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Heaven  作者: 沖崎りぃ
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heaven6




 雨が降り続けている、いくつもの雨が。この地の人々に、築いてきた物に、積み重ねてきた歴史に、それらのもの全てを洗い流すように、ずっと雨が降り続けている。渇いた大地は雨に覆われ、(ひざまず)いているナンバー2は腰まで雨に浸かっている。それでもナンバー2は若い男性に頭を垂れている。

「教祖様、私をナンバー2に」


 若い男性は自分に跪くナンバー2を見ずに老人を見ている。今すぐ老人の元に行き、跪きたい気持ちでいっぱいになっている。けれど自分に与えられた仕事をしなければ、と思っている。若い男性は老人の側に行き声を掛ける。

「あなたに、これを」

 老人は振り向かずに、積み上げられたガラクタを見上げている。

「わしは、もう教祖ではない。それはあなたのものだ」

 若い男性も積み上げられたガラクタを見上げる。

「このガラクタを登ればどこに行けるのでしょうか」

「heaven」と老人が答える。それから若い男性を見て、手を差し伸べる。

「さあ、あなたも登りなさい」

 差し伸べられた手に、若い男性は眼鏡を渡した。忘れ物を届けに来た善良な市民のように、汚れの無い無垢な子供のように、高き山から低き海へと流れる清き水のように。

「私にも登れるでしょうか」

「もちろん。あなたは雨を降らす事が出来たのだから」

「私が降らしたのではありません。天が降らしたのでございます」

「それでも、あなたには登る権利がある。さあ、登りなさい」

 若い男性は二度首を横に振ると老人の足に優しく手を添え、その足をガラクタに掛けた。老人の背中をそっと押し上げる。老人がガラクタを少し登ったふうになり、若い男性は老人を見上げるようになる。

「私には、やる事があります。皆さんを安全な場所へと誘導しなければなりません」

 若い男性は老人に背を向けるとそのまま真っ直ぐに歩き出した。振り返る事無く、直線的になだらかな、先の見えない広い坂をゆっくりと、しかし力強く歩いていく。他の者達もその後に付いていく。黒服の男達も、ナンバー2も、全ての者が若い男性の後に付いていく。「教祖様、教祖様」と叫びながら。

 若い男性は一度も振り返る事無く坂を降りて行った。他の者も若い男性の背中を追いかけ坂を降りていく。ナンバー2だけが途中で振り向いている。だいぶ下って来たが本当に良かったのだろうか、と考えながらガラクタを登る老人を見ている。老人のその背中は小さくか弱い、虫けらのようだ、と感じている。けれどナンバー2は気づいている。離れてみて初めて気づいている。高くガラクタが積み上げられていた事に。老人が小さいのではなく、ガラクタが大き過ぎる事に。大き過ぎるガラクタのせいで老人が小さく見えていた事に。近くにいた自分には大き過ぎてガラクタが見えていなかった事に。見えていなかった自分はやはり頂点に立つ人間で無かったんだろう事に。ナンバー2は引き戻そうかとも思った。自分もガラクタを登ろうかとも思った。あのガラクタを登りきれば頂点からの景色を見る事が出来るんじゃないかと思った。けれどナンバー2は気づいている。降りしきる雨が大地に溜まり、緩やかな坂を降りている自分の足元を強く流れ下っている事を。流れに逆らいガラクタの元へ戻る事はもう出来ない事を。自分は坂を降りて行くしか道が無い事を。

 雨は降り続けている。坂を下る水の量は増し、全てを押し流そうとしている。ナンバー2は、これではもう跪く事も出来ないと思っている。若い男性の姿はだいぶ小さくなっていた。ナンバー2は歩き出す。流れに任せ、坂を降りて行く。どこまで堕ちて行くんだろうと感じながら、それでも力強く、もう二度と振り返る事無く、「教祖様、教祖様」と叫びながら、若い男性の後を追い下って行く。

 若い男性は坂を下り続ける。穏やかな笑みを携えながら。




 男はガラクタの途中で休んでいる。積み上げた一番上まではあと少しである。ここまでくれば雨は降っていない。すでに雲の上に来ている。ここから顕微鏡で下を見てみようと思っている。

 顕微鏡を覗くとまず雲が見えた。それから倍率を上げて雲の下を見てみようとしたら、その雲の中から椅子を背負った女が登って来た。だいぶ疲れているようである。汗をかき顔が険しくなっている。男は顕微鏡をしまい、ガラクタを降りて行き女を引き上げた。男は女を見ている。積み上げるガラクタは無いだろうかと女を見ている。しかし女は裸で何も身につけていない。背負っている椅子には子供が二人寝ていて、その椅子は必要とされている。もう一度女を見る。女の目を見る。しかしガラクタは無さそうだと男は諦めた。

 背負っていた椅子を降ろしガラクタに掛けると、女はそこで一息つき周りを見渡した。それまで登るのに夢中で景色を見ていない。雨が降っていないのにも気がついていなかった。

 周りを見渡した女は驚いている。目を見開き、開いたままの口を塞ぐ事も忘れている。女が男を見る。

「ここは……」

 男も周りを見渡し何か言おうとした時、ガラクタが大きく揺れた。椅子で眠る男の子と女の子の顔が強ばる。またガラクタの一部が抜けたのだろうか、と男はガラクタを降りて行く。少し降りた所で、邪魔になるからとポケットからAppleを取りだし女に投げた。女が微笑む。男はそれを見ている。見ながら必要な物はどこに積み上げればいいのだろうか、と思った。しかし今は揺れを治める為にガラクタを降りて行かなければならない。



