憧れ
「次、アルバート。」
幼いころから僕はアルバートという自分の名前が嫌いだった。かっこいい名前じゃないか、と思ったかい。僕だってかっこいい名前だと思うさ。
「聞いているのかアルバート。」
きっとおとぎ話の世界なら、勇敢な騎士でどんな怪物が来たって下を向かずに立ち向かい、それでいて普段は気さくでにぎやかな人気者なのだろう。
「アルバート!!!」
「え?僕?」
しまった。また考え事をしてしまった。悪い癖。先生をちらりと見てみる。あ、怒ってはいないようだ。あきれてるなあの顔は。みんなの視線が痛い。くすくすという笑い声が僕の鼓動を早くする。
はあ。現実はそんなに甘くない。僕の知るアルバートは、妹のマリーに口げんかで勝てないしクラスでも特に目立つ場面はない。授業中物思いにふけってこんなミスをしてしまうダメなやつなんだ。
「アルバート聞いていたのか?代わりにギルバート答えなさい。」
クラスルームに僕と同じようにかっこいい名前を持っているやつがいるんだ。今立ち上がったこいつ。名前はギルバート。
「7だと思います。」
「さすがだなギルバート。正解だ。」
クラスで一番勉強ができ、サッカーチームのエースストライカー。毎日3通以上ラブレターをもらってる。ほら今だって熱い視線を送ってる子が何人かいるだろう。それなのに何にもできない僕と仲良くしてくれる。
ギルバートがこっちを向いてにやりとしてきた。覚えてろギルめ。
ギルは幼いころからの親友だ。他のやつと一緒の方がきっと楽しいのに、ランチを二人で食べてくれたり、帰りに家に誘ってくれたりするんだ。ギルは本当にいいやつなんだ。
*
「さっきはどうしたんだ?寝てたのか?」
「うーん。考えごとをね。」
「どうせエミリーのことだろ。」
「・・・そんなわけないだろ。」
ギルのことを考えていたとはとてもいえない。
「エミリーこっち見てるぞ。ほら手振れよ。」
「こら!あんまりあっち見るなよ。変に思われるだろうが。」
少しだけ顔をあげてみる。笑顔で手を振るエミリーがいる。かわいい。手を振り返してもいいかな。変に思われないかな。
笑顔で手を振るギル。
「・・・いいよなお前は。」
「何が?」
「そんなことより早くランチいこうよ。」
結局手、振れなかったなあ。でもしかたない。きっと何にもならないから。
歩きながらギルが言う。
「アルはさ。」
「うん?」
「こないだあった自己紹介カードで、長所の欄どんなこと書いた?」
「えっと・・・」
ああいうの苦手なんだよな。自分のことを紹介って難しい。何を書いたら自分をうまく紹介できるんだろう。
「早起きって書いたよ。」
「ああ、なるほどな。いつも迎え来てくれるもんなアルは。」
「書くことないから仕方なくだよ。ギルはたくさんあるだろけどさ。」
「早起きだけってことはないだろ。それにおれだって悩んださ。」
「僕はほかに思いつかないな。ギルは勉強のことだってサッカーのことだって。なんならたくさん告白されますって書いてもいいじゃない。」
ギルは少し不機嫌そうだった。からかい過ぎたかな。
「悪かった。謝るよ。」
「うーん。いいんだけどさ。」
こういうとき多くの友人はカーッとなるんだけどギルは違う。怒鳴らないし、すぐに許してくれる。大人なんだ。
「今日は軽くサンドイッチでも食べる?午後はダナ先生の子守歌だし。」
「満腹になって覚悟を決めるのもいいかもしれないぞ?」
ああ、なんでこんなにいいやつが僕と一緒にいてくれるんだろう。
ギルといると心地いいけれど、時々心配になる。いつまで相手をしてもらえるのだろうか。一人になると不安になる。明日学校に行ったらギルがこっちを見てくれないんじゃないかと。
*
次の日、通学途中にギルを迎えに行った。僕の心配をよそにいつも通りの明るい笑顔を向けてくる。
「おはようギル。今起きたろ?」
「おはよう。なんでわかるんだ・・・」
「いつものことだろ。学校に着くまでには髪戻るといいな。」
「まだ戻ってないのか、しつこいやつめ!」
そんないつも通りの会話。いつも通りの通学路。今日もパン屋のおじさんは朝から元気にストレッチをしているし、花屋のお姉さんはお気に入りの歌を口ずさみながら花に水をあげている。
「おはようアル、ギル。」
透き通った声が甘い香りを添えて聞こえてきた。思わず背筋がのびる。
