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進むべき道のために

 歩きながらディーネは丸形に広げた白い日傘を、手の中でくるくると回してもてあそぶ。

 どの方角を見渡しても美しく整備された静寂の庭にいる自分は、どこか異分子に思えた。この世界で暮らす人々と同じドレスを着たって、心や考え方などの中身は変えられない。


 そうやって門まで向かう時、昨日座った庭園の長椅子を陽だまりの中に見かけた。それは温かい遠い日の神聖な記憶のような印象を与えてきて、迂闊うかつに近付いて汚してはいけないものに見えた。

 ディーネは椅子を傍へ寄らずに眺め、立ちすくむ。



 あの長椅子に少年のような顔で眠っていたレオールを思い出す。

 今になって思えば、王がマルクに対して「お前のそんな顔を見たのは、あの戦場以来だ」と言っていた言葉は、レオールも三年前に戦争に行ったということを示していたのだった。



(王と将軍は自分達が生き残る為に、どれほどの犠牲を払ったのかしら。……知りたい、真実を。

 でも知った後の私は、人間の窮状を見て見ぬ振りをして去ることになるのかしら? ……そんなのは、神界で無力な私を蔑んだ神々の行為と同じようなものよ。何の罪もない人々を見捨てるくらいなら、身が切れるように辛いけど、神界に帰れないままでいた方がいい)



 神界で神々から受けた、嘲笑と蔑視の眼差し。それがどんなに苦痛だったことか。

 だから自分は、彼らと同等の行為だけはしたくないと思っている。

 どうしても必要なら、自分が人間達に手を貸そうと決断する。それが神々に知れ、怒りを買って罰を受けることになろうとも、後悔して一生悩み続けるのが一番嫌だった。だったら、女神の誇りを持ったまま甘んじて処罰されたい。たとえ、その罰を神々によって下されたとしても。



(だから知ろう、まずは真実を)

 だが多分、知ってしまったら、もう後戻りは出来なくなるだろうと思った。




**


 門の内側に立つザクタムの明るい髪色が見えた時、ディーネは「ああ、ようやく会えるのだ」と思った。小走りで駆け寄ろうとした、ちょうどその時、ザクタムは高音の指笛を短く一息吹く。


「ワオウッ」

 一匹の強そうな黒犬が小屋から勢いよく飛び出してきて、彼女より先にザクタムに駆け寄った。

(ひっ……!)

 犬を見て、反射的に足が凍りつく。

 なのにザクタムは尻尾を振った犬に屈み、笑顔で頭を撫でてやるだけだ。



(ふう、良かったわ……。私が逃亡しようとしていると思って、犬をけしかけようとしていたわけではないのね)

 自意識が過剰だった。それで済んで良かったと思う。



「…………お早うございます」

 気を落ち着けながら彼に近付いた。

「ああ、貴女は閣下の姫君ですね。お早うございます。

 こうしてお話するのは初めてですね」


(……前半部分は違うって否定したほうが良いのかしら)

「は、ははっ。そんな顔をなさらなくても……」

 この門番の第一印象は『笑い上戸』だ。この常に笑顔に満ちた柔らかい雰囲気は、どこから来るのか彼女には不思議だった。



 

「あの、クリスさんに聞いていらっしゃるかもしれませんが、昨日の件でお礼を申し上げたくて」

「伺っております。それなのに凶暴な犬がいる門まで足を運んで下さるなんて、わざわざどうも」

「あの、その犬……、しっかり押さえておいて下さいね」

 頭にザクタムの片手をのせた犬はご機嫌なのに、目は笑っておらずディーネを見ている。これで彼女が逃亡の素振りでも見せようものなら、確実に喰いつかれそうだった。



「ふはは! この犬だけ押さえたって仕方ないですよ。あと何匹いると思っているんです?

 ま、でも、こいつをまず従えることは重要です。犬達を先頭きって率いているのは、こいつですから」


「そうですか。撫でたら、噛み付きますか?」

 ディーネが聞くと、またザクタムは大笑いした。


「良い質問をなさいますね! まさかご自分を狙う犬を撫でようという発想が出るなんて。さすが閣下の……。

 私が噛ませませんから、撫でてやって下さい。こいつも綺麗な女性に触られて嫌な気はしないと思いますよ。ただ、今後もし貴女が屋敷から勝手に出ようとしたら彼が襲い掛かることは避けられないでしょうけれど」

「…………」

 

 複雑な後押しを受けて、彼女は手を伸ばして犬の頭を撫でる。

 

(本当に、犬達に親しむのは無理なのかしら。どういう形であれ、いつか私は屋敷を去るわ。その時に門から出るなら、この犬達と仲良くなっていれば逃亡が楽になる)


 見れば下心を見透かすかのように黒犬は目を細め、ディーネを見上げていた。

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