紙に触れる。
「わしにもまだやることがあるようじゃな」
フィシュチプが去った後、重い沈黙に包まれる会議室にて、アゲマズバが口を開く。
「もっとパワーのあるところで働くことにするぜ」
応じるようにファトエビスも口を開く。
「私も、もっと刺さるところに行くわ」
去っていく二人、残されたトランスシボ、マガリン、リノールの三人は、呆然と立ち尽くしていた。
「……アラクエ……」
自らの手によって失われた、利益の要であった男の名を呼ぶ声は、果たして誰から発せられたものであったか……
かつて魔道具メーカー最大手として知られていたジャンフドの敷地跡地の片隅に、小さな町工場ーーと言ったら町工場に怒られそうなほど小さくみすぼらしいーーがある。
トランスシボ、マガリン、リノールの三人で経営を回している、ジャンフドの成れの果てだ。
人手が足りないのでリノールも子育ての傍ら、働いている。
……花よ蝶よと育てられたリノールには耐え難いことに……
それでももはや有象無象の魔道具メーカーの地位すら保てず、その商品は「ジャンク品」の括りで二束三文で売られる程度の物だ。
自転車操業などと言う段階はとうに超え、もはや最低限の生計を立てることすら困難になった状況に置いて、トランスシボは自分では起死回生の妙案と思える策を思いついた。
「そうだ、アラクエを呼び戻そう」
何を今更言っているのだ、フィシュチプの離職時に思いつかなかったのか。そのような指摘をしてくれる人はもはや誰もいない中、トランスシボは一人で夢想する。
「アラクエはきっと今でも無職で困窮しているだろう。ジャンフドの幹部の座を約束すれば飛びつくはずだ。当面は無給でも成功報酬での後払いとすれば文句はあるまい。なんならジャンフド復活後は踏み倒してまた追放すれば良い」
この後に及んで何を、ということを夢想し、アラクエの行方を探すべく活動を開始し、ついに居場所を突き止めた。意外な場所にいたが、構うことはない。説得要員としてリノールもつれてアラクエの元へ向かった。
□ □ □ □ □
時は戻ってアラクエ追放直後のブーリ飯屋にて。
一部始終を説明したアラクエに、ブーリは一食の食事を施した。
「多くは語らないわ、これ食べて元気出しなさい。私の奢りよ」
いや、そう言うわけにはいかないお金はある、いやいやこんな時くらい素直に甘えなさい、という攻防があり、結局アラクエは甘えることとした。
胃袋と胸を満たす暖かいものを感じながら、その厚意にいつか報いようと心に決めるアラクエであった。
「久しぶり、アラクエくん」
アラクエが食事を食べ終わり、食後のお茶を飲んで一息つくのを待ち構えて、話しかける女性がいた。
「ん、君は、、シチリーンさん? シチリーンさんか! 久しぶりだな!」
彼女の名前はシチリーン。アラクエの学生時代の同期であり、魔道具メーカー「ツキトヨジス」社長であるビチョウの娘、即ち社長令嬢である。
社長令嬢という共通点から、リノールにされたことを思い出して硬直化するアラクエであったが、すぐに思い直す。
そう、シチリーンは一兵卒として新人入社し、自らの才覚で社内での地位を築いていったと聞いている。確か今の役職は……
「えぇ、会えて嬉しいわ、積もる話もあるところだけど、まず、あなたの現状は、ブーリさんとの会話が聞こえてきたので把握したわ。盗み聞きしたみたいで悪いけど」
「いや、構わないよ、ブーリさんのドスの効いた声で内緒話と言う方が無理がある」
「それで、単刀直入に言うけど、あなたを我が社に幹部待遇で迎え入れたいの。温泉旅行にいくくらいは待つけど、できるだけ早くに」
そう彼女は人事採用の責任者になっていた。
「温泉旅行は暇潰しの案なだけだよ、詳しく話を聞こうか」
ワーカーホリック気味のアラクエにとってありがたい申し出だった。
ツキトヨジスでは目下、魔道具メーカー第一位の座を得るため、プロジェクト体制で活動を進めている。現最大手のジャンフドに追いつき追い越すため社内外の人材を集めて体制を整えている。
