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焚付け

 静かにページを繰る奴になったと思う。

 離れて暮らすようになる前の、もっと幼い頃と比べてだが。

 面持ちは穏やかさを保ったまま密やかに焦る事の出来る奴になったと、哉也は目の端で咲希を見ながら思っていた。


 預かった文芸部の文集内容は、学生の道楽と割り切ったとしても見るに耐えない稚拙な文章と作文がほとんどを占めていた。正直全く読む気にはならない。自己満足なポエムから自伝風創作物まで、乾いた笑いも起きない歪な作文が群をなしているとしか思えなかった。

 思えば生徒会室に届いた物騒な脅しも、一度落ち着いて客観的に見れば能無しの校長の肝を冷やすために敢えて生徒の目に付くようにしたのであろう事が透けて見える気がした。

 爆弾に対して及び腰になった挙げ句、事実こうして逃げ出そうとしている。生徒の身の安全を預かる筈の現職の学校長に相応しくないみっともない姿を、それなりに大きなこの街で一番の大病院のせがれに見せつけているのだ。地方都市とはいえ人口10万人超えともなれば権力者同士の癒着、横のつながりはかなり密なものとなる。

 この件に関しては間違いなくねっとりと悪質な思惑が絡みついている。しかも中西の場合、市議会にも町内会にも幅が聞く院長のせがれである上、当代生徒会長でもある。目の当たりにした爆弾予告をほったらかしにしていい道理はない。

 ましてや生徒会長は生徒の代表だ。もし仮に爆弾テロ予告が真実だった場合の事態を少しでも想像すれば、生徒は校長に見て見ぬ振りをされると真っ先に爆弾の餌食になる側となる。爆破予告を知っているのだからその日自分だけは休めばいい、などという話ではない。警察に届け出れば済む問題でもない。

 平日の真っ昼間、堂々と生徒会室でも一番目に付く会長のデスクに爆弾の見本を提示するだけやる気のある予告犯だ。全くご丁寧な事この上ない。よほど忍び込むのが巧いのか手口の種類に自信があるのかは知らないが、よく計画された上での予告。実行するもしないも犯人の匙加減次第だ。すると言ったらいつでも爆破はできるのだろう。

 つまりもしかしなくとも、既に爆薬は仕掛けられていると考えるのが自然だ。恐らく複数箇所に及んで。

「明日、校長先生にもそろそろいい加減にしろと揺さぶりをかけてみないといけないな」

 去り際にそう言った中西の表情もまた硬かった。既に事が発覚してから時間が経ちすぎている。中西も生徒とはいえ、爆破テロ予告を知りながら口を噤んでいるのだ。もし校長を脅すために犯人が予告無く仕掛けてある爆弾を起爆し、被害者が出るような事になれば、中西も罪を被せられかねない。


「……面倒臭い」

 気が付けば、そう思わず口に出していた。

「え?」

 独り言に驚いたように素っ頓狂な声が帰ってきて顔を上げると、咲希が首を傾げてこちらを見つめていた。

「……何でもない。この文集が余りにも幼稚で、見ていて嫌になっただけだ」

「まあ、確かに構成も内容も読み物としてはいくらかもの足らないかもしれないけれど……今調べているのは作品そのものじゃなくて時系列でしょう? 目を通すだけでも手間ではあるけれど、でも全文を把握しなくてもいいのだから、気になった箇所に付箋を挟んでおくだけでもいいのだし、別にそんなにかっかすることじゃないと思うけれど」

 咲希は躊躇いがちに言い、示すように自分が手元に用意した付箋紙を取って見せた。

「……俺が腹を立てていると言いたいのか」

「いえあの……そう見えただけ。効率を上げるだけなら中身を把握しなくともそれらしいところにマーキングして、後で精査すれば」

「そういう事じゃないなら何なんだ。俺にその程度の事が判らないとでも言いたいのか?」

 咲希の言葉を遮り、苛立ちを露わにして言葉を被せる。

 気の遣い方がかえって良くなかったと慌てふためく様子が、ますます気に障ってしまう。自分でも理解はしている。苛立っているのは俺だと。咲希が俺を苛立たせた直接の原因ではない。俺はこの言いようのない苛立ちを吐き出す理由を探しているだけなのだと。