 雨は激しさを増している。大量の雨が降り続いている。大地は水没し、全てが海と化している。高く積み上げられたガラクタも、もう半分が水に浸かっている。それでも雨は降り続けている。全ての物を洗い流そうとしている。男は顕微鏡の倍率を変えて、水に浸かっている部分のガラクタを見ていた。底の方でガラクタの一つが水に流され穴が開いている。そこに代わりの物をはめ込まないといけない。何かないか、と男は辺りを探しだした。けれど低い所へと流れ行く大量の水しか無い。手に持っている顕微鏡はどうだろうかと考えたが、それははまりそうに無かった。着ている服も脱いでみたが、それも揺れを治められそうに無かった。何か無いだろうかと足元を見た、そこに一本の腕があった。これはガラクタだろうかと考えているともう一本の腕が水の中から出て来て、更に頭と、続いて背中が這い上がって来た。それは痩せていてシワだらけで汚ないシミまであった。それは腰まで這い上がったところで、激しく息を吐き出し、ゲホゲホとむせたあとゼェゼエと苦しそうに息をし出した。男はそれをガラクタだろうかと見続けている。苦しそうな息が治まるとまた動きだし足まで全て水から這い上がってきた。男は、これをはめれば揺れを止められるだろうかと考えている。雨は降り続け、水の量は増し、流れも速くなり轟音を響かせ始めている。ガラクタは揺れ続け、見上げると上の方が大きく揺れている。男は、早く揺れを治めて上から顕微鏡で下界を覗いてみたいと思っている。出来ればあの女と見てみたいと思っている。

 男が視線を戻す。水から這い上がってきた者と目が合う。老人である。男は前に一度会っただろうかと思い出している。老人は「heaven、heaven」と呟いている。「heaven?」と男が返し上へ続くガラクタを見上げた。老人も見上げ「おおぉ」と声をあげる。手に持つ眼鏡の水滴を拭き、目に掛けて見上げると先ほどより大きな声で「heaven! heaven!」と繰り返す。男はじっと老人を見ている。この老人はガラクタだろうかと見ている。

 「heaven、heaven」と繰り返しながら老人が男を見る。男も老人を見ている。老人の目を見ている。ガラクタが無いか老人の目をじっと見ている。老人の、目の奥を、じっと見ている。


 男の表情が動く。口が動いている。老人の目の奥を見ながら口を動かしている。「あった」と男は言っている。「あった、あった」と言っている。男はガラクタの上を見詰め、満足そうに頷くと老人に近づき、老人の手を取った。

「これをあなたに」

 男は老人に顕微鏡を手渡す、老人の目の奥を見ながら。

 老人も男を見続けている。老人は瞬きもせずに男を見続けている。その瞳は真っ直ぐに男を見ている。男はその瞳を見ている。老人の瞳には、老人を見詰める男の姿が映っていた。その自分の姿を見て、男は「あった、あった」と満足そうに水の中へと入って行った。






 真っ赤な椅子に男の子と女の子が座っている。退屈そうに足をブラブラとさせながら。

「暇だね」と女の子が言っている。

「もうすぐだよ」と男の子が返している。

 雲は無く、眩しい光が射している。その光を受けて男の子と女の子の足元はキラキラと輝いている。どこまでも平らに真っ直ぐにキラキラと輝いている。 

 男の子はキョロキョロと周りを見ていたが、やがて指を舐めてその指を上にかざした。

「ほら、風が出てきた」

 女の子の頬にも心地いい風が当たる。その風は足元のキラキラを少しうねらせた。

「本当だ。もう少しだね」

 女の子は嬉しそうに、更に強く足をブラブラとさせる。

「次は上手くいくかな?」

「どうかな? でも上手くいかなければまたやり直せばいいし」

 女の子は微笑み、どこまでもキラキラと輝きながら続く水面を眺めた。


 降り続いた雨は大地を沈め、海を沈め、痕跡を沈め、最後に残った高く積み上げられたガラクタをも沈めていった。僅かに一番上に積まれた真っ赤な椅子だけが残り、その他のものは全てが水の中へと沈んでいった。椅子の上で男の子と女の子は、永く永くとても永く眠り続けていた。雨が止み、荒れていた水が静かになり、陽が射し始めた頃にようやく男の子と女の子は目覚めた。それまで悠久の時を要した。

 世界が光に包まれ始め、風が吹き、ようやく大量の水が引き始めている。覆い隠された大地が見えてくるまでには更に悠久の時を待たなければならない。男の子と女の子は、次は上手くいくかなと思いながら、水が引くのを待ち続けている。



 遠くで何かが跳ね、水しぶきがあがった。男の子と女の子が同時に声をあげ微笑み合う。

「何か生まれたね」

「もうすぐだ」

「次は何が生まれるかな」

「わかんねぇ、でも腹減ったな。さっきのやつ食えるかな?」

「食べちゃダメなんだよ」

「でも腹減っちまったよ」

 男の子と女の子は足を揺らせながら、水が引くのを待ち続ける。

「あっ、Appleがあったんじゃない」

「けどアレも食べちゃイケナイんだぜ」

「平気よ。食べちゃおう」

 女の子は可愛く微笑み、男の子はポケットからAppleを取りだし、二人でAppleをかじった。




 少しずつ水は引き始めているが、まだまだ大量の水がこの星を覆っている。男の子と女の子が座る真っ赤な椅子だけがポツンと浮かぶ。その椅子は水から出た二本の腕が支えていた。一つは女の腕で、もう一つは老人の腕のようであった。





           Heaven         完




 




お疲れ様でした。最後までお読み頂きありがとうございます。

皆様の幸せは未来永劫続きますように。

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