めぼしい人材はあらかた集めたのだが、ジャンフド躍進の原動力と目されるアラクエに対抗できる人材だけが見つからなかった。
そんな中、代替ではなく本人がフリーの状態で目の前に現れたのだ。シチリーンの目にハンターの火が灯ったことを、誰も責められまい。
アラクエにしても、「求められるところで咲きなさい」を家訓にしており、最大限の評価と敬意を払われた誘いに、断るという選択肢はなかった。
「路頭に迷うところを拾ってもらって感謝するよ、シチリーンさん」
「アラクエくんの能力を適切に評価しただけよ、それに、それがなくても助けるくらいはしたと思うわ。その……学生時代にまともに接してくれたのはアラクエくんくらいだったから」
シチリーンは素朴な美しさがある女性だが、一度火がつくと熱くなりやすく、しかも中々冷めない。腹黒な点もあり、まさに敬して遠ざけられていたのだ。
「いや、下心があっただけだよ、俺は……外見がこんなだから、美人とお近づきになれる機会は貴重だから」
「あら、振られたとはいえ女性関係の経験値が上がったみたいね。面と向かってそんなことが言えるなんて」
嫌味なく笑うシチリーン。応えて苦笑するアラクエ。
ツキトヨジスに入社したアラクエは、簡単な新人ガイダンスを受けた後、早速プロジェクトメンバーのもとに案内される。社内外から集められたメンバーだ。
全体のまとめ役としてシチリーンが付き、各々の自己紹介ののち、速やかにプロジェクト体制がスタートした。
アラクエは、自分がジャンフドでしてきたことをツキトヨジスでも展開しようとしていたが、一筋縄にはいかないだろうとも覚悟していた。外様の自分の意見が容易く受け入れられるはずもないと。
しかしメンバーは確かに一筋縄にはいかない人物たちではあるが、同時に見識・能力を買われて集められた人物たちでもある。アラクエの正しさを認め、アラクエの予想よりも遥かに容易く、チームとしての方向は一致した。
そして、この魔石の大きさを統一してどの魔道具でも使えるようにする手法は「標準化」と名付けられた。
アラクエは早速活動を開始した。
メンバーたちと手分けして現場に標準化の利点を説き、理解と協力を求めた。
異論も反論も抵抗もあったが、現場を重視し足繁く足を運ぶ上、魔道具作成現場の技術動向にも明るいアラクエは着実に信頼を勝ち得て「煮ても焼いても生でも食える味のある男」との評価を確かなものにし、シチリーンやメンバーの活動成果もあり、現場の協力を勝ち取った。
続いてアラクエは、馴染みの魔石供給業者に向かった。馴染みとはいえ所属は変わっている。果たしてどれだけの条件を引きだせるか、緊迫した面持ちであった。
幸いにして拍子抜けすることに、古巣とほぼ変わらない取引が結べた。とある会社からの注文が大幅に減少していることも追い風だったが、アラクエという人物に付いていた信用が大きかった。
アラクエにより安価な仕入れを確保したツキトヨジスは、並行して進めている魔石加工部署の人員強化でも成果を出した。とある伸び悩んでいる会社からの人員流出ーーそれも魔石加工技術の経験が豊富なーーがあったのだ。皆アラクエのやり方を理解してくれている人たちであり、教育期間無しの即戦力となった。
大きく生産性を上げたツキトヨジスは、魔道具生産技術者の拡充を図った。これにも追い風が吹いていた。とある落ち目の会社からの人員流出ーーそれも魔石標準化に親しんでいる技術者たちのーーがあったのだ。皆アラクエのやり方を理解してくれている人たちであった。
さらに、アラクエを喜ばせる再会もあった。
「久しぶりだな、ギュドン、トンカ、テプラ、カーレ」
「お久しぶりです、アラクエさん。ご活躍を聞いて馳参じました、他の連中も来てますよ」
古巣の部下たちが入ってきてくれたのだ。これにより、一層の機動力を手に入れてアラクエはさらにプロジェクト推進に邁進した。
想定を遥かに超える成果を上げたプロジェクトは、華々しく解散の時を迎えた。アラクエは調達部門長に就任し、構築した仕組みを、磨きながら運営して行った。
