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16年前

 教典開きになる部誌の年表に目を走らせつつ、まずは、と口を開いた中西の言葉にも耳を傾ける。なかなかに神経を使うのだけれど、悠長にしていられる時間は無い。

 哉也も中西も、目の下にくまが薄くできてきているから、私が思う以上に校長は尻尾を巻いているようだ。


「疑わしい、といっても消去法だけどね。まず真っ先に考えられるのは科学部と美術部、それと現状に満足していないごく一部の生徒やその関係者の面々だ」

「科学部……薬品ですね」

 犯人が予告してきた時の爆弾の手口は、タオルを硫酸に浸したものだった。ごく簡易的な物だが、可燃性が極めて高い。

 時間差で着火すればいいだけの仕掛けなら時計の針に引っかけた糸で固定したオイルマッチを引き抜くだけでもできるし、そうすれば約30分後に大きな火災、またはすぐそばに爆発物があれば引火する。

 小学生の夏休みレベルのピタゴラなスイッチだが、原始的であればあるほど見つけだすのも困難になる。


「そう。加えて美術部も油やシンナーをかなり自由に扱えるし、個人で持っている人も普通にいる。とはいえ、可能だというだけだけどね。画材屋やホームセンターでも揃うような材料で、兵器も作れるからさ」

 ははは、と苦笑いしながら一応のフォローを入れる中西の口から、さらっととんでもない単語が飛び出した気がしたが聞かなかったことにする。

「疑わしきは罰せず、検証は洗い出してからだな」

「そうだね」

 哉也の疲れを帯びた言葉に、中西が頷く。

「可能な人と言えば生徒も教師父兄も関係なくほぼ全ての人が容疑者になり得る。俺だって家が病院だからニトログリセリンくらいあるけど、そもそもあれは爆発しないからね」

「え、ニトログリセリンって爆発物ではないんですか?」

「いいや。ニトログリセリンそのものは爆発するよ。医薬品としてのニトログリセリンは患者に渡したりするから、添加物を加えて爆発を起こすことを完全に無くしているけれど、原液は衝撃感度が高いから瓶に入れて落としただけでも爆発する。一応、国内では原液が手に入ることはまず無い筈だよ」

 顎をさすりながら、広げた年表に目を落とした中西が補足する。


「まあ爆発させる目的でならニトロセルロースと混ぜて使われる事が多いし、加工すればダイナマイトにもなるんだけど、常温保管では気泡ができただけで爆発するから今回使われることはないね」

 ニトロといえば爆発物、と思い込んでいたけれど、添加物混ぜられるんですね。私、そこらへんもうちょっと気になります。


 だが哉也がブレザーの内ポケットからメモを取りだして何事か走り書きをし出したせいで、何となくその話題は打ち切りとなった。

「哉也、何かあったのかい?」

「現校長が過去に在籍していた時の任期なんだが」


 走り書いたメモを一枚千切り、すぐ手元の年表の上にそれを置いて言う。

「これがこの中では一番古い20年前のものだ。”新任のフレッシュ数学教師着任! 今年は噛みすぎ注意ですね!”とある。あのカバ親父の名前は覚えていないから定かじゃないが、恐らくこいつがそうだろう」

「ああ、そんな名前だったっけね。確かに滑舌は悪いからそうだろう」

「二人とも、それはあんまりなのでは……」

 と言いつつ私も別に覚えてはいないから強くは言えない。

 集会ではいつも話が長いくせに中身が無いんだよなあ、この人。と思った程度の印象しかないけれど、加えて滑舌の悪さも共通認識らしいし、仕方ないよね。


「とはいえ校長の名前なんざどうでもいいが、こっちはまた妙でな」

「妙?」

「しれっと流された」

「どうでもいいことに拘るな」

 思わず出て来た合いの手を入れた私を、哉也が冷めた目で睨んだ。どうやら疲れもあって苛つきやすいようなので、大人しく口を閉じる。

「16年前の物だ。この年が開校60周年らしく、その式典があったようなんだが」

 また何事か走り書いた哉也が、鋭い目を一瞬こちらに向ける。

 音を立てて千切り取ったメモ用紙を年表のとある一行の横に置いた哉也は、訝しげに首を捻る。

「……これをどう思う」


 哉也が指し示したのは、その式典の出席者名簿の欄だった。

 その年の部誌は年表が二枚折り込まれており、二枚目がモノクロの記念写真と出席者と来賓の名簿になっていたのだ。

 その中の一文に、哉也の視線は注がれていた。

『古文教諭・薄井うすい 幸夫さちお


「古文……?」

「さっきは数学だったはずじゃ?」

「ついでに20年前に赴任してからラグビー部の顧問をやっていて、訳の分からん『若者よ、振り返るな』とかいう著作を手掛けている。そしてこの翌年になる15年前から隣町への転勤になったらしい」


 つい、と顎で示した同じ年表の最後には、女子の物と思われる丸い筆跡で”離任式”と書かれた枠の中に校長の名前も確かに乗っていた。


「たかが四年間の中で受け持ちの科目を変えてその翌年に転勤?」


 なんだかおかしい。

 違和感というか、なにやら猜疑心が胸の内で鎌首をもたげる。

 20年前の校舎の大改築と同時期にやってきた教師が、三年で担当科目を変えたなんて話は高校生とはいえ聞いたことがない。


「おい……あの親父、この時に何かしでかしたんじゃないのか?」


 哉也の冷ややかな声が、どこか校長を無意識で信じていた私たちの背筋に、何か冷たい物を落としたような気がした。

 唐突な爆破予告と、逃げるように対応しないという校長の及び腰、そしてかつての任期の背景に、嫌な影の気配を察してしまったような、雲行きが怪しく変わったのを感じる。

 ちらりと見やった哉也の横顔には、明らかにげんなりした様相が浮かんでいた。


 ……身から出た錆が呼んだ爆破テロなら、もうその日丁度運良く風邪でも引いてはだめでしょうか。

 若気の至りの、しかも他人の後始末なんて御免です。

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