「いいえ……ごめんなさい」

「……フン」

 半ば無意識に苛立ってしまっていたらしい。

 それを指摘され腹を立てた事にも謝罪され、自分の中で思いがけず感情が揺らぐのを感じる。舌打ちと共に、強く奥歯を噛み潰す。

 普段は抜けていて妙にピンボケな物の見方ばかりしている癖に、時折見せる相手の感情の機微に聡いところは昔から嫌いだった。



 ここ数日、学内に校長の姿を見かけない。

 このままずらかる腹づもりなら、そうはさせられない。雲隠れするということは、裏を返せば事の発端に心当たりがあるのだろう。なんとしてもそれを吐かせ、自分の尻は自分で拭えと蹴飛ばしてやらなければ、巻き込まれた身としては気分も良くない。

 「爆破予告」という突拍子もない事件に対して、ごく普通の学校長の立場だったらまずは驚いたり、警察に電話を入れ捜査の依頼や生徒や保護者、及び教職員に通達を出し一時全校を緊急封鎖する筈だ。少なくとも悪戯なのか怨恨か何かに起因した威力脅迫なのかははっきりさせる必要がある。だが今回あの狸親父の行動は極端だ。怯えたように中西に「他言無用」を念押しした後、一切この件について関与を避け続けている。

 あまりの疑わしさに過去の生徒や保護者に犯人の見当がついているんじゃないのかと思えてならない。

「くそ……」

 関わってしまった手前見て見ぬ振りはできないが、正直当事者以外知り得ない事情だったら探しようがない。時間だけが浪費されていく事にも、焦りより苛立ちが募るばかりだ。


 咲希が項を繰る音だけが、少しずつ間隔を短くしていく。

 自分も手元にある落書きのごった煮のような文集に目を落とすが、目を走らせれば走らせる程有益な情報の無さが如実に突きつけられる。中西も下校時刻ギリギリまで待ったが、結局戻って来なかった。




 その日の晩、香宮家の離れにある道場では木が床を打つ乾いた音が荒々しく響いていた。

 毎週決まった曜日、決まった時間に哉也と咲希は哉也の祖母の下、香宮家のならわし(・・・・)として体術の稽古を受ける様定められていた。

 決して二人が望んだわけではない。所謂お家の決め事、という類のもの。

 静かに薙刀を揺らし、しんと張りつめた佇まいで、二人の祖母はうす開きにした目の奥で孫を見据えていた。随分前に還暦を超えた筈だが、現在も香宮神社当主として家と宮司を切り盛りするその手腕と健脚は衰えない。足袋の足先三寸に木製の薙刀の切っ先を落とした祖母を前に、息を切らしているのは哉也の方であった。

「哉也さん。学校で何か嫌なことでもありましたか」

 両手に木刀を握り締め肩で息をする哉也に、哉也の祖母は目を細めて言った。

「あなたは普段から粗野で乱雑ですが、今日は特に動きに無駄ばかりが目立ちます。頭までは悪くないと思っていましたが買い被りでしたか。年甲斐もなく考えなしに棒を振るうのがそんなにお好き。甘えたいなら余所でおやり。恥を知りなさいね」

 空を切る鋭い音を引いて哉也の喉元に切っ先が突きつけられる。

「ッ」


 ……苛立つ。


 左手に握った木刀で即座に薙刀を思い切り跳ね上げる。……が、そこから一歩前へ踏み込むよりも早く、薙刀の端へ両手を素早く持ち替えた祖母の切っ先が弾むように戻り、左手の指の付け根を打ち据えられる。痛みは強くないが、痺れて力が抜け木刀が手を離れて床を打つ。


 …………苛立つ。


 右手に残った木刀で再度薙刀を打ち付け、今度は切っ先を床へ向けて叩きつけ、押さえつけたまま木刀の腹を滑らせて祖母の顔面へ力の限り振り抜く。


「哉也!」


 真後ろで正座していた咲希が驚いたように大声をあげるが、加速した獲物が音を鳴らした時点で、既に音速よりも早い。真後ろからの声では、到底右手に込めた力を留められない。