そんなある日のこと、アラクエはシチリーンを誘い、高台にある行きつけのレストランへ向かった。ここは、コース料理が素晴らしく、ベテランソムリエの提案する、料理に合わせるボトルワインも多彩であるが、グラスワインも豊富でアラカルトも楽しいレストランである。また、街を一望できることでも知られていた。
普段のアラクエは一人で静かにグラスワインを数杯、一品料理とともに楽しむのであったが、今回はいつも以上に身だしなみを整えて臨んだ。
「シチリーン、君の、仕事上での手厚いサポートがあったからこそ、自分の今がある。それにプライベートでも気にかけてくれて、そのおかげで仕事に全力を尽くせた。本当に感謝している。それ以上に、君を愛している、と強く感じている。どうか、私と交際してもらえないだろうか」
かつての婚約者リノールに対しては「人間は結婚して一人前だから」と、「そう言うものだと」との義務感に対して渡りに舟だったので婚約した節のあるアラクエが、初めて「本当にこの人と恋人になりたい」と思えた、その相手がシチリーンであった。
果たしてその答えは……
「いつ言ってくれるか、ずっと待ってました」
最高の笑顔での、「はい」、の答えだった。
高台からの、灯りもまばらな光景が、二人を見守っていた。
そして二人の夜はまだまだ続く。
今日は二人にとっての記念日となった。
大きく利益を上げたツキトヨジスは独創的な商品を世に問う経営体力を手に入れ、研究開発部門に一層の力を入れることとした。これにもまたまた追い風が吹いていた。とある凋落著しい会社からの人員流出があったのだ。
人材募集に申し込んできた人の中に「……インスピレーションが……」とつぶやく男がいたが、不採用になったことは余談である。
この頃、標準化を魔石だけでなく、その他の部材にも横展開していたアラクエの元に、来客が訪れた。
社長ビチョウと、会社では敏腕ファシリテーターとしてアラクエの副官ポジションにいるシチリーンと共に応接室で応対した来客は、誰あろうこの国の第一王子、シロライスであった。
シロライスは、城を抜け出しては市井で遊び歩いている放蕩王子と思われていたが、市井で培った幅広い価値観を持って国政に新しい風を吹き込み、今では気さくな人柄と多彩な視点から、次期国王としての期待を集める人物である。
「ビチョウ社長、御社のアラクエ氏を官主導の計画要員のメンバーとして勧誘しに来た。アラクエ、君に来てほしい」
ツキトヨジスの躍進が「標準化」にあることを突き止めたシロライスは、それを王国全土に展開することで、一層王国を豊かにできると考えたのだ。国家主導で標準化を進めるため、アラクエを王宮にスカウトしに来たのである。
誘われたことは嬉しいが、恩のあるツキトヨジスを離れるわけにはいかないと逡巡するアラクエの背中をビチョウが押した。
「行きなさい、アラクエ。君は十分に我が社に貢献してくれた。新たなる活躍の場が君を待っている」
さらにもう一つ後押しする再会があった。
「誘いに応じてきたわい、アラクエ。この老骨にできることはなんじゃい」
フィシュチプであった。その胸ポケットからアラクエが書いた手紙を取り出しながら軽快な足取りで近づいてくる。
そう、アラクエはフィシュチプにこまめに手紙を送り、折に触れツキトヨジスに誘っていたのだった。
「直近のお主の状況はだいたいわかっておる。わしに仕事を引き継げ。お主が安心して旅立てるようにしてやろう」
フィシュチプに仕事を引き継ぎ、それをフィシュチプが適材適所に割り振りサポートする。この構想を聞いて憂いのなくなったアラクエは、シロライスの誘いを受けた。そしてその週末にシチリーンを再び、高台のレストランに誘った。
「やるからには中途半端はしない。王宮でも成果を出し、その成果をも以ってシチリーン、君に結婚を申し込む。そのためには仕事のパートナーとしての君が必要だ。シチリーン、一緒に来てほしい。そして、改めて結婚を前提とした交際をしてほしい」
