こんにちは、ソラ! その4
バタン!
力任せに引き込んだせいで大きく開け放たれた非常階段へと繋がるドア。びっくりしたジンくんが飛び起きると同時に、白と黒のボーダーが部屋に滑り込んできた。
「グッモーニーング裕くーん! やったね今日は僕のほうが早起きだよー! いぇーい!」
「……朝からうるさいぞ、黙れ透」
額に青筋を浮かべる北城さん。もう昼です。
「あっれれ~? 目覚まし5個でも起きられない裕くんが自分で起きてる! めっずらしーこともあるんだねぇー! 僕も人のこと言えないけど明日は嵐になるかもねー!」
「黙れと言ったのが聞こえなかったのかこのクソガキ!」
キレた。
追い剥ぎのごとくジンくんの毛布を奪い取りケラケラと笑う総魔さんの顔面に叩きつけた。
直撃を食らった総魔さんは「ふべらっ」と情けない声を上げてわざとらしく床に倒れ込み、「裕くん今日も容赦ないね……」と北城さんの顔を盗み見、それから北城さんの後方でコントを眺めていた私に視線を動かす。
ぱちり、目が合った。
「キャー! ルナちゃん来てるなら先に言ってよー! 僕この子の前では紳士的で頼れるお兄さん的存在でいるつもりだったのにー! これじゃあただの変人だよーやだー!」
いや、出会い当初から紳士的でも頼れるお兄さんでもなかったけどね。
毛布を頭にかぶって「やだーやり直しやり直し!」と子供のように駄々をこねている。お兄さん要素どこ行った。
「……あれ? 私、総魔さんに名乗りましたっけ?」
記憶を遡るも、昨日私が総魔さんとした会話というと、謝罪しかない。名前なんて一切名乗ってない。はず。……あれ?名乗ったんだっけ……?
不安になる私に対して総魔さんはあっけらかんと告げる。
「んー? ああ、僕ね、《裏東京》に住んでる子のことはねぇ、みーんな知ってるんだよー。いつから《裏東京》のどこに住み始めたかとか、いつ誰と誰が結ばれたとか、いつ誰が亡くなったとか、ぜーんぶ知ってるよー」
どう? 凄いでしょ! と自慢げに笑む総魔さん。
さすがにいくらかは誇張して言っているとは思うけど……もしそれが事実だとしたら、凄いと言うよりは怖い。あなたストーカーですか。
「あっ、今、僕のこと疑ったでしょー。ストーカーじゃないからね、ちゃんと正式な手順を踏んで情報を得ているからね!」
「えー……?」
疑惑の眼差しを向ける私に、「ホントだよ!ホントのホントなんだよ!」と繰り返す。
その子供のような言動のせいか、彼の話は俄かには信じがたい。
すると、訝しむ私と頬を膨らませる総魔さんのやりとりを黙って見ていた北城さんが口を開く。
「このままではいつまで経っても話が進まんな。ルナ、透はこう見えてこの《裏東京》の管理者──俺の上司にあたる男だ」
「……えっ、ホントのホントですか?」
「ホントのホントだ」
総魔さんの子供じみた言動からは信じられないけど、北城さんが言うのだから本当のことなんだろう。昨日助けてもらった事実も相まって、彼の言葉をあっさり信じてしまえるほどに北城さんへの信頼は増していた。
「裕くんが言うと信じるんだねぇルナちゃん……」
「これを期に言動を改めるんだな」
しょんぼりと肩を落とす姿を見て、少しだけ罪悪感が芽生える。いや、でも信じられないものは信じられないし。
「まー、いいや。信頼はね、一日で築くものじゃないからね。長い時間をかけて積み重ねていくものだからねー」
ポジティブな正論。でも信用と信頼は違うんじゃないかな。言葉の信頼を得るためにはやっぱり第一印象が大事だと思う。
総魔さんの第一印象から、その言葉を信用できるかと聞かれたら、ちょっとね。
ようやく毛布を頭から離した総魔さんは、私の横、ジンくんの反対側に腰を下ろし、にっこり笑って顔を近付けてくる。
「ではでは、ルナちゃんの信頼を得るためにキミの悩みごとを解決しよっかー」
そんな軽い口調で言われても、やっぱり信じることができないや。
でも、私の悩みを解決してくれるというのだから、
「よろしくお願いします……」
ぺこりと頭を下げる。総魔さんは得意げに自分の胸を叩き、「任せて!」と軽い声でそう言ったのだ。
……本当に大丈夫なのかな?
