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Heaven  作者: 沖崎りぃ
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heaven5



 フロントの若い男性は全ての客室の見回りを終えてから、ロビーの端のソファーで時間をかけて味わうようにタバコを吸った後、灰皿をキレイに拭き、他にやる事が無かったか確認し、もうやる事が見つけられなかったのでカウンターで日報を書き始めている。退社時に前日の日報を渡さなければいけない支配人は来ていないが、この日報を書き終わったらもう帰っていいだろうと思っている。みんな避難していて、次の勤務の社員も来ていない。自分の勤務終了時間はだいぶ過ぎている。残業手当は付くのだろうかと思いながら、名前と日付と時間を書き、引き継ぎ欄にはheavenと書いた。日報を閉じると直線的に折り目のついた制服を脱ぎ、穏やかな笑みを携えたまま律儀に畳んでカウンターに置いた。

 ホテルの鍵を閉め、closeの札を掛けると、若い男性は振り返り歩き始めた。顔は前を向いていて少し上を向いている。その先には積み上げられたガラクタが見えている。そのガラクタは揺れている。今にも崩れそうにユラユラと大きく揺れている。けれど若い男性はあそこが安全な場所に違いないと思っている。積み上げられたガラクタを見るその顔には眼鏡が掛けられている。若い男性は、老人が忘れていった眼鏡を掛けて初めて自分は目が悪かったんだ、と気付いていた。でもそんな事はどうでもいいと思っている。今はガラクタを目指している。あそこに行かなければと思っている。空では厚い雲に稲妻が走りゴロゴロと音をさせていた。そんな音は今までに聞いた事がなかった。不思議に思い空を見上げると、若い男性の頬に何かが落ちてきた。



 男はガラクタを引きずり歩いている。その後ろには女が付いて来ている。女は真っ赤な椅子を背負い、その椅子には男の子と女の子が眠っている。その寝顔は安らかで、次の目覚めの時を待っているように、深く深く眠っている。女も安らかに歩いている。ゆっくりと、ゆっくりと、次の朝を待つように、登る太陽にだんだんと消されていく夜の暗がりのように、ゆっくりとゆっくりと歩いている。

 男はブランド物のロゴが入った旅行カバンを引きずり歩いている。このカバンはもういらないだろうから、揺れを収めるのにちょうどいい大きさでもあるだろうから、と男は満足して歩いている。



 メガネが掲示板を閉じて窓を眺めている。その窓は永く閉じられていて、メガネが窓を開けた事は無い。二重の遮光カーテンも付けてから開けられた事がない。そのカーテンを開ける時が来た、とメガネは思っている。掲示板で呼び掛けた。[我は神なり、皆の前に姿を現す時が来た]と先ほど打ち込んだ。この窓の向こうには、神の姿を一目見ようと群衆が集まり出しているに違いない、とメガネは興奮している。恐れている姉にはプレゼントを送った。もう姉の所へ飛んで行ってるはずである、と思っている。姉は消えた、とメガネは喜んでいる。



「雨乞いの儀式を」とナンバー2が頭を垂れている。老人は背を向け、積み上げられたガラクタを見ている。自分はいつから積み上げる事を忘れてしまったんだろうか、と人生を振り返っている。雨が降った日、たった一度だけ雨を降らす事が出来たあの日から、積み上げる事を忘れてしまったんだろうか、と考えている。



 男がガラクタを登り始めている。抜かれて穴が空いた箇所に旅行カバンをはめ込む為に。

 男の子と女の子が眠る真っ赤な椅子を背負いながら女もガラクタを登っている。衣服を脱いで裸になっていたので、邪魔する物が無い女の速度は速かった。けれど男の子と女の子が起きないように、ゆっくり、ゆっくりと登っている。男の子と女の子はユリカゴで揺らされているように安らかに眠っている。

 男が穴の空いた箇所に旅行カバンを押し込んでいくと、崩れそうに揺れていたガラクタが収まり始めた。けれど旅行カバンは途中で引っ掛かり、全部を押し込む事が出来ない。積み上げられたガラクタもわずかに揺れ続けている。男は旅行カバンを一旦引き抜いた。またガラクタが大きく揺れる。その揺れで女が登るのを止め、椅子で眠る男の子と女の子を覗き見る。まだ眠ってはいるが、その寝顔は強ばっている。女は男を探し、「Apple」と叫ぶ。男は旅行カバンを開け、中をかき回し、Appleを取り出す。それからまた旅行カバンを閉め、抜かれた箇所に押し込んだ。今度は上手くはまり、ガラクタの揺れも収まった。男は満足して、上へ上へと登り始めた。



