私にも好きと言わせて
二度目の戦争が終わったあと。
穏やかで暖かい午後に、一時帰ってきたフィラル城にてディーネは自室でカミラと楽しくお茶を飲んでいた。マルクの方は領地の仕事があって、城にはいない。
メイドを同じ席に着かせるだなんて、ヨシュアに知れたら、きっとお小言をくらうだろう。だから、これは秘密のお茶会だ。けれどディーネの気持ちとしてはカミラは友で、彼女達の間に境はないのだった。
真っ白いテーブルクロスが広げられた卓上には、目にも鮮やかな高級菓子が何種も並べられている。その内の幾つかは、マルクがディーネに贈ってくれた物だ。日持ちがするお菓子ならば何回かに分けて頂くけれど、それでも彼女だけで食べきれる量ではないので、マルクの了承を得ているから、使用人たちにも振る舞っている。
上品に甘いお菓子は皆を喜ばせた。普段はカミラに「また配ってくれる?」と頼むけれど、たまにディーネ自身が手渡しする機会があると、使用人は目を輝かせて嬉しそうにする。その人と数日後に話す機会を作ってもらうと、お菓子の食感だとか味とか香りなどについて語り合うことが出来て、ディーネも楽しかった。
今日も新しいお菓子をマルクが注文してくれたらしく、それだけで宝石箱のような大きい入れ物が卓上に置かれている。中身は何かしらとディーネが蓋ふたを開けると、ごく淡い赤・緑・青の小さな球状のお菓子が詰められていた。
「いつもながら、とても豪華ですねえ」
正面の席に座って様子を見ていたカミラが、嘆息するように言う。そうねとディーネは頷いた。
それから試しに一つ口にいれてみる。すると、ふんわりと雪のように早く、わずかな甘さを残したまま消えていった。
「美味しい砂糖菓子ね。職人は一体どうやって作っているのかしら」
カミラにも差し出すと、
「何だか旦那様とお嬢様みたいですね」
と、恭うやうやしい手付きで一つのお菓子を取り上げたメイドは言った。
「どういうこと?」
「箱いっぱいに詰まっているのが旦那様の、お嬢様への溢れんばかりの愛です。それで、お嬢様の可愛らしい愛情は、こちら」
カミラは笑って、自分の手のひらに乗せた一粒を見せた。
「まあ、ひどいわ。マルクのと、そこまでの差は無いわよ」
メイドの冗談にむくれながら、「でも……」と、つい考えてしまう。
マルクは常に愛の言葉と態度をディーネにくれる。でも彼女のほうは恥ずかしがって、彼ほどには伝えられていない。だから、もしかしたらマルクはディーネが心変わりするのではないか、などと不安に思っているかもしれなかった。となれば、もっと自分自身が努力しなければなるまいと思う。せっかくカミラも、こうして背中を押してくれたのだ。
「……マルクは三日後が、お休みだって言っていたわ」
「頑張って下さいませ」
膝の上で両手をぎゅっと握りしめたディーネに対して、カミラは温かく微笑みながら言った。
*
一体どう言えば、この気持ちをマルクに正しく伝えられるのか。
どういった行動すれば、彼に自分の愛情を知らせることが出来るのか。
晩までの自由な時間を使って、ディーネは考えた。マルクに対して彼女が抱いている思いは友愛だとか慈しみだとか、そういった種類のものではない。女が自分にとって唯一無二の男にだけ捧げる、特別な愛情なのだ。マルクへの恋を自覚した瞬間から静かに、時に激しく、ずっと心の中で大切に育ててきた思いだった。
マルクは王の側近である上に将軍職を拝し、しかも、いくつもの領地を持っているから、普段とても多忙だ。夜になってマルクが帰城し、共にした夕食の席で、ディーネは話を切り出すこととなった。
「マルク。今度の休日は私に付き合ってくれる? 一緒にフィラル城の森を散策したいの。貴方は前日までお仕事が忙しいでしょうし、ゆっくりと起床した後でいいから」
「勿論いいよ。でも珍しいな。事前にこうしたい、と君に誘われるのは」
彼の言う通りだった。だがディーネは別に今まで遠慮をしてきたわけではない。これまでだって、彼女は充分に満足していた。それはマルクのおかげだった。例えば彼は「珍しい楽団が王都を訪れている」と聞けばディーネを連れ出し、大衆に混ざって聞きにいく。彼らは同じものに触れて味わい、たまに互いの意見を交わし、楽しい時間を共有した。
音楽に興じるとしても、打って変わって、静かな休日にしたい時もある。そういう場合はフィラル城の一室や王都にある屋敷内で、マルクが弾くヴァイオリンを聞くことが多かった。
