俺の日常。私の日常。
思えばこの半月は正に激動だった。
ただの腕試しだった筈のアルプロンタで変な組織に襲われるわ文字通り今後の命運が決まる腹の探り合いをするわ。さらにそのままイシュワッドに行って厄介な事件を投げられるわ。
その後は馬車でアルガーンまで帰るだけだけど、それでも数日かかる。荷車に乗っているだけとはいうもののあまり居心地がいいとはいえないし、道中遭遇する魔物の対処もあるので、それほどゆっくりはできなかった。
そんなこんなでアルガーンに帰国し、ギルド内にある懐かしの我が部屋に到着したのは日が沈んだ頃だった。食事もとる気力もなくそのままベッドに倒れ込み、明日の予定は無いことを確認して昼まで寝倒してやろうと落ちる瞼に抵抗せず眠って──そして翌日の朝日と共に目を覚ました。
「…………」
習慣というのは恐ろしいものである。あと多分肉体の若さも。一晩ベッドで眠っただけで全回復だ。
二度寝する気も起こらないくらい完璧な目覚め。どうしようか……まだこの時間だと食堂も酒場も開いてないんだよな。訓練場は開いてるだろうから朝食前の軽い運動でも……あ、だったらクラガのとこ行こうかな。防具も刀もそろそろ整備してほしいし……でもまだ寝てるかな……寝てるだろうなぁ。
徐々に冴えてくる寝起きの頭で考えて、一先ずギルド内の訓練場に行く事にした。
時間も時間だからかどの部屋も開いていたので一番手前の部屋に入る。学校の教室程度の狭めの部屋だが、一人訓練なら十分だ。
軽く体をほぐして屈み、自分の影に手を触れそのまま持ち上げると黒く塗り潰された様な俺が目の前に現れる。
「よし。ドラグニール、頼んでいいか」
──うむ。
低い声が響き、影が刀を抜く。合わせて俺も如月を抜き構える。一瞬の静寂の後、激しい金属音が響いた。
一時間ほど経って、ふらふらよぼよぼとした足取りで訓練場から食堂へ向かう。
ドラグニールめ……なんだよあの動き人間技じゃねぇよ。
──人間では無いからな。それに加減しても意味がなかろう。
いや朝食前の運動は大抵ウォームアップじゃん……開始二秒でトップスピードは違うじゃん……。
そんな愚痴を言いながら席に着いて千切ったパンを口に放り込む。ああ、素朴な甘さが体に沁みる……。
さて、これからどうしようか。エリシアがいないか軽く辺りを見渡してみたが姿は見えない。どこかへ出掛けているのか、はたまた昼まで睡眠コースか……クラガならともかくエリシアは無いな。泊まりがけの任務かもしれないし後で確認しに行こう。
ロイ達も……居ないな。いつも誰かしらは食堂で会うんだけど、誰も居ないのはそこそこ珍しい。
手早く食事を済ませギルドの受付で確認すると、どうやらみんな任務で昨日から出かけているそうだった。クラガもエリシアと一緒に行ってるようで、武具の整備はまた帰って来てからお願いするかと考えながらそれぞれの任務の内容を確認する。
……まあ、大丈夫だろう。どっちもそんな危険なエリアって訳でも無いし、特に問題なく予定通りの明日に帰ってくるはず。つまり追いかける程の心配の必要はない。
なのでまあ、今日一日ぽっかりと空いてしまった。何か任務を受けてもいいんだけど、見たところ俺が受けた方がいい任務、つまり危険度が高いものは見当たらない。お金に困ってる訳でもないので無理に受ける必要もない。
久しぶりにレイの孤児院に顔出そうか。ニーアも居るだろうし。……あれ、もうアルプロンタから帰ってきてるのかな。私がイシュワッドに行った後もお祭り自体は続いてて、孤児院のみんなはお祭りが目当てだからあの後も暫くは居ただろうし……まあ、また今度でいいか。
じゃあ武具街にでも……特に欲しいものもないな。日用品とか雑貨もこれといって何も思い付かないし。
そんなこんなでやってきたのはギルド内の資料室。以前この世界の文字を読めるようになってから思えばしっかり調べ物をしたことが無いことに気づき、一先ず午前中は調べ物で時間を潰そうと考えた。魔法とか魔物とか改めると知らないことも多いし、今回帝国とかいう新しい知識も得たしな。
最初に手に取ったのは魔素に関する本。
魔素とは大気と混ざりこの世に存在する物質。人間が吸引しても何も影響はないが、稀に魔素を体内に取り込む体質の人間もいる。それらが魔術師と呼ばれる魔法を使う存在だ。
こないだユリーンからも聞いてはいたけど、やっぱり魔法を使える人間って言うのは全体からすればかなり少ないらしい。ギルド内の顔見知りのパーティの内訳を考えても、魔術師が半分もいるパーティはまずいない。なんなら一人も居ないところの方が多いかもしれない。
ページを進めると章が変わり、魔物についての内容に。
通常の生物と魔物の違い。魔物とは魔素を取り込み肉体の糧としている生物の総称。前述したように魔素を体内に取り込むことで魔法を使用可能だが、つまり魔物は前提として全ての個体が魔法を使用可能である。しかし多くの魔物は獣程度の低い知能しか無く、任意での発動は少なく、また殆どは身体強化などの低級魔法が殆どである。
しかし魔物の脅威は魔法ではなく、魔素を肉体の糧としている点だ。ただ取り込むのではなく、肉体そのものが魔素で構成される。人間の治癒魔法は対象の自己治癒能力を強めるなどの間接的な方法であり、魔素、魔法が直接治療するわけではない。しかし魔素が体を構成する魔物はどれだけ重傷を負おうが、生きてさえいれば何もせずとも完全に回復する。また魔素で作られた肉体は他の生物よりも強靱であり、それらが魔物が人間の脅威たり得る理由である。
なーるほど。正直普通の動物と獣型の魔物の違いとか明確に知らなかったんだけど、そういう違いなのか。
──補足しておくならば、魔素のみではなくあくまで主となって構成されているということだ。魔物は多くは肉食であるゆえ、魔素のみで生きられるという訳ではない。貴様ら同様に食事も必要だ。
やっぱそうなのか……あれ、じゃあずっと封印されてたお前ってどうなの? ずっと腹ぺこだったのか?
