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道標

 ディーネは目覚めの時を待っていた。早く起きたいのに、自身では起きられない。誰かに止められていたのだ。その誰かに許されるまで、身体の機能は強制的に停止させられていた。

 

 ――――起きてよい。


 どうやら、やっと許しが出たらしい。

 彼女は、そっと目を開く。暗闇が打って変わり、世界は眩しかった。


「……ディーネ」

 起きたと同時に、最も聞きたかった声がした。ゆっくりとしか首を回せないのが、もどかしい。

 じんわりと男の体温が全身に伝わってきて、彼に抱えられていたのだと分かった。


「…………マルク」

 今にも泣きそうな表情をしている恋人の顔に焦点が合わさる。

「……これは夢なのかしら。どうして私達、もう一度会えているの?」

「君のお父上が守ってくれたんだよ。君が死なないように助力して下さったんだ」

「そう……、あの時に感じたのは父上の御力だったのね」

「お父上は心から君を愛されていた。先程いらっしゃって、君を連れて行こうとなさったよ」

「父上が? でも神界へ連れていくことは本気でなかったと思うわ。私は神力を全て失ってしまったもの。神界へ戻っても仕方ないわよ」


 それでも言葉とは裏腹に父への思いが溢れてきて、ディーネは黙り込んでしまう。

「もしかして傷が痛む?」

「いいえ」

 マルクから気遣うように言われて、否定する。ずっと眠っていたのに、疲れるはずもない。許されるなら、もっと彼と話していたかった。

「また痩せてしまったのね」

 自分のものとは思えない程に重い片腕をゆっくりと動かして、男の頬を包む。

「……君が、もう起きてくれないのではと思ったから」

「ごめんなさい……」

「いや、済まない。謝らないでくれ。君のせいじゃない。私が君を守れなかったから、いけないんだ」

「それこそ貴方のせいではないわ。私が飛び出したのがいけなかったの。でも、あのとき実は貴方に怪我がなくて嬉しいと思ってしまったのよ」

 微笑めば、顔をしかめられる。

「やめてくれ。君の身を盾にされても全然嬉しくない。君が傷つく位なら、私が傷ついたほうがずっといい。私のほうが鍛えているし丈夫なのだから、快復するのも早い」

「……ごめんなさい。もうしないわ」

「……うん。……早く良くなってくれ。もう少し強く抱きしめたい気持ちを抑えるのが大変なんだ」

「今も抱きしめているようなものじゃないの」

 自分の状態を思い出すと、恥ずかしくなってくる。マルクの膝に座って、思いきり寄りかかっているからだ。


「もう離して。心配してくれなくても大丈夫だから」

「駄目だ。私には君がまだ足りない」

「……仕方ないわね。あと少しだけよ」

 ため息を吐くものの、まだ幸せな悩みだと思った。

 

「ねえ、さっきまで父上の他にも誰か部屋にいなかった? 話し声がしたような気がしたのだけれど」

「……ああ、いたよ。カイ=ロードナーという、陛下とよく一緒にいる二人の兄君が。ロードナー殿が君のお父上に、君をここに残していってくれるよう口添えしてくれたんだ。後日、お礼に行かなければならないな。彼は『邪魔者は早々に退散する』と言って、すぐに帰っていったよ。陛下にも君が目覚めると報告してくれると言っていた」


「では私も一緒にロードナー家へ行って、感謝を伝えたいわ」

「それは駄目だ。彼が君に横恋慕したら困る。礼は私がきっちりするから問題ない」

「横恋慕なんてしないわよ。大袈裟ね」

「いや、する。そうしたら、彼に身の程を重い知らせないといけなくなる」

「お願いだから、怖いことを言わないで。私の愛が全て誰に向かっているか知っているなら、安心して」

「知っているが、万が一ということを考えている。私を安心させたいなら、今後の君の態度でしっかり示し続けてくれ」

「……善処するわ」

「まだ話していても、身体は辛くないか? 君のお父上が仰っていたことを教えたいんだが」

「それは構わないけれど、いい加減降ろして」

「あんなに人を心配させておいて、随分と冷たいんだな」

「……もういいわ。このままで」

 マルクに口で勝つのは難しいと、ディーネは改めて思ったのだった。






**

 ディーネが目覚めてから約一ヶ月後のある日。

 彼女とマルクは王都を出て、幾つもの町を通り、最後に静かな木立を抜け、ラーゼミンの墓を訪ねていた。


「なぜ君が全快してから初めて行きたい場所が、この男の墓なんだ。他にも良い所は沢山あるだろうに。なんなら私の屋敷にいたほうが一日中、人目を気にしないで手を繋いだり、接吻したり出来るのに……」