「さて。ルナちゃんの悩みは『アヤカシに狙われなくなりたい』だったねぇ」
「はい」
「申し訳ないんだけどね、その体質を治すことは不可能なんだ。アヤカシはねぇ、キミの匂いにつられて寄ってくるんだ。キミが死ぬまで無くなることはないよ」
「……そう、なんですか……」
「でもその悩みを解消できないわけじゃない。完全に狙われなくなる訳じゃないけど、軽減する方法はいくつかあるよ」
「……それって、やっぱり時間がかかったりするんですか?」
長期戦は覚悟しているけど、出来ることならすぐに始められる方法がいい。このままじゃ怖くて夜道を一人で歩けないし。
総魔さんはうーん、と少し悩む素振りを見せる。
「ルナちゃんは、少し時間と手間がかかるけど一番安心で確実なのと、今すぐ出来るけど一部のアヤカシにしか効果がないの、どっちを先に聞きたい?」
「……じゃあ、確実な方で」
「オッケー、でもルナちゃんはこっちの方法は嫌かもしれないなぁ。ちょっと待っててねー」
おもむろに立ち上がった総魔さんはパタパタと軽い足取りで部屋の外へと消えていった。
嫌かもって……そんなに突飛な方法なのかな?
私の不安を感じ取ったのか、今まで黙っていた北城さんが口を開く。
「あいつは所構わずふざける馬鹿者だが、誰よりも《裏東京》を大切にしている。馬鹿は馬鹿なりに、キミたちが平穏に暮らせるように考えているんだ。キミにとっても悪い提案ではないはずだ」
「……あの」
「何だ?」
「総魔さんは《裏東京》の管理者って言ってましたけど……偉い立場の人にしては、ずいぶん若くないですか? 私と同じくらいの年齢に見えるんですけど、やっぱりすごく優秀だとか?」
「……ああ、いや、この《裏東京》は元々透の父親が管理をしていたのだが、数年ほど前に透に預けて隠居をしてな。透自身が管理者として優秀と言うわけではないんだが……」
驚いた。私と同じ年頃の男の子が、この《裏東京》の管理者をやっているだなんて。
……私には無理だ。《裏東京》の管理だなんて想像もつかない。
あの黒いアヤカシのことも、ただ放っておいているわけじゃないのかもしれない。だからと言ってこのままにしていいわけじゃないけど。
北城さんは少し首を傾げ、「言っておくが」と言葉を続ける。
「透はああ見えてもキミの五倍は生きているぞ」
「えっ……えぇっ!?」
「ちょちょちょっと裕くーん! 勝手に僕の年齢バラさないでよ恥ずかしいなーもー!」
紙の束を小脇に抱えて戻ってきた総魔さんは、「僕、おじさんじゃないからね!まだピチピチだからね!」と必死の形相で主張をしている。
ピチピチって言い回し自体がおじさ……いや、えぇと、少し古い気がするけど……見た目が若すぎるし、総魔さんをおじさんって言ってしまうと、ブーメランして返ってきそうだからこれ以上触れないことにした。
総魔さんをクソガキと言う北城さんは一体何歳ですか、という質問も胸の奥にそっと仕舞った。
「それじゃー、第一回ルナちゃんのお悩み解決会議を始めるよー!」
「相変わらずネーミングセンスの欠片もないな」
「ねー裕くん、そろそろ僕のハートが壊れそうなんだけどー」
「トドメを刺して欲しいと? いいぞ、任せろ」
とてもとても晴れ晴れとした笑顔で拳を握る北城さん。私はその笑顔が恐ろしいです。
「うわーん! ルナちゃん助けて慰めてー!」
「あの、そんなことより話を続けてください」
「ルナちゃんも冷たいー!」
いや、だってこのままだといつまで経っても話が進まないし。
ばちこん、と北城さんに頭を叩かれて、総魔さんはゆるい表情を少しだけ引き締めた。
「水無瀬ルナちゃん。母親は数年前に他界、父親は消息不明。親族も不明。今は築五十年のアパートで妹のヒナちゃんと二人で暮らしているんだっけ」
