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虜囚②

 逃亡を許さないというように、使用人たちに周りを囲まれながら連れていかれたのは、広い講堂のような場所だった。奥の檀上には老女が厳粛な面持ちで立っている。その前に、白と金色の衣装をまとったラーゼミンがいた。

(何かの……儀式?) 

 ディーネは不吉な予感を覚え、入口で立ち尽くす。

「さあ、女神様。どうぞ中へ」

 一緒に来た者達に促されるが、強く抵抗する。

「嫌……!」

 後ろへ下がろうとしても、女性達に逃げ道を塞がれていた。

「お願い、そこをどいて!」

「いいえ、お進み下さい」

「嫌だと言っているの!!」

 数人に腕を引っ張られ、背中を押されて、ラーゼミンの方へ連れていかれてしまう。彼は彼女を射抜くような目で見て、待っているようだった。ついにディーネが彼の前に立たされると、透けたヴェールの上から頬にゆっくりと刻みつけるような接吻をされた。

「我が美しき花嫁に永遠の愛を捧げる」

「なっ……!?」

「これを誓いの接吻の代わりとする。女神の尊顔はさらさない」

 ラーゼミンは老女に告げる。

「私は、ここで花嫁にはなりません!」

 しんと静まり返った空間に、ディーネの声はよく響いた。

「花嫁は気が高ぶっているようだ」

「違う!」

「……では、ここにルアル様と女神の婚姻が、つつがなく行われたと証明いたします」

「っ」

 どうやら儀式を進行する役目らしい老女にも無視をされる。

 このまま相手の言うなりになるわけにはいかないと、身をひるがえして去ろうとしたが、ラーゼミンによって捕えられ、やすやすと身体を持ち上げられた。手足をばたつかせて暴れても無駄で、廊下の移動を余儀なくされる。


「は、離して!!」

「そなたの願いを叶えて、私はクリスやルディスの命をつながせているが、そなたの方は何の礼もないのか?」

「……!」

 クリスとルディスを人質に取られたのでは、ディーネに為す術もない。されるがままラーゼミンに寄りかかるほかなかった。

「私に身を預ける女神は一層美しい」

 ラーゼミンはディーネを見下ろしながら言った。




 部屋に連れ戻されると、横長の卓上に所狭しと豪勢な料理が並べられていた。

「祝杯だ」

「……」

 ディーネは椅子に座らせられ、ラーゼミンは女性の使用人に透明な杯へ葡萄酒を注がせていた。ディーネのほうも、使用人によってヴェールを上げられる。


「この部屋は気に入ったか? そなたの為に意匠を凝らして、しつらえさせた。私の許可なく外へ出ることは禁じるが、そこから見える庭ならば好きにしていい。女神に似合いそうな花を山ほど植えさせてある。

 もっと贅を凝らした部屋が良ければ、また新しい城を建ててやろう。他にも欲しい物があれば全て揃える」


 視線を投げられ、ディーネはで首を横に振る。

「何も要りません。私は貴方から何も受け取らないわ」

「……」

 一瞬で空気が冷えた。

「――――他に思う男がいるからか?」

 予期しなかった質問に、彼女は驚いて息を飲み込む。

「いいえ。あなたが命の重さを軽んじる、無慈悲な方だからよ」

 平静を装った返答だった。ラーゼミンにマルクの存在を勘付かれても、何も良いことがないからだ。


 すると彼は手に持っていた杯を置いて、怖い顔で迫って来る。

「!? 何を……」

 指先であごを持ち上げられ、強制的にラーゼミンと見つめ合う形となった。

 目の前の、紫の瞳がぼやけていく。

「あ……」

 神力を奪われたのだと気付いたのは、卓の上に突っ伏してからだった。気持ち悪さに頭の中が、ぐるぐると回り始める。



「あの時にフィラルで女神と一緒にいたのは――、町の領主でもある将軍だったな。あの男か」

「違っ……!」

「私以外の男を愛するとどうなるか分からせてやろう。待っていろ」


 恐ろしいことを耳にしてしまえば、気を失う暇などない。

「やめ、て……!」

 追いかけようとしたディーネは身体に力が入らず、椅子から崩れ落ちる。伸ばそうとした手の先で、ラーゼミンの姿がき消えていった。


「早く……行かないと……」

 だが、自力では立ち上がることさえ出来ない。

(こうしている間にもマルクに危険が迫っているというのに)

 歯がゆい思いで床を這おうとしたが、その体力すら残されていない。

 とにかく意識を失うまいとしていると、乱暴な音が聞こえた。扉から誰かが駆け込んできたらしい。

「女神!!」

 叫んだのは黒髪の青年だった。ディーネの元に一直線で向かってくる純白の成犬もいる。

「……クリスさん、どうして。それにタウロス……? 急にこんな大きくなって」

 可愛かった子犬は面影だけ残して、たくましい狼に見まがうほどの成長ぶりだった。どこかで見た、誰かに似ている。――そう、まるでシアに会っているかのようだった。

「女神をどうやってお助けしようかと悩んでいた時に、この城へ駆けつけられたタウロス神に案内を請われました。神は貴女を探して追ってこられたようなのです」

 クリスが説明してくれる。

「え?」

「女神……。言葉で話すのは初めてですね」

「!」


 驚いたことにタウロスは流暢に言葉を語っていた。

「覚えていらっしゃるか分かりませんが……、私はシア神の血に連なる者です。貴女が幼い時に我らの為にして下さったことを話に聞いてから、ずっと貴女の御力になりたいと願っておりました」