「喜んで。言われなくても着いていくつもりだったし、実は父さんからも一緒に行けって言われていたの」
「そうだったのか、今の申し込みと、受けてもらったとしてその後のビチョウさんへの報告が一番怖かった、実は」
高台からの、以前よりも灯りを増した光景が、二人を見守っていた。
王宮に活躍の場を移したアラクエは、バベク計画と名付けられた標準化推進活動の中心人物として活動を開始した。
王国から集められた共に働くメンバーは、ツキトヨジス時代以上に個性的で優秀なメンバーであった。
豪快な突破力に定評のあるガブリニク。
ヒートアップしがちな議論を適切に収められるベジ&ヤサ兄弟。
活力のある提案ができるキンビル。
じっくりと温めた活動を展開できるカイエビ。
そしてシリチーンはここでも皆の良さを引き出す敏腕ファシリテーターぶりを発揮してくれた。
そしてメンバーのアウトプットをフェアな視点で吸い上げるシロライス。
後に「理想的なチーム」の代名詞になるバベクチームの活躍は、こうして始まった。
ある日、下町での視察――と称した宴会――を終えたシロライスは、王宮門番と揉めている者どもを見つけた。
「だからアラクエを出せと言っている! もう一度俺の元で働かせてやろうと言うのだ! 何をおいてでも飛びついてくるはずだ!」
トランスシボとリノールだった。
シロライスはもちろんアラクエの事情は聞いている。念のために調べておいたトランスシボ一家のことも、窮状含めて把握してる。
大事な部下を守るため、この騒ぎを早々に収めようと、騒ぎの現場に向かった。
「これは一体何の騒ぎだ?」
「誰だ? じゃまをするな。俺は……」
「無礼者!! この方はシロライス第一王子であるぞ!」
一喝する門番。
権威にひたすら弱いトランスシボは一気に色を失う。
「ここで働いているアラクエを返してほしいのです。彼がいなくなってから我々は困窮している。彼の力が必要なのです」
下手に出ながらも要求を伝えるトランスシボ。
「私が事情を知らないとでも思ったか、下郎? お前らが追放したことを知らないとでも?」
「それは誤りでした。ですので、戻ってもらおうとしているのです。我々のためなら、アラクエは無給でも働いてくれるはず……」
「戯けた事を抜かすな下郎! アラクエほどの人物を奴隷扱いすると言うのか!? 雇用主は従業員の労働の対価に金銭を持って報いる。そんな大前提すらしないと言うのか。そしてそれで来てもらえると思っているウジの湧いた頭の滑稽さよ」
「もう、給料を払えるような余裕はないのです。ツキトヨジスも、王国も、彼の力で発展していると言うなら、うちにおこぼれをくれても……」
「追い出したのはお前らだ、今更アラクエの価値に気がついても、もう遅い。そもそも追い出してからどれだけの月日が経っていると思っているのだ。もう遅いにも程がある、遅すぎる!」
「せめて、せめてアラクエに会わせてくれ。謝りたいのだ」
「断る。お前らのような下郎は、謝るといいつつ、謝るから水に流して戻ってこい、などと臆面もなくいう。そして拒否されると謝ったのに戻ってこないとは許せない、と逆恨みをする。自分はもう謝ったのだから何も悪くないと考える。お前らの謝罪は相手のためでなく自分の心のためのものだ、そのようなものにアラクエの貴重な時間を奪われるわけにはいかない」
「違う、俺は本当に悪いと思っているので……」
「ならば一生その罪悪感を抱えて生きていけ。安易な謝罪で罪悪感から解放されたいだけではないか」
「わ、私の子供の新しい父親にアラクエがなってくれてもいい、そう伝えてもらえませんか?」
血迷ったことを述べるリノール。捨てた相手はいつまでも自分のことを想っている、と思い込むのは古今東西・老若男女問わず変わらないらしい。
「真実の愛とやらはどこへいったのだ? 汚らわしいことを言うな、おぞましい。アラクエには将来を誓い合った公私ともに支え合う素晴らしいパートナーがいる。お前ごとき塵芥に見向きもするものか」
こうしてトランスシボたちは、会うことさえ許されず、失意の帰路についた。
