介入者
「おやアリアさん、偶然ですね。そちらは……もしかしてお兄さんですか?」
移動の最中たまたまキルト神父に会って、隣のグリワモールを指してそんなことを言った。
「いえ、違います。断じて」
「は、はあ……そうですか」
あまりに強く否定するものだからたじろがせてしまった。いけないいけない、落ち着こう。
「はは、すみません。僕は彼女の親戚のようなものです。用事でこの国に来たのですが、どうやら厄介な事件に悩んでいるそうで、何か力になれたらと」
「なるほど。通りで少し似ていると思ったんです」
キルト神父には悪いが眼科に行くことをおすすめする。いやこの世界には無いけど。
「しかし厄介な事件ですか。恥ずかしながら治安が良いとは言えない国ですので常に何かしらの事件は起こっているようなものですが……ギルドの方が動くほどの、となると」
「心当たりございませんか? 何人も行方不明になってるようで、争った形跡はあれど被害者の行方の痕跡はどこにも無いというものなのですが」
「行方不明ですか……いや申し訳ありません。普段は教会に籠っていてばかりですので」
「いえいえ。なにかあればお知らせください。それでは、お気をつけて」
人の好い笑みを浮かべキルト神父を見送ると、途端にその目をスッと細めた。
「こうして意味深な仕草をすると彼を疑ってるように見えません?」
擬態中だからかいつもの三割程度のウザさだったが、無視して既に離れていたので生憎と不発に終わっていた。
「流石に無視は傷つきますね。暴言でも頂けるものは頂きたい今日この頃です」
「音もなく気づいたら横にいるのは害虫感あってそれなりの暴言が吐けそうですね」
なんて。
「はい、ここが最初の犯行現場です」
なんだかんだと軽口を叩き合いながら、やがて最初に事件が起こったとされる路地裏に着いた。
「ふむ、なるほど。この痕は爪……いえ、この鋭さは剣ですね。それも深さからしてそれなりの重量、いわゆる大剣、両手剣ですか。それに雨や雪で流されてはいますが血痕もこのあたりにあったんでしょうね。それも致死量」
「……一目見ただけでそれだけ分かるものですか」
俺のその質問に――俺だけしか見る人がいないからだろう――人当たりのいい青年がするとは思えない醜悪な笑みを浮かべた。
「ええ。何せ魔王、魔物ですので。好物の血の匂いは誤魔化せませんよ」
一瞬。如月に手が伸びる。
ああそうだ。こいつは魔王。文字通り人の敵だ。
「まあ私はグルメなので普通の食品しか口にしませんが。ワインが好きですね。血とか生肉とか食えるわけないでしょう」
もうこいつ斬っていいだろ。
止めた右手をいっそ動かしてしまおうか、よしそうしようなんて思っていると、何かが俺の横を通り過ぎグリワモールを蹴り飛ばした。
「……よぉ。まあテメェの得物構えてたくらいだし、そもそもお前がどいつとつるんでようが俺としちゃあ興味ねぇんだが、一応聞いといてやるよ」
崩れた廃材の山から目を離すことなく、構えを解かずガルシオは重く問うてきた。
「テメェ、なんで魔王と一緒に居やがる」
先の言葉とは裏腹に明確に疑心、そして殺意が込められた問い。
一歩間違えたら全てが終わるかもしれないその問いに、しかし俺は答えることなく状況は進んだ。
「ちょ、たすっ……助けてくださーい!」
廃材の中から響く情けない声と必死に振られる手。
極度の緊張状態にあまりに似合わないそれは、弛緩させるには十分過ぎた。
「……なあ、一瞬とはいえヤベェ気配を感じて、注意深く見れば人間に気配ごと擬態した魔物が居やがる。そんな芸当ができるのは魔王くらいだと決めつけたんだが……やらかしたか?」
「いやあ……まあセーフというか、なんというか」
「いやいや、アウトですよ! 私こうみえても肉体面は最弱なんですから! そこらの喧嘩自慢の少年にまけますよ!」
当然のように背後で抗議の声を上げるグリワモール。ガルシオは当然、俺も咄嗟に如月を抜きかけたが、しかしその時ガルシオと同じものを感じてその手を止めた。
「……っ! ……いや、人間か?」
「ええ、御覧の通り。恐らく貴方が感じた魔物の気配というのは、私が入国前に魔物討伐をしていたからでしょう。結構な数もいましたし、返り血も多く浴びてしまいましたからね。お恥ずかしい」
「……フン。まあいい。そのなりからして魔法使いか。よく蹴られて無事だったな」
「ええ、先ほども言った通り貧弱な身ですので防御魔法は常に展開しているのです」
「……そうか。悪かったな」
納得したのか、構えを解くガルシオ。グリワモールの顔を改めて確認し、眉をひそめると俺の顔を見た。
「……兄貴か?」
「どうして!?」
え、なに、そんなに似てるの!? 心外!