「……哉也さん」

 真正面からの声でなければ。

「いい加減になさい」

 祖母は薙刀を持つ手をただ右逆手に替えてほんの少し持ち上げ、鬱陶しそうに体の中心よりも左へ柄を払っただけだった。

「ッ!」

 押しつけて滑らせながら迫るという全体重を乗せた動作の途中で、かけていた力に急に逃げ場を作られ、哉也はあと一歩以上距離が足りていないその場で横転し床へ全身を打ちつけた。

「痛っ……!」

 木刀を強く押さえすぎていたせいで受け身を取るのが遅れ、木刀が先に床に付いて跳ねてしまうのが分かった。指が離れるよりも先に手首がよじれる。


「哉也!!」


 今度は先ほどよりも大きく咲希の声が耳に届く。

 しかし既に血が上った頭に、制止の声は意味を持たなかった。

 どの道受け身が間に合わないなら、いっそ今の体勢で半身を床へ打ち付け跳ね起きればいい。手が使い物にならなくとも蹴りか、寝技に持ち込めば……たかが老婆一人だ、何とでもしてやる……!


「哉也!」

「哉也さん」


 肩とわき腹で床を打ち、腰と二の腕の腹で跳ね起きた。が、床を離れた瞬間視界が反転し、直後背面に鋭い衝撃が走った。

「がッ!?」

 世界が回って、音がした。

 数瞬で目眩が抜けて、背を床に横たわる自分と天井を交互に見て、投げ飛ばされたのだと気が付いた。

 痛みは、一番後からやって来た。


「……今日はこのくらいにしましょう。これ以上は無駄でしょう。咲希さんは素振りと型稽古ね。いいこと」

「は、はい」

「哉也さんもいいわね」

「……ああ」


 三半規管が揺らされたのか、上半身が起きない。

 壁に薙刀がかけられ、引き戸が開かれる音が肩のずっと後ろの方で聞こえた。


「少し頭を冷やしなさい。そうね。二人とも夕食前に倉の掃除をする事。咲希さんも稽古は早めに切り上げて、家に帰る前に二人で終わらせてね。今日は少し奥の方をやって貰おうかしら。そうねえ。随分古い町内会の議事録と、あなた達の高校の校舎を建て直す時に募った寄付金の目録やら見取り図やらが、まだうちの倉にあるのよ。キャビネット一つ丸々、預からされたままなの。邪魔だから、焚き付けにでもして燃しちゃおうかと思ってね」

「奥、ですか」

「そう。倉の屋根裏に架けてある梯子の足下に、床下があるでしょう。上げ戸は重たいから哉也さんに上げてもらいなさい。以前電気は通してもらったから明かりはいらないわ。一番奥に灰色のアルミのキャビネットがあるから、中身を処分してほしいの。鍵はここに置いておくわね」

「ええと、中身だけ、ですか?」

「ええ、そう」


 床が近すぎるせいか耳鳴りのように音が反響して聞こえる。

 咲希が仕置きを恐れているのに対し、祖母の妙に的外れな言動が嫌に耳に残る。顔は見えないが、この話し方をするときの祖母の顔は知っている。ほんの少し口角が上がり、努めて真面目くさった話し方をしようとしながら、内心では何事か企んでいる時の声だ。

 鍵の置かれる金属の乾いた音に続き、引き戸が閉め切られたのが分かった。ぴしゃりと強く閉めはしなかった。すっと最後まで、ゆっくりと丁寧に閉めて行った。

 頭のずっと先で安堵のため息とともに咲希がへたり込む気配がしたが、哉也の意識はどんどんと醒めて行くのが分かった。

「咲希、手を貸せ。倉に行くぞ」

「ええ!? ちょ、ちょっと待って。まだ型稽古もしていないし、さっきだって凄く怖かったんだから」「違う」


 ちがう。

 自分で発したその音の響きで、ぼんやりと浮かんでいた思考がはっきりと確信に変わる。

「さっきの話、おそらくまだ終わっていない」

 祖母は道着だった。ましてや女物の袴。ポケットなど無い。

 あの鍵はどこにあった。どこに用意してあった。

 床下にあるキャビネットの事など知らない。この家で16年暮らしてきて一度も話題に上った事がないし、今更そんなものが邪魔になる訳がない。

「何を燃やせと言われた」

「何ってキャビネットの中身、でしょう」

「全部か」

「え? あ、そういえば何を燃して、何は駄目なのか、きちんと聞いておけば良かったわ」

「違う……そこじゃない」

「哉也?」

「その中には何が入っていると言っていた」

「ええと、昔、春影高校の校舎を建て直しした事があって、その時の新校舎の見取り図と寄付金を寄せてくれた人たちの目録とか、そういうのをまとめて預かったままになっていて邪魔だからって」