ジャンフドはもはや町工場としての体も成していない。遅すぎた決断だが、遂に廃業を決意した。
他の工場で雇ってもらおうとするも、作り手としての腕が錆びついた彼らを雇おうとする者はいなかった。
糊口をしのぐため、低級魔物を退治して魔石を買い取ってもらうハンター仕事を始めた。
ハンター寄り合い所の、最安価な宿――馬小屋の方が気が利いているような粗末な――に居を移し、子供の小遣い稼ぎ程度の収入を得る日々が始まった。
もしアラクエを追放しなかったら……
もしあの時、彼らのそばに、老いてますます健在な老人――ケチな孫がいる、しみったれたじいさん――がいたら、『勝ち誇った時、そいつはすでに敗北している』と闘いの年季が違うアドバイスをしてくれて、思い知らせてくれたかもしれない。
異なる世界の古典文学が伝える、驕り高ぶる者には没落する未来が待っている、と言うことを学ぶことができていれば、違う未来が待っていたかもしれない。
「天才は変人扱いされる、確かにな。だが全ての変人が天才ではない」と指摘してくれる軍人もいない。
過去の栄光は消え去り、未来への希望は描けない。ただ何とか生きていくだけの日々が、トランスシボ一家を待っていた。
アラクエは、場外で起きたそんな騒動を知らずに仕事に集中できていた。頼れる上司のおかげである。
かくして、バベク計画は成功裏に終わり、チームは発展的解散を遂げた。
アラクエは、自身の辞令――王国の魔石インフラを統括する局の局長就任の辞令――を受け取ったその日、シチリーンを三度、高台のレストランに誘った。
「シチリーン、君の支えもあり、局長に就任することができたので、結婚してほしい」
いつぞやの約束通りに結婚を申し込むアラクエ。
「はい、不束者ですがよろしくお願いします」
笑顔で応じるシチリーン。
高台からの、街頭の整備が進んだ夜景が、二人を見守っていた。
後日二人でビチョウに結婚の挨拶に向かった席上にて、「俺の娘はやらん」的な展開は一切なく、普通に祝福された。そしてビチョウが引退することを聞かされた。
「アラクエ、君は国の中で相応に高い地位につくことになった。それも魔石に関連する地位だ。その岳父が魔石関連企業の長についていて、いいことは何もないよ。言っておくが謝るなよ、むしろ感謝しているのだ。自分で言うセリフじゃないが、勇退、と言うやつだ。絶頂の時に身をひけて、おかげで晩節を汚す心配はない」
図らずもどこぞの一家への痛烈な皮肉になっている。
「それに後継者の当てもある。ナトウにしようと思っている」
「第一印象は賛否両論ありますが、粘り強く、意外にどんな相手ともよく絡むいい仕事ができるやつですね」
「そうだ。フィシュチプも最後の仕事、と、補佐を買って出てくれている。お前の部下の四人組も脇を支えている。何も心配はない」
「はい」
「さて、今宵は飲み明かすか、婿殿。祝いの酒だ、何が飲みたい」
空気を変えるように陽気に言うビチョウ。その思いをくんで答えるアラクエ。
「泡ですね」
「うむ、祝酒といえば泡だな」
グラスの中で泡だつワインを飲みながら、新しい家族と満ち足りた時間を過ごすアラクエであった。
アラクエとシチリーンの結婚式は、立場による必要性も迫られ、かなりの大規模であった。友人たちや国民からも祝われる幸せな結婚式であった。
その姿を遠くから見ていた、とある元社長令嬢は、もしかしたら自分がその隣にいたかも、と過去を憐れみ涙したが、顧みる者はいなかった。
アラクエとシチリーンの間に長女が生まれ、アブリサシと名付けられた。家事と育児と仕事を頑張るイクメンとしても知られるようになったアラクエは充実した日々を過ごしていた。
ある日のこと、シロライスが話があると、家への訪問の連絡をしてきた。
上司であり友人であるシロライスの訪問に二人に否はなく、もてなしの準備をして訪問日を迎えた。
挨拶もそこそこに本題に入るシロライス
「ご息女を、息子の婚約者としたい」
シロライスは隣国ファーメンテイト帝国の第三皇女アーカズと婚姻を結び、アブリサシと同い年の長男スメーシをもうけていた。