 マルクが不満そうに言うのを聞き、ディーネは呆れて赤くなった。

「さっきまで馬車の中で、さんざん接吻してきたじゃないの!」

「こっちは君を愛しすぎて、常に枯渇状態なんだ。分かってくれ」

「もう……馬鹿」

 求めすぎだと思う位に求められて、それでも愛しい男から愛されて嬉しいのは内緒だった。



「ほら。これが君の手から奴に渡されるかと思うと悔しいが」

「ありがとう」

 口とは真逆の態度で丁寧にマルクが大きな花束を寄越してくれる。彼は、この花束をディーネが言わずとも手配してくれていた。

 彼女は真新しい墓上に、鮮やかな花束を一つ置く。墓の近くに他は何も置かれていないことから、建てられてから誰も訪れていないのだと分かった。これが、恐怖だけで人々を支配した男の末路だった。


「彼、本当に亡くなったのね」

「……そうだな。彼は死んで惜しい位に……賢くて強かった。もし彼が他の人生を歩んでいたなら、人は彼をもっと違う目で見ただろうな。私にとっても強力な恋敵となっていたかもしれない」

「ええ。国の英雄にもなれた人だと思うわ」

 ディーネがラーゼミンによって心に刻みつけられたものは、単純に強者への恐れだけではなかった。あの怯えるほどの狂愛を忘れることは出来ない。


 彼女は口を閉じ、束の間、死者に祈りを捧げる。安らかに眠れ――と。


「……そろそろ行きましょうか」

「ああ」

「また今度、一緒に来てくれる?」

「やれやれ。単独で行かせるわけがないだろう。その間、君の身が心配で何も手が付かなくなる」

「ふふ。ありがとう」

「――それで、いつまで隠れて見ている気だ?」

「?」


 マルクの声音が急に剣のあるものへと変わった途端。三人の男が、それぞれ木の後ろから姿を見せた。

「いけませんよ、閣下。戦争が終わったとはいえ、まだ世の中は物騒なのですから。貴方とお嬢様だけで外出など危険です」

 ザクタムが口元に笑みを浮かべながら言う。これにはクリスも頷いている。

「タウロス、クリスさん! それにザクタムさん」

(全然気付かなかったわ。いつから近くに? ……まさか王都からずっと尾けられていたの!?)

 旅の道中の休憩で馬車から降りた時も、ずっとマルクに接吻されたり抱えられたりしていた。あれらを全て彼らに目撃されていたかと思うと、いたたまれない。


 

「本当に許しがたい。嫌がって抵抗しているディーネ様に向かって、数々の不埒ふらちな態度。ディーネ様、貴女が望むなら、この男を本気で叩きのめしますよ」

「……いえ、それは待って」

 タウロスの権幕にディーネは慌てた。

「何故ですか。どうして貴女は将軍を選ぶのです? 私と婚姻を結んで下されば、いつだって貴女をお慰めする。昼も――勿論、夜も」


 タウロスは言い放つと、犬の姿から人型へと変化してみせる。

 そうなのだ。タウロスは人のような姿もとれるのだった。しかも、とびきりの美男に。これは近頃になって判明したことだ。

 タウロスの誘い文句に赤くなる暇もなく、マルクの腰から抜かれた短剣が投げつけられる。それは光のような速度でディーネの鼻先を抜け、タウロスを狙った。さすがデューゼロンを倒した獣神は避けきれたようだが。

「っ、それは危ないわよ、マルク!!」

「君には当てないよ。そこにいる犬の心臓に突き刺そうとしただけだ」

「私は犬ではない。獣神だ」

「そのようなことは、どうでもいい。問題なのは、こちらが唯の犬だと思っている間、ディーネと同じ寝台で休んだり、彼女の柔らかな胸に抱かれて運ばれたり、彼女の顔や指先を舐めたりしたことだ。これらの行為は到底許されることではない」

