王城㉑
けれどウォールデスは、彼女を喜ばせるだけでは済まさなかった。
「ただし、完全に信用したわけではない。そなたへの私の目は今後も厳しく向けられるものと思っておけ。女神だということも、正直信じ切れていない。だから、そなたへの態度もこのままにする。そなたが唯の町娘であると、周囲の目を欺く為にも」
「はい。それで構いません。ご配慮に深く感謝致します」
ディーネはウォールデスの意向に納得し、頭を下げる。彼が彼女を信頼することに慎重なのは理解できた。国の中枢にいる者に警戒心の無いほうが問題に思えた。そして、こういったウォールデスの姿勢はレオールに通じるものがあると、彼女は思い出す。
(最初は王にも、とても私の素性を疑われていたものね。王は、この御方の影響を強く受けいるのかもしれないわ)
「しかし、そなたが私を頼りたいと思う時は出来るだけ力になると約束しよう。だから自分だけで無茶はしないように」
「分かりました。ありがとうございます、殿下」
ウォールデスと話すうちに、ディーネの張りつめていた気持ちは段々と解れていくようであった。
(やっぱり人間は冷たいだけの生き物じゃないんだわ。神と同じで、ちゃんと心を持ち合わせているのよ)
話が通じる相手なのだと分かってきて、彼女は安心して要望を伝えようと決める。
「私はお話を致しましたので、クリスさんを塔から出して下さいますか?」
「そうだな。もう目を覚まして、そなたの身を案じ、やきもきしている頃だろう。あいつは塔から出すから心配するな。女官を呼ぼう、そなたは一緒に部屋へ戻っていい」
「分かりました。宜しくお願い致します。…………あの、あと一つだけ質問致しましても宜しいでしょうか?」
「何だ?」
「失礼ですけれど、どうして、そのようにお若くていらっしゃるのでしょう? 確か御年四十だと伺いましたが……」
「ああ、私の持つ魔力のせいだろう。魔力は生命力でもある。だから魔術師というものは身体が衰えにくく、寿命が長いのだ。しかし私を見て分かると思うが、病は避けられない。それに肌に傷を受ければ、血も流す。治療の魔術を使えれば、病も怪我も怖くないだろうが」
ウォールデスの説明は、ディーネを始めとした神々と魔術師の長寿の理由が似ていることを示していた。そう気付いた彼女が勢いよく彼を見れば、ウォールデスも同じことに思い至っていたのだと分かる。
「これで神力と魔力は近いものだという可能性が高まりましたね。神力を持つ私と魔力を持つ貴方様は、とても似ていますもの。例えば私は風邪という病にかかりますし、転べば膝を擦りむきますから。本当に神と人間なんて、そう大差のないものに思える時があります。神力が有るか無いか、その一点だけしか違わないのではないでしょうか」
(だからこそ、神と人間同士で恋をしてしまったんだわ、私とマルクは)
マルクの優しさに惹かれた。
彼の強引さに抗いきれなかった。
マルクという人間の儚くも若い命が生み出す、驚くべき英知と努力に圧倒され、尊敬の気持ちがわいた。そして、それはマルクだけに限らない。レオールもクリスも、男だけに限らずカミラ達も、人間の中には素晴らしい者が沢山いる。
「私は女神ですが、それでも、この国の人々の芯の強さには目をみはってしまいます」
心の支えとなっている者達のことを思い、力を得て、ディーネは微笑む。
するとウォールデスは小さな声で呟いた。
「……『光』……、希望……」
「え?」
脈絡のない発言にディーネが首を傾げると、ウォールデスも戸惑ったように首を横に振った。
「いや、何でもない。何故か急に、ある言葉が頭に浮かんだだけだ」
**
一夜が明けて、冴え渡った空の下、女官に頼んだ茶会の用意は滞りなく終わる。女官にはディーネ自身も参加すると言っておいたが、実際はココが現れたら退散するつもりだった。ココに「二人きりにしてほしい」と頼まれたからである。