「王族である私の子は言うにおよばず、君の娘も、君の立場上、縁故の強化を狙う人々にとって注目の的だ。二人が婚約を結んでしまえば周囲の雑音はある程度抑えられる。もちろん、長じてから違う出会いがあれば、それを尊重しよう」
「いろいろ言いたいことはありますが、配慮してもらっていることはよくわかります。謹んでお受けします」
ある日、アラクエとシチリーンは、一軒の飯屋に向かっていた。中途半端に見覚えのあるところだった。飯屋には見覚えがあるが、その正面には大きな工場があったはず……今はぺんぺん草が生えているのみであった……
「ら゛っし゛ゃい! あら?アラクエちゃんとシチリーンちゃんじゃない。久しぶりね」
気合の入った声とでっかい足音で迎えてくれたのは、海賊船の船長……じゃなくて、犯罪組織のボス……でもなくて、この店の『女将』であるブーリだ。
「ブーリさん、久しぶり。今日は仕事の話できたんだ」
アラクエは、魔道具生産拠点を集約する計画を話し、福利厚生の一環として大規模な社員食堂が必要なこと。その統括にブーリに着いて欲しいことをを話した。実はかなりの高給である。かつての恩義をここで少しでも報いようと思ったのだ。
話を聞いて答えるブーリ。
「一つだけ条件があるわ、社員だけじゃなくて誰でも入れる店にすること、それだけよ」
「そんなことなら、お安い御用よ、メニューの値段を一部会社が負担して安くするつもりだったけど、食事手当と言う形で給与に追加すればいいわ」
答えるシチリーン。
「うん、それなら弁当持参組も不公平感がないね」
応じるアラクエ。
こうして話を終えたアラクエたちはブーリに店の外まで見送られ、去ろうとしたが、アラクエの視界に不思議なオブジェクトが見えた。
ボロボロの衣装を纏った墓場か棺桶から這い出してきたような……あと、丸っこい肉団子のようなのが転んでいるような……
「……ゾンビ♪ ゾンビ♪ バンパイヤ♪ 肉団子肉団子肉団子ピュー♪……」
「何歌ってるのよアラクエ?」
「いや、あれ見て」
「あれねー! あれ、トランスシボ一家よ!」
「え、あれ人間なのか!? というかトランスシボ一家? すっかり忘れていた!」
「あなたはそれでいいのよ。忘れて幸せになるのが一番よ。今の家族を大事になさい」
「ありがとう、ブーリさん。もちろんだよ」
もはやトランスシボ一家を一顧だにしないアラクエ。一方のトランスシボ一家は、もはやアラクエを認識できなかった。
アラクエは、その日、シチリーンを馴染みの高台のレストランに誘った。
「これからも二人で、いや家族で幸せになろう」
日頃の感謝を伝えるアラクエ。
「えぇ、これからもずっと」
笑顔で応じるシチリーン。
高台からの夜景――街の隅々まで街頭が整備され一般家庭にも普及した魔道具の灯りで、値千金の夜景と他国からの観光客も訪れるようになった美しい夜景――は、二人の未来を明るく照らすように、輝いていた。
アラクエ:
その手腕と、誠実で謙虚な人柄から、後の歴史家に「中興の祖シロライスの腹心にして誠実な友人」を記された。
企業内での何かを改善する活動が「アラクエ改善」と呼ばれるようになるなど、後世に与えた影響は大きい。
私生活では長女アブリサシ、長男サシミ、二男スミをもうける。
長女は後にシロライスの長男スメーシと結婚し王妃となり、嫡男スーシーをもうける。将来の国王の祖父となったが、外戚の地位を傘に着ることは決してなかった。
その最期は家族に囲まれたランチパーティにて、静かにワイングラスをテーブルに置いた後、眠るように息を引き取った大往生であった。最後の言葉は「ワインをこぼしてはいけない」だったという
シチリーン:
終生公私ともにアラクエを支えた。
夫婦仲は極めて良好だったという。
その気質は二男スミに受け継がれた。
シロライス:
ミシュグル王国中興の祖として、名君として歴史に名を残す。
アラクエやバベク計画メンバーとの友情は終生変わらぬ者だった。
