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1人目の悪魔

 ディーネは仰向けになって落ちたが、背中に衝撃はなかった。

(柔らかい……)

 首を向けて確認すると、布地を張った長椅子らしき物の上に自分が寝た状態になっていることが分かった。どうやらホセの術によって、長椅子の少し上に移動してきたらしい。道理で落ちてきたのに痛くなかったわけだ。ディーネは上半身を起こし、くるりと辺りを見渡した。


 まず白い天井や、幾何学的に描かれた壁の模様が目の中に飛び込んでくる。いま彼女は、どこかの部屋にいた。

「!!」

(誰かいる)

 気付いて確認すれば、そこには見知らぬ若い男が座っている。それも、低い卓を挟んでディーネと向かい合った長椅子に。彼は目が合うと、彼女を安心させようというのか微笑んできた。


「お怪我はありませんか?」

「は、はい……」 

 ディーネは思わず頷いてしまってから、慌てて立ち上がる。あの恐ろしい『空白の地』へ、とうとう来てしまったのだと、気が焦っていた。

(どうしよう。彼、きっと人間なのだわ。……本当に姿は神々と変わらないように見えるけど、中身は残酷にちがいないし。隙をついて逃げなければ)

 相手の腰にある長剣に気付いたのは、その時だった。剣を抜かれたら、ひとたまりもない。ここはこらえて、男が隙を見せた時に逃げたほうがいいと判断する。見せかけだけでも、相手が友好的な態度をとっているうちに。

(だって絶対におかしいわ。いきなり部屋に怪しい者が現れたというのに、どうして落ち着いていられるの)

 彼女は男を疑っていたが、なぜか彼はディーネを気遣うように見てくる。


「失礼だが顔色が優れないようですから、座ったほうがいいと思いますよ。お茶を入れますから、気持ちを落ち着かせる為にどうぞ」

「いえ、結構です」

「そう仰らずにお座りなさい」

「……はい」

 男の有無を言わさない様子に根負けして、彼女は従う。

「お茶です」

「ありがとうございます」

「ちょうど休憩しようとしていたところだったので、大した手間ではありません」


 ディーネは差し出されたお茶には手を付けず、男への警戒から相手を観察した。

(驚いた。目鼻立ちが恐ろしく整っていて、神々に劣らない美しさだわ。でも淡い茶色の髪と瞳や、絶やさない笑みが近寄りがたさを和らげている。こんなに恵まれた容姿の人間もいるのね。たぶん人間たちの中で身分のある男なのではないかと思うけれど)


「ところで私はマルクオルガ―といって、王より将軍職を拝命している者です。マルクとでも呼んで下さい。よろしければ貴女のお名前も伺いたいのですが」

「……名乗るほどの者ではございません。そろそろ失礼したいと思います。お邪魔いたしました」

 やや強引に中腰となった彼女に、マルクが声をかけてくる。


「出されたお茶は残さず飲むものです。全く手を付けていないではありませんか。毒など入っていないのに」

 にこやかに、毒という言葉を口にしたマルクの瞳だけがディーネを鋭く探っていた。

「毒だなんて……そんなことは私、疑っておりません」

(人間は以前、神々を裏切ったという話だもの。すぐに信用なんてできないからよ)

 嘘をついて、少しだけ声が震える。

「そう、貴女は熱心に、お茶を入れる私の手元をずっと見ていた。だから私が毒を入れる素振りをしなかったことは分かっているはずです。ならば安心して飲めることでしょう」

「気分が悪いので辞退させていただいたのです」

「そうですか。……すいません、からかい過ぎましたね。嫌なら飲まなくて大丈夫ですよ。だが、お名前は聞きたいものです」

「……ディーネです」


 彼女は仕方なく教えつつ、やきもきする。

(食えない男だわ。一緒にいると、どんどん彼の手中に陥る気がする。この部屋から本当に早く出たい)

「ただのディーネさんですか?」

「そうですけれど」

「なるほど、分かりました」

(何が分かったというの?)

 本当に納得したらしいマルクの様子に戸惑う。


「貴族の私にはフィラルリエットという姓があります。だが貴女にはないということは、貴族・豪商の娘ではないという意味ですね。そして農民・町民の可能性も低そうだ。手指が日に焼けておらず、綺麗で荒れてもいない。日常的に戸外で労働をしていらっしゃらないとお見受けします」 

「なっ……」


(まさか名前や手だけで正体を判断されるなんて。とにかく私が女神だということは隠しておいたほうが良さそう。人間は狡猾な生き物だと父上たちも仰っていたから、何をされるか分からないし)


「あの、私、忙しいので本当にこれで失礼させて下さい!」

 ディーネは立ち上がり、扉のほうへ進んだ。ところが、マルクに手を引き留められる。

「お待ちなさい。その格好で出て行けば、衛兵に怪しまれて捕まるだけですよ」

「……どういうことですか」

「貴女の衣装は流行のものではない。古風で、まるで神話の世界を覗いているような気分になります。今の女性たちは皆そんな格好をしていません」

「そんな……」

「心配いりません。ここから出る際のドレスなら、私が用意して差し上げますから」

「どうして、そんなに親切にして下さるのですか」

 まだマルクを信用する決め手がないから、やはり裏があるのではと疑ってしまう。


「それは、まだ言えませんね。言っても、貴女が私を信じてくれるとは思えないので。……綺麗な手だ。指に剣を扱ってできる胼胝タコがない。貴女がラーゼミン側の者に刺客として送り込まれたのではないという確信が強まりました」

「っ、離して下さい」

(何を言っているのか分からないけれど、また手から詮索されていることだけは分かるわ!)

 取られたままだった手を急いで引っ込める。


「こういったことも私の仕事の一端なので、不快にさせてしまったとしてもご容赦ください」

「あ……、いえ、そうですね。いきなり見知らぬ者が部屋に現れたら、気になりますよね。でも私……手違いで、ここに来てしまっただけ……なので」

「ディーネさん」

「はい……!」

 マルクの態度が急に真剣みを増したので、思わず声が裏返ってしまった。

「私は職務上、貴女の潔白が完全に近いくらいに証明されなければ、ここから出して差し上げることができません。ですから、もし貴女がここから出たいなら、私に協力して下さい」


 ディーネは黙り、マルクを見つめ返した。


「……私は何をすればよろしいのでしょう?」

 聞けば、マルクは表情をやわらげた。

「それでよろしい。私を信頼してください。私が絶対に貴女をお守りします」

「本当に?」

「はい。まずは女官に貴女の衣装を用意するよう頼んできます。貴女はお茶でも飲んで待っていて下さい。逃げようとしないで下さいね。扉の外には兵がいるので、貴女を出さないようには言っておきますが」

「……お願いします」


 衣装のことで感謝していいのか良くないのか断定できないまま、ディーネは礼を言った。

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