彼は誰時
生の意味。生きる目的。
それを自覚できる人は、果たしてどれだけいるだろうか。
生の理由。生きる拠り所。
それを自覚できる事は、果たして幸運なのだろうか。
生の行き着く先。達成のその時。
それが終わった時……無くなったとき、果たして人は、生きていけるのだろうか。
朝とも呼べない、もうすぐ東の空が白み始めるだろう暗闇の最後の時間。ギルドの屋上でシーナが眼下の景色を眺めていた。他よりもやや高い位置に作られたギルドの屋上からは、ヴォクシーラの町並みが広く見渡せる。
日付はとうに変わり数時間が経過しているが、空は暗く人の姿も見えないこの景色はまだ今日が始まったとも思えない。一日の中で僅かにだけある、中途半端な一時。
何をするでもなく手すりに体を預けていたシーナだが、ふと視線を屋内へと続く扉へ向ける。僅かに間を置き、ふらふらとした足取りでアリアが扉を開け現れた。
「あ……ちょっと涼しい……」
随分と疲労している様子で、外周の手すりに着くや否やそれを背もたれにするようにしゃがみ込んだ。そのままぐっと伸びをし、その辺りで暗闇に目が慣れたのか、ようやくシーナに気づいたようだった。
「わっ、シーナさん。おはようございま……ん、こんばんは?」
「こんな時間だ、どちらでも通る。随分疲れているようだが、確かコニスの訓練に付き合ってくれていたのだったな。お疲れさま、ありがとう」
昨晩サルヒールから伝えられていたことを思い出し、労いの言葉をかけながらアリアの隣りに移動した。
「いえいえ。普段はシーナさんが教えてるんですか? この前一番弟子って言ってましたし」
「語弊はあるがな。ここのギルドは他に比べて職員も教官の数も少ない。ただ、いろいろな要因で冒険者の質も高いからな。後進の育成は教官だけで無く冒険者も含め全員で、といった事になっているんだ」
「なるほど。それでシーナさん大人気って訳ですね」
やや困ったように応えるシーナの言葉に納得したように頷くアリア。しかしそのアリアの言葉はシーナにとっては疑問だったようで首を傾げていた。
「大人気……私がか?」
「はい。昨日サルヒールさんが言ってたんですけど、シーナさんは本来どんな戦い方も出来るからって。クラガの事も鍛えてもらってますし」
「ああ、サルヒールがそんなことを……確かに否定は出来ないけれど」
理由を聞いて頷きはすれどまだ納得はしきれていないシーナに、アリアはもう一つの理由を伝えた。
「あと、コニスさんと模擬戦中に他のヴォクシーラの冒険者の人とも何人か合流したりしてたんですけど、皆さんシーナさんの事尊敬してましたよ?」
「………そうなのか?」
全く自覚が無かったようで、シーナはその言葉に目を丸くした。
「はい。どんなこと聞いてもしっかり応えてくれて、強くて格好よくて綺麗で、正にエルフの中のエルフだって。いつかシーナさん見たいな冒険者になるんだって言ってましたよ」
「あの子達が、そんなことを……」
やや背を曲げ、空を見上げる。気づけば黒から藍色に変わり始めた空には、もう星は見えてくなっている。
「エルフの中のエルフ、ね」
ぽつりと、しかし噛み締める様な一言を溢し、少し間を置いてアリアへと向き直る。
「ねえアリア。貴女、自分の生まれた……生きてる意味って考えてたりする?」
「えっ、生きてる意味ですか……?」
唐突な質問。しかもぱっと答えるにはあまりに難しい問いに、アリアは困ったように考え込む。
もう少しして、答えが出なかったら謝罪して取り消そう。今まで何度か投げかけたこともあるが、どれも相手を困らせてしまうだけだった。
そうしてシーナが口を開きかけたその時、僅かに早くアリアが答えた。
「正直、今はまだ分かりません」
……ああ、そうだろうとも。
思えばこの少女……そう、少女だ。他者と比較すれば多くの困難を経験し、背負ってはいるが、本質はまだ生まれて十数年しか経っていない子どもだ。そんな相手に私は何を聞いているんだ。
やや自嘲気味な気分になったが、アリアはまだ答えを紡いでいた。
「でも、意味は必ずあると思うんです」
「……必ず、か?」
「ええ。例えば……」
思い出すように空を眺め、一つ、また一つと指を折り曲げ数え始めた。
「さっきコニスさんと模擬訓練しました。ヴォクシーラに来ました。イシュワッドにいって事件を解決しました。ガルシオさんと……ちょっとは仲良くなれました、多分。暁の地平に入りました。エリシアとクラガと出会って、仲間になって……ドラグニールと出会いました。」
「…………」
アリアの言葉を、シーナはただ静かに待つ。
「私が今まで経験してきたことに、意味があるのかは分かりません。少なくとも全部には無いと思います。けれど、イシュワッドでの事件が解決できなければ、私は多分ここにはいません。暁の地平に入れなければ、やっぱり私はここにはいません。エリシアやクラガと出会ってなければ、これもです。ドラグニールと出会ってなければ……やっぱり私は、この世界にはいないでしょう」
「……つまり?」
「今の行動に意味があるのかは分かりません。生きる理由があるのかは分からないですけど、生きた意味は確実にあると思うんです。人っていうのはどうしたって誰かと関わって生きていくんですから。それで与えた、与えられた影響が生きた意味なんだと……あれ、これ答えになってるのかな?」
恐らく結論の寸前で首を傾げる少女に、シーナは思わず笑みを溢す。そして少女の答えに少なからず納得するところはあった。
意味というのは今の先にあると思っていたが、アリアは過去にあると答えた。それは間違いでは無いのだろう。この幼い少女が答えたとは思えない、頷けるものだ。……しかし。我ながら勝手だと思いながらも、それはシーナの納得出来る、求めていた答えでは無かった。
「……答えが過去にしか無いのならば、この先は、何を頼りにすればいいのだろうな」
無意識に出たその言葉に自らも驚き慌ててアリアを見るが、疲労が限界を迎えていたのか目を瞑り静かに寝息をたてていた。
聞かれていなかったことに安堵しつつ、どこか残念という気持ちがあることに気づく。まさか、この少女が答えをくれると思っていたのだろうか。……そんな筈は無い。
ベッドに運ぼうと起こさないようそっと抱え、ふとその胸──その奥にいるであろう存在に意識を向けるが、何かを感じ取ることも無く白み始めた空を背にシーナは屋上を後にした。
──なるほど、そういうことか。