奇妙な晩餐①
廊下の床には、白黒の大きな菱形模様が均一に並ぶ絨毯が敷かれている。
壁に沿って目をやれば、大輪の花を活けた壷や胸像が等間隔に置いてあった。風景を描いた物や人物画も、多く掛かっている。
ディーネは、こんなに上品な住まいを見たのは初めてだった。彼女が住んでいた父の神殿は白く綿密な美しい石で出来ていて、見た目も大きく圧巻だったが、中はどこか閑散としていたものだ。
でも、鑑賞している暇は無い。
ドレスの裾捌きに難儀し、躓きそうになりながら女性の後を追う。目の前の真っ直ぐ伸びた冷たい背は、まるでディーネを拒絶するかのようだ。
途中、誰とも出会わなかった。他に見たのは、玄関でマルクを迎えた執事という老人くらいである。ちなみにマルクのマントは、その人に渡されていた。
延々と続く廊下が恨めしいと、何度も思う。無限に広い場所に、一人放り込まれたような心細さを感じた。
「こちらでございます」
案内の女性が立ち止まったとき、追いかけていたディーネは息切れを起こしていた。
開けてもらった扉の中へ先に入り、臙脂一色の絨毯が広がる部屋を見回す。まだ誰の姿も無く、ほっとした。
「先にお席へどうぞ」
身体は疲れていたし、その一言に頷きかけたけれど、「いいえ」と辞退する。
座って待つなどしたら、マルクの母からの印象が悪くなるかもしれない。念には念を、だった。
「御用があれば、そちらの卓上の呼び鈴でお呼び下さい」
「…………はい」
蝶結びした赤い布が付けられた黄金の鈴は、シミ一つ無い白い大きな布が掛けられた細長の卓にあった。ゆうに三十名は招待出来る席数がある。
案内の女性は膝を軽く折ってディーネに挨拶する仕草を見せ、出て行く。ディーネだけ残される形だ。
(あの人の母上は、一体どういう方なのかしら。矜持があるということだから、高飛車な性格とか。……打ちとけるのは無理そうだわ……)
ディーネは、緊張と不安でいっぱいだった。
考え事をしながら彼女は吸い寄せられるように、奥へ行く。この部屋にはとても魅惑的な物があったからだ。
「暖かい」
それは勢いよく火が燃える、立派な暖炉だった。蔦の彫刻が施された白く大きな暖炉には、充分に薪がくべてある。おかげで部屋は既に暖まっており、彼女は生き返るのを感じた。少なくとも誰かが来るまで、暖炉の熱の恩恵を間近で受けることにする。でないと、身体が冷え切ってしまう。
しばらく、薪が爆ぜる音だけしかしない静寂が続く。卓上の燭台の炎が音も無く揺れていた。
と、そこで誰かが部屋へ入ってきた。
(ああああ……。もう、あの男ー! すぐに来るって言っていたくせにー!)
思わず、あの悪魔を呪いたくなってしまった。
マルクより一回り以上、年齢が上の女性が単身で踏み込んできたからである。
その人は最初から険しい顔付きをしており、ディーネと目が合うなり、もっと眉を寄せた。
(この女性が例の母親かしら)
マルクと同じ茶色の長い巻き毛は手入れが行き届いているのか、若いディーネよりも艶やかだ。やや釣り目なところだけが息子と違う。今、その瞳は強い疑念をディーネに向けていた。
(駄目ね。これは確実に嫌われているわ……)
理由は幾らでも思い付く。
ディーネは突然屋敷に息子が連れてきた、素性の知れない女だ。しかも、しばらく居候になる予定ときている。
加えて、主人一家と図々しくも食卓を囲もうとしている女でもある。そもそも、この家にディーネが来たのはマルク達のせいで、ディーネにはこれっぽっちも来る意志は無かったのだけれど。
……これは、夕食を辞退すべきかもしれない。マルクが来たら、そう言おうと決めた。
むしろ、二人と食事だなんて気まずすぎるのだ。喜んで空腹に耐えながら夜を明かしたいぐらいだった。
「貴女がディーネさん? 私はマルクオルガーの母で、ヨシュア=フィラルリエットです。不躾な質問になりますが、貴女のご出身を伺っても宜しいかしら。胸張って名乗れる御身分なら、マルクも事前に私まで言付けするでしょうに。おかしいわ」
(……上手い返答は無いものかしら)
この窮地をどうすればいいのかと思う。こんな状況になっているのは、マルクに責任があるのではないか。『然る貴族のご令嬢』なんて適当な話で、どうやって彼の母を誤魔化すつもりだったのか聞きたい。
(もっと馬車の中で話し合って、詳細を決めておけばよかった)
今更の後悔だ。ディーネが長く黙っているので、向こうの目が更に鋭くなってきている。事態は悪化している。非常にまずい。
そのとき、
「母上。彼女の紹介は、私にさせてくれませんか?」
と、ようやく姿を見せたマルクが、ディーネを隠すように立った。
「私が聞きたいのは『どこの貴族のご令嬢か?』ですよ。マルク」
(さすが、この男の母……)
自ら腹を痛めて産み落とした息子相手でも、追及する目の光が和らがない。
だが、マルクはどこ吹く風という表情だ。
それは、声を抑えつつも怒りを見せる母と対照的だった。これでは、どちらが大人か分からない。
「彼女の家名など、この時代どうでも宜しいではありませんか。由緒正しい名家であっても、瞬く間に死に絶え、廃墟ばかりが残る世の中なのですから」
「そんな詭弁が、この母に通用するとでも? 伝統あるフィラルリエットの跡継ぎの貴方は、血筋の良い花嫁と結婚しなければなりません。妙な女性を家に連れてこないで頂戴」
「母上――――、」
マルクの声が、冷たく変化した。
「――――私の妻は私が決めます。
父が既に亡くなった今、私がこの家の主人。最終的な判断は私がします、貴女ではない」
誰も逆らえない絶対性。
彼の一言には、それだけの力があった。
母親ですら、顔色を失っている。
しかし――――――、
ここで初めて、ディーネは口を挟む決意をした。マルクは恐ろしいが、たとえ一言でも物申さないと大変なことになるのは目に見えるようだった。
「マルクオ、ルガー様。
それでは、母君を誤解させてしまいます。まるで私が貴方の、つ、妻になるような口ぶり――――」
「私は、そうなってほしいと願っています。貴女が私の求愛に応じてくれれば良いと」
(冗談でしょう! 本当に、この男は考えが読めないわ。振り回される私の身になってちょうだい)
「マルク!」
ヨシュアも絶句したようだった。
「お二人とも、そろそろ席に着きませんか。せっかくの料理が冷めてしまう。
母上。懸命に働いて帰ってきた空腹な息子に、まず食事をとらせて下さい」
(貴方がやっていたのは服飾店での散財だけだったような……)
怒りに身体を戦慄かせたヨシュアは、息子が母の為に引いた椅子に倒れ込むように腰掛けた。
次にマルクはディーネに微笑みかけ、
「さあ、貴女もどうぞ」
と、ヨシュアの正面の椅子を引く。
(よりによって、この席を勧めるのね!)
断りたいが、策も無くマルクに逆らうのは無謀だった。大人しく、よろりと席に着く。
顔を上げれば、庭にいた黒犬一匹のような目付きでディーネを睨むヨシュアが目に映る。
マルクは暖炉に一番近い席、女達の間の上座におさまった。
「二人、仲良くなって下さいね」
「無理よ」
(ええ。確かに無理そうです)
即答した母の言葉に、ディーネは表には出さず深く賛同した。
先が思いやられた。