自殺志願者に関する個人的な考え
ハッキリ言って、死ぬ奴は死ぬし、死なない奴は死なないよ。
体力がある、地頭が良い、三つ子の魂あーだこーだじゃないけど、死ぬべき奴は死ぬよ、やっぱりね。
無理に生かしても、上手い事いかない方が多いのよ、生き地獄って言葉がある通り、
俺はむしろ、自殺なんて手段がとれる、日本は幸せだと思うね、
発展途上国じゃ、自殺って手段がとれるほど悟りきれなくて、死に損なって無駄に不幸に成って、そして凶悪犯罪に走ってしまう、
まあ治安を守るのも大切だしね、
日本の良い所は、圧倒的に犯罪が少なくて、不幸が拡大再生産されない社会システムにあるって言っても過言じゃないのよ
それでも自殺者をなんとかしたいって思うなら、本当に個人的な範囲での草の根活動しか手はないって思うよね
まあ、こういう事言うと、社会的に発言力のある、才能があって有能な奴が否定して、理想論を持ち出すんだよね。
そいつは確かに自殺を考えるほど不幸に成って、
どん底を知って、それ故に人並み外れた、人外レベルの活力を持って、化け物として現実を悦楽的に謳歌してるんだからね。
自殺はチャンス、どん底から這い上がれれば、圧倒的なハングリー精神で、社会の上層に行けるってね。
所詮は幸福な奴だから、不幸な奴なんて受け入れらない、変える事しか頭に無いの、
自殺せず、それ故に無上の不幸になっても、
幸福になれる可能性を自ら捨てて、幸福にならないよりかはいいじゃないかって、溢れるほどの特異点的幸福を知ってるから、そう言う。
所詮は無上に不幸じゃない奴の、幸福な人間の意見なのだ。
自殺者を本質的に受け入れたり、肯定する奴なんて、この世には存在しないよ、
社会は否定から入って、建前で生かそうとするけど、心の底では自殺を本当に考える奴は変わるべきだって言う。
自殺が正しい行為だなんて、口が裂けても言わない、安楽死を認めて無いのが証拠だ。
自殺者を肯定する奴は、全員自殺者として死んで、この世に居ないんだから。
だから俺は、自殺者の救いは、実際に自殺を考えるような同士だけだと、個人的には思っているよ。
現状のシステムは、自殺者予備軍が、自殺者を救うみたいな、非営利の個人活動・社会法人っていうのが賄ってるし、いいんじゃないの?
故に、そこで心の友を見つけて、助け合ってる感じなんじゃないの、まあそこでの出会い切欠で、集団自殺なんて事も起きてるけど。
まあ、いいんじゃないかな? 自殺を縁として、己を受け入れてくれる友に出会ってもってね。
俺はそういう方向性で、考えてゆきたいね。
自殺者ネットワークで無く、自殺者予備軍と、自殺者の上手い付き合いを、難しいギリギリのやり方っぽいが、それが最善で良かろう。
話は変わって、物語における自殺志願者だが、
カッコ良過ぎるだろうが、
ふざけんなっ、己の命が惜しくないが故の、自暴自棄な有様が素敵過ぎるのだっ、
だからって、テロとかに走るのは良くないのだが、
ファッション自殺志願者は駄目だが、
一時期の、その場をしのぐ為の、アイデンティティとして、己を愛する為の個性として、自殺を志願する、
それはギリギリ、場合にもよるし、人にもよる、
もしかしたら、そういう個性は絶対駄目、犯罪レベル、幼女性愛者レベルで、社会が否定するべきなのかもしれない、
でも、実際に有りうるものとして、認知させるべきなのかもしれない。
人間というものには、そういう有様もあるとして、一般の人は知った上で接する必要性も、あると思ったものである。
いや、というよりもしかしたら、自殺志願者は、邪気眼中二病のように、社会に絶対容認されない事を望んでいるのかも、
そう、こういう発想が大事なのだ、
自殺を考えるイコール駄目、みたいな、思考回路を最適化し、不要に自己を嫌悪しないようにするのも大切なのだ。
自殺なんて駄目なんだからね! 絶対に認めない! ホント駄目! ちょっとカッコいいなんて、思ってないんだからね!
そうだ、自殺志願者に対する社会のとるべき姿勢は、まさしくこれだ、これが真理以外の何物でもなくて、一体なんなんだ?
絶妙な加減の、ツンデレ的な対応が、最高値なのだ。
邪気眼中二病ファッションセンスに対するスタンスで、社会が自殺志願者を相手にすれば良い。
邪気眼うずくノリで自殺なんて言い出したら、刺激しないようにするのだ、
そして、内心では、その存在を頭ごなしに否定せずに、カッコいいと、思ってれば良いのだ。
そうすれば、いや、そうするだけで、自殺志願者は救われる、様な気がするのだ、少なくとも俺は今そう思ったからな