悪魔は1人だけじゃない
(広い……)
ついキョロキョロとしてしまう。マルクの姿に隠れるようにして廊下を歩いているディーネは、建物の大きさに驚いていた。
「王城は広くて、迷路のように入り組んでいるでしょう。増改築も多いですから。こちらは王族が暮らしている棟ではないですけどね」
(ここ、王城だったのね!)
今更の事実に驚くが、表情に出ないよう気を付けた。まさか、王城だと知らなかったとは、マルクに言えない。余計に怪しまれてしまうだろう。
その時は、ちょうど廊下の角を曲がる瞬間だった。ディーネ達は男三人と、ばったり出くわす。
「マルクか」
「これはレオール陛下。ちょうど、お会いしなければと思っていたところでございます」
「!!」
(陛下ということは、これが人間の王なのね……)
陽に映える黄金の髪に、印象的な青の瞳の、意志の強そうな美男がそこにいた。
「そちらは、どちらの令嬢だ」
見つかりたくなかったのに、目ざとく発見されてしまった。
「彼女は私の執務室に突然現れた方です。ですが刺客の可能性は低いと思われます。私の屋敷にて、引き続き彼女の事情を探ります」
「どうかな。刺客という線は濃厚かもしれないぞ。それに――城に現れたなら、ここの獲物だ。城で預かる」
「レオール様! それは……」
マルクが困った様子を見せる。だが、それは一瞬だった。
「では女性の意志を尊重して、彼女に決めてもらうことに致しましょう。ディーネさん。レオール様のおられる、ここ王城と私の館。どちらに来ますか?」
マルクはこちらに向き直り、軽やかな口調で尋ねてくる。
「え?」
戸惑うディーネに、今度はレオールが仏頂面で言う。
「俺とマルクの、どちらに監視されたいか聞いている」
「身にやましいことがなければ堂々としていればいいのです。要は、どこに滞在したいかという確認ですね。残念かもしれませんが、二択です。それ以外は認められません」
「……滞在……」
彼女はこの厄介な二人と早く別れて、人気の無い場所で今後のことを考えたいと思っていたが、それは許されないらしかった。
「マルク。お前は忙しいだろう。この娘に構っている暇は無いんじゃないか?」
「ご冗談を。王の貴方より責務を抱えている者はおりませんよ」
「よく言う。俺の仕事を半分以上取り上げて、勝手に捌いているくせに。しかも自分の広い領地も完璧に管理しているから、嫌になる」
「あれらは、わざわざ貴方がする仕事ではないからですよ。それに半分以上などということは、ありません」
「どうだか。お前が有能だからこそ、無理をさせているのは分かっている。だからこそ、この怪しい娘の監視まで負担させたくない」
「きりが無いので滞在場所は、やはり本人に決めてもらいましょう」
そう言ったマルクとレオールの瞳が、彼女の決断を待っていた。
(決めろと言われても)
ディーネは呆然としながら二対の目をまじまじと見返す。彼らの瞳から本心までは分からなかったが、余裕の色だけは透けて見えていた。相手は小娘だと、侮っているのだろう。だとしても、この男達に負けるわけにはいかないと思う。確かに彼女は神界で争いとは無縁のぬるま湯に浸かっていたかもしれなかったが、それでも彼らの前に屈するのは嫌だった。
ディーネは考え始めた。『埒が明かないから自分で決めろ』という言葉を。そして、そんなことは彼らだけで決められるはずではないかと、いぶかしく思う。こんなことも決定できないなら、普段の取り決めは一体どうしているのだと。彼らは腐っても施政者達なのだから。
(そうか。見ているんだ――――、私の一挙一動を。言葉一つ、動き一つを。何を考え、選び取るかを。今までも、これからも、疑いが完全に晴れるまで見ているんだ)
ディーネはそう気付いて、ぞうっとした。が、思い直す。
彼らの自分への侮りを逆手に取り、隙を突いて神界へ帰ることが出来ればディーネの勝利になる、と。
そして、その為にはディーネの正体が女神であるということを、絶対に隠し通さねばならないのだ。
(正体を明かさないのは、万一の為よ。たとえ今の私に神力が無くとも、欲深い人間は何をしてくるか分からない。……私は絶対に逃げきってみせる!)
覚悟が決まった。唾を飲み込み、彼女は努めて表情を消す。
向こうに、考えていることを悟られてはならなかった。選択肢をくれると言うのなら、せいぜい選んでやろうと思う。計画がより容易く遂行される方を選ぶのだ。
総合的に言えば、マルクに付いていきたいと思う。
今のところ断然優しいし、形だけでもディーネに理解を示してくれているのが彼だ。
場所にしても、臣下の家なら王城より人の目が無さそうだった。出来るだけ目立たない存在でいられるに越したことはない。
(だけど問題は、この食えない感じなのよね)
見る者を魅了する優雅な佇まい。女神たちすら魅了しそうな、絶やさぬ微笑み。教養もあるに違いない。終始穏やかなのに、理知的な光を見せる瞳にも惹きつけられる。
もし普通に人間の娘として彼に出会い、挨拶を交わしたなら。間違いなく好感を持てただろう。
だが、現実はそうではない。頭も相当切れそうだし、油断ならない相手なのだ。
彼だけで、ゆうに百人分の働きはしてくれそうである。
…………それでもレオールがいる王城よりは良い、と思った。
彼だけはいけないと、本能がそう囁いていた。
「マルクさんと行きます」
ディーネが告げると、マルクは心底嬉しそうに微笑みを深めた。
「是非いらして下さい」
その不思議な喜びようをレオールも見咎めて、顔をしかめる。
「マルク。お前のことだからまさかとは思うが、この娘に踊らされることだけは避けろ」
「それも楽しそうですがね」
「お前が言うと、冗談に聞こえない」
(どうしよう。私は、とんでもない人を選んでしまったのではないかしら……)
今更だが、彼女は後悔した。
自分の足元へ視線を下ろしていると、誰かが目の前に立つ。
ディーネが顔を上げるより早く、指先で顎を掴まれ、強制的に目を合わせられる。
青い宝石のような瞳の中に、暗く揺らめく炎が見えた気がした。
「マルクのところへ行ったとて王の目から――――俺から、逃げられると思うなよ」