あなたが手を握ってくれた日 一
1月19日土曜日、天気は晴れ、それでも広いリビングは少し寒かった。そんな中、暖房器具もつけずに僕は試作機6号さんと食卓で向き合う。ここから先は最高機密に違いなく、本気で後戻りができない。でも踏み込んだ以上は成り行きだ。
「最初はアラン博士とクロウさん、アーベラルさんの3人で…ヒューマロイド計画という名前の下で小規模な実験を繰り返してきました。クロウさんは義手とか義足とかを作るのが上手な人で、人工皮膚の研究の先駆者でした。アーベラルさんも優れたプログラマーで、大手企業をスポンサーに人工知能を研究していました。博士はロボット工学のスペシャリストだったので、皆で…人間のような機械を作ってみようって…まるで少年の夢をいつまでも追いかける若者のようなキラキラした瞳で…」
「それに関してはネットで見ました。去年の話なんでしょう?」
何があるかわからないので、念のためにリビングのカーテンは閉めておく。今時、サーモグラフィーみたいな熱源を調べる機械を使えば、室内の様子なんて丸わかりなのだろうけど。
「最初に生まれたのが試作機1号…名前はタロウ。でも、3人共の技術力に限界があった。至る所が欠陥だらけだった。それに改良を加えたのが2号機…名前はニコ。博士はニコで初めて、人間の足を再現できたのです。しかし脳と外見が人間とは程遠く…」
「そりゃそんなのが成功していたら、今頃この国も変わっているよ」
「そうですね。ですが、ここから不思議なことが起こるんです。まず、クロウさんが自殺をしました。そして…アーベラルさんのスポンサーが撤退してしまいます。ニコの完成は…クロウさんにもスポンサーにも嬉しいニュースだったはずなのに」
どうしよう。朝食を作ってくれていた明るい試作機6号さんが遠くなっていく。
「そこに軍隊が絡んできたと?」
「はい。あの人達は…1人になった博士に声をかけたんです。国から予算を出してやろう、と。だから軍部の研究チームに参加しろ、と」
「クロウさんを殺したのもスポンサーの撤退も、軍隊がやったって言うのか?」
「はい、博士もそれに気づいていました。だけど…あの人から研究を奪ったら…もう何も残らない。結局、夢を諦めなかったんです」
夢を諦めなかった…今の僕とは大違いだ。でもそのせいで地獄の扉を開けてしまったんだと思う。
「軍隊の目的は…アンドロイドによる戦闘部隊の編制でした。量産化に成功したら、武器を持たせて戦場に送り込むだけで、自分達の手は汚れない。だから軍隊の研究チームによってほぼ同時に作られた試作機3号、4号、5号は未完成な殺戮マシンだった。試作機が失敗に終わる度に博士は言われるがまま情報提供をしてしまった」
軍隊が絡むとやっぱり兵器の方に走ってしまうのか。僕の憶測の中の1つに当てはまってしまうのが心痛い。
「それでも兵器を作りたくなかった博士は密かに兵器じゃないアンドロイドの設計図を描いていました」
「それがあなた、と。しかし設計図だけなら…」
「見つかってしまったのです。軍隊は博士と『設計図通りに作る』という約束を交わして設計図を取り上げた。こうして生まれたのが試作機6号、クロウさんの家から強奪した資料を基に研究チームが開発した完璧な人工皮膚とアーベラルさんから買収した人工知能、そして博士の設計図。あの3人が夢に見たヒューマロイド計画の完成形が…こんな形で実現してしまった。そして軍隊は迷うことなく…私に武装を施した」
向かいから顔を見ているからよくわかるが、こちらももらい泣きしそうになる。それほど悲しい顔をしていた。
「そんな…約束と違う」
「博士もそれに気づいた。だから自分の設計図を私の脳に押し込み、私がここまで話してきた真実も入れて…昨日、実戦訓練のために実験施設から基地に空輸中だった私を逃がした。基本的に設計図通りに作られた私の脳の中心には博士しか存在を知らないチップが挿入されている」
じゃあ昨日話していた裏切者って…誰なんだ?博士が暴れて、輸送機が墜落したんだろ?じゃあ…あそこでの裏切者は博士自身だということか。そして僕が引っ掛かっていたGPSは…軍隊が試作機6号さんにマーキングをしていたということか…マーキング?
