ただの夢
私のお父様はとある国の辺境伯。本国から少し離れた自然の多いこの地を任されていて、いつも忙しそうにしている。けれどその甲斐もあって領民の皆さんからの信頼も厚く、とても素晴らしいと思います。
お母様はそんなお父様を精力的に支え、お父様だけでは手が届かない部分を的確に助けていらっしゃる。
お兄様はいずれお父様のように立派な人間になると息巻き、最近ではお仕事に同行する機会も多くなった。
そして私は、今日もまた一人お屋敷で家族の帰りを待っている。
「お嬢様、おはようございます。本日の御体調は如何でしょうか」
「おはよう。今日はいつもより気分が良いわ。あなたのハーブティが効いたのかしら」
「そうであれば何よりです。すぐ朝食をお持ちします」
使用人は柔らかな笑顔を浮かべ、一杯のハーブティを淹れ部屋を後にした。
幼い頃から私の専属として世話を焼いてくれている使用人のシルヴィ。もちろん身分の違いがあるから一線は引いているけど、私は彼女のことを内心では姉の様に思っている。彼女もそう思ってくれてると嬉しいのだけど……。
不意に胸に違和感を感じて、急いで毛布を被って音を殺しながら咳を何度か。多分部屋の外には漏れてないはずだ。
落ち着いたけどまだ少し残る違和感を流そうとハーブティを一口。とても落ち着く香りで私はようやく一息つく。
私は生まれた頃から体が弱いだけじゃなく、何か病気を患っているようだった。けれど各地のお医者様に診てもらっても、治療にはつながらなかったらしい。
だから私は普段はこのお屋敷……いえ、この部屋で一日を過ごしている。体調がいい日に機会が合うとお父様に社交界に連れて行ってもらえる時もある、だけれど私の世界はこの一目で見渡せるこの部屋なのだ。
「やあアリア、いま帰ったよ!」
部屋に刺す灯りが茜色に変わる頃、元気な声を響かせて兄が部屋へと入ってきた。
「お兄様、おかえりなさい」
兄はベッドから降りて迎えようとする私を手で制止して、傍の椅子に腰掛けると一冊の本を私に手渡した。
「はい、今日のお土産だ。今日のはすごいぞ?」
「ほんと? 楽しみ!」
受け取った本に書かれているのは空想のお話。笑ったり泣いたり、勇気づけてくれる、この部屋で過ごす私を色んな世界に連れて行ってくれる、素敵なものです。
「ああ、なんて言ってもその話に出てくるのは……」
「もうっ、お兄様。私の楽しみを取らないで下さい」
「おっと、ごめんよ。ついね。僕も帰りに軽く読んだんだけれど、話したくてたまらないくらい面白かったと言うことさ」
「ふふ、お兄様ったら。じゃあ我慢が効いてる内に読んでしまわないと。言われちゃったら大変だもの」
「そうだね。僕の自制が効いてる内に頼むよ。……っと、そうだ。お父様に戻るように言われてるんだった。じゃあまた」
「ええ」
そう言って兄は私の頭を撫で、部屋を後にした。
遠ざかる足音を聞きながら目線を本に落とす。表紙に書かれた文字は……勇気の物語。お兄様があんなに面白いって褒めるなんて……早く読んでみたいけど、でももうすぐ夕食ね。その後にゆっくりと……。
…………。
……お父様もお兄様もさっき帰ってきたところですし。お兄様がお父様に直ぐ戻るように言われてたってことはまだ少しやることがあるって事でしょうし。
…………。
……ちょっとくらい。ちょっとくらい、読んでも良いわよね?