「……まさか、貴方がシア様のご血族だったなんて」

 驚くディーネにタウロスは頷く。

「現在の神界では人間の地へ赴くことは固く禁じられております。そのため、内密に事を運ぼうと、生まれてまもない私が長老たちの知恵を授けられた後で遣わされました。

 ですが、その後、安定しない私の神力を補って早く成長する為には、貴女から許可なく力を貰う以外に方法がありませんでした。だから貴女は私に触れる度、元気を失くされていたのです」


「だから私、……この人間の地に来てから、頻繁に体調が優れなかったのね」

 確かに考えてみると、いつも具合が悪くなったのはタウロスを抱いた後が多かったと納得がいく。


「……私が未熟者ゆえ、女神に負担をおかけ致しました」

 タウロスは悔しそうに目を伏せた。

「気にしないで。だって私の為にしてくれていたことだもの」

「女神。私の最も敬愛する御方……。

 これから私が、我が一族の長老たちが長い年月をかけて極めた方法を応用して、貴女にかけられた呪縛をお解き致します」

「お願いしてもいい?」

「お任せを。ただ……解呪は、今の貴女のお身体には負担がかかるかもしれません」

「耐えてみせるわ」

 了承すれば、すぐさまタウロスがディーネの腕に嚙みついてくる。でも痛くはない。彼女の皮膚に牙を立てないよう、加減してくれているらしい。

「!!」


 じんわりとタウロスの牙から熱いものが伝わり、自分の身体の中に居座っていた黒々しい何かがうごめく。激痛が体内を走り回り、気を抜けば悲鳴を上げそうになった。ぎゅっと目を閉じてこらえる間、嫌な汗が全身から流れる。

「私が代わって差し上げられるなら、そう致しますのに」

 苦しむ彼女の姿を見かねたらしいクリスが言う。

 ディーネが目を開ければ、クリスが側で片膝をついて彼女達を見守ってくれているようだった。


「……クリスさん、良ければ何か話をして下さいませんか。気が飛びそうで」

 すがる思いでディーネは懇願する。


「ならば女神。呪いを解く間だけ……、私の過去を聞いていただいても宜しいでしょうか」

「はい……」


「私は一貴族の息子でしたが、生まれ持った『ある才能』で子供の頃にラーゼミンの目に留まりました。それは魔力を持つ者から、その力を奪うことが出来るというものでした。奪うだけです。ラーゼミンのように、奪った力を自身で使用することに耐えうる機能が体内に備わっていない……というか、その為の体格が生れ付きないのです。

 ラーゼミンは私に、人から魔力を奪うことをさせ、ラーゼミンに渡すという運び屋をさせることを思い付きました。あの男は『お前がいるから、楽が出来る』と言ったのです……。

 彼は私を家族から引き離して、忠誠を誓わせました。従わないと、私の住む町の人々をどうするか分からないと脅してきたのです。私は長い間、彼の望むようにする以外にありませんでした。それは……近年では少ない魔力を持つ者ですら希少ですから、まずルディスの占いを使って見つけ出します。そして罠にはめ、無理やり力を奪うということです。これは、はるかな昔からルアル家がしてきたことでした。ルアル家に伝わる古い記録によると、神々を騙したこともあるようです。

 ……ルアル家は古来より魔力を用いることの出来る一族でした。昔、神々と婚姻を結んだ者が一族にいたか、或いは神々との契約で力を与えられたのかもしれません」



(ああ……、そうだったのだわ)

 クリスの冷たい紫の瞳こそは、あらゆる苦しみの中で生き抜いてきた証だったのだ。彼はずっと、己が手を『悪』に染めざるを得なかったのだ。

 以前ディーネはクリスと接して、ファロを思い出したことがある。賢者であるファロは若い頃、貴重な情報を求めたせいで、危険な目に遭ったらしい。その時、ファロは『悪』というものを身をもって体感しており、もう少しで『悪』に魅入られるところだったそうだ。だからファロも『悪』を知っている。普段は優しいが怒らせると、その片鱗が見えて、とても怖いのだ。まさしく『悪』の化身のようになる。


「三年前に戦争が起きた時、私は『これは彼から逃れる唯一の機会だ』と思いました。あの戦争に紛れて死んだことにすれば、もうラーゼミンに協力しなくて済みます。人質にされている町の人々も、彼の標的から解放されると考えました。

 作戦は成功し、私は偶然に鉢合わせたザクタムと共に王都へ逃げてまいりました。ザクタムは上級貴族の三男でしたが、兄達をラーゼミンに殺されています。ラーゼミンはザクタムにとって、親族を殺したかたきなのです。あの時はザクタム自身もラーゼミンに命を狙われており、危うく難を逃れました。この三年、私とザクタムはラーゼミンを討つことしか頭にありませんでした」


「……」

(だからザクタムさんは今度の戦争に参加したかったのね。万全の準備をして、ラーゼミンと戦う為に)

 ディーネは思ったが、口には出せなかった。身体の痛みに気を削がれてしまったからだった。

 その時、

「女神、これで最後です」

 タウロスの声が――遠くに聞こえた。

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