カイ=ロードナー①
二次戦争が王軍の勝利で終わり、一週間が経つ。
私ことカイ=ロードナーは文官ゆえ、王城での業務に追われていたので、戦地には赴かなかった。だから自分の目で見たわけではない。けれど人の語るところによると、女神の命が尽きる直前、金色の光が、欠けていた世界のあらゆるものを満たして、瑞々しく美しいものへと生まれ変えさせたという。にわかには信じがたい話だが、事実と受け入れざるをえない。本当に、あの日から何もかもが変わったからだ。
いま太陽は以前と違って暖かく巡り、地上の万物を力強く育んでいる。大地も肥沃さを増し、それによって植物が繁栄し、草を食べる動物の腹も満たされ、かつ人間も農耕において一定量の収穫を見込めるようになった。他にも数えきれないほど、様々なことが変わった。あれから人々にとって毎日が新鮮な驚きと感動でいっぱいだ。陳腐な表現だが、とても筆舌に尽くしがたいことばかりなので、仕方がない。それもこれも、全ては亡き女神のおかげなのだった。
しかし度重なった戦争によって、人々の受けた傷は大きい。今もまだ国民の心に影を落としている。血縁物や近しい者を喪った悲しみが簡単に癒えるはずもなく、それは国の上層部も同じだった。特に戦時の功績によって『英雄』あるいは『平和の立役者』と称えられた男達――タウロス神、レオール王、ウォールデス殿下、フィラルリエット将軍、将軍の部下クリス、そして我が弟である二人のロードナー――は、みな一様に暗い顔を隠しきれないでいる。彼らは程度の差こそあれ、ディーネ神に関わりがあり、彼女の死を深く悼んでいた。
女神を失ったことで強い衝撃を受けたのは王軍側ばかりではない。驚くべきことだが、反乱軍を率いた、悪名高きラーゼミンもまた同じだったらしい。戦場でルアルは自らの手でディーネ神を葬ってしまい、呆然自失として剣を取り落としたという。そこを背後から、武功を求めて気を逸らせた兵卒が一突きして、ラーゼミンは死んだ。これまで誰も殺せなかった、恐ろしい支配者としては呆気ない幕切れであった。その後、彼の亡骸は王城へ運び込まれ、陛下たちもラーゼミンの死を確認された。
ここで、王軍にとって予想外の事態となる。死してもなおラーゼミンに対する国民の怒りは収まらなかったのだ。「あのような独裁者が二度と現れないように見せしめとして、ラーゼミンの身体を城壁に晒せ。奴に千個の礫を投じても、この恨みは晴れない」といった過激な意見が多くに支持され、怒り狂った人々が王城の門まで攻め寄せた。城内に緊張が走ったが、間を置かずレオール王が玉座から立ち上がり、自ら外へ出て行った。
憤る民衆は尊い陛下が護衛を伴わず、お一人で現れたことに驚いた。一瞬で野次が止む中、レオール様は「ラーゼミンの遺体は協議により、速やかに墓へ葬ると決定された。今後、何人にもルアル家の墓への無礼は許さない。どうか我々が無用にも武器を取らなければなくなる事態を生じさせないでほしい。……ラーゼミンは死んだ。もう彼の魂は、ここに無い。遺骸に対しての暴力は無意味で野蛮な行為である。我々は彼に対する復讐として、拳をおさめる矜持を持ち続けよう。それが、私が後世に伝えたい生き方である」と仰り、国民に対して真摯に願われた。誇り高き王にそこまでされては誰も反論できなかった。ちょうど王城にて勤務中だった私もハラハラしながら状況を見守っていたが、やつれた王の気迫には胸を打たれるものがあった。
「俺が出て行って、話が済むならば、それに越したことはないだろう」
と、陛下は私の弟にも語ったらしい。
だからラーゼミンの遺体は無事、ルアル家代々の墓に寂しく埋まっていて……。
……っと、しまった。どうやら私は考えごとに夢中になりすぎていたらしい。扉を叩かれる音がして、我に返る。
「どうぞ」
(こんな朝早くに誰だ?)
外に立つ誰かに入室を促すと、扉の向こうから現れたのは何と……陛下だった!!
