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旅行①

「執事には私から部屋の施錠をするよう伝えておきます」

「ありがとうございます。宜しくお願いします」

 クリスの好意に甘えさせてもらい、明るい声で礼を言ったディーネは図書室前で彼と別れた。しかし廊下では、つい足を引きずるようにして歩いてしまう。


(疲れたわ……)

 と、クリスに対して口にすることはしなかったけれど、これが彼女の正直な気持ちである。

 神界にいた頃は、ぐっすり眠れば次の日には体力の回復が出来た。なのに今は、良い寝床で眠りについても、翌日元気になる確率は半々になっていた。ちなみに今朝は不調のほうだった。最近は我慢というものを覚えて、限界に挑戦している。今日も弱音を吐く自分の身体に鞭打ち、図書室でひたすらに手を使って頁を捲ったのだ。成果は出なかったけれど、腕は痛い。



(何か、おかしくない?)

 この体力不足が、気にかかる。惑いの術が自分に掛けられていることを知ったせいかもしれない。あの術はディーネの力を封じるだけではなくて吸収もするのだろうか、とぼんやり思考した。



(ああもう、疲れ過ぎて考えがまとまらないわ! 首と目も違和感があるし)

 ずっと首を落として書物に取り組んでいた上、文字を追って酷使した目は悲鳴を上げている。




 ふらつきながら(ようや)く自室に着くと、カミラの手で明日の旅行の準備はほぼ終えてあるようだった。なにせ見慣れない大きな(ひつ)らしき物が三個も、部屋の隅に用意されているのである。


「……ふふふっ。こんなに沢山、何を持っていくの? 数日の旅行でしょう!」

 ディーネは(あき)れたが、カミラのおかげで今日初めての笑いが込み上げてくるのを感じた。


「まだ袖を通されていない綺麗なドレスをたくさん持ちました。これで向こうでは毎日、選び放題でございますよ! もう準備万端ですわ。あとは(くし)とか化粧品ですとか使い慣れた小物を朝、忘れずに入れればいいだけです」

 と、ディーネの杯に水を入れてくれながらメイドは楽しそうに話す。



「有難いけれど、ほどほどでいいのよ? カミラ」

「いいえ、可憐なお嬢様をより美しく着飾らせるのが私の仕事、と言うより生きがいでございますからっ!!」

「そ、そう。ありがとう」


 勢いよく宣言され、ディーネは思わず()けぞる。このメイドには退屈しないな、と感心した。



 その時、ふと移した目線の先。まだカーテンの閉められていない窓硝子には、慣れないドレスを着た自分の姿が映って見えた。その表情は、一日の疲れによって少し気が抜けてしまっていて情けないものだった。



(まだ実感があんまり沸かないけれど、ついにフィラルへ行くのね。

……ようし! 今日はゆっくり休んで、フィラルで自分の時間が取れたなら図書室の使用を将軍様に頼んで頑張りましょう!!)



 気合いを入れ直している最中、マルクの顔が浮かんで胸が痛む。その気持ちを上塗りするように、メイドに話しかける。

「貴女もフィラルは初めてなのでしょう? 楽しみね」

「ええ、景観が綺麗だと評判のところですからね。早くフィラル城が見たいです!

…………それで、あの、お嬢様?」

「なあに?」

「せめて、ご旅行中は羽目を外されたらいかがでしょう。毎日無理をされているようで、心配になってしまいます」

「! ……確かにそうね」



 メイドに指摘されて初めて、自分の本当の望みが顔を出す。それは、恐らく最後になるであろうマルクとの旅行を心から楽しみたいし、良い思い出を作りたい……というものだった。


(最後くらい、良いかしら。他のことは望まないから、だからせめて、この旅行の間だけは全てを忘れてもいいかしら。勿論、有益な情報を得る機会があれば逃さないけれど)

 そうディーネが自分に許しを与えると、ずっと抑圧してきた心が拘束から解き放たれたように楽になった。





**


 出発は早朝ということで起き出すと、何かを手に持ったカミラがびっくりしたような顔でやってきた。

「どうしたの?」

「あのう、こちらをクリス様から渡されました。『題名を伏せた三冊をお嬢様にお貸しするという許可を閣下から得ました』、と。

わたくし、あの方がお嬢様の部屋の前にいらっしゃる日が来るとは思いも致しませんでしたわ!」

「まあ。何かしら、これ」


 メイドに手渡された、硬くて重い包み。その白い布を開けると、書物が三冊出てくる。一冊は『ヒュレイア戦争に関する考察』。昨日、ディーネが読み損ねたものだ。あとの二冊の表題には『ヒュレイア戦争の犠牲と目的』『魔術大成』と書かれている。


「わあ!」


 これらを発見した瞬間、純粋に嬉しくて書物を抱き締めた。カミラが横で何事かと覗き込んでくる。



「まああ。難しそうな書物ですね!」

「一冊は昨日、私が読みたいと思ったまま引き下がった本なの。あとの二冊はクリスさんが選んでくれたみたい。彼は気の利く、優しい人ね」

「はあ。あの『氷の門番』のクリス様の親切……。やっぱり珍しいです。これは旦那様と陛下との、三つ(どもえ)

あっ、それともザクタム様の今後を期待すると、お嬢様をめぐる四つ巴の予感ですか?!!」



「皆、楽しい貴女を取り合って争えばいいと思うわ」

「酷いです、お嬢様。メイドに夢ぐらい見させて下さい」

「私をだしにして見るのは駄目よ。……ん?」


 ふとディーネは『魔術大成』の間に、(しおり)のような紙切れが挟まっているのに気付く。

(クリスさんが挟んだのかしら。一体、ここに何が書かれているの?)

