あなたが手を握ってくれた日 二
「あの…僕の家は全室禁煙なんですが」
「お?そいつは悪かったな」
目の前に座る壮年の大男の名前はラルス・ヘンダーソンと言い、陸軍の少佐という階級を持っているちょっとした大物だ。隣に座った試作機6号さん曰く、彼はエリート部隊の隊長を務めているらしく、彼がここにいる時点で僕らはすでに包囲されているとのこと。彼女は苦々しい顔をしながら、食卓を挟んだ大男を睨む。僕は…これで完全に首を突っ込んだことになるわけだ。足で踏み込み、首も突っ込んで…いよいよ腹を括るだけだ。
「灰皿どうぞ」
「おお、用意がいいね」
「親父が吸っていましたから…銘柄は飛翔ですか?」
「詳しいのかい?」
「いえ、懐かしい匂いでしたので」
「君のお父さんとは気が合いそうだ」
「ええ、きっとそうでしょうね」
包囲されているということは狙撃手もこちらを狙っているのだろうか?そんな中で僕らはなぜか食卓を囲んでいる。ラルス少佐も迷わず僕を殺して試作機6号さんを強引に回収できるはずだ。なのになぜ…
「6号、戻ってこい」
「嫌です。あなた達は博士を裏切った。私に武装させたのはあなた達だ。私は何度も抵抗したのに」
「そりゃ美女に手荒な真似をしたことは謝るが…」
たぶんだが、ラルス少佐は基本的に気のいいおじさんなのかもしれない。ちょっとおちゃらけた雰囲気と言い、おしゃれに整えたあごひげと言い…若い異性にもモテそうな感じのおじ様ともいえる。
「俺だって一応は反対したんだぜ?あっさり謹慎処分を喰らったがな」
「あの…どういうことですか?」
「ヒズキ少年、大人の上下関係はシビアでな。俺だって博士とは親しかった方だけれど、いかんせん俺の上官が命令したことには逆らえん。6号もわかってほしい。ここは俺の顔に免じて…」
そして…この人は完全な敵ではないらしい。話してみると、意外と味方だったっぽい。ただ、頼りなかっただけだ。やはり元凶は研究チームとやらなのか。
「あなたと話すことはない」
「おいおい、このままじゃヒズキ少年も殺さなきゃいかんのだぞ?」
「本人の前で死刑宣告って…」
「だってよぉ。お前さんは軍隊の裏を見ちゃったわけだし?6号だってトップシークレットの兵器扱いだぞ?」
でもこの人は僕をダシに使ってでも…試作機6号さんを回収するつもりだ。今の僕は彼女の荷物でしかないのだ。
「ヒズキさんを殺せば、私は自分で脳を焼き切るだけです」
「ひゅ~…お前さん達、意外と濃い関係なのか」
「もちろん、私を回収するなら、私も覚悟を決めます」
試作機6号さんの声は本気だ。きっと今まで自害しなかった理由は博士が生きていたからなのだろう。その博士が死んだ今、彼女が失うものは…僕の命だけ?
頑なな態度を取り続けている試作機6号さんを見て、ラルス少佐は深いため息をつくと…何か思いついた表情をして、僕を見て笑う。ゾワッとするほど嫌な感覚に襲われた。
「じゃあアプローチの仕方を変えよう。ヒズキ少年、君のことは調べさせてもらった。父親は弁護士で、母親は新聞記者だそうだね?」
しまった。僕はこの時、心の中でそう叫んだ。そして、今まで平然を保っていた顔が、自分でもわかるほど引きつる。
「君の両親は現在、刑務所で服役生活中だったね?」
得意げに笑うラルス少佐、驚きの表情を隠せない試作機6号さん、そして…唇を噛み、彼を睨む僕。
「君の親もおじさん達の周りを嗅ぎ回っていたよ。しかし、6号を引き渡すのに応じてくれれば、君の命と両親の釈放を保証しよう」
つくづく大人は卑怯だ。特に頭のいい大人は。いつだって人の弱みに付け込んできやがる。ああそうだとも。僕の両親は密かにとある事件を追いかけていたさ。内容までは知らなかったけど…去年、殺人事件の犯人に仕立て上げられて…家から刑務所にぶち込まれた。その結果、僕はこの家で1人住むこととなった。両親はこうなることを予想していたのか、僕の通帳に大金を残して。
「それは本気ですか?」
「不可能じゃない。彼らの判決は懲役20年。今すぐにでも会いたいはずだ」
ラルス少佐が試作機6号さんの回収をするために準備した交渉材料は僕の痛いところをついてきた。なんたって、僕の両親は明らかに冤罪なのだから。そんな2人を救うために、昨日会ったばかりのアンドロイドを差し出せというのであれば…お安い御用だ。でも…
「会いたいですけど、僕の方から面会すればいいことですし、そんな取引で両親を助けても…あの人達は絶対に僕を叱る」
試作機6号さんを引き渡せなどという取引には応じることができない。
「苦しんでいる人を放っておくことなんて僕には無理だ」
僕が取引に応じなかったため、ラルス少佐の眉間には皺が寄り始める。
「なるほど。理想主義の高校生らしい返答だな。ただ…6号は機械だ。死にたくないなら大人しくした方がいいぞ?」
機械、それを聞いた試作機6号さんは肩をビクつかせた。
まったく…そろそろ腹を括る頃合いか?まだ1日も過ぎていないのに、僕は今ある生活をこの機械な美女に賭けてしまうのか?
もう後戻りはできない、そう言ったのは僕自身だろう?
「少佐、彼女はもう6号じゃない。当然、機械でもない」
「何?」
ああそうか、今朝の段階で迷うことはできなくなっていたじゃないか。
「彼女は…」
食卓の下で、僕は勇気を出して彼女の手を握る。
「ヒズキさん?」
「彼女は…ロロ。僕の大事な家族だ」
名前のセンスがなさすぎる。でも1号はタロウ。2号はニコ。それとなしか数字に関連した名前なんだ。ロクだからロロ、僕なりに考えたんだぞ。
どうだ、とラルス少佐を見返す。精一杯、精一杯のどや顔で。
「正気か…少年」
「私の名前…ロロ…」
ラルス少佐は呆気にとられ、試作機6号さん…否、ロロさんは僕が握った手を、ちょっとだけ強く握り返してくる。
もう…僕は死ぬかもしれないな、なんて思った瞬間だ。