「何故だ」

「え?」

「何故今邪魔になった」

「あの、それは……わからないけれど」

「違う違う、そうじゃない」

「あの、哉也、さっきから何を」

「よくある事の筈だ。建物を取り壊しや建て直しには地鎮祭が必ず執り行われる。その管轄はうちだ。リストだか名簿だかはその時に社務所に預かって何十年後かに突然感謝状を送りたいから建設当時の寄付者名簿を教えてほしい、などと言われることもよくある。基本的にそういった書類の管理は職務に含まれている。置き場が不足したら物置を建てる事はあっても、邪魔になる事は絶対にあり得ない」

「うん……そういえば、処分を頼まれたのははじめてだわね」

「校舎の見取り図は数十年後の取り壊しに関わる。処分はしないだろう。寄付金の目録も寄贈者の名前と額面が載った名簿だ。株じゃあるまいし多ければ良いという事もないだろうが、小さい街の中の話だ。どうせ額が大きい家は旧家か名家だ。数件しかない。なら冊子も薄くて小さい物だ。いっそう邪魔にはならない」

「うん……確かに」

「何日か前に、中西が言っていたよな。新校舎建築時に意図的に作られた”あの部屋”のようなデッドスペースが他にもあった場合、犯人はそこを爆弾の隠し場所にしている可能性がある。全域の見取り図があればいいのに、と」

「うん……!」

「倉に行くぞ。校長の名前を目録から見つけ出し、連絡先の記載があれば”あの部屋”から中西にかけさせる。少しずつ繋がってきた……犯人が爆破予告のため校長より先にまず中西に爆弾を見せつけたのは、生徒会長だからじゃない。現任の理事長だからだ」

「待って哉也、”部屋”と理事長の件については、まだよく分からないんじゃないの? 現にあの部屋、ほとんど手入れがされていなかったし掃除しないとろくにいられたものじゃなかった。手の込んだ悪戯、とまでは言わないけれど、生徒会長が代々こっそり受け継いできた隠れ場所、だとかそういうものなのじゃないの?」

「いいや。これはまだ推測だが、俺は違うと睨んでいる」

「どうして?」

「咲希、お前は去年の生徒会長が誰だったか知っているか」

「ううん。私が入学する前に生徒会選挙は終わっていたから。けれど哉也は生徒会選挙に推薦人として参加していたのだし、”あの部屋”の事も私より前に知っていたみたいだし、もしかして親しかったの?」

「ああ、それもそうか。お前が入る前の事だった」

「ええ。それがどうかしたの?」

「中西はあの部屋の事を、差出人不明の手紙で知らされたと言っていなかったか」

「たしか」

「実はな……俺も中西も、恐らく他の生徒や教職員も去年の生徒会長の事は覚えていないんだ」

「……どういう事?」

「知るか。生徒会選挙は毎年あった。どうもこのところ苛立ちはするのにその原因が頭に入ってこないと思っていたんだ。さっき婆ばあにやられた時、急に頭冴えて冷水をかけられた気分になった。文芸部の部誌にも歴代生徒会選挙が行われた日程はあったが当選した生徒の名前はどこにもなかった。今期は中西は当選したが、前任は誰だ。”あの部屋”に中西が在任中の期間きっかりの保存食が貯蔵されているのは何故だ」

 そして一番気がかりな事。

「ここにきて香宮神社は何が邪魔になった。何に火をつけ、何を焚きつけろと言ったんだ」

「……考えすぎじゃない? 一度落ち着いて」

「駄目だ、今すぐ倉に行くぞ」


 咲希が止めるのも聞かず、哉也は立ち上がった。

 揺らされていた三半規管も落ち着いたのか、多少ふらつきはあるが不思議と歩みに不安はない。憑き物が落ちたように嫌に視界が明るくさえあった。

「……明日は忙しくなるぞ」



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