「あ、あのね、マルク、落ち着いて」


(……確かにタウロスと一緒に眠っていたことは恥ずかしいと思うけれど)

 こうしてマルク達をなだめるのも何度目か。このところ、彼らは同じようなことばかり繰り返しているのだ。マルクが人前でディーネを構い過ぎ、それを見たタウロスが怒り、途中で何故かクリスが参戦し、ザクタムが面白がって手出しする。こういった構図にディーネは、少々うんざりし始めていた。


「ほら閣下をご立腹させている。――どうやら俺達は、お傍を離れていてもいいようですね?」

「――そうだ」

「……では、お許しが出たからには、俺達は晴れてフィラルリエット家の門番を解雇された身ということで。このまま実家にでも帰るとしますよ。実家の再興と、故郷の復興。やることが沢山ありますので」

 と言いながら、楽しそうなザクタムはタウロスとクリスの襟首をつかんで、引きずるように連れていく。


「なぜ私が貴様たちと行かねばならない! 私はディーネ様のお傍にっ……」

「はいはーい。犬神様も復興にご協力下さいねー。……いい加減に彼女から離れないと、いつまでも忘れられないぜ。それはお前もだ、クリス」

 ザクタムの言葉に何かを思ったのか、タウロスとクリスは黙り込む。



「そうそう閣下。フィラルリエット家の門の犬達は、この調子でしっかり躾し直して下さいよ。戦争も終わったことですし、あいつら危険過ぎですからね。俺とクリスがいなくなったら、貴方以外に犬達の面倒を見られる人間は存在しないんですから。もともと犬をああしたのは貴方なんですし、元に戻すのも簡単でしょう?」

「ザクタムさん……」

(これって……)

 あんなに毎日が賑やかだったのに、どうやら突然別れが来たのだと彼女は悟った。ディーネの複雑な表情を見つけて、ザクタムは笑う。


「お嬢様。困ったことがあれば、いつでも呼んで下さいよ。閣下や貴女の為ならば、何だって力をお貸ししますから」

「ありがとうございます」

 礼を言えば、ザクタムはタウロス達から手を離して、ひらひらと片手を振り返してくる。

 それから、騒がしくしながらもタウロス達は振り向かなかった。ザクタムの決定に反発しながらも、他二名は従うことにしたらしい。

 クリスとザクタムの背筋を伸ばした姿は、貴族らしく、とても凛々しく見えた。

 ふとディーネは、以前にマルクの母がしていた話を思い出した。まるでクリスとザクタムが貴族のような振舞いをするという話だ。それもそのはず、二人は幼い時から貴族と深い関わりがあったのだ。


 ひらりと馬にまたがって去っていく二人と、彼らとつかず離れず走る獣神を見送っていると、マルクが「彼らがいなくなって寂しい?」と聞いてきた。ディーネは首を横に振る。



「いいえ。きっと、またどこかで会えるわ」

「そうだね。私は恋敵が傍に来ると、あまり有難くないが」

「また貴方は、そういうことを言って」

 男の嫉妬を笑ってしまいながら、ディーネのほうからマルクに寄り添う。

「ディーネ。私達の仲を他の者に邪魔されないように、早く結婚の準備を進めよう」

 ディーネは、ハッとする。

 マルクの言葉は嬉しい。嬉しいのだが。

「……でも貴族の血筋でない私が相手だと、貴方の母君は気を良くされないのでは?」

「今さら何を。それを言うなら、君には尊い女神の血が流れているんだぞ。しかも慈悲で世界を豊かにしてくれた伝説的な存在だ。母も喜んで君を私の妻として当家に迎え入れるよ。そうか、君は、全ての話を聞いた母が卒倒していたのを知らないんだな」


 そう言って優しく抱き寄せられた肩から、彼の温もりが伝わってきた。ディーネはマルクと微笑み合い、幸せを噛みしめる。そして愛しい男と手を繋ぎ、これから本当の我が家となる場所へ帰るのだった。

 

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