 胸の鼓動が速まって、その場所をためらうことなく開いてみる。


「!!」

 目に入ってきたのは、昨日クリスが描いた文様に似た絵図であった。ディーネは食い入るように、短い説明文を読む。



 ――――――――【封術(惑いの術)】;対象の何らか(多くは魔力など)を封じる為の、(いにしえ)の魔術法。使用には多大な魔力を消費する。現在は失われ、使い手は存在しない。/一説に、邪神(もしくは獣神)より伝えられた秘術。/この術を掛けられると、雲を手でつかもうとするかの(ごと)くに、封じられた行為が出来なくなるとされる。解術法は不明。



 新しい情報が目から入り、頭の中に(つづ)られた。一歩前進した、と思う。


(クリスさんは多分、昨日私と別れた後も一生懸命に資料を探してくれたんだわ)




「……カミラ、これらの書物も櫃の中に入れたいの。多分、旅行中はあまり読めないと思うけれど一応」

「かしこまりました。こちらの分に入れさせていただきますね」


 ディーネは書物をメイドに手渡しても、しばらく興奮が冷めやらなかった。






**


 カミラによればマルクは昨夜、王城で寝泊りしたらしい。彼が屋敷に戻り次第、共にフィラルへ発つということだった。

 約束の時間が近づいたので、部屋で待たずに門へ行くことにする。今日は体調も良く、天気も晴れで、澄んだ空気は爽やかだった。幸先が良さそうで、旅行に対する期待が高まっていく。



 彼女達が門の内側に着くと、もう大小の馬車が三台停められていた。

「まあ、馬車で行くという話だったかしら!? 馬に乗るのではなく?」

「勿論、馬車ですよ。あのうちの二台には荷物が積んであります。旦那様とお嬢様のお二人は、こちらの白と金の馬車に。私は荷物がのっている一台に一人で乗ります」

「将軍と私が車内で二人きりなの? それは気まずいから、カミラも加えて三人で乗るよう頼みましょうよ!」

「そうなると、私があてられて気まずいので遠慮させて下さいっ。というか、お嬢様との水入らずの旅行を楽しみにされている旦那様の説得なんて無理ですよ! 私が始末されてしまいます!!」



 こそこそ女達で騒いでいると、門の外に(ひずめ)の音が響いた。開門され、マルク達が入ってくる。

「ディーネ嬢! ゆっくりと部屋で待っていて下さいと伝えさせたはずですが」

「お帰りなさいませ、将軍様。そわそわして、楽しみで待ちきれなかったのです」

 マルクは立派な黒馬から降りた。

「そんなに旅行が楽しみだったのですか? 私との旅行が、ということであったなら、もっと嬉しいのに」



 そんなことを口にしてはいるけれど、彼はとても朗らかに微笑んでいた。

「このまま本当に出発されるのですか。お仕事から帰られたばかりですし、少し休まれては?」

「平気ですよ。さあ、一緒に馬車に乗りましょう」

「いえ、あの……」

「? もしや、私を警戒されているとか?」

「違いますっ、私、久し振りに馬に乗りたいだけで!」



 ディーネは赤くなりながら、厩のほうを熱心に見た。すると彼女の考えなどお見通しらしいマルクに、くすりと笑われる。

「そんなに馬が好きだとは知りませんでした。……まあ、いいでしょう。馬に乗ってフィラルまで二日ほどの長旅になりますが、大丈夫ですか?」

「はい!」

「では、お好きな馬を選んで下さい」


 マルクはディーネの手を引いて、厩に入っていく。ディーネは、その中をぐるりと見回した。

(流石に丈夫そうな馬達ばかり。どの子でも構わないわ)



 彼女は近くの利口そうな馬を選んだ。

「この白馬が良いです」

「分かりました。早速、馬具を付けさせましょう。私はこの黒馬にします。――――この二頭に馬具の準備を」


 命令を受けた老若の厩番が二人して準備を始めるが、ディーネは白馬に(くつわ)を噛ませようとした男に待ったをかけた。

「何も付けなくて大丈夫です」

「はい?」

「えっと、このまま乗りたいので何も要らないのですが」

「ディーネ嬢、それは危険では」



 男達の妙な表情を見ながら、彼女は首を傾げた。

(何を危険なことがあるのかしら。いつも神界では、そのまま乗っていたわ。

 おかしな物を付ける方が馬も苦しいし、私も乗りにくいのだけれど)


 厩の中が静まりかえる。


「……乗ってごらんなさい。落ちたら、私が抱きとめますから」

 落ち着いたらしいマルクが言ってきて、ディーネは頷く。彼女は白馬を撫でてから、さっと飛び乗った。

「ヒヒヒヒイーーン」

「良い子ね」

 馬は暴れることなく、乗り手としてディーネを喜び迎えてくれる。



「将軍。先に門まで行ってますね!」

 馬が外で早く駆けたいという素振りを見せるので、彼女はマルクに一声かけて厩を出ることにした。

「どうぞ。……貴女には驚かされるばかりですよ」

 馬が急くので、ディーネは彼が言い終えると同時に眩しい外へと飛び出した。

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