「おはようエミリー。今日は早いな。」
「お、おはよう。早いね。」
30点の挨拶。なんでギルと同じこと言ってるんだよ僕。
「ふふ。今日も仲がいいわね。いつもより少し早く準備を終わらせて出たのよ。」
「そうなんだ。女の子は準備が大変だもんね。」
「そうよ。誰かさんみたいに寝癖がついたまま学校にいくなんてできないもの。」
「なにもいえねえ。」
今のはいい会話だったんじゃないかな。ギルには申し訳ないけれど。
この小さな公園を突っ切ると学校が見えてくる。ハリネズミをモチーフにした滑り台。昔あそこで転んだな。頭をトゲの部分で打って痛かった。
エミリーが隣に並んできた。鼓動が早まる。
「二人はこの時間に登校することが多いの?」
「ギルが起きる時間で変わるけど、この時間が多いかな。」
「最近は早く起きてるだろう。」
「一週間前に寝坊したよね。」
「そんなことはもう忘れた。」
二人でいつもの掛け合い。
「ふふふ。二人の話、面白いね。私もこの時間に登校しようかしら。」
ドキッとした。もしかしてとも思った。だけどその気持ちに無理やり蓋をする。面白いのはギル。一緒に行きたいのもギル。きっとエミリーは・・・。
「エミリーが来てくれるならうれしいよな。な、アル。」
ギルのお節介が苦しい。ギルは本当に優しい。だけど時々その優しさが苦しい。僕って最低だ。
「うん、そうだね。」
無理やり笑顔を作って答える。作り笑顔には自信があるんだ。嬉しいのは本当だけど、ギルとエミリーが今よりもっと仲良くなっていく姿を見ていくと思うと、正直いってつらい。でも仕方がないんだ。ギルはかっこよくて運動ができて頭がいいんだから。誰だって憧れるさ。
つらい気持ちを抱えながら二人と門をくぐった。
*
朝はあんなに晴れていたのにいつのまにか外は雨が降っていた。天気と同じような暗い気持ちを抱えながら黒板を眺める。今日はいつも以上に頭が働かない。授業に集中することを諦め、机に目を落とす。くたびれたノート。小さくなってきた鉛筆。筆箱につけたかっこいいシールも剥がれてきたな。ああ、ほんと僕ってダメなやつ。誰も、何も悪くないのに。
午前中の授業が終わると雨は上がっていた。相変わらず空は曇っているけれど。ランチはギルと食堂で食事をとることにした。
「おーいアル。大丈夫か。」
「うん?何が・・・」
「スプーンだけでどうやってパスタを食べるんだ?」
本当に何してんだろ、僕。
「なんだか眠くてさ、頭ぼーっとする。」
嘘ではない。ごまかしてるだけだから。
「無理するなよ?ジュースいるか?」
心配そうな顔でギルがのぞき込んでくる。その真剣な顔を見ているとなぜか面白くなってしまう。
「くっ、ははは、なんだよその顔。ギル、面白すぎて僕もうダメだ。」
「おいおい人が心配してるってのに。まあ元気になったならよかったな。」
ごめんねギル。甘えてばっかりだね。一人で落ち込んで心配されてちょっと嬉しくなって。・・・これ以上はやめとこう。また落ち込んでしまいそうだ。
ギルから元気をもらって気持ちが楽になった。ありがとうギル。
「やっぱりジュースもらうね。」
「それはずるいぞアル・・・。」
*
午後の授業が始まるときには少し雲が薄くなり、日差しが差し込んできた。窓からの風が心地いい。次の授業はクラス活動だ。どうやら今日はニーナ先生の代わりにリーダーのギルが進行するらしい。
「今日はニーナ先生にお願いしてこの時間を使わせてもらうことになった。この前のクラス活動で自己紹介したの覚えてるか?」
覚えているぞギル。僕の長所は早起きだ。悲しいけどね。
「自己紹介、なかなか難しかったよな。自分のことって実は全然わかってないもんだ。」
ギルと話したもんね。でもわからないんじゃなくて僕みたいにほとんど書くことがないって人もいると思うのだけれど。
「だから今回は自分のことをもっと知る機会にしたいんだ。ニーナ先生に相談したらすごくいい活動を提案してくれた。これを見てくれ。」
ギルは右ポケットから黄色のカードを数枚取り出した。周囲のみんなはざわつきはじめる。どんな活動なのかな。
「このカードにクラスメイトのすごいところを書いてくれ。」
なるほど。みんな納得した様子。これならたくさん書ける。
「ただし、これだけじゃない。」
