こんにちは、ソラ! その7
どうしてこうなった。
ぺちゃんと潰れた幾つかのカップケーキを前にして溜め息をつきたくなる。
何故。犬飼さんに教えてもらった通りにしたのに。犬飼さんと一緒に作ったのに。
ぱくり。萎んでしまったカップケーキを食べてみる。チョコチップ入りで美味しい……。
ちらり。潰れたカップケーキの横にはふんわりと膨らんで見た目も綺麗で美味しそうなカップケーキが並べられている。おぅふ。
いやいや、これは仕方ない。お菓子作りの勝手を知らない私が、最初から犬飼さんのように上手にカップケーキを膨らませられるわけがない。次はもっと頑張ればいいんだ、うん。
「……っと、もうこんな時間ですか」
隣で綺麗に形の整ったカップケーキをトレーに並べていた犬飼さんが厨房から出て行く。
時計を見るともうすぐお昼。開店時間が決まっていないソラは、本日13時開店だ。私はバイト休みなんだけどね。
今日は朝早くからソラの厨房を借りて、犬飼さんと一緒にカップケーキを作っていた。
納得できる形にはならなかったけど、美味しく出来たしこれもヒナにあげよう。一番形の悪いものは奈美に押し付けることにする。
「ルナさん、ラッピング用品と袋はカウンターのところに置いておきますね」
「はーい」
ひょっこりと厨房から顔を出してみると、既にカウンターにはカップケーキ用の細長い袋が置かれていた。
「何から何まで本当にありがとうございます」
「いいんスよ、余り物ですから気にしないでください。あ、ついでにオレの作ったやつも袋に入れておいてくれると嬉しいです」
そう言って犬飼さんは店内の掃除を始めた。
気にしなくていいと言われても、犬飼さんにはお世話になりっぱなしだから、今度お礼をしなくては。
とりあえず今は、さっさとラッピングを終わらせて掃除を手伝おう。
「おっはよー。わー、なんか甘い匂いするねぇ」
「あ、おはようございます」
「もう昼っスよ」
頭にアホ毛を立てた総魔さんはカップケーキの甘い匂いにつられて真っ直ぐにこちらへ歩いてくる。
「あ、カップケーキだ。チョコ味?これルナちゃんの?個性的だねぇ」
「うっ、あ、味はいいですから……」
「いっこちょーだーい」
「どうぞ」
まだ包んでいないカップケーキを総魔さんにあげて、次は犬飼さんのカップケーキを包む。
私のカップケーキを食べ終えた総魔さんの手が犬飼さんのカップケーキに伸びる。
そんな総魔さんを犬飼さんは一瞥するだけで止めはしない。最初から総魔さんの分も作ってあったのだろう。
「ホント、いい匂いしてるよねー」
「カップケーキが?」
「んーん、ルナちゃん」
……何言ってんだ、この人。
冷めた目で見やると、総魔さんは「変な意味じゃないよー」と手をひらひら振る。
「僕ねぇ、普通よりちょーっと鼻が利くんだー。ルナちゃん、こないだから美味しそうな匂いしてるんだよねぇ。ただ、キミたち人にとっては良い意味じゃないんだけど」
「……どういう意味ですか?」
「悩みの種を抱えた子はねー、その悩みが強く大きくなるほど心に負の感情を植え付け根を張るんだ。そして負の感情を吸って悩みの種は大きくなり、また負の感情が心に根付く。それを繰り返していずれ花を開くんだ。種は育つにつれて甘い甘ーい匂いを発するんだよ。普通の子は分からない匂いなんだけどね、僕はその匂いが分かるんだ」
私の身体に顔を近づけてくんくんと匂いを嗅ぐ。
よく分からないが、私からいい匂いがするということは、私の悩みの種が成長しているということ?
私の悩みはむしろ解消されつつある……と、自分では思っているのだけど。
なぜ? と首を傾げる私に総魔さんは言う。
「ルナちゃんの悩みの種からしている匂いじゃなくて、残り香みたいなものだと思うんだけどねぇ。ルナちゃんの友達か、クラスメイトか……身近な子じゃないかなぁ?」
「身近な……」
「もし心当たりがあったら、一度ここに連れておいでよ。僕が判別してあげるー」
心当たりと言われても。友達も親族も殆ど存在しない私にとって身近な人というと限られてくる。
奈美のあの様子を見る限りでは、今のところ悩みなんてなさそうだし。
となると。
もしかして……ヒナ?
もしヒナが悩みを抱えているとしたら、最近のヒナの様子がおかしいことに納得できる。
むしろ、どうして気付かなかったんだろう。いつも一緒にいるのに。ヒナのことを一番そばで見ていたのに。
「……帰らなきゃ」
ラッピングを終えた私のカップケーキを鞄に仕舞い込み、散らかしてしまった厨房の片付けと掃除を猛スピードで終わらせて、同じく掃除を終えてラッピング用品を片付けていた犬飼さんの横に立つ。
「今日はありがとうございました。不格好なカップケーキになっちゃいましたけど、よければもらってください!」
犬飼さんは一瞬きょとんとしたけれど、すぐにはにかむように頬を緩めると「じゃあ遠慮なく」とカップケーキを受け取ってくれた。
「僕にはー?」
「さっき食べたじゃないスか」
「さっき食べましたよね」
私と犬飼さんの言葉が被る。
どんだけ食い意地張ってるんだ総魔さんは。
「それじゃあ、私は帰りますね」
「あ、ルナちゃん。ちょっと店の外で待っててー」
「はい?」
総魔さんに引き留められて振り返るけど、総魔さんはにっこりと笑って私ではなく犬飼さんを手招きしている。
そしてそのまま怪訝そうな顔の犬飼さんを連れて奥に引っ込んでしまった。
急いで帰りたいが、待っててと言われたからちょっとだけ待とう。
店の外に出て数分。
喫茶店内からではなく、非常階段へと続く通路から出てきた含み笑いを浮かべた総魔さんの腕の中には一匹のわんこ。
お久しぶりのジンくんである。
「ボディガード、連れてってねー」
ボディガードという言葉に少し引っ掛かったけど、ヒナもジンくんのこと気に入っていたから、ジンくんが一緒にいてくれた方がちゃんと話してくれるかも。
「よろしくね、ジンくん」
ジンくんは得意げにわんっ! と吠える。本当にジンくんは頼もしいね。
ジンくんを抱えて、いざ行こう! と意気込む私の視界の隅で、総魔さんが喫茶店の鍵を閉めていた。
あれ? もうすぐ開店時間なのに、総魔さんもどっか出かけるの?