その日のココは、彼女だから似合う豪奢な装いをしていた。真紅の柔らかそうな生地をたっぷりと波立たせたスカートは幾層にも重なった薔薇の花弁を思わせ、そこに惜しげもなく縫い込まれた数多の小さなダイヤモンドは花びらに遊ぶ露のように煌めいている。合わせて令嬢がつけている大きな涙型のダイヤモンドの首飾りは、彼女のほっそりとした白い首の美しさを際立たせていた。いつかレオールに言われた『薔薇の化身』という言葉は彼女にこそ相応しいと、ディーネは令嬢に見惚れる。
「ありがとう、ディーネさん。これは約束の品よ、さあ受け取って!」
「まあ、ありがとうございます」
ディーネが上機嫌のココにデッサンの入った筒を手渡された時、「あ……」とココが声を出した。レオールが姿を見せたのだ。
「陛下。お会いしとうございました! 私のことは覚えていらっしゃるでしょう?」
そう優雅に挨拶し、自信ありげに微笑むココは自信に輝いていた。
「ルーン家のご令嬢だな、覚えている。だが今は立て込んでいるんだ。失礼だが本日は、このままお帰りいただこう」
「え?」
王の思いがけず冷たい言葉に、笑顔を消したココは蒼白になる。が、レオールはココを無視して椅子に座った。
「ディーネ、お前も座れ」
「あの私は……、ここで失礼致しますが」
「聞こえなかったのか? 座れ」
王の有無を言わせぬ調子に気圧されたディーネはレオールとココの顔を見比べる。そして、心の中で令嬢に謝罪しながら椅子に座った。わなわなと震えているココと目が合ったが、すぐにココは怒りもあらわに身体を勢いよく翻して駆けていった。
「待っ――――――」
ココが行ってしまうのを見て驚いたディーネは後を追おうとしたが、
「お前は行かなくていい、放っておけ。彼女は先程のように強く拒絶しければ、今後も迷惑な好意をこちらの都合も考えずに押し付けてくる部類の人間だ」
と言って、王が彼女の片手を卓の上に強く押し付けたので、ディーネは立ち上がることが出来なかった。
「そうかもしれませんが、でも…………」
彼女は真っ直ぐに見つめてくるレオールを、いぶかしく思って見つめ返す。手は、まだ押さえ込まれたままだった。
(これから怒られるのかしら。王に内緒でココ様と会わせたものね)
「ディーネ。今回のことでお前がどういうつもりなのか、よく分かった。だから俺も、はっきりした態度を取ることにしよう」
レオールは今度は急に立ち上がると、ディーネの足元に膝を突き、彼女を見上げた。
「愛している。俺の妻になってほしい」
それは静かな熱を秘めた告白であった。
ディーネは身体を硬直させ、目の前の青い瞳をまじまじと見返すことしか出来ない。だが少しして、忘れていた呼吸を思い出すと、口を開いた。
「……ご冗談を仰らないで下さいませ。貴方様にはココ様がいらっしゃるはずです」
「冗談なんかではない、本気だ。それと訂正しておくが、ココ嬢のことは何とも思っていないからな。彼女とは今後も関わり合う気はない」
はっきりと言い切って、レオールはディーネの手を取り、その甲に柔らかく口付けてくる。
「陛下、何を…………」
「お前の身分では、すぐに正妃とすることは出来ない。最初は側室で我慢してくれ。だが、お前をおいて他の誰も俺の正妃とすることはないと誓おう。だから、お前だけが俺の後継を産めば、お前が事実上の正妃だ。そうなれば正妃として強く推すことが出来るはず」
(あ…………。側室って、伴侶のことだったのだわ。今まで何度か気付ける要素はあったはずなのに、今更分かるなんてっ。早く断らないと!)
ディーネは雲行きが怪しくなってきたことを悟り、気を焦らせる。
「困ります。私は――――――――――」
「マルクが好きなのだろう」
言い当てられ、彼女は目を見張った。
「見ていれば分かる。だが、あいつとは正式な婚約もまだなはずだ。
始めは少しでいい。俺のことも考えてみてくれないか。いくら見苦しくても、このまま何もせずに諦めることなど、俺には出来そうもない」
と、声も無く相手を見つめるディーネを前にして、レオールは真剣な顔で言うのだった。




