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占者の影

 マルクの怒気で、ディーネだけでなくレオールも目覚めたらしい。彼女の膝から身を起こした王の頭が、ディーネの指先から抜け出る。

 将軍の目は細められ、その鋭い視線は何一つ見逃さないというように、金髪から落ちていった彼女の手を追った。その後で、ますます長椅子に座る二人を睨みつけてくる。主君である王への敬意もあったものではない。

 こんなに不機嫌なマルクと二人きりでなくて良かった、とディーネは思う。そうであったら彼女にのみ矛先が向かいそうだ。彼に何をされるか分からない。こうなると、普段の嘘臭い上品さのほうが数倍良いという気分にすらなる。



「形相を変えて、どうしたマルク。そんな顔を見たのは、あの戦場以来だぞ。

お前は今までフィラル地方に行っていたのだろう。領地で何かあったのか?」

 レオールは悠長に欠伸を一つしながら尋ねた。



(『戦場』……って、本当に戦場という意味の言葉? それとも、ただの比喩かしら)

 彼女は、どうしてか言いようの無い不安を覚える。

 だがレオールに尋ねることは出来ないまま、男達の会話は次へと移ってしまった。




「この場で特に言及すべきことは何もありませんでしたよ。それよりも今ここで腹立たしい問題が持ち上がっているところですが、お気付きですか」


「そんなものは知らん。ま、帰ってきて早々に災難だったろうが、お前なら即解決するだろう。ん……、お前の手にあるのはフィラル名産の希少な高級花か?

 はははははは! どうやら、お前の妻の座を狙っている数多の婦人達のうちの誰かにでも貰ったらしいな。天下の鉄壁将軍でも断りきれないようなつわものでもいたのか、面白い」



(やっぱり女性なんて腐る程いるんじゃない。よくもまあ、これまで私に色目を使う振りをしてきたものよね。何て男なの)

 内心ディーネはほんの少しだけ憤慨した。



「これは別に、……失敗作ですよ。茎が萎れています」



 自分で潰しておいて、よく言うマルクは植え込みに、技巧的な美しさを持った花をぽいと放る。一緒に、花をくくっている白くて長いリボンが線を描いて落ちるのが見えた。

 真っ白の細い小舟のような花弁が少し、地面に散って残る。


「お前が失敗作を持ち帰っただと? そんなこともあるのだな」

 真相を知らないレオールは驚いたように言った。



「そんな瑣末な事よりも、陛下。わざわざ昨日もいらっしゃったようですね。ザクタムの言付けを受けたクリスから簡単には聞いておりますが、貴方の口から当家への御用件を詳しくお聞きしたい。ご返答次第では私にも考えがありますよ」


「分かったから、そんなに迫力のある声を出すな。……お前の不在時に押しかけたのは悪かった。そうだな――――――」


 レオールは、ちらりとディーネを見る。彼女の前で口にしていいものか思案しているらしい。

 ディーネとしては別に聞かなくてもいいことであるし、席を外そうと腰を浮かしかけた。

 が、そのまま王は目で彼女を制して、話し始めた。

「叔父上の予言があったのだ」


「……ウォールデス様が起き上がられたのですか?」

 それは、いつも平静さを失わないマルクですら驚く出来事らしい。


「ああ。昨日の早朝にな。おかげで俺は叩き起こされて、向こうの寝室まで呼ばれた」

 不満を漏らす口とは裏腹に、レオールの顔は嬉しそうだ。多分、その叔父が好きなのだということが窺えた。

「そして、その場で予言がなされたと」

「その通り。真偽のほどは分からないが、予言の内容はこうだ――――『将軍の家。光、逃すな』」

「相変わらず分かりにくいですね」

「全くだ。短い単語ばかりで、何回聞いても同じことしか答えないしな」


 レオールは目を伏せた。


「叔父上は焦点の合わない目で俺に縋って何度も言ってくるのだ、『光、逃すな』と。

 そんな光が本当に存在するなら、俺は叔父上に持ち帰って見せてやりたいと思っている。だから、他に『将軍の家』と言われて思い当たる場所には、昨日行った。先のドランタル将軍の屋敷だ。とうに彼は亡くなっているからどうかとは思ったが、華やかだった館はやはり廃墟になっていたな。光など何も無かった」

 


「そこで『将軍の家』とは私の家だという確信を得て、いらっしゃったと」

「そうだ。マルク、『光』とは何を指すのだろうな? 光、光……。俺には、それが未だ見えない。

 はは、ろくに探せてもいないのに、この様だ」


 王は呻くように自嘲する。

 対照的にマルクは落ち着いて、主君に答えた。


「私は、やっと私の光を見つけたところですよ。

 けれど、その大事なものを差し出すというのは、私の心臓を渡す以上に耐え難いことです。国家存続の糸口になるならいざ知らず、貴方ひとりや王家しか得をしないというなら、私はそれを絶対に手放したくありません」


