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「相変わらずこの時期は寒いな」
2月3日、帰りのホームルームが終わると俺は鞄を持ちそそくさと教室を出る。
教室にとどまってると達也達に絡まれるのは目に見えているので、こういう時はさっさとバイトに向かうにかぎる。
宮永さんの席に集まっている雪菜や達也の目を盗み、教室から出ることに成功した俺はそのまま昇降口の方まで歩いていく。
「よし、今日は上手くいった」
いつもなら教室を出るところで雪菜に捕まるが、今日は上手く脱出できた。
最近は雪菜が妙な勘を働かせて、俺が脱出を試みる前に捕まえに来る。
1度雪菜に何で俺が逃げたことがわかるのかと聞いた所『最近健一君のことがわかってきたから』と言っていた。
その意味する所はわからないが、雪菜に負けたようですごく悔しい。
「とりあえずこれで撒いたな。これで今日のバイト先への道のりは平穏だろう」
下駄箱で靴を履き余裕の表情で勝ち誇り、俺は自転車置き場の方へと歩いていく。
ここまでは誰にも見つからず、無事に雪菜達から逃げ切ることに成功した。
「おにいちゃ~~ん」
「柚子ちゃん」
俺が肩をビクッと震わして後ろを見ると、そこにいたのは柚子ちゃんである。
愛くるしい瞳で俺に手を振りかけよってくる姿はまさに天使。
いや、小さな女神様といってもいいかもしれない。
「柚子ちゃんも今帰り?」
「うん。お兄ちゃんもだよね? 一緒に帰ろう」
「いいよ」
柚子ちゃんの中学も俺の通っている付属校なので、こうして一緒に帰る事も増えている。
今日はたまたまではあるが、こうして柚子ちゃんと一緒に帰れることがすごくうれしい。
「校門で茜ちゃんと朱里ちゃんも待ってるから。早くいこ」
「そうなんだ」
俺は柚子ちゃんの他に羽村さんと水谷さんがいることを知って肩を落とす。
しかしあの2人なら俺としてはまだ接していて気楽な部類に入るので安心である。
そんな事を考えて歩いていると制服姿の羽村さんと水谷さんが校門に背中を預けてる姿が見えた。
「茜ちゃ~~ん。朱里ちゃ~~ん」
俺の横で小さな体を大きく見せようと両手をブンブンふり、柚子ちゃんは2人に対して合図を送っている。
こちらを見る羽村さん達も自転車置き場から歩いてくる俺達のことに気づいたみたいだった。
「柚子、それにお兄ちゃんも」
「やっときたか。それにしても相変わらず冴えない風貌だな」
うるさい、いつもこんな風貌で悪かったな。
「お兄ちゃん、朱里のことは許してあげて下さい。お店でのお兄ちゃんがすごく格好良かったので朱里もそんな憎まれ口を叩いているんです」
「それを言うならお前の方だろ? 店に入ってあいつに一‥‥‥‥‥‥‥」
「朱里、貴方こそ何を言ってるんですか? しばきますよ」
羽村さんの笑顔を見た朱里ちゃんは肩をブルブルと震わせ怯えているように見えた。
「一重? 私は二重だよ」
「まぁ確かに柚子ちゃんは二重瞼だね」
だからこんなに可愛いともいえる。
俺達の会話を聞いていた2人は何故だか揃って嘆息していた。
「どうしたの? 茜ちゃん? 朱里ちゃん?」
「いや、なんだか私達の会話が馬鹿らしくなって」
「そうですね。それよりも早く帰りましょうか」
2人はそういって早々に校門を出て行った。
「一体何があったんだろう?」
「わからない」
そのように話しながらも俺と柚子ちゃんも校門を出て2人の後を追った。
中学生トリオと併走するように俺も自転車を引っ張り、3人の側へと歩いていく。
3人の中学生が話している姿は姦しくとても楽しそうに見えた。
「そういえば、2人は今日の部活はいいの?」
「はい。私も朱里も休日に練習試合があったので、部活自体が今日は休みなんです」
「そうなんだ」
2人がバレー部と空手部に入っていることを俺は知っている。
そして日頃からとても忙しく、3人で遊べる事じたいあまりない。
たけど、時間がある時は羽村さんと水谷さんも柚子ちゃんと一緒にお店に遊びに来てくれる。
「なので、今日もお兄ちゃんのお店にお邪魔させてもらいますね」
「バイト先に来てもいいんだけど、2人共疲れてるんじゃない? 家で休んでいた方が‥‥‥‥」
「とんでもありません」
羽村さんは俺に詰め寄り迫力ある表情で俺に迫る。
その表情は迫力があり、思わず俺も1歩後ろに引いてしまう。
「お兄ちゃんのお店に行くのは、私達の気分転換になるんです。だから行かせて下さい」
「羽村さんの気持ちはよくわかったから。だからそんなに近づかなくても大丈夫だよ」
羽村さんを諌めて、俺達は店の方へと向かう。
そしていつものように長い坂道を歩いていく時、俺はあることに気づいた。
「そういえば今日は節分だね」
「節分? それって合法的に鬼役に全力で豆をぶつけてもいい日だよな?」
「水谷さんの認識は違うと思うけど、大体はあってる」
その発言をした水谷さんはにやりと笑う。
何、この子怖いんですけど。
「柚子ね、豆を一杯食べたい」
水谷さんの隣にいる楽しそうな柚子ちゃんを見て俺は和む。
柚子ちゃんだけはこのまま純粋に育ってほしい。
「そういえば豆まきを今日はしないといけませんね」
「そうなんだよ。今日は節分だからこそよりたいお店があるんだけど行ってもいいかな?」
頭に?マークを浮かべる3人を連れて、俺は自分のバイト先の最寄り駅に足を運ぶ。
相変わらずこの駅は人が多く、俺としては苦手な場所だ。
「お兄ちゃん、どこに行くんですか?」
「ついてくればわかるよ。お店の用事で買っておかないといけないものがあるんだ」
そういって俺はどんどんどんどん駅をはずれ、裏通りの方へと歩いていく。
住宅街に進むたびどんどん人が少なくなるにつれ、羽村さんと水谷さんの表情が険しくなっていく。
「なぁ、この道で本当にあってるのか?」
「私も少し不安です」
確かにこの道は俺もめったに来ない。
だが、この道を通るのがあのお店に行くのには1番近道になるのだ。
どうやら柚子ちゃんは俺がどこに行きたいのかわかっているようである。
「柚子はどこに行くのかわかるか?」
「うん。柚子、昔はよくそのお店に行った」
「「お店?」」
2人が首をかしげていると俺が目指していたお店が見えてきた。
古臭い紫色の暖簾がかかったお店だが、俺が節分の時に必ず来ているお店である。
「お兄ちゃん、ここは?」
「和菓子とかのお菓子を作ってるお店。和菓子の他にもいなりずしとか季節物の商品も扱っている所なんだよ」
「そうなんですか」
「柚子も知ってる」
やっぱり柚子ちゃんはこの店に来たことがあるらしい。
そりゃあ最寄り駅がここなんだから、この辺のお店にも来たことがあるのだろう。
「とりあえず中に入ろうか」
俺が中に入るように促すと、中では70代ぐらいのお婆ちゃんが俺達のことを笑顔で出迎えてくれる。
店頭にあるショーケースには草団子やどら焼きやお饅頭の他、いなりずしや巻き寿司等の色々なものが並んでいる。
「あら、健一くんじゃない?」
「お久しぶりです。叔父さんの使いできました」
「そういえばもうそんな時期ね。ちゃんと準備してあるから、ちょっと待ってて」
お