「一体ど……、どうなされました? 貴方が御自ら私のところまでいらっしゃるなんて大変珍しいことですが」
予期しなかった御登場に思わず、どもってしまう。
「そうかもな」
私の問いに陛下は曖昧な頷きを返した。
(側近たちを廊下に残して、お一人で入ってこられたということは内密の話か、それとも個人的な用件か)
答えが出るのをじっと待つ。
「想像以上の有様だな。掃除係は来ているのだろう?」
レオール様は窓辺で立ち止まると振り向き、積み上がった書類の山々を見ながら言った。
確かに薄暗くて小汚い、王城の隅の一室と、そこに在るだけで映える姿を持つ王とは明らかに相容れず対照的に見えた。
「私が作業するのに妨げとなるので、回数を減らさせたのです」
「熱心に連日とまり込んで作業しているのは知っているが、ここまでの状態ともなると……。いや、カイの仕事は人一倍早くて助かる。あいつらに見習わせたい位だ。フロイとライは、わざと話をややこしくする時があるからな」
「……いつも弟達がご迷惑をおかけしております」
「まったくだ。どれだけ俺の平安が侵されていると思っている。兄として、あの二人の根性を叩き直せ」
「…………それが出来るなら、とうに実行しております」
「……だな。言ってみただけだ、分かっている。おそらく現在、カイの苦労を一番理解しているのは俺だ」
「恐れ入ります」
王と私は頷き合い、互いの健闘を深く祈った。
それから王は窓の外へと視線を向ける。その憂いある横顔に朝の柔らかい光が降り注ぐ光景を見ると、私は何とも言えない気持ちになった。
(日ごとにお顔の色が少しずつ悪くなっていかれるなあ)
私と弟達を含めて周囲は陛下に休息を取るように幾度も勧めてはいるが、真面目な御方だから無理を通してしまっている。レオール様を先王の時のように過労死させるわけにはいかないので、何とかしたいところだ。
「本当は他人に頼むことではないとは分かっているのだが、どうも今の俺には上手く出来そうにないのでな。つまり……マルクのことだ」
(マルク……。フィラルリエット将軍か)
陛下の言葉に耳を傾けながら、私はフィラルリエット殿のことを考えた。
数日前。マルクオルガー=フィラルリエット殿は王に対して、将軍職の辞退を申し入れたと聞く。理由は『自分以上の適任者が他にもいるし、今後は領地に住み、その経営に力を入れていきたいから』ということらしい。
王は将軍の嘆願を聞き入れなかった。「再びお前の活躍を見られる日まで、いくらでも待つ」と。
「あれからマルクの家を訪ねても、タウロス神が扉の前を塞ぐように陣取っている。マルク本人も、もう話すことはないと言って会ってくれない。一日一度は執事が強引にマルクを部屋から引っ張り出して、世話をしているらしいが、自分からは全く出てこようとしないらしい。ずっと……彼女の亡骸を腕に抱いているんだ」
「そんなことが……」
にわかには信じられない。数えきれない程の栄光を手にしてきたフィラルリエット将軍が、愛しい女性の死一つで、そこまで変わってしまうなどとは。
「それで私が何のお役に立てると仰るのでしょう? ……まさか」
「察しが良いな。腑抜けのようになったマルクをその気にさせてほしい」
「ええ!? 彼と親しい貴方に出来ないのに、私に出来るわけがないですよ!!」
「お前しかいないんだ」
「私と彼は家同士の公の繋がりしかございません。今まで私的な交流は一切ございませんが!」
「頼む」
「…………かしこまりました」
「ありがとう。他の誰でもないお前なら、そう言ってくれると思った」
やつれた王の頼みを断りきれず、とうとう承諾してしまってから、私は尋ねた。
「ディーネ神は、本当に素晴らしい御方だったのですね」
「……そうだ。叔父上が予言した『光』というのは、やはり彼女のことだったのだと思う。世界を変えた光のこともそうだが、彼女自身がかけがえのない存在だった。……王城でディーネの傍を離れず、ラーゼミンに攫わるのを防げていたらと、何度思ったか知れない。どんなに世界が豊かになったとしても、俺個人としてはディーネがいなければ何の意味もないんだ。マルクは、それ以上の気持ちなのだろうと思う。あいつもディーネを愛し、そして彼女から愛されたのだから。
だが俺はマルクのように地位を捨てようとすることも出来ない。直系の後継がいないからな」
「貴方はとてもご立派です。誰も今の貴方のように振舞うことは出来ません」
「王になんて生まれるものじゃない。心から愛した女が死んでも、悲しみに暮れることが許されない」