「お、おう。違ぇのか。すげぇ否定するな」
「反抗期でしょう。健やかに育ってる証です。私は彼女の遠縁の親戚とでもお思い下さい」
「違いますけどね」
ガルシオでさえ動揺するほど感情を露わにしてしまった。こいつまさか俺に似せて擬態したんじゃないだろうな?
「ところでこの場ですが、微弱ですが魔力の残滓がありますね。お二人も気づいていたでしょうが。これが今回の事件を難解に押し上げた原因でしょう」
さも当然のようにいうグリワモール。気づいてこそいたが、俺はドラグニールに教えられてだし、そのドラグニールも六つ目の現場からだ。そのことを知っている前提で再度調べても、最初の現場であるここでは毛ほども残滓を感じられなかった。
「生憎と、俺は魔法が使えなくてな。他に何か情報があれば教えてくれ」
「そうですねぇ……」
呟いて目を細める。辺りを何度か見回し、やがて口を開いた。
「あと分かった事といえば、犯人くらいでしょうか」
「……は?」
「……へ?」
あまりに普通に言うものだから、二人そろって反応が遅れてしかも間の抜けた声になってしまった。
「お前、今犯人が分かったつったか?」
「ええ。より正確に言うなら、この場に残る魔力の残滓の持ち主、つまり魔法の行使者ですね。この状況においては犯人と言い換えても差し支えないかと。しかし……それよりも気になることがあるのですが、肝心のそちらが分からないんですよね」
「それってなんです……じゃなくて」
「ああ、んなもんどうでもいい。さっさとその犯人って奴を教えろ」
思わず後者を聞こうとしてしまったが、今重要なのはそっちじゃない。犯人が分かるなら次の犯行を防げる。正直証拠も何もないが知るに越したとはない。
しかしグリワモールは、またも当然のように言い放った。
「え、嫌ですよ。まだ教えられません」
嘲るでもなんでもなく、ごく普通の口調。しかしだからこそより馬鹿にしていると感じてしまう。
「舐めてんのかテメェ」
拳を固く握り瞬きの間にでも叩き込めそうなほどの気迫。投げかけたその言葉は最大限の譲歩なのだろう。
「いえ、私が犯人を言えば貴方方は即座に捕縛しに向かうでしょう? そうしてしまうと先ほど言った犯人よりも気になる事が解明できなくなってしまうかもしれなくて」
「じゃあ何か? その気になる事ってのが解決するまで大人しく待っとけとでも言うのか? その間に死人が出てもか?」
「ええ、まあそうですね。なんなら貴方方が独自に犯人に辿り着きそうなら妨害しちゃいたいくらいです」
……こいつは何を言っている? いや、魔王という在り方を踏まえればむしろ今が正しいのかもしれない。しかしさっきまでの立場と一変している。意図が見えない。
敵か味方かいまいち掴みあぐねる。しかし一瞬でも味方に立ったと思えば、それはただの錯覚かもしれない。何を考えているのか、その行動に意図があるのかどうかすら見えない。それこそがこの魔王、グリワモールの本質なのだろう。
「……おいガキ、こいつやるぞ」
「ええ、私も斬ります」
それは合図だった。構えるではなく、攻撃の合図。言い終わるか早いか、ガルシオの拳と如月の刃は既にグリワモールに届かんとしていた。
「ああ、それと先ほどの質問ですが――舐めてますよ、当然でしょう?」
ガルシオの拳はグリワモールの胸を、如月は左腹部を斬り裂いた。
そして恐らく同じ事象に襲われただろう。
ガルシオは自身の胸に打撃の衝撃を感じ、俺は鎧に覆われているはずの左腹部が斬り裂かれた。
「ガッ……!?」
「っ、ァァァアアアアア!」
思わず座り込むガルシオと、不意に食らうには強烈すぎる痛みに倒れ込む俺。