 若い男性は積み上げられたガラクタの前で足を止め、空を見上げた。また頬に何かが落ちた。冷たい。なんだろうと見上げ続ける。見上げるその頬にも一つ二つと落ちてくる。若い男性は、老人が忘れていった眼鏡を掛けている。空がよく見えた。稲妻が走る雲からいくつかの小さな粒が落ちてくるのもよく見えていた。その一つが眼鏡に落ちた。それはレンズの上で静かに広がりキラキラと光った。

「rain!」と若い男性は叫んだ。



 跪きながらナンバー2は垂れていた頭だけをあげて老人を見ている。老人は背中を向けている。ナンバー2にはその背中が小さく見えている。あれほど偉大で強大だった教祖が、小さくか細い普通の老人にしか見えない。自分は間違っていたのだろうか、と後悔している。やり直しは出来るだろうか、と考え始めている。

 その時、「rain!」と声がした。振り向くと、若い男性が手を広げ空を見上げている。同じ様に空を見上げると、頬に何かが落ちてきた。

 ナンバー2は立ち上がり、小さな老人の背中を見下ろしてから若い男性の元へと歩き始めた。若い男性は両手を広げ空を見上げている。ナンバー2も同じ様に空を見上げる。



 雲の中を走り続けていた稲妻が一点に集まり、大きく強く眩しい一本の柱となって地上に落ちた。それは遠く離れていたが、激しい光りと激しい音と激しい揺れを与えた。誰もが息をのみ、言葉を忘れ動きを止めた。地が揺れ風が吹き付けて来た。草木が踊り砂が舞い、鳥が羽ばたき動物達が暴れ出した。その中で人々だけが動きを止めている。何も出来ずに動く事を忘れている。

 若い男性は両手を広げ空を見上げ続けている。風は激しさを増し吹き荒れる。風に倒されそうになりながらも両手を広げ空を見上げ「rain! rain!」と叫んでいる。やがて風は止み、人々の頬にポツポツと何かが落ちて来た。一斉に辺りが騒ぎ叫び出す。

「雨だ! 雨だぞ!」

 若い男性がもう一度「rain」と言葉を出した。雨の粒は量を増し、若い男性にナンバー2に人々に降り注ぐ。

 ナンバー2が若い男性の前で跪き頭を垂れた。

「教祖様」



 メガネが窓を開けようとしている。手が緊張で震えている。窓の外からはザワザワとした大勢の声のようなものが聴こえてきている。神の出現を待っている。目に焼き付けようとしている。祭りになる。ネットがお祭り騒ぎになる。意外とイケメン、と思われるかも知れない。女子達が狂喜乱舞するかも知れない。ハーレムだ、ハーレムだ、ハーレムだ、とメガネは予測している。メガネが震える手で髪をほぐし、それから窓を開けた。

 ザワザワの音がザーザーとなる。外はどんよりと暗く誰も居ない。雨。雨だけがメガネに写っている。強い雨が激しく降り注いでいた。地面は既に雨で覆われている。そこには誰の姿も見当たらなかった。メガネはしばらく佇んでいた。集まっているはずの群衆を想像しながら。狂喜乱舞する女子達を妄想しながら。

 遠くで何かが光った。メガネは雨に濡れたメガネを拭き、雨に吹き付けられている自分の顔に再びメガネを掛けた。空はどんよりと暗く、激しい雨が降っている。吹き付けて来る雨でメガネは直ぐに濡れ、頭からは大量の滴が目に流れ込んで来ている。周りの景色は直ぐにぼやけ霞み歪んで見えなくなっていくのに、遠くで光った何かはハッキリと見てとれた。あんなに遠くで光った何かは、今はすぐ目の前にまで自分に向かって飛んで来ていた。その胴体には、[Re:プレゼント]と書かれてあった。

 メガネはやっぱり姉には勝てないと思いながらメガネを外した。



 ポツポツと降りだした雨は次第に激しさを増していく。乾燥した大地に、海に、人々の足元に、雨は降り積もっていく。ドアが開かれたままの地下のシェルターに、今後の対応を議論している住民達の会議室に、渇いた人々の心に、雨は濁流となってなだれ込んでいく。






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