──馬鹿を言うな。我ともなれば内包する魔力量も膨大であり、また魔素と魔力だけで生きる術も持っておる。我以外は下等な生物ばかりで、殆どが喰うに値しないからな。
グルメこじらせ過ぎじゃん。
呆れながら次に開いたのは地図帳。流石に元の世界のものほど正確なものでは無いだろうが、記憶と照らし合わせながら見る限り位置関係の確認だけならば十分だろう。
大陸の西の方にアルガーンがあって、東に行くとアルプロンタ。そこから北に行けばイシュワッドで、南に行けばオルシア、その東にメイガルド。更に東に行くと森が広がっていてその傍にヴォクシーラ。そしてその森を越えて少し行くとギルティシア帝国。森の西側は他にも小国や集落、知ってる中でも一番大きいアルプロンタと同程度の国も見られるが、東側はギルティシア帝国以外の記載は見られない。面積自体は東側の方が小さいし、そもそもそっち側は情報が少なくて詳細が書けないってことでもあるだろうけど……。
続いて開いたのは歴史資料。取り敢えずざっくりと国毎の関係を追ってみる。
やはりというかなんというか、昔は東西問わず大小色んな国があって国家間の争いは長く続いていたらしい。しかし魔物の存在、特にドラグニールを初めとする強大な個体が西側では見られたため自然と人間は協力するようになる。勇者がドラグニールを封印した後も魔王を名乗る存在が現れたこともあり、基本的には西側諸国は今日まで協調路線を歩んでいる。
対して東側にはドラグニールや魔王クラスの魔物が現れず、また当時から優れた軍事力を有していたギルティシア帝国の性質……とでもいうのだろうか、周辺諸国への侵略を止めなかったとある。西側まで侵略が進まなかった理由としては、北は吹雪吹き荒れる高山地帯、その下は鬱蒼とした森とそこを住処とする厄介な魔物達に進軍を阻まれ、超えたとしても強大な魔物という未知の戦力も存在する。軍を向け領地を拡大し続けた好戦的な野心国家であり、優れた戦略国家でもあったが、現状では西側に進出するにはメリットをデメリットが上回る可能性が高い。運良く少ない損害で森を越えた直ぐの国を侵略したとしても、東側からの補給路を確保することは不可能に近い。しかし攻めにくいというと言う条件は相手にも当てはまる。なれば東側を統一、安定させ、力を高めてから優々と進軍すればよい、ということらしい。そしてそれが……今なのだろう。
以前グリムワールがギルティシア帝国の人間は魔法が使えないって言ってたけど、魔物の質も東側は低いみたいだし、多分風土的な何かがあるんだろう。空気中の魔素が少ないとかかな。しかし帝国側の考えも分かるけど力を蓄えてる間に同じく強くなるとは……まあ当然考えてはいたんだろうが。しかしそれほどまでに自国の力に自信があったのだろう。事実、自力で魔法に変わる力を生み出してしまうほどだ。下手をしたら重火器の類すらあるかもしれない。ある程度色々目を通してみるが、今の帝国がどの程度発展しているかのヒントは得られなかった。
帝国関係はこの前の事件を受けてギルマス達が動いてるから、一先ずはその報告待ちで良いだろう。
まっ、今日のところはこんなところか。気づけば昼時も回っている。まずは昼食をとって……久しぶりにダルナと訓練頼んでみようか……いや、ダルナにはなんかこう、休んで欲しいな……。
取り敢えずお肉メインの昼食を食べ、結局朝と同じくドラグニールと訓練をし、浴場で眼福し、ゆっくりと眠りについた。
翌日。いつもどおり朝日と共に目を覚まし、戻ってきていたクラガとエリシアと合流し武具の調整をして貰いながら訓練し、飯を食って眼福して就寝。
また朝起きて、二人と一緒に任務に行って、打ち上げして、眼福して、就寝。
朝起きて、訓練して…………。
今の俺のいつも通りの生活がしばらく何日も続いた。
起きて、訓練や任務をして、就寝して。そして────。
「お嬢様、お目覚めください」
──そして朝に弱い私は今日もメイドの言葉で目を覚ます。開けられたカーテンの外はすっかり日が昇っていて、強い日差しが部屋に入り込む。
「おはよう。今日の予定は何かあるかしら」
「旦那様と奥様はお出かけになられており、夕方にはお戻りになられます。その後イフジート卿主催の会食に。そちらにはお嬢様もご一緒に。午前の予定はありませんが、午後は講師をお招きして読み書きと計算のレッスンを」
「ええ、分かったわ」
着替えを終えさせ紅茶を一口飲んで目を覚ます。
「それではアリアお嬢様。朝食の準備が出来ておりますので」
「ありがとう」
こうして、また私のいつも通りの生活が始まる。