仮に僕の自室で彼女があの後、GPSを破壊したとする。当然ながら…破壊する前の居場所がわかることないか?とりあえず消息を絶った位置には出向いてくるだろうし。
「質問いいですか?」
「はい」
「昨日のGPSについてなんですが」
僕がそう聞くと、あからさまに苦い顔をする。
「バレてましたか」
「不自然でしたから」
「あれは安心してください。首の後ろから細い針のような電極を刺して、私の電気を利用して発信する装置ですから。あの時私は頭部ユニットしか電流を流れないようにしていました。ですので首に電気が通ることはなかったですし、あの装置が電波を発信することもありません」
なるほど…よくわからないけど、なるほど。
「それじゃあ、軍隊はあなたの脳にある設計図諸々を奪いに来るはずだと」
「だから連絡はしたくありません。私は半永久に稼働が可能になっていますから、逃げ続ければ…」
そういうことだったのか。なんか壮大な話なんだな。僕はこれを聞いてどうするのか。SNSで暴露しても誰も信じないだろうし、情報操作されて信じさせてももらえないだろう。逆にこちらの居場所を探知されてしまう。輸送機から逃げ出したということは…軍隊も落下予想範囲を推測し、そこを中心に調べ始める。たぶん、国家権力はこの場所を嗅ぎ付けてしまう。そしたら僕まで連行されるんだろうな。最低でも無期限の監禁。
「よし、暗い話題はおしまい。明るい話をしよう」
単純に怖いと思った。恐ろしいと思った。食卓の下では足がガクガクと震えている。だからこそ…話題を変えたかった。実に情けない話だ。しかし、何を話す?
「ああそうだ。3号から6号さんまでの名前ってあるんですか?」
話を聞いている最中に疑問に思った。タロウとニコは存在するのに、彼女の口からは他のアンドロイドの名前が出てこない。
「ありません。3号と4号は失敗作と位置付けられ、完成早々に廃棄されましたから。5号と私は一応…識別番号が与えられていますが」
「じゃあ…考えませんか?これからは名前がないと不便でしょう」
静かな空間も嫌だったので、それとなく食卓の上に置いてあったリモコンで左側にあるテレビを点ける。今の時間帯はどこもニュースだけだったので、親友の好きな女子アナが担当している番組にしておく。趣味の相違があるものの、僕はその番組の構成が気に入っているのでよしとする。
「名前…ですか?」
「何がいいですかね。希望みたいなのは何かあります?」
「私の脳はこういう場面での決定力が低いんです。あくまでもコンピュータですから。基本的には言われたとおりに行動するしかない機械ですし」
人工知能の開発において最も難しいとされているのが、やはり個性や性格だろう。それだけは感情によって左右される部分が大きく、機械に感情を組み込ませることなど、ほぼほぼ不可能に近い。なぜなら「こういう時はこうする」というプログラムによって人工知能は構成されているから。
ゆえに、人工知能は判断力に優れていても決断力で劣ってしまうのだ。
さしずめ、自主性のない新入社員、といったところだろうか。言われたことは一生懸命覚えようとするが、自分から行動ができない部下気質なタイプ。
そして、そのことを踏まえると、試作機6号さんもまだ未完成な部分があるのかもしれない。よし、ここは僕が…
「僕が決めてあげますね。例えば…」
パリィン!
とりあえず適当に思い付いたものを言おうとした時だった。
「ダメです!ヒズキさん…!」
試作機6号さんは驚きと焦りの表情を見せ、食卓を飛び越えるようにして僕に飛びついてくる。
「うわ…!」
彼女に飛びつかれた僕は勢いを殺しきれず、椅子ごとひっくり返った。
ガタンッ
訳も分からず床に頭を打つ。寝っ転がった僕の腹の上には彼女がまたがった。しかしその理由は思いの外、すぐにわかることとなった。
「よぉ6号。元気にやってっか?」
庭に出る大きなガラス戸が蹴破られ、そこから入ってきたのは…煙草を咥えた大男だった。