スメーシの他に三人の子――ナレズ、セイシュ、シャーリ――をもうけた。
バベク計画メンバー:
ガブリニク、ベジ、ヤサ、キンビル、カイエビ
その後の人生で協調することも対立することもあったが、根底にある絆は、生涯消えなかった。
ビチョウ:
悠々自適の余生を送る。
遅くにできた長男――シチリーンの弟――クロマグに次の世代を担ってもらうべく教育を施すのが目下の楽しみ。
フィシュチプ:
死別した妻ポテとの間の一人息子マーダラの結婚相手ヒッモノが、同じ職場のアジフラの娘であった。アジフラも夫を早くに亡くしていたことと、フィシュチプとアジフラがお互い想い合っていたことから、熟年結婚を決意、四人で二世帯住宅で生活をはじめた。
その健康に悪いと言われた厚い衣を脱いでからは、冬でも薄着で飛び回っている。妻と息子からは「夫を(父親を)虐待していると思われるから、真冬くらいはちゃんと長袖着て!」と言われている。
また息子夫婦の間にハカリウという男の子が生まれ、初孫の誕生に浮かれている。
ギュトン、トンカ、テプラ、カーレ:
ジャンフドの社風の方が合っているのでは? と思われながらも、意外にもツキトヨジスの社風に合い、アラクエの薫陶を生かして社内で存在感を示し、幹部に上り詰めた。
ブーリ:
社員食堂を統括し、多くの弟子を育てる。
その為人から、本来男性に対する敬称である「ドン」を冠され、敬意とほんのちょっとの恐怖をもってドン・ブーリと呼ばれ、「ドン・ブーリ飯屋」はミシュグル国民のソウルフードとなり、世界にも「ドンブリ飯」として伝わる。
アゲマズバ:
こだわりと頑迷さをはき違えた姿勢から、どの会社でも長く続かず不遇の晩年の過ごす。
最期の言葉は「力こそパワー」だった。
生前の彼を知るものは、「そこは『パワーこそパワー』じゃないのか」と、あの世の川の向こう側なり、地の下なり、暗い森の奥なり、思い思いの死後の世界に向かって突っ込みを入れたが、生前の行いだろうか、誰一人天国に向かって突っ込むものはいなかったという。
ファトエビス:
工学部の魔道具学科の教師に転身するが、人望は無きに等しく、最終的な肩書きは「教師補佐助手見習い」だった。
フラドバタ:
精力的に魔道具開発を行うが、実用性のあるものは乏しく「製品としては見るべきものはないが、芸術品としてなら美術館の空きスペースを埋める役ぐらいには辛うじて立つ」が得た評価の中で最高のものだった。
トランスシボ、リノール、マガリン、エイジス:
誰からも顧みられることもなく、生きた証を残すこともなく、記録にも残らず、いつしかこの世から消えていた。
死体は無縁仏の集合墓地に葬られ、花を手向けるものも誰もいない。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
一人がいなくなってために会社が崩壊する理由、なかなか思いつかず、抜けた後に大規模な改革が、それも悪い方向に、行われたら、と考えて書きました。
そこで産業の進化の歴史を逆行することを「改革だ!」と進めることにしてみました。
解雇しなくてもいいじゃん、って思ったので、婚約破棄、次期社長の要素を入れました。
名前については、私の処女作にして前作である短編に「圭一」という主人公を登場させたところ、「『ひぐらしのなく頃に』の主人公は圭一だ。パクリだ」とメッセージいただいたので――怖いと評判なので読んだことないけど、話はなんとなく知っています――、遊びで本作の主人公名を考えたところ、話が広がって楽しく書けたので、突き進みました。
本作に登場した彼らの物語はこれで終わりです。
連載構想等一切ございません。
ですので、評価しないと続き読めないの?とお考えになる必要もございません。何故ならどんなにご評価いただいても連載にはなりません。
ですが
「完結してえらい!」っていうコウテイペンギンの赤ちゃんの皆さま。
「くくく、愚かなる作者よ、星の重みで潰れるがいい(訳:評価してあげるね)」っていうシマエナガの皆さま。
ご評価いただけると嬉しいです。