あなどれぬ門番
真っ直ぐ自室に戻ってきたディーネは廊下につながる扉を閉めることで、やっと安心する。
(しつこい王も流石にここまでは追ってこないわよね? ……ザクタムさんを当てにするしかないわ)
彼女が戻ってきた時の為にと、他の使用人がやってくれたのか暖炉は最高潮とばかりに燃え上がっている。部屋の暖かさに、ほっとした。その場で座り込みたい欲求に駆られたが、真っ白いドレスが汚れると思うと却下だ。
「もう、すぐにでも眠りたいわ」
庭に行くだけの外出が、病で弱った身には過ぎたものだったのか。それともレオールに抵抗したことで疲れたのか。人間の地に降り立って以来、どうも体力の減退を感じた。
(そもそも環境が身体に与える負荷の大きさが違うのかしら)
この星の上にいる時に身体に掛かる力と、外の宇宙に漂う時に身体に掛かる力には差があるらしい。同じことが神界と人間界でも言えるとしたらどうだろうか、と。神界は人間界と比べれば少しの力で生活出来て。そんな甘い場所から出たことがなかったディーネが、ある日いきなり人間界へ放り込まれて負荷の力の大きさに苦労すると。――――けれど、それは推測の域を出ない。今は調べる手立てが無い事柄だし、調べる意味も無い。知りたいのは神界へ帰る手段だ。でも、それすら今日はもういい。彼女の身体が激しく休息を求めていた。
そのままの格好で寝台に入りたいと思う。だが借り物のドレスが皺になることを思うと、それは出来なかった。仕方なく椅子に座り込む。
子犬を手から自由にすると、床を駆けた後に部屋の隅で丸くなった。
ディーネは、ぐったりとして目を閉じる。
すると、扉を叩かれる音がした。どうぞ、と返す。
「お嬢様!! 先にお部屋へ戻られていらっしゃったのですね」
カミラが泣きそうな顔で入ってきた。
「あ……、ごめんなさい。黙って先に行ってしまって」
(いけない。カミラのこと、忘れていたわ。私の帽子を追いかけてくれたのに)
「いいえ。お疲れになられたのですね。
着替えられますか? 手伝わせていただきます」
「ありがとう。ところで王にお会いした?」
「いいえ? 国王陛下がいらっしゃっていたのですか!?」
「……そうみたい」
「とても凛々しい御方だそうですね!」
ディーネを手伝うと言いながら、カミラは全部やってくれる。いつもは申し訳なく思うが、今は助かった。とても眠いのだ。
「何か召し上がられますか? お菓子も沢山用意させてありますよ」
「ごめんなさい。気分が悪いから、今日はもう寝たいの。明日の朝に食事を貰えたら、それだけで嬉しい」
「かしこまりました。……お休みなさいませ」
食べないと告げると、いつもカミラは自分を責めるような表情をする。その顔を見ると、ディーネは辛い。
(この子は味方よ。そうなのよ……。信じたい)
カミラが隣室へ下がっていく。
見計らったかのように子犬が寝台に入ってきた。片腕で抱き、その頭を撫でる。
「お前も私の味方」
それから――――、とディーネは考えた。
マルクの部下だが、ザクタムも話せば分かる人間なのかもしれない。彼の立場上難しいだろうが、ほんの少しでも彼女の味方になってくれたら有り難い。今日助けてくれた礼のこともあるし、明日は門へ行ってみようかと思う。
また、門に行くことで新しくクリスとも親しくなれたら更に良いと考えた。
神界へ帰る為に、味方は多いほうがいい。他に味方はいないかと、彼女が出会った人物を数え上げる。
(冷静になって振り返ると、ヨシュア様が仰っていたことは正論ばかりだったのよね)
たまにマルクも正しいことを言うが、彼は読めない人間だった。しかも彼女を脅してくる。……身ぐるみ剥がされたことは、いくらディーネの体温を取り戻す為とはいえ、あそこまでしなくても良かったはずだと強く思う。
うつらうつらしながら最後に頭の中に浮かび上がったのは、レオールだった。
(あの男には近付きたくない、きっと危険。彼だけは味方じゃない……………………)
******
翌朝、体力が半分ばかり回復したディーネはカミラに青いドレスを着付けられている間に迷った末、門まで出かけることを決めた。
(昨日の今日で王も来ないわよね。政務があるでしょう)
まだマルクは不在らしく、朝食は自室でとメイドは話す。あの食堂でヨシュアと二人きりになることが避けられて、ディーネはむしろ喜んだ。今朝はトウモロコシを磨り潰したスープに、パンも一つ戴く。粉薬も水と共にしっかり飲み込めば、カミラは朗らかに笑った。
しきりに具合は大丈夫か、部屋へ戻るか尋ねてくるカミラをなだめすかして、ようやく門まで到着する。確かに気持ちは悪かったが、それは隠した。
門の内側には、初めてクリスと会った時と同じように彼が立っていた。
「おはようございます」
ディーネが口を開く前に、崩さない顔で挨拶される。改めて聞くと、涼しいというよりも温度を感じさせない声だ。
「おはようございます」
「失礼ですが、本日はどのような御用件でしょうか」
ザクタムはおらず、真っ直ぐクリスの所に向かっていったせいか、彼に質問された。今すぐ門からディーネが逃げようとしているとは思われていないようだが、警戒はされているらしい。
単刀直入に問われて、ディーネは動揺した。
「ザクタムさんはおられますか? 昨日ちょっとしたことで助けられましたので、そのお礼をしたいと思って参りました」
「ザクタム……ですか? 申し訳ございませんが本日はおりません。彼は私と交代で勤務しておりますので」
「そうですか。なら、明日は来られますか?」
ディーネは一度クリスの紫苑色の瞳と見つめ合うと、目が逸らせなくなった。
(底の無い闇みたい。吸い込まれそうな、突き落とされそうな感じ。でも、……どこかで見たことがある瞳ね)
『あの方』に似ていると思った。でも『彼』が岐路に立つとき明を選ぶとするなら、クリスは暗を選んできたのではないかと、そう思わせるようなものがある。あくまでも印象の話だが。
「ザクタムは明日参りますよ。ですが、もう貴女はここにいらっしゃらないほうが宜しいかと。お礼のことは彼に伝えておきますので、ご心配は不要です」
と、クリスは冷たく言った。
「……何故来てはいけないのですか。私が逃げるとでも?」
むっとしてディーネが聞くと、彼は頷く。
「正直に申させていただくと、それもございます」
「『それも』?」
彼女が促すと、クリスは塀近くの木で出来た大きな小屋を見た。
「貴女が来ると、犬達が異様に興奮してしまう。閣下の厳命を受けているからでしょうか」
獣の唸り声が低く風に乗ってくる。
「あそこに犬達がいるのですか……? なんて大きい小屋……」
(あんなに恐ろしい生き物が一体、何匹いるのよ)
彼女の声は掠れたのに、クリスは平然と「そうです」と答えた。
彼は門番なのに、どうして門の内側にいるのか。それは、きっと犬を見張る為なのだと、ようやくディーネは気付いた。
彼女の考えていることが分かったのか、クリスも言葉だけは丁寧に教えてくれる。
「ザクタムと私は門番と言っても裏方です。正式な門番は表側におります」
だけど、きっとその者は少なくともクリス達よりは普通の人間だろうと、ディーネは思った。