Heaven3
ガラクタを降りて来る男を老人が見ている。見ながらポケットの中で眼鏡を探している。けれどホテルに忘れてきて今は無い。なのにポケットの中を探し続けている。ガラクタを降り切った男が歩き出し、老人を見る。男はガラクタを探している。抜かれて開いた穴に埋める、揺れを収めるのにちょうどいい大きさのガラクタを。
男が老人に近づいていく。老人は口をぱくぱくと動かしているが言葉が出てきていない。男はどんどんと近づいていく。老人の口を見ている。ガラクタが無いか見ている。ぱくぱくと動く老人の口を男はずっと見ている。
「heaven……」と絞り出すように老人が声を出した。男は立ち止まり、首を傾げて老人を見る。
「heaven?」と男が返す。老人はうわ言のようにheavenを繰り返している。
風が吹き、砂ぼこりが舞った。男は老人の横を通り過ぎて行った。ガラクタを探しに行く。老人は積み上げられたガラクタに目をやる。heaven、heavenと繰り返しながら。今のこの気持ちは聖書の何ページに書かれていただろうかと考えながら。そんな事は考えても無駄だと思いながら。聖書に答えは見つからなかったけれど、今は見つけたのだからと涙を流しながら。
遠くの空で音がした。老人が空を見上げる。何かが飛んで来る気配がする。老人は焦りだし、急がねばと感じる。早く皆に知らせねば、と。しかし振り向こうとした老人の肩を黒い手袋が掴んだ。更に別の黒い手袋が腕を掴む。黒服の男達が老人を囲む。身動きが取れなくなった老人は積み上げられたガラクタに目を向ける。しかしその視界が遮られる。教団のナンバー2が老人の前に立ち老人を見る。老人の目がゆっくりとその目に移動する。
メガネがキーボードを叩き続けている。それを使命だと思っている。けれど疲れている。叩き続けて疲れている。メガネはメガネを外し、一息吐き出してからそのメガネを拭きだした。メガネは疲れている。もう何日も寝ていない。だから疲れている。一瞬、メガネを微睡みが襲う。体が斜めに傾いていき倒れそうになったが、すぐに元に戻しメガネを掛けモニターを見る。メガネはキーボードを叩き続けなければならない。それが使命だと思っている。それが神の使命だと思っている。けれど、メガネの奥の目がモニターの一点だけを見てキーボードを叩く指を止めている。メガネが、メガネを拭いている間にモニターの端に先ほどまでは無かったウィンドウが開いていた。そのウィンドウをメガネは見ている。動きを止め、その一点を凝視している。指はピクピクと震えているが動かす事を忘れている。汗が流れメガネが曇り出す。キーボードを叩こうとするが指が動かない。動かないその指で髪をかきむしる。その間もウィンドウを睨み付けている。メガネが静止する。ウィンドウを睨み付けたまま、しばらく静止している。
暗闇を引き裂くようにメガネが光った。メガネが動き出す。メガネの指が動き出す。巣を掘り返された大量の蟻達が右往左往するように、奥から更に大量の蟻達が這い出て来るように、メガネは指を動かしキーボードを叩き続ける。
ウィンドウの中の無秩序な記号をメガネの指が書き直し取り替え入れ換えていく。メガネは怒っている。「バカにするな」と興奮している。キーボードの上を蟻達が掛けずり回り、やり直し、あちこちを這い回り、捜しだし、やり直し、繰り返し、掛けずり回り、静かになり、焦り、イラつき、やり直し、繰り返し、そして蟻達は一斉に最後の記号に群がった。メガネがゆっくりとenterを押す。「ざまあみろ」とメガネが笑う。神に不可能は無いとメガネがふんぞり返る。笑いながらメガネがメガネを拭く。メガネは満足している。正に神の仕事だったと、メガネを拭きながら満足している。
メガネが、拭き終わったメガネを掛けてモニターを見なおした。すぐに凍りついたように固まる。モニターには新しいウィンドウが開かれていた。いくつも。
大統領がボタンを押している。何度も何度もボタンを押している。積み上げられたガラクタに向けて発射されたはずのミサイルが何故か途中で向きを変え、始めからそのように入力されていたかのように進路を変え、大統領の故郷に落ちた。その後も次々と発射させた。その全てが向きを変え思わぬ所へと落ちていく。
「どういう事だ?」と大統領は聞くが返事は無い。
「またハッキングか?」と説明を求めても誰も答えてはくれない。他の者達は全員がすでにシェルターに避難し、その部屋には誰もいない。他の者達はシェルターの中で大統領よりも偉い人達を囲んでワインを飲んでいる。大統領は誰もいないので喜んでボタンを押している。その度に積み上げられたガラクタに向けてミサイルは発射されているが、途中で方向を変え世界中の首都に落ちている。
メガネはアドレナリンを出して高揚している。神だ、神だ、超神だぁぁ、と自分に酔っている。次々と開かれるウィンドウをことごとく跳ね返している。神になっていた。メガネは神になっていた。だから、無秩序に並ぶ記号の中にheavenと打ち込む。その時、メガネの携帯が鳴る。メガネは携帯に出ず「うるさい」と返し作業を続ける。ウィンドウは残り二つになっている。メガネは格闘を続ける。携帯は鳴り続けている。enterを押す。残りのウィンドウが一つになる。メガネがチラリと携帯の画面を見る。発信者の名を見てメガネはたじろぐが、すぐに口角を上げる。メガネのメガネが光る。神だ、神は我一人、とメガネが笑う。最後のウィンドウに取り掛かる。携帯は鳴り続けている。
何度もボタンを押した大統領は満足して、シェルターへと向かった。シェルターのドアから入って来る大統領を、中にいた者達は驚いたが顔には出さず歓迎の言葉で迎える。皆でワインを掲げる。
「我々の未来に」「我々の栄光に」
シェルターのドアは開いている。皆は気づいているが、ドアはドアボーイが閉めるものだと思っている。誰もシェルターのドアを閉めようとは思わない。ドアはドアボーイが閉めるものだから。けれどここにドアボーイはいない。
老人が何か言おうとした時、空に轟音が鳴り響いた。誰もが空を見上げる。積み上げられたガラクタに向かいミサイルが飛んで来ている。黒服の男達が、ナンバー2が、フロントの若い男性が、役所の人間が、警察官が、保険屋が、弁護士が、経済評論家が、世界情勢に詳しいジャーナリストが、リポーターが、天気予報士が、多くの人々が驚き、声を無くしている。住民達は会議室で遺憾の意を採決している。誰もが死を覚悟した。でも何とかなると思っている。自分だけは何とかなると思っている。
ミサイルは真っ直ぐに飛んで来ていた。積み上げられたガラクタに向かい真っ直ぐに飛んで来ていた。それが途中でフラフラと揺れだし、ミサイルの一部がキラリとメガネのように光ると、向きを変え方向を変え、飛んで来た東の空へと消えて行った。
老人が「heaven」と言う。ナンバー2が老人を見、跪き、老人の手をとり、手の甲にキスをして、
「信者のみんなが待っています。教祖様、教団にお戻り下さい」と、頭を垂れた。