「おやおや、お二人とも容赦ありませんねェ。おっと。胸のこれは、肋骨折れちゃってますよ。肺に刺さってませんこれ? お腹のは……あっちゃー、腸もちょっと斬れてますね。腸がちょうっと、なんて!」
こちらに背を向けたままペタペタと自分の体を触りながらそんなことを言っているが、しかし胸はもとより確かに斬ったはずの腹部には傷どころか服すら斬れていなかった。
「まっ、アリアさんは文字通り死ぬほど痛いでしょうが死ぬことはありませんもんね。だけどそちらの男の方は……」
くるりと振り向き、既に眼前へと迫っていた蹴りを難なく受け止める。
「貴方もそれくらいなら平気でしょうね。なんなら治る分アリアさんより有用かもしれませんね」
「抜かせ。つうかとっくにキャラブレてんぞ。いい加減寒い芝居は終わりにしろや」
「はて、なんのことでしょうか?」
拳、足、引き寄せ、足払い。文字通り目にもとまらぬ連撃。レイを象徴するのは移動の速さだが、まるでその速さをその場での攻撃の速度に落とし込んだようだった。
しかしその全ては弾かれ、受け止められている。
「まあ、実は手を動かす必要もないんですけどね」
突然、グリワモールは防御の手を止める。そして言葉通り、直撃しているはずのガルシオの攻撃は、しかしダメージを与えているようには見えなかった。
「チッ、いちいち癇に障る。これでも澄ましてられっかよ!」
一度後ろへ下がり、右半身を後ろにし腰を低く落とす。短く、鋭く息を吐くと一瞬で距離を詰める
あれは恐らく統合武道祭典で俺が最後に食らった技だ。何かを感じたのか、グリワモールも咄嗟に防御の構えをとる。
「――なんてネ」
拳が届く瞬間、構えを解き無防備に受け止めたグリワモール。
しかし、膝をついたのはガルシオだった。
「うっわ。内臓ぐっちゃぐちゃ。え、貴方こっからでも再生できるんです? ……あー、かーなりゆっくりですけどしてますね。とんでもないですね。なので――」
首だけ振り返り、背後に回りその首を断ち斬ろうとしていた俺と目が合った。
「流石の貴方でも、それは止めておいた方がいいと思いますよ……ん?」
首に連動し体も振り返ろうとして、ようやくガルシオの拳がまだ服を掴んでいることに気づいたらしい。そしてそこに握られている札にも。
下がった時に一瞬見えたあれは、恐らく魔具。初撃からして何らかの魔法でダメージを加害者に反転しているのは明らかだ。あの連撃もその確認のためだったのだろう。
であれば何故ダメージが返ってくるとわかって必殺の一撃を放ったか。そうしてまであの魔具をグリワモールに届ける理由は何か。答えは一つ。
魔法を無効化する魔具だ。
「ヤれぇガキぃぃいいいいいい!」
血にまみれた、聞くに堪えない怒号。しかしその決死の覚悟に報いるよう、ただ迷わず如月を振った。
「……やはり、それは止めておいた方が良いと思いますがねぇ」
低い声で、そう呟く。右手を上げ、指を鳴らすように構える。
しかし何かするにしても俺が首を跳ね飛ばす方が速い。そして何かするということはさっきまでのダメージ反転が無効化されているということだ。
そう確信し刃がグリワモールの首に触れた瞬間、同じ感触が脳に届いた。
「っ!?」
今更如月は止まらない。止められない。しかしほんの少し、瞬間とさえ言えない時間だが、自分の首が刎ねられる恐怖で速度が緩んだ。
しかしその一瞬があったからこそ、俺の表情と首にできた切り傷を認識したガルシオが手を放し、グリワモールが指を鳴らした。
分かったのはまるですり抜けたような如月と傷一つないグリワモールの首。そして首を刎ねられた痛み。意識を失う寸前に見えた、受け身も取らず地面に落ちても頭と体が繋がっているから見える視点だった。
 