そんな、誰に言うでもない言い訳をしながら本を開く。結局、シルヴィが部屋に入ったことはおろか傍に立って呼びかけたことにすら気づかないほど熱中して、怒られてしまうまで読んでしまうのでした。
数日後。その日は天気もよく、私の体調も普段よりよかったのでお昼は庭のテラスで心地良い外の風に当たっていました。
「お嬢様。そろそろ昼食になさいますか?」
「そうね、お願いできるかしら」
「承知しました。少々お待ちください」
シルヴィが屋敷に戻って一人になると、不意にこの前読んだ本と内容を思い出す。
後に勇気ある者、勇者と呼ばれる少年が様々な冒険を経て、ドラゴンと呼ばれる恐ろしい怪物に立ち向かうお話。
不思議。ただ紙に書かれた文字を読んだだけなのに、広い世界を文字通り冒険したような高揚感がこの胸にある。本当に不思議で、素敵なもの。
「……あら?」
ふと、茂みから小さな影が出てきたことに気づく。目をやると、そこにいたのは小さなトカゲだった。そしてよくみれば、そのトカゲは酷い怪我をしていた。
「た、大変……!」
思わず駆けよって、屈んで持ち上げようとする。トカゲは驚いて引き返そうとしたが、それすら出来ないのかその場に倒れ込んだ。
なるべく刺激を与えないよう優しく両手で持ち上げる。他の動物に襲われたのだろうか、その小さな体には幾つもの傷があった。
私は辺りを見回し、シルヴィが戻っていたり他の人がいないことを確信する。そして目を閉じて意識を両手に集中させた。そうするとほんの僅かな光がトカゲを包み、ゆっくりと傷を癒していった。
トカゲは驚いたように自分の体を見回し、ジッと私の顔を見た。その様子がなんだかおかしくてつい微笑んでしまう。
「ふふ、すごいでしょ? 昔からのたった一つの特技なんだ。……あ、誰にも内緒だよ?」
口元で人差し指を立ててシーっとお願いする。偶然でしょうけど、頷くように首を振ったトカゲが愛らしくて、指先て頭を撫でる。鬱陶しそうに身じろぎされて避けられたが、掌からは逃げようとしなかった。
「私はアリア。このお屋敷に住んでるの。貴方は? 森から来たのかしら?」
なんてね。
そろそろシルヴィが戻ってくるでしょうね。こんなところ見つかったら怒られてしまいます。トカゲさんには帰って貰いましょう。
手を下ろしながら目線をお屋敷に移そうとして、ふと何かを感じトカゲを見た。
「お前は、違う」
***
「──……っ!」
飛び起きて目に入ってきたのは、いつものギルド内の自室。自分の体を見回して触り回して確認するが、最早慣れたいつもの、いつも通りの体だ。
──どうした。朝から挙動不審になりよって。
「いや……なんでも」
長く息を吐きながらベッドに倒れ込む。
「なんか……妙にリアルな夢を見た気がする」
──ふん。いい年して怖い夢でも見て飛び起きたか?
「んな訳ないだろ。そんなんじゃなくてこう……あれ?」
──なんだ?
「……忘れた。どんな夢だったっけ」
──夢などそんなものだろう。それに夢など何の意味も無いだろう。
「いやいやお前、夢舐めるなよ。夢占いってのもあってだな。よく知らないけど」
──下らなさに拍車をかけるな。ところでのんびりしておるがいいのか? 今日はアイツらと朝から任務ではなかったか?
「え……あっ、そうだった! ……うわもうギルド開いてるじゃん、急げ急げ!」
窓の外を見て、賑わいを出しつつある大通り、ギルドに出入りする人の流れを見て大慌てで身支度を始める。
──……ああ、所詮夢だ。あんなもの、何の意味も無い。
「あ? なんか言ったか!?」
──なにも。……ほれ、もう二人がここまで迎えに来るぞ。
「えっ!?」
「アリアー? 起きてますかー?」
「おら寝ぼすけ、さっさと起きろー!」
「ちょっ、ちょっと待って!」
地獄みたいなヤベー日々から煉獄に踵引っかかってるくらいには抜け出せたので、ちょっとずつ間隔取り戻りながらペース上げて行こうと思います。
 