何をするにも、彼とディーネのどちらかがしたいことを我慢し、ただ相手の意向に従うということはない。マルクの趣味はディーネのものと、ぴったり重なっていた。お互いが側にいるだけでも幸せだったし、相手の喜びを感じ取れば、幸せは増幅された。マルクが休日を楽しめたならば、ディーネが彼との時間を満喫したということだった。
けれど、今回ディーネは「きちんとマルクに愛情を伝える」という目的を持っている。その為の場所として森を選んだのにも、理由があった。森ならばディーネが話をしている最中に、いきなり邪魔が入らないだろうと思ったのだ。街は人で溢れているし、家や庭にいたのでは予期せぬ人の来訪だとか、マルクに急な仕事の案件が入るかもしれない。となると、森が一番都合の良い場所だった。
それから、早いような遅いような三日間が過ぎ、決行の時がやってくる。ディーネ達が庭に出ると、マルクの命によるものか、すでに二頭の馬が厩から引き出してあった。
「最近は特に大変みたいだけど、本当にお仕事の疲れは残っていない?」
朝食の時にも尋ねた質問を気になって、再びしてしまう。彼に無理をさせたくはないからだ。
「全然。君と行動したほうが、気が休まる」
彼が本気で言っている時というのは、何となく分かるようになっていて、ディーネはホッとするのだった。
「ゆっくりしてきて下さい」とカミラに手渡されたお弁当が馬の背にくくり付けられると、それぞれの馬に乗った彼らは出発した。
馬を並走させている間、無意識にディーネはマルクに視線が行ってしまう。これから、この人にしっかり思いを伝えなければと勇んでいるからだろう。
「何か言いたいことでもあるのか? でなければ、そんな熱心に見られると面映ゆい」
少し頬を赤くしながら、マルクが聞いてくる。
「……後で言うわ」
「それは良いことか?」
「多分そうよ」
「楽しみだな」
楽しみにされてしまうと、何だか恥ずかしくて、ディーネは顔を俯けた。
森の半ばまで来ると、彼女たちは馬の手綱を木に括くくりつけ、気の赴くままに先へ進んでいった。ディーネはマルクが差し伸べてきた手を素直に受ける。足場の良くない所でも歩きやすい靴では来ていたが、単純に彼と手を繋ぎ、その存在を直に感じていたかった。
森の澄んだ空気を胸いっぱいに吸いながら、連れ立って歩く。心は静かに満たされ、思うようにマルクと過ごせない間に溜められた寂しさが解消されていく。
急がず自分達の気の赴く方向へと進むと、一本の木が折れて倒れている所があって、その奥は小さな野原があった。
「この木は私が子どもの時に雷が落ちたせいで倒れたんだよ。町の友人達といる時に発見してから、ここで何日も彼らと遊んでいたんだ。私が気に入っていたものだから、大人達も木を片付けなかったんだろうね。年月が経っても、昔のままで残されている」
と、マルクは物憂げな柔らかい口調で懐かしむように言った。
予期せず彼の思い出を耳にすることができたディーネは、彫りの深い木の肌にそっと触れてみる。ここ何日も雨が降らなかった為だろう、丁度いいことに乾いていた。
「ねえ、この上に座ってくれる?」
「そうだな。少し休もうか」
先に座ったマルクは手を握ったまま、問うようにディーネを見上げる。
「どうした、隣に来てくれないのか?」
彼の目の中にある、甘い懇願の色に気が付いて、ディーネは、つい頷きそうになる自分を抑えた。このまま彼に従ったら、いつもの展開になってしまう。つまりマルクは彼女の身体を引き寄せて、ディーネの温もりと唇を何度も求めてくるだろう。そうなるとディーネも夢中にさせられてしまう結果、ぐったりと彼に身を預けるばかりとなる。せっかく作りだせた機会が失われてしまう。
「……あのね、マルク」
ディーネは彼の瞳を見つめた。
「大好き」
飾らない、それゆえに真剣な一言。これが三日間、色々と悩んだ末にディーネが選んだ言葉だった。
マルクの淡い茶色の目が一瞬、驚きに見開かれる。彼は身体の強ばりが解けると、自身の唇に彼女の手を導き、そこに口付けを落とした。
「私も同じだ」
一連の返答を得たディーネは、ついに頰を真っ赤に染めてしまう。それでなくても昨夜から緊張して、鼓動が速まっていたから、落ち着かない。
「今度こそ、座ってくれないか」
「ええ」
目を合わせられないままで腰を下ろす。マルクは握ったままの手に、ほんの少し力を込めてきた。ディーネが、そろりと彼のほうをうかがうと、黙っているマルクの横顔が見えた。まだ彼女の言葉を噛みしめていてくれるのかもしれない。
眩しい青空を並んで見上げれば、野原の上をちぎれ雲が緩やかに流れていく。彼女たちは、それを飽きずにいつまでも眺めていた。