旅行③
マルクに連れられて、ディーネはフィラルの森に入っていった。けれど今まで通ってきた大きな道ではなく、細くて足場の悪い道だ。
「あまり整備されていないところを行かせてすいません。ですが、こういった脇道を使ったほうが実は城への近道になるのです。道幅が狭いので、馬車では通れないんですけどね」
と、マルクは説明してくる。
「この道を使って、貴方は早くフィラル城に着こうとされているのでしょうか?」
「いいえ、今は違います」
そう彼は否定するだけで、全てを教えてくれる気はないらしい。だがマルクのにこにこした顔を見ていると、これから向かうところに期待してもよさそうだった。彼は彼女を喜ばそうとしている、或いは驚かそうとしていると気付く。その好意を、ディーネは嫌だとは思わなかった。
(あら、良い香りがしない? 甘すぎなくて上品な……)
疑問は、一面に現れた白色によって確信に変わった。
「さあ、着きましたよ」
マルクの言葉すら耳に入らないほどに感動し、彼女は感嘆の声を上げる。
「うわぁっ。すごい、綺麗……!!」
たんっ、と馬から地面に下り立って、ディーネは駆け出す。木の柵があるので囲いの中には入れないけれど、彼女は目の前に白い花々が咲き誇っているのをうっとりと眺めた。
時間を忘れて見やっていると、後ろからマルクが近付いてきて、話しかけられた。振り返ると、馬達がいない。どうやら彼が、すぐそこにある小さな厩に預けてきたらしいと分かった。
「気に入ってもらえましたか? この施設ではチェリカの花を栽培させているのですよ」
「はい。とても!」
「いずれ全て、貴女の物になります。私の妻になって下されば、私の持ち物は全部貴女に属するようになる」
「…………あ、の、それは……」
ここしばらく無かった直接的な愛の囁きに戸惑う間に、片手を引かれる。
「せっかくだから、花園に入りましょう」
マルクは木の戸を押して入り、どこまでも続く花の道を歩いていく。その背を見ながら、ディーネは甘い沈黙に耐えかねて言った。
「広い……。とても沢山の花が育てられているのですね。一輪一輪が見事で、愛情をかけて、とても丹念に世話されているのが伝わってきます」
「繊細な花なのです。一つ間違えると、すぐに痛んだり散ったりしてしまう。この花を取引きしてフィラルの財源の一つにしているので、余計慎重に扱っています。特に生産責任者は常に天候を気にして、あまり雨風に当たらせないようにして……。
ああ、ここで休憩しましょう。この手巾の上に腰を下ろして下さい」
マルクは懐から白い手巾を取り出して、彼女に勧めた。
「私だけ座るのですか?」
確かに疲れてはいた。だが、どう見ても一人しか座れない布の面積に遠慮する。
「フィラルに来たら、してくれる約束だったでしょう。————『膝枕』」
「っ……、あれは!」
(貴方が勝手に言っていただけでしょう! 私は、するなんて同意はしてないわ!)
「ディーネ嬢。お願いします。貴女の膝をどうか私に貸して下さい。貴女が望む物なら何でも差し上げますから、どうか」
彼は乾いた土の上に膝を折り、ディーネの手の甲に接吻して乞うた。敵わない、と彼女は観念する。用意してくれた布の上に、どきどきしながら座って「……どうぞ」と言った。
太腿の上に落ちてくる、彼の頭の重み。ぎゅっと握り締めた片手は、まだ彼の手に暖かく包まれたまま。恥ずかしさに俯いたディーネを、微笑んで見上げてくるマルクの瞳と見つめ合う。もう、言葉なんて要らなかった。
ときおり吹く弱い風にチェリカの匂いが充満して、身体がふわふわする。ディーネは自分が夢を見ているのではないかと疑った。
「……頭を撫でてはくれないのですか」
やがてマルクは拗ねたように強請ってきた。今日は、以前レオールにした以上のことをしなければ済まされないらしい。
どうにでもなれ、と彼の柔らかな髪にディーネは優しく指を入れる。マルクは気持ち良さそうに瞳を細めたが、すぐに閉じてしまった。
(えっ。寝るの?!)
確かに日差しは暖かいけれど、と思う。他にすることも無くて膝上の顔を見下ろしていると、薄い隈を発見した。それは今まで気付かなかったものだった。ここ数日で出来たものかもしれないと思った。
(お疲れ様です、って……、こういう時に妻は夫に言うのかしら)
美しい光景の中で、場違いのように胸が痛む。彼女はマルクを起こさないように、頭を撫でる手を止め、彼の顔を眺め続けた。
**
風が冷たさを帯びてきたので、マルクの身に障るのではないかと心配になってきた頃、やっと彼が起きてくれる。
「ん、……ああ、すいません。少し寝てしまっていたみたいですね。貴女の膝や手が気持ち良すぎて」
ふっと膝から重みが消えたが、それを寂しいと思う間も無かった。
「!?」
上半身だけ起こした彼は腰から振り向き、ディーネの後頭部に手を回して、自らの顔と近付ける。ちゅっと、唇を合わせるだけの接吻をされてしまった。
「なっ……」
不意打ちにも程があった。真っ赤に染まっているだろう顔で睨めば、
「謝りませんよ。貴女がそんなに可愛いのがいけない。
さあ、急いで城に行きましょう。空が今の貴女の顔の色になる頃には到着したい」
と、言われるだけで済まされてしまう。
無言のまま、それぞれが服に付いた土を払った後。ずっと繋いだままの手を引かれ、花の中を厩のほうへ戻る。途中、年配の女性とすれ違いざまにマルクは、ディーネの目の前で拳大の袋を受け取った。
「旦那様。宜しければ、こちらをそちらの御婦人とどうぞ」
「いつも済まない」
何だろうと見ていたところ、マルクは袋から中身を取り出してディーネに分けてくれる。
「? ありがとうございます」
早速、その紙に包まれた物をむくと、四角に切られた黄色の菓子が出てきた。
「行義が悪いですが、歩きながら食べてしまいましょう」
彼の提案に頷いて口に運べば、ほのかに甘い初めての味わいに目を見開く。
「食感がふわりとしていて美味しいです!」
「チェリカから取れる蜜で作ってあるのですよ。良ければ、もう一切れどうぞ」
「良いのですか? 嬉しい」
「昼食を摂り損ねましたから、貴女はお腹が空いているでしょう。これを食べて、もう少し頑張って下さい。城に着いたら、すぐに夕食にさせますから」
そうしてディーネはマルクと共に菓子を頬張り、最初に見た木の小屋に着くと彼が施設関係者に所望した水を一杯飲んだ。その後、彼らは厩に行って馬を引き出して乗り、城へと発ったのであった。




