令嬢化計画④
馬車内は、すぐにまた静かになった。
というより、マルクが喋らなくなると必然的に会話も無い。彼は笑みを浮かべて、向かいの席のディーネを見ている。
ディーネは彼によって自分は監視されているのだと理解していたが、ここまで不躾だと息が詰まった。
「あの。あまり、見ないでもらえませんか。……落ち着かないので」
「失礼。これ以上ないほど綺麗な女性が近くにいると、どうしても目がいってしまいますね」
「…………また、それですか。お世辞は要らないのに……」
いい加減にしてよ!! ……と怒鳴れたら、どんなに楽か。だが身の回りの品を世話してもらった手前、口に出しづらい。
それに、拘束されているとはいえ、雨風のしのげる場所を提供してもらえるなら少しだけ有り難いということもあった。彼女の力だけで生き抜こうと思っても結局、野たれ死んでいたかもしれないからだ。
ディーネの願いを受け入れて、マルクは窓の外へ顔を向けることにしたらしい。時折彼女に視線を戻すものの、ずっと見られているよりは良かった。
他にやることも無くなり、彼女も外を眺めることにした。
まばらに生えて枯れかけた草。ひび割れした土地も相変わらずだったが――――、
(物寂しいだけじゃなく、何かが変なのよ)
人通りはあったが、皆どこか固い表情をしている。行き交う馬車は少ない。それから、家によって程度の差はあれど、一様に構えられた頑丈そうな門が妙に気にかかる。繁盛した服飾店なら、財を『守る為』に備え付けても理解出来るけれども。
(そうか。何かからの防衛というのは有りうるわ。ここに暮らす人々は恐れているのかもしれない、その何かが外から来るのを)
それは、現時点では推測にすぎなかった。マルクを問いただすわけにもいかない。こちらの無知をさらけ出せば、正体が分かってしまう危険があった。
日が落ち始め、空は赤く染まっていく。気温も下がる一方だが、ドレスの生地が厚いので耐えきれない寒さではなかっい。
(王のマント、奥に仕舞われてしまったみたいなのよね。これぐらい我慢しないと)
けれど、無意識に腕を擦ったのをマルクに見つけられてしまった。急いだ様子で、窓が閉められる。
「いけない。貴女用に優美な肩掛けを購入するのを忘れていました。……私も大分、舞い上がっているらしい。ともかく、今はこれを」
彼が着けていた物を羽織らせてくれようとしたが、固辞する。
「貴方も寒いでしょう」
「私は鍛えていますので寒くありません。さあ早く」
「はい……。ありがとうございます」
真剣な顔で言われると、拒むことは出来なかった。
(温かい)
レオールが寄越してくれた肩掛けも温かかったと思い出す。
でも、彼らがしてくれたのは優しさからの行為だと認識してはいけないのだ。そう思うようになってしまったら、もう人間の手の内に嵌まってしまう……とディーネは自らに言い聞かせた。
**
「私の家に着いたようです」
マルクが言う間に、門が躊躇無く開かれたような音がした。
すると馬車は速度を落とさずに門を通ったのだろう。車の背後で、門が閉じる硬質の音が伝わる。
「ここで降りる」
マルクが御者に声を掛けると、馬車は止まった。マルクは当然のような顔をして、ディーネが降りるのに手を貸してくれる。今日着始めたばかりのドレスは扱いづらくて重いので、その手助けは嬉しかった。
そして無事に降り立ったところでマルクが、
「すぐに夕食ですが。その前に、危険ですから私からまだ離れないで下さい」
と、言ってくる。
「え?」
何が危険なのか。
いぶかしんでいると、門のほうから黒い十匹の影が雷光のごとく駆けてきた。
「グルルルルルル……」
それはディーネに対して唸り、敵意をむき出しにする全身黒の若い成犬達だった。一切無駄のない引き締まった体躯に、細い爪と牙を持っている。
「彼らは賢いが獰猛で、私と門番二人の言うことしか聞きません。我々が教えていない者や勝手に外へ出ようとする者は襲うように仕込んであります。たまに彼らも実戦で鍛えさせなければ、いざというとき使いものになりませんから」
想像するだに恐ろしい犬達だ。いや本当に恐ろしいのは、この犬達を従えるマルクと門番だった。ディーネは一言も発することが出来ない。
酷薄に微笑むマルクは、近くにいた犬の頭を片手で撫でながら犬達に命じた。
「いいか、よく覚えておくんだぞ。このディーネ嬢が私の許可無く門外に出ようとしたら、逃がしては駄目だ。
――――クリス。この婦人は私の妻になるかもしれない大切な女性だ。もし犬達が狩りをする事態になったら、彼女が致命傷を負う前に救出しろ。ザクタムにも、そう伝えておけ」
後半の言葉は、どうやら門番らしき一人に向けたものだったらしい。マルクの目線の先を追えば、マルクより少し短い黒髪の、紫色の瞳した若者が立っていて目礼された。彼がクリスで、ここにはいないようだがザクタムというのも門番の名だろう……というのは、今はどうでも良いことに思えた。
(誰が妻になるかもしれない、よ!!!! この嘘つきっ、悪魔!)
彼のことを優しいだなんて少しでも考えた自分が、とても愚かだと思う。
(あの王にして、この臣下あり……なのね)
「さあ、食堂へどうぞ。その席で母にも紹介します。
私は一度部屋に戻って、すぐに着替えてから参りますので」
(こうやって犬や言葉で脅された後で、食欲が湧くとでも思っているのかしら……?)
竦んでしまったディーネはマルクに引き摺られるように壮麗な屋敷へ向かい、広い庭を抜ける。
扉の中では黒い簡素なドレスの女性が待っていて、その人に先導されて食堂へ続くらしい廊下をディーネは単身、気が重いまま進むのだった。