在りし日-3
それからの出来事は、何もかもが初めてだった。
初めて柔らかで暖かいベッドで眠った。
なんだか落ち着かなくて中々寝られなかった。
初めて生きるためでは無い、生活のための物を作った。
机と椅子なんて見たことしかなかったから、思ってたより手間取った。
初めて勉強っていうのをした。
そもそも何を言っているか分からなかった。
初めて、悪いことを一度もしない一日を過ごした。
夕食が美味しく感じたのも、寝慣れないベッドでよく眠れたのも、多分、気のせいでは無いと思う。
そんな生活が、気づけば数日経っていた。
俺は中庭のベンチに腰掛け自分の手のひらをジッと見ていた。
傷だらけの手。ただ最近出来たものは無い。一番新しいのがどれか分からないくらい、思い返せば穏やかな日々しか過ごしていない。
穏やかで……平和ボケしそうになる毎日。
「なーに黄昏れてんのよ」
「……流石にボケすぎだな」
声をかけられるまでサリナが隣に座っていたことに気づかなかった。
「どうしたのよボーっとして」
「いや、なんでもねぇよ」
そう言って視線を正面に移す。映るのは元気に遊びまわるガキどもの姿。あんなに楽しいそうな顔は……初めてみたかもしれない。
「……なあ、サリナ。ここの暮らしはどうだ?」
「え、なによ急に。そりゃあ前に比べたらいいわよ。住処も食事も、十分とは言えないのかもしれないけど無くなることを怯えなくてもいい。勉強だって、まだ全然だけど新しいことを知るっていう事が楽しいって思えるの。ユートもそうみたいよ。カリナはガルと同じで全然みたいだけど」
「そうか。……ああ、そうだよな」
呟いて、強く手を握った。
まだ、何も解決していない。
「おやガルシオ。どうしたのですかこんな時間に。眠れないのですか?」
夜。静かな教会のベンチに座っているとキルトが話しかけてきた。
「まあ、そんなところだ。アンタは?」
「私は、えーっと……うん、君にも共犯になってもらいましょう」
共犯なんてキルトには似合わない物騒な言葉が出たもんだから何事かと思ったが、差し出されたものを見てため息をついた。
「……つまみ食いかよ」
「なんとも重罪だよ」
差し出されたサンドイッチを齧り呆れた笑みを浮かべる。
静かな時間。キルトは何も言わず隣に座っている。多分、俺から話すのを待っているのだろう。……ああ、どうにも不思議な奴だ。自然と、口が開いてしまう。
「なあ、お前はなんでここまでしてくれるんだ?」
「ん?」
「いくら子供っていっても人数がいれば飯も寝床もそれなりに必要だ。それに勉強だって教えてくれてる。それなりに……いや、かなり負担になってるだろ?」
「あー、そんなことは気にすることないよ。って言っても駄目だろうね。君は優しい子だから」
「優しいなんて、俺には一番似合わねぇよ」
「そんなことないさ。不器用だけど仲間思いで、僕のことも気遣ってくれてる。まあ、勉強が苦手なのが玉に瑕かな」
「勉強なぁ……お前も分かりやすいように教えてくれてんだろうが、そもそもそれすら何言ってるか分からねぇんだ。サリナやユートは結構気に入ってるらしいから、俺なんか放っといてあっちに力入れてやれよ」
俺の提案にキルトは首を横に振った。
「そうはいかないさ。勉強っていうのはね、出来ればいいっていうものじゃないんだ。……いや最低限出来ないと困るラインはあるけれど」
「俺はそこにも達してねぇけどな」
「とっとにかく! 勉強っていうのはあくまで目的ではなくて手段なんだ。学んで終わりじゃなくて、学んだあとにどう活かすか。将来の仕事に活かせるかもしれない。生活に活かせるかもしれない。しっかり理解していなくても、なんとなく聞いただけでも活かせるものがあるかもしれない。簡単に言えば、そうだな……僕は君たちに選択肢を増やしてほしいんだ」
「選択肢?」
「そう。言ってしまうと、以前までの君なら人から奪ったり盗んだりして生活してた。そうしないといけなかった。子供たちのために色々考えても、答えは出なかった。それでも今は、多少学んだことによって少しは考えられることが増えたんじゃないかな?」
「……まあ、そうかもな」
キルトの質問に、俺はやや間をおいて答えた。
「うん。僕は皆に賢い子になってほしいわけじゃなくて、自分で生きられるようになってほしいんだ。だから、何度だって根気強く教えるさ。君にもっと選択肢を増やせるように……いや、武器って言った方がかっこいいかな?」
「はっ。せいぜい期待してるよ」
呆れた笑みを浮かべて、残ったサンドイッチの欠片を呑み込んだ。
翌日。キルトから頼まれた買い物からの帰宅中。見たことのある顔が教会から出てくるのを見て俺はとっさに身を隠した。
ガラの悪そうな男二人。到底教会に来るような奴ではない。あれは……確かジーユの商館で見た奴らだ。