そういってにやりとするとギルは左ポケットからピンク色のカードを取り出した。
「さっきの黄色のカードには『みんなが知っている』すごいところを、ピンク色のカードには『みんなが知らない』すごいところを書いてほしい。」
おお、というどよめきがあがる。僕も含めてはじめての取り組みに驚いているんだ。少し興奮しながら誰かのことを考えているんだろう。
「ほめる力ってのは本当にすごい力なんだ。たくさんの人に書けるようこの時間をたっぷり使ってくれ。カードは配るもの以外にもたくさんあるから。」
さすが、みんなをやる気にするのが本当にうまい。そうか、今考えていたこういうことを書けばいいのかな。
手元に二色のカードが10枚ずつ回ってきた。
まずはギルのこと、すらすら出てくる。サッカーがうまいこと、うまいのに努力を惜しまないこと、いつも笑顔でみんなと仲が良いこと・・・黄色のカードがあっという間になくなってしまった。すごいなギル。
このままピンクのカードも書こう。ギルとはずっと一緒にいてくれるから、僕しか知らないことはたくさんある。
ギルは周りのことを考えて行動できるからすごい。みんなは気づいていないようだけど、どんな活動や遊びをするときでも苦手な人のことのためにさりげなく工夫したりフォローしたりしている。
サッカーの試合で負けたとき、みんなに声をかけて笑顔で次の試合のことを話していたけれど、誰より悔しい思いをしていたこと。その試合の後から毎日の個人トレーニングが増えていた。
ギルの弟が足を怪我したとき、治るまで毎朝登校前にリハビリを手伝っていた。早起きが苦手なくせに。すごい。
このままじゃギルだけで時間が終わっちゃうな。たくさんの人に書かなくちゃ。カードをたっぷり追加して書き込んでいく。エイラは毎日花の世話をして生き物を大切にしている。キースは責任感が強く絶対にあきらめない。バーバラは観察力があって絵を描くことがうまい・・・
これで書いていないのはあと一人。エミリーは・・・。はじめてそこで手が止まった。書くことはたくさんあるのに、どうしても受け取った彼女から『どう思われるか』を意識してしまう。
「おいアル。全員にありのままを伝えないとダメだろ。」
ギルがニヤニヤとしながら近づいてきて、ぼそっと呟いた。どうして僕の考えがわかるんだ。せめてもの抵抗でギルをにらみつける。しばらく見つめあう僕ら。
「はあ。わかったからもう。」
書くだけ書こう。渡すかは別にして。・・・いや違うか、渡せるかは別にして。
エミリーは・・・素敵な女の子だ。彼女の醸し出す雰囲気がたまらなく好きなんだ。近くにいるとドキドキするけれどなんだか落ち着く。ああ、こんなことはさすがに書けないや。これは褒め言葉じゃない。
黄色のカードには『みんなが知っている』こと。
彼女は歌がうまい。恥ずかしがりやだから滅多に僕らの前で歌うことはないけれど、時々カナリヤのような歌声で僕らを虜にする。
彼女は努力家だ。苦手な持久走の授業でも絶対に諦めなかったし、誰よりも熱心に練習していた。同じく走ることが苦手な僕を励ましてくれて僕も頑張れたんだよな。あれは本当に嬉しかった。嫌だった持久走の時間が少し楽しみになっていたのを覚えている。
そして、ピンク色のカード。古びた机についた小さな傷跡を眺めながらしばらく考える。時間をかけながら僕はゆっくりペンを握る手に力を込めた。
この前おつかいを頼まれて外に出たとき見かけたんだけど、公園で小さい子たちに絵本を読み聞かせてたね。みんなキラキラした顔で聞いていてエミリーはすごいんだなと思ったよ。
あのときもエミリーは素敵な笑顔を見せていたな。子どもたちも楽しそうだった。エミリーは子どもが大好きなんだ。これは僕しか知らないことだしなかなかいいことが書けたんじゃないかな。エミリーが喜んでくれるといいけど。
手元に残っているカードはあと一枚。もうすぐ活動時間も終わるしこれで最後にしようかな。最後は何を書こうか・・・。うーん。
エミリーが笑うとそれだけで僕は幸せな気持ちになれる。本当にすごい。
つい、本当になんとなく書いてしまった。これは恥ずかしい。ギルには悪いけどこれはこっそり持って帰ろう。ああ恥ずかしい。誰にも見られてないよな。