「……そうですけど……全ての住民の生活状況まで記憶してるんですか?」
「ある程度はねー。これでも管理者だし……特に君たち姉妹のことは、前から気になっていたからねぇ」
総魔さんは相変わらずニコニコしていて、その本心を読み取ることが出来ない。
「僕もね、父親以外の血縁者の存在を知らなかったんだ。唯一の血縁者である父ですらほとんど会うことが出来なかったし、話すことも出来なかった。だから、僕はキミたちが……」
総魔さんは言葉を止める。私は黙ってその言葉の続きを待ったけれど、
「……まっ、それはさておき!」
暗い雰囲気を吹き飛ばすような明るい声で、パッと瞳を輝かせて、総魔さんは小脇に抱えていた書類をテーブルの上に広げた。切り替え早い。
「ルナちゃんがアヤカシに狙われなくなる方法そのいーち!」
テーブルの上を滑るのはいくつもの不動産情報。
よく見ると全て同じ地区の情報だ。
「《裏東京》の安全地帯、北地区に住むことだよー!」
「北地区……ですか」
「そーそ。北地区はね、ヒトとアヤカシの縁を結ぶ『結び屋』がいるんだ。だから北地区にいるアヤカシはヒトが好きな子たちが多くてね、争いを好まないんだ。もしヒトを襲おうとするアヤカシがいたら、周りの子たちが黙っちゃいない。ルナちゃんみたいな子が住むには適した地区なんだよ」
結び屋、前に奈美が話しているのを聞いたことがある。私には縁のないことだろうからと聞き流していたから詳しくは知らないけど。
「北地区に住めば身の安全が保証されるよ。その代わり、ちょっと学校が遠くなって、中央区に住んでる時ほどの支援は受けられなくなっちゃうけどねー」
書類を一枚手に取って見る。部屋の広さは今と同じくらい。記載された通学時間は確かに十数分長くなっているけど、これくらいなら許容範囲内。条件は悪くない。これは悩む。
……悩む、けど。
周りのアヤカシに守ってもらう、なんて。結局他人任せじゃないか。これでいいんだろうか。
私の体質が治らないのなら、悪いアヤカシ相手に自分の身は自分で守れるようになりたい……とまでは言わないけど、少しくらいは自分で対処出来るようになりたい。
返答に悩む私の肩を総魔さんがぽんと叩く。
「ルナちゃんルナちゃん。そんなに悩まなくてもいいんだよー」
「はい?」
「これはね、あくまで方法の一つなんだよ。ルナちゃんが気に入らないなら他の方法もあるんだよ」
「……すみません、せっかく調べてもらったのに……」
「いーのいーの! むしろ本命はこっち!じゃじゃーん!」
嬉しそうな総魔さんがサッと取り出したのはアルバイトの求人広告。
「ただ、これは北地区じゃなくて中央区なんだけどね。ルナちゃん的にはこっちの方がいいんじゃないかなーって思うんだー」
「えっ……これって……」
「えー、喫茶店『ソラ』は時給1000円、平日は閉店後の片付け込みで夜7時半まで、土日祝日は5時間勤務可能なアルバイトさん募集中でーす!」
「ルナ。俺たちはキミの体質は治せないが、いざというときに助けになるくらいは出来る。幸いにも、ソラの従業員にはキミと似た体質の者もいる。奴ならキミにアドバイスをしてやれるだろう……が、たまにしか顔を出さないのが難点だ」
「アヤカシのお客さんもいっぱい来るから、仲良くなっておくのもいいね!」
総魔さんも北城さんも、出会って間もない私のためにあれこれ考えてくれている。
すごく優しくていい人たちだ。
「ありがとうございます。よろしくお願いします……!」
「こっちこそよろしくねー、ルナちゃん!」
笑顔で手を差し出してくる総魔さん。その手には未記入の書類が納められている。
はい、分かってます。
明日書いて持ってきます、履歴書。