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過去①

 その日、幼いディーネは父の治める神殿から遠く離れた山麓にいた。

(はやく神力をつかえるようになって、みんなをおどろかせたい)

 彼女ほどの年になれば、力を発現してもおかしくない。早く力を使いこなせるようになって、最高神である父を助けたい。そういった思いは募るばかりだったから、この秘密の場所で毎日のようにディーネは単身で特訓していた。

 

(ふう。なかなか感覚がつかめないなぁ)

 今日も彼女は倒れ込むように、後ろの草むらに腰を落とす。消耗するのは気力ばかりで、肝心の神力のほうは出てこない。

 

「でも、ここの空気は一等おいしい」

 休憩の合間に山中へ足を運ぶのが、ここ最近のディーネの楽しみだった。この山には誰の姿も見えないものの、細い道が頂上まで続いていて、そこを彼女は鳥や鹿と連れ立って歩き、出会う花々を愛でた。そうしていると、心の中の暗い思いが薄まるような気がした。

「ふふ。この黄色のお花、かわいい。なんという名かしら。清浄なところだから、めずらしい花が咲くのね」

「久しぶりに聞く賛辞だな。美しいままで野山を守るのも一苦労だが」

「え!?」

 気付かないうちに背後をとられていて、叫び出しそうになる。

 見れば、犬の先祖のような、或いは狼の種族のような姿をした純白の毛並みの獣神が立っていた。


「あなたは……」

「我が名はシア」

「シア様……。あっ、ごめんなさい! 許可をもらっていないのに入ってしまって……」

 誰も見かけないから所有者がいない場所だと思っていたが、違ったらしいことに気付き、ディーネは慌てて、すぐに出て行こうと立ち上がった。他神の領域への侵入は危険だからと以前、父母によって固く禁じられていた。

 

「待て。常ならば怒り狂うかもしれないが、今日のところは不問としよう」

「どうして?」

「そなたは神力の練習をしているようだな。だが、もし力が発現した時にあの山を傷つけてしまわないように、山とは別の方へ身体を向けていただろう。近ごろ暴れ回っている誰かとは大違いの配慮だと感心していた」

「それって、もしかして」


 ハッとして相手の目を見れば、真剣な眼差しとぶつかる。

「そうだ。デューゼロンの気まぐれな破壊行為のことを言っている」

 デューゼロン。ディーネのような幼神ですら、その存在を知っている。物心がつけば、親神が子に一番最初に教えると言っても過言ではない忌み名だ。己の武勇を誇る神ですら一戦を恐れる邪神で、彼の力は最高神にすら迫るという噂もあった。

 


「まったく……同じ獣神として腹立たしい」

 と、シアが唸るように低く言った――、その時。

 ドオォォォンという地響きと共に、爆風が遠くの岩肌を削っていった。


「なに!?」

「……決まっている。デューゼロンだ。ついに、ここも奴の目に付いたか。間の悪いことだな」

「そんな!」


 デューゼロンの、紛れようもない殺気がビリビリと肌を刺すように伝わってくる。

 彼に見つからないようにこっそりと、けれど一刻も早く逃げ出したいと本能が強く訴えてくる。

 少しでも神力が使うことが出来れば、戦おうという気も起きたかもしれない。いや、たとえ充分な神力を持っていたとしても、彼に立ち向かうことは正気の沙汰ではなかった。デューゼロンの禍々しく圧倒的な気配が言っている――歯向かう者は容赦しない、と。


「そなたは私が奴の気を引いている間に逃げろ」

「なにを……」

 どうしてと、ディーネがシアを見上げれば、

「そなたの為だけではない。私が時間を作らなければ、山に隠れている我が眷属たちも逃げられない。

 心配するな。緊急事態には一族の長が犠牲となって皆を守るのが、いにしえからの決まりだ。その覚悟は長になった時から既にある。だから、そんな顔をするな」


 そんな何でもないというような顔で言われる。


(こういう時、父上や母上ならどうするだろう)

 ただ命を捨てるのは愚かなことだ。つまり神力を使えない者が強者と戦うことも賢いとは言えない。


「……わかった。今ここに残っても、わたしは貴方の足手まといになるもの」

「良い判断だ……と言いたいところだが、奴にここに誰かがいると気付かれたようだ」

「っ」

「勘の良い奴だ。これでは私の眷属も逃げる時間がない」

 どうやらディーネ達は、いっそう最悪の状況に陥ったらしい。

「仕方ない、そこに隠れておれ。そして一瞬の隙をついて逃げろ」

「あっ」

 シアに強く肩を押され、ディーネは為す術なく岩影で息を潜める。


 と同時に、デューゼロンが地面に降り立つのが見えた。

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