俺はすぐに飛び出そうとする気持ちをなんとか抑え、二人が見えなくなったのを確認すると教会に駆け込んだ。
「おや、ガルシオ。おかえりなさい。……どうしたのですかそんなに慌てて。あ、もしかして雨でも降ってきました?」
振り返って話しかけてきたのは普段通りのキルトだった。怪我とかをしてる様子もない。……でも一瞬、ほんの一瞬だけ、首にかけて十字架が淡く光っていたことを見逃さなかった。
「……いや、まだ降ってねぇよ。まあ多分もうすぐ振ると思うぜ。そんな匂いがしてる」
「そうですか、ありがとう。洗濯を取り込んでおかないと」
「なあ!」
背を向けて立ち去ろうとするキルトに声をかけようとして、思わず大きな声が出たことに俺自身も驚いた。
「どっ、どうしました?」
「……俺も、手伝うよ。取り込むの」
「おお、ありがとう。やっぱりガルシオは優しいですね」
そう言って頭を撫でる。
――なにも、言ってこないんだな。
俺はその手を振り払う事も出来なかった。
「ガルー? どこ行ったのガルー?」
キルトが教会の掃除をしていると、辺りを見回しながらサリナがやってきた。
「おやサリナさん、どうしましたか?」
「あっ、キルトさん。ガル見ませんでした? 夕飯の準備手伝うって約束してたのにどこにも見当たらなくって」
「ガルシオですか? 少し前に洗濯を一緒に取り込んでましたけど、その後は……まさか!」
しばらく考え込んでいたが、やがてあることに気づくと血相を変えた。
「サリナさんすみません。私は急用のため少し出かけてきます。食事は皆さんでとっておいてください。それと今日は教会も閉めます。誰が訪ねてきても開けないように。いいですね?」
「えっ、あ、はい」
早口でまくし立てるように言い、サリナは訳も分からず頷き駆け出すキルトを見送るしかできなかった。
――迂闊だった。タイミング的にもガルシオを探しに来た二人を見かけていてもおかしくない。そもそもあの慌てようは間違いない。魔具も使い終わっていたけど、ギリギリで気づかれたかもしれない。そのことに彼なら責任を感じるだろう。少なくとも今日中はずっと目の届くところに居させるべきだった。
降る雨にも構わず走り続け目的の商館に到着したときには、そこは不気味なほど静まり返っていた。
「ガルシオ! どこですか!?」
勢いよく扉を開けると、何人も男たちが倒れていた。
まるで道しるべの様に倒れた男達を辿り階段を上り、上階の部屋で見たものは泡を吹いて気を失ったジーユと血まみれのガルシオの姿だった。
「ガルシオ、大丈夫ですか! こんな怪我をし……て?」
慌てて駆け寄るが、あることに気づいてキルトは目を見開いた。ガルシオの血は返り血だけというには多すぎる。それに衣服も斬られた形跡もある。それでもその下の皮膚には斬られた傷跡どころが、殴られた跡すらなかった。
「これは、一体……?」
「なあ、おっさん。昨日言ってたよな。勉強するのは選択肢を増やすため、武器を増やすためだって」
「…………」
ガルシオの言葉を、キルトは何も言わず聞いた。
「一瞬だけ思ったんだ。もしかしたら俺でもなにか他のことが出来るのかもしれねぇって……でもダメだった。結局俺にはこれしかねぇんだ。本当に、どうしようもないくらいに……」
諦めたような、泣き出してしまいそうな笑顔。そんな彼を見て、キルトは強く抱きしめた。
「そんな……そんなことはない! 君が戦う力しか持てないというなら、多くの人のために役立てればいい。そのための方法なら僕が一緒に探す。だから、だから諦めないでくれ!」
その言葉に、流したくもない涙が流れだした。抱きしめられている腕も握り、声を上げて。
不意に頭をよぎった、昔の記憶。走馬灯っていうなら笑えねぇ冗談だ。
雪に埋もれた体を起こし、俺を殴り飛ばした巨体の魔物――その奥にいる男を見た。
転移させた多数の魔物を従える、虚ろな目をした男。
どう考えてもまともな状態じゃない。どうやってるかは知らねぇが、操られてるか洗脳されてるか。そんなところだろう。原因が分からねぇなら、解決するのもどうすればいいか分かったもんじゃねぇ。
目を閉じ、短く息を吐く。
あの後も色々世話焼いてくれて、ギルドっていうものが出来るらしいって話を持ってきたのもキルトだったな。
本当に、俺が諦めないように、あいつも諦めずに手を尽くしてくれた。
ああ、なら、そうだ。
「俺も諦める訳にはいかねぇんだ」
あの頃だって、諦めなかったから一人で商館のクソ共をぶちのめした。なら今なら、魔物の五十匹程度準備運動にしかならねぇ。ここら一帯の魔物の群れ絶滅させるくらい訳ない。そうだろう。
「もうちょっと待ってろよキルト。お互い、最後まで諦めずにいこうぜ」