周囲を警戒しながら例のカードだけ鞄のポケットにしまい、他のすべてのカードを集め端を揃える。時間が少ないと思っていたけど両方のカードを全員に書くことができたな。よかった。
「集中しているところごめんな。時間がきたからここまでにしよう。黄色のカードはニーナ先生も見たいそうだから、こちらで回収して後日振り分けてみんなに渡すことにする。どんなものがくるか楽しみだな。」
書くのに集中してて忘れてたけど自分に向けてのカードがくるんだった。ギルみたいにたくさんのカードはこないかもしれないけど確かに楽しみだよ。
「それと、ピンクのカードは個人で渡してくれ。本人から直接もらった方がうれしいだろうし、普段は照れくさくて言えないことを言えるチャンスだからな。クラスリーダーである俺との約束だ。」
なんだそれー!と笑いが起きる。この活動の後、なんだかクラスがあたたかな雰囲気になった気がする。もとから楽しくて素敵なクラスだけどね。
*
終業後、帰りの支度をしながらギルと教室に残っていた。いつもクラスから出るのは僕たちが最後なんだ。
「面白いクラス活動だったね。恥ずかしかったけど。」
「だろ?さすがはニーナ先生だ。よく思いつくよな。」
授業の合間にたくさんの友達にカードを渡すことができた。渡すのは恥ずかしかったけどみんな照れながら微笑んでくれた。
「はい、じゃあこれはギルへの分。」
「おお結構あるな、今読むぞ。」
ギルに手渡しながら空いた手をポケットに入れる。ギルは机に腰かけながらじっくり時間をかけて読んでいる。恥ずかしいぞこの時間。
「おいアル照れるぞ。」
お前もか。だったらさっさと読んでしまえばいいのに。
暇つぶしに窓の外を眺める。昨年の秋にクラスで植えたライラックの花がきれいだ。エイラが毎日水あげてるからあんなにも美しく咲くんだよな。ありがとうエイラ。
「・・・なあ。」
「なんだよ。」
振り返るとまっすぐ僕を見つめるギルが見えた。西日がまぶしい。
「アルは本当に・・・すごいやつだよ。」
いやいやなにいってんだよ。こっちが褒めてるってのに。
「ギルの方がずっとすごいってば。書いてあるの見たでしょ?僕にはできないことばっかり。」
「おれは・・・お前みたいになりたいよ。」
意味が分からない。僕みたいな平凡な男になったってつまらないだろう。ギルはなんだってできるじゃないか。
「お返し。」
ギルはそう言うとポケットからカードを取り出し、僕の胸に押し付けた。
モヤモヤとしながらもカードに目を落とす。
アルバートはいつも笑顔だ。人のことばかり気に掛けている。(欠点でもある)
アルバートは人のせいにしない。
アルバートにはなんだって打ち明けられる。馬鹿にしないやつだから。
アルバートは一緒になって真剣に悩んでくれるし、悲しんでくれる。
アルバートは打算なしに行動する。(馬鹿だから)
こんなこと思ってくれていたのかギルは。それにしても
「馬鹿ってなんだよ。」
「その馬鹿は褒め言葉だって。愛嬌だよ愛嬌。」
思わず二人して笑ってしまった。
「あのな、アル。これは付け加えなんだけどな。お前だけなんだぜ、このカード全員に書いたやつ。」
「え、そうなの?」
「アルは人のいいところを見つける天才だよ。おれはそういうところ、尊敬してんだ。」
嬉しくて、だけど悔しくて。ギルが僕のことをそんな風に思っていたことが嬉しい。それなのにギルが僕を突き放すことを怖がっていたんだ。そんな自分がみじめで、悔しい。
「泣くなよアル。その顔結構笑えるぞ。」
「うるさい。泣いてないから。」
「その顔で大丈夫なのか?ちゃんと顔洗って行けよ。」
「なにが?」
「エミリーだよ。」
びくっと肩が揺れる。
「今日は委員会が終わってから作業があるから一人で図書室に残るそうだ。」
鼓動が急に早くなってくる。
「エミリーも一人だけ渡せてないみたいだぞ。困ったもんだ。」
ふふん、とギルバートは笑った。お節介なやつ、いいやつだけど。
「今日は先帰るぞ。明日の朝いつもの時間な。」
そう言い残すとさっさと教室を出て行ってしまった。
「いい天気になってるぞ!雲一つなくて気持ちいいなー!」
ギルの声が外から聞こえてくる。
一人になって少しだけ不安になって視線を移すと鞄のポケットが目に入った。
今の僕なら・・・今のアルバートなら本心を言える。
分けてもらった勇気を胸に図書室に向かって歩き出した。