王城⑱
「これは一体……?」
と、ディーネが驚いて問えば、ウォールデスは苦笑した。
「それ以上の複雑な文様を身に刻みながら、何を今更。
まあ、良い。これは王族の私的な生活の場を守っていた文様だ。特に夜中、寝ている時に外敵から襲われると厄介だからな。この建物内では文様が壁に描かれていることで、あらゆる魔術を使えないようになっていた。描いたのは数百年前の名高い魔術師だ。今では真似して描こうにも、誰も出来ないに違いない。重なり合う線で出来た形が複雑で読み取るのが難しく、仮に理解できたところで、描くには相当な魔力を消耗することだろう。だからこそ過去の王族は、この貴重な文様を保持する為に定期的な城の修復時にさえ、この壁だけは取り替えないまま補修して大切に残してきた。
ところが、数日前のことだ。見ての通り、何者かによって文様が破壊された。犯人は文様の知識があって、力も大きい魔術師だ。あらゆる魔力を封じる文様を前にして使える唯一の解除魔術を知っている上に、その術を静かに用いることが出来るのだからな。
そして生憎と私は、この文様を壊せた人物を一人しか思い当たらないでいる」
言いながらディーネを見るウォールデスの目は、彼女への疑念で満ちていた。
(ウォールデス様は、犯人が私だと疑っているのだわ!! どう釈明すれば、分かってもらえるの!?)
ディーネは自分が非常に不味い立場にいることに気付き、動揺した。
「いいえ、決して私ではごさいません! 今、私は初めて文様というものを見ました。ですので私を犯人となさるのは、失礼ながら見当違いかと存じます」
「では誰が、このようなことを出来るというのだ。あの夜、建物の周囲を巡回する兵士達は誰一人として、壁ごと文様が壊された音を耳にしていない。それに、本来なら私を含めて建物内で寝ていた者達も、壁が抉られた際に建物の振動を感じていないというのは妙だ。何者かが文様を壊す為に大きな力を使ったはずなのにな。
強力な魔術を音も立てずに使える者。その者は何の目的で文様を壊したのか。そして今どこに潜んでいるのか。そなたは気にならないか?」
「気になりますわ。本当に一体、どこの誰が…………」
(あっ。もしかして、私の部屋へ来た男神の仕業ではないかしら?
あの夜、王城に降り立った彼は、まず壁の文様を壊したんだわ。この建物で術を自由に使えるように。そして私の部屋にやって来て、幾つかの術を使用したのよ。
あの男神にとって建物を守る文様を壊すことなどは、きっと取るに足りないことだった。そう、目の前にある邪魔なものを取り除くという、それだけの行為に過ぎなかったのだとしたら?)
彼女は真実が分かったような気がしたが、あの男神のことをかいつまんで伝えたとして、ウォールデスが自分の話を信じてくれるとは思えなかった。
(どうして今、男神のことに思い至ってしまったの! まだ忘れていれば良かったのに!)
状況は更に悪化した。ウォールデスから巧みな尋問を受ければ、思わず男神のことを口にしてしまうかもしれないと不安になる。そこへ、
「そなた、やはり何か知っているな」
と、じっとディーネの様子を観察していたらしいウォールデスが断言してきた。
「いいえ、何も知りません!!」
「事が発覚しても、自身に描いておいた文様を見せれば、『私は力を封じられた状態だから犯人ではない』と言い逃れ出来ると踏んでいたのではないのか?」
「違います!」
「大人しく吐け。痛い目を見たいなら、構わな――――――。そこにいるのは誰だ? 出てこい」
突然、廊下側の扉に視線を移したウォールデスは高圧的な口調で言う。それを合図に扉が静かに開いた。
(あっ……!)
「立ち聞きとは良い身分だな。即刻、名乗れ」
「お初にお目にかかります。私はフィラルリエット家の門番でクリスと申します、殿下」
言い終えると、クリスは堂々たる態度で一礼する。
「…………外には私付きの騎士と、女官が一人いたはずだ。彼らはどうした?」
「ご心配なく。少しの間、気絶してもらっているだけですから」
「わざと気配を出すまで、そこにいるとは気付かなかったぞ」
ウォールデスは眉根を寄せ、クリスを睨む。が、フィラルリエット家の門番は動じなかった。
「失礼致しました。身をわきまえず、殿下に申し上げたい儀がございましたので」
「何だ?」
「はい。そちらにいらっしゃるディーネ嬢は、フィラルリエット家と深いご縁のある御方です。たとえ殿下といえども、これ以上の厳しい尋問はご遠慮いただきたく存じます」
クリスが言い終わると、ウォールデスは肩をすくめてディーネに向き直る。
「なるほど。そなたの背後には名門フィラルリエットがある、ということか。王族といえど、有力貴族の権勢は無視できない。上手く逃れたな。…………とでも言うとでも思ったか?
クリス。二人まとめて捕えられたくなければ、そなたは下がっていろ。私は、この娘にまだ聞きたいことが山ほどある」
「承服致しかねます。私は、この女性をお守りするように主から厳命を受けておりますので」
「王の叔父である私の言葉より、貴族の一人でしかない主の命令を優先するか。そなたは私に対する無礼を働いたとして、不敬罪に問われてもおかしくない」
「構いません。私はフィラルリエットの当主への忠義を貫きます」
きっぱりと言い切ったクリスを目にして、ウォールデスは「よく口が回る。厄介な男だ」と呟き、ため息を吐いた。そして今度はディーネのほうを見、
「良い護衛を持ったな」
と、皮肉るように言う。
ウォールデスの言う通り、ディーネはクリスがいると心強いと思った。
しかし、ウォールデスの次の言葉に、冷水を浴びせられたようになる。
「やはり二人とも拘束させてもらうしかないようだ」




