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ソラと総魔と逢魔の都  作者: 鳴宮みなほ
2/8

こんにちは、ソラ! その2


「お姉ちゃん、醤油がない……」


 絶望的な声色でキッチンから顔を覗かせたのは妹のヒナ。今日買ってきたばかりのペンギン型の可愛いタレビンを持ってしょんぼりと肩を落としていた。


「あれ? シンクの下の戸棚にもなかった? 奥の方に」


「めんつゆは二本あったけど醤油はなかったの……」


「あちゃー……」


 もしかしたら醤油とめんつゆのストック数を間違えて買ってきていたのかもしれない。

 ちらりと時計を確認すると時刻は午後8時。一番近いスーパーは徒歩で10分。自転車は三日前にタイヤをパンクさせたまま玄関先に放置している。

 ……正直、この時間は外を出歩きたくないんだけど。だからと言って小学生のヒナに行かせるのは論外。

 せっかく買った可愛いタレビンを明日使いたくて仕方ないらしく、普段から表情の変化が少ないヒナが目に見えて落ち込んでいる。

 ううむ、ここはお姉ちゃんとして、落ち込む妹のために行動するか。


「……分かった。私、今から買いに行ってくるね」


 するとヒナはぱっと表情を明るくさせて、「ありがとうお姉ちゃん!」とタレビンをぐしゃりと握り締める。お気に入りなのに。ぐしゃりと握りしめて。

 わざわざ着替えるのも面倒なので、部屋着のTシャツの上にパーカーを羽織り、財布とスマホとエコバッグ、それからイヤホンをポケットに突っ込む。

 さっさと行ってさっさと帰ってこよう。そうしよう。


「じゃ、行ってくるね」


 いってらっしゃい、と玄関で手を振ってくれるヒナ。よし、ついでにアイスも買ってこよう。

 外はまだ肌寒い時期。

 薄暗い街灯が照らす住宅街に私一人の足音が響く。

 出歩いている人は殆どおらず、近所の家からは家族の笑い声やテレビの音が漏れている。



──アァ………………ダ



──…………ウゾ、……ノ………イダ……




(ああ、やっぱりいる……)


 イヤホンを耳に入れ、スマホでアップテンポなアニメソングを流す。

 聞こえない、私は何も聞いていない。

 電柱の陰や人様の家の庭にいる、厄介な黒い奴ら。ここはヒトとアヤカシが共存する都市《裏東京》だ。多少のアヤカシがうろついているくらいなら気にはしないんだけど、こいつらは違う。

 明るいうちならまだいいが、暗くなるとこいつらは通行人に手を出してくる。そういう悪いことをするアヤカシたちは大体黒くモヤがかかって見えるので近付かなければ大丈夫。

 他の人よりもアヤカシに狙われることの多い私の経験談だ。

 善いアヤカシもいれば悪いアヤカシもいる。それは理解も納得もしている。けれど……。


(どうして中央区の偉い人は、ヒトに危害を加えるアヤカシをほったらかしにしているんだ)


 私は見えているから対処が出来る。けれど普通の人は善悪関係なくアヤカシの姿が見えないし、存在も感じられない。そんな人たちがアヤカシに危害を加えられたという話はよく聞く。

 早足で住宅街を抜けて、シャッターが閉まっている商店街に入る。

 相変わらず人のいない夜道だけど、店があるというだけで少し心強さを感じる。シャッター街だけど。


(あそこにもいる。最近は本当に多いな……)


 前方に黒いモヤが見えたので、気付かぬふりをして進行方向を少しずつずらしていく。

 無事に黒いモヤを通り過ぎ、ほっと息をついた瞬間、


「あハッ」


 イヤホン越しに、音楽に紛れて女の子の笑い声が聞こえた気がした。


(うそ……)


 ドキンドキンと心臓が早鐘を打つ。

 反射的に振り返りそうになったがギリギリで思い留まり、気が付いていないふりを続けてその場を離れる。

 反応をしては駄目だ。見えるとバレたら、私にその気がなくてもあいつらは利用しようとちょっかいをかけてくる。

 早く逃げたいけど、今走ったりなんかしたら「見えるんです」と自分からアピールしてるようなものだ。


(大丈夫、大丈夫、私は気づかれてない。ただ笑っただけ。見えると気付かれなければ大丈夫!)


 もう大丈夫だろう。そう思って走ってスーパーへ向かおうとした、その時。


「ねエねえどコイくノ?」


「っ!」


 ぐいっと髪を後ろに引っ張られてバランスを崩し、どしんと尻もちをついてしまった。

 さっと血の気が引く。

 どうして。目を合わせていない、振り返ってもいないのに。

 恐怖のあまり腰が抜けてしまって動けない。逃げられない。黒いモヤモヤが私の視界を覆っていく。


「ねえネエどうしテかナ?」


 ひんやりとしたなにかが私の首筋に触れる。


「あナた、××さマノにオイがすルよ?」



ワンッ!



「っ!」


 鶴の一声ならぬ犬の一吠え。どこからか聞こえたその声で、黒いモヤは霧散して私の視界から消える。

 首筋の冷たい感覚もなくなった。振り返ると黒いモヤもアヤカシもいなくなり、代わりに一匹のミニチュアダックスフントが凛々しい顔つきで尻尾を振っていた。

 トコトコと私の傍に寄ると、「大丈夫?」と言わんばかりに手のひらを舐めてくる。


「……可愛い」


 恐怖から解放された私は無意識に安心を求めていたらしい。あったかいワンちゃんを抱きしめて何度も何度も深呼吸をした。


「ありがとう……」


 頭を撫でてあげると、ワンッと元気に吠えて尻尾を振った。可愛い。


「……大丈夫か?」


「ひぃっ!?」


 完全に油断していた。背後から掛けられた声に驚き、情けない声を出してしまった。

 バクバク高鳴る胸を押さえて向き直ると、私に声を掛けてくれた人は赤い瞳を瞬かせて「……大丈夫そうだな」と苦笑気味に手を差し伸べてくれた。


「立てるか?」


「は、はい!」


 驚いた。この人、今日行った『ソラ』のウェイターさんだ。あの銀髪の美形さん。

 グレーのパーカーを着込んだ彼は、私を立たせると腕の中にいるワンちゃんを一瞥し、何やら意味ありげに口角を上げる。


「ジンが急に走り出すから何事かと思ったが……なるほど。タチの悪い奴に狙われたか。間に合ってよかった」


 ワンちゃんはジンくんという名前らしい。

 ジンくんが何か言いたげにウェイターさんを睨んでいるような気がするが、ワンちゃんだもんね、そんなわけないか。


「助けてくれて、ありがとうございます。……あの、もしかして……あれ、見えるんですか?」


「ああ。俺もジンも、あいつらが見えているよ」


「じゃあ! こういうときの対処法とか知っていますか!?」


「対処法か……」


 ウェイターさんは少し悩む素振りを見せて、やがてゆっくりと首を横に振った。


「すまない、俺はああいうアヤカシに狙われることがないのでな。キミに具体的なアドバイスをしてやることができない」


「そう……ですか」


 私と同じく、アヤカシが見える男の人。それもアヤカシを脅威としていない。

 そんな彼なら、アヤカシと遭遇したときの対処法を知っていると思ったんだけど……駄目だったか。残念。


「……ところでキミは、こんな場所で何をしていたのだ? この時間にもなると商店街に開いてる店はないだろう?」


「いえ、この先のスーパーまでちょっと買い物を」


「スーパーか……ふむ、俺もそこに用事があるのだ。しばらくキミに付き合おう。またさっきみたいなアヤカシに狙われんとも限らないからな」


「あ、ありがとうございます!」


 ここから一人で買い物に行くのは正直言って心細かった。ウェイターさんが一緒に行ってくれるなら心強い。感謝感激。


「おっと。まだ名乗っていなかったな。俺は北城裕。キミは?」


「水無瀬ルナです。本当にありがとうございます」


 ジンくんを先頭に、私と北城さんは並んでスーパーを目指す。

 道中聞いた話によると、北城さんは一緒に住んでいる総魔さんにお菓子とジュースの買い出しを頼まれたそうで。ついでにジンくんのお散歩をしていたら、急にジンくんが走り出したので何事かと思って追いかけると私がアヤカシに襲われていた──と。

 ジンくんも本当にありがとう。今回は本気で死ぬかと思ったもん。

 スーパーに着き、お礼に北城さんには缶コーヒーを、ジンくんにはビーフジャーキーをプレゼントした。気にしなくていいという北城さんに半ば無理やり押し付けた。

 目的の醤油とアイスも買って、さて帰るかとなり。


「ルナ、キミは犬は好きか?」


 唐突にそんなことを聞いてくる北城さん。

 無論犬は好きです。猫も好きです。もふもふ大好きです。


「帰りも送ってやりたいのだが、腹が減ったと透がやかましくてな。急いで帰らなければならない。しかし、あの商店街を一人で通るのは心細いだろう。キミがよければ、ジンを連れて行ってくれ」


 わふ!? と驚きの声をあげるジンくん。さっきから思ってたけど、この子人間みたいな反応するね。

 いや、それは重要じゃない。


「駄目ですよ、できませんよ、人様の家のワンちゃんを連れて帰るなんて! それもよく知らない人の!」


「大丈夫だ。粗相をしたりはしない。餌もやらなくていい。なんなら家に着いたら放してくれても構わない。自分で帰ってくる」


「で、できませんよそんなこと!」


「では、キミは一人で帰れるのか?」


「うっ……」


 無理だけど。一人で商店街通れないけど。

 うぐぐ、と唸ってジンくんをじっと見つめる。心なしか困ったように眉を下げている、ような。


「……俺の連絡先を教えておこう。明日の朝……そうだな、9時以降なら電話に出られると思う。キミの都合のいい時間に連絡をしてくれ。ジンを引き取りに行く」


 オロオロと私と北城さんを交互に見るジンくん。そんなジンくんを北城さんが抱え上げて私の前に差し出す。思わず手を伸ばして受け取ってしまった。

 ジンくんの体温が腕に伝わり、不思議と怖い気持ちはわいてこなかった。


「キミに責任を押し付けるつもりはない。あくまでキミの身を守るためだ。キミはさっきのアヤカシに目を付けられたかもしれん。一人で帰るのは危険だ」


「……はい。じゃあ、お言葉に甘えて。よろしくね、ジンくん?」


 ジンくんは任せろ、と得意気に頷く。


(そういえば、北城さんもジンくんもアヤカシが見えるんだよね……それじゃあ、総魔さんは?)



──ずっと悩んでること、あるでしょ。



──明日も来てネ☆



「…………」


 彼が何を考えてああ言ったのかは分からないけれど、もしかしたら総魔さんは危険なアヤカシの対処法を──アヤカシに狙われなくなる方法を知っているのかもしれない。


(明日、もう一度ソラに行ってみようかな)


 ジンくんのもふもふの後頭部に鼻を埋め、行きの時とは違ってあまり恐怖を感じずに家路についた。


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