「不敬とも取られかねない発言をぬけぬけと……。だが、お前はそれでいい。

 俺は俺で探させてもらう。そうしなければ光を見付けたことにはならないのだろう。

 それに、お前の言う光と俺が探す光は別物かもしれないしな」

「光を見付けるまで、当家に通うということですね」

「そこは観念しろ。暇を作って俺は何度でも来る」



 仕方ないですね、とマルクは諦めたようだったが、ディーネは焦っていた。

(また来るのね。誤って出くわさないようにしなきゃいけないわ)


 

 レオールは立ち上がった。

「忙しい合間を縫って来たんだ。今日はもう帰る。見送りは要らん」

「陛下。まだ話は終わっておりませ――」

「煩い。俺は忙しいと言っただろう」

 王はマルクが止める間も無く、さっさと行ってしまう。まるで一陣の風が過ぎ去っていくようだった。

 金の髪が遠ざかるのを見やり、ディーネは我に返る。


(嫌な予感がする)

「では、私もこれで」


 急いで立ち上がった彼女は、マルクと二人きりになるのを回避しようとしたが、彼に腕を掴まれてしまった。

「そうはいきませんよ。貴女には私に、陛下に膝枕した経緯について説明する義務がまだ残っています。これは逃げた陛下の代わりです。恨むなら、あの御方をどうぞ」

「……何故話すのが義務なのですか?」


 勝手なことを言われては、少し腹も立つ。


「あくまで正直に仰ったほうが宜しいですよ。私を欺いたらどういうことになるか、賢い貴女には想像がつくでしょう。

 私としてはもう貴女をこれ以上怯えさせたくないので、貴女のほうも協力していただきたい。万事平穏に事を運ぶ為に、まずは洗いざらい話して下さい。

 貴女の潔白が証明出来たら、二人で美味しい昼食を戴きましょう。食事も喉を通るようになってきたのでしょう? 貴女用に消化の良い物も作らせたので心配は要りません。

 ああ、母は機嫌が悪いようで、我々と一緒に食べたくないから一人で摂るそうです」



「母君同様、私も一人で食べたいのですが……」

「何か仰いましたか?」

(聞こえているでしょう、絶対に!)


 逡巡したものの、今のマルクに対して言い返す勇気は出なかった。

「…………いいえ」

「では、早く弁明をお願いします。申し訳ないですが、これ以上は私のほうが待てそうにありません」


 笑顔なのに、どこか怖い。

 潰された花束がディーネの視界に入ってくる。一歩間違えば、あれが自分の未来になる気がした。


(話せば救われるのよね。……よし)

 彼女は腹を括った。

「陛下は昨日お会いしたときから私を貴方の婚約者候補だと勘違いされていたようです。それで私のことで貴方をからかいたいと仰って、構われたのです。私ごときが陛下と関わるなど、とても恐れ多いことです。なので昨日はザクタム様のおかげもあり、どうにか逃げきりました。ですが、今日ここで座っていたところを捕まってしまって。

 そうやって話すうちに王は夜寝れないから眠くなったと仰って、膝を貸してくれと強引に実行された次第です」



「本当にそれで全部ですか?」

「はい」

「…………宜しいでしょう。門番の報告とも符号していますし、見逃して差し上げます。

 ですが、最後に一つだけ聞かせて下さい。陛下の髪を触られていませんでしたか?」


「あ、ごめんなさい。触りました、あまりに綺麗だったので。不敬だったのでしょうか」

 失念していた事項だったので、追及されて慌ててしまう。意図的に隠したとマルクに思われたら厄介だった。


「不敬ですよ、とてもね。膝枕も、頭や髪を撫でるのもです。今後は絶対に、誰に対してもやってはいけません。私にしてくれるなら話は別ですけど」

「? どうして貴方には良いのですか?」

「ゆくゆくは私が貴女の婚約者となり、夫となるからです。結婚する男がいるのに、他の者に貴女を触れさせないで下さい。誰かが貴女に必要以上の距離で近付いているのを見ると、私は嫉妬で気が狂いそうになります。これは、たとえ相手が陛下の場合でも同じだと思って下さい。今後はよく注意してもらいたいものです」


「貴方と私が結婚……などという話を承諾したつもりはございませんが」

(また何を言っているのかしら、この男は)


「その願いは聞けませんね。私は、どこへも貴女を逃す気はありません。これからも、貴女が手に入るなら何だってするつもりです。

 だが今は、早く貴女が私の愛に気付いてくれることを祈るしか出来ないらしい。非常に無念ですよ。

 貴女は本当につれなくて、しかし一層こちらの気持ちを熱くかき立てる女性だ。ふふ、時にやるせなくて苦しいけれど、先のことを思えば楽しみで仕方がない複雑な心境です」


 

 どうやらマルクは、ディーネには理解出来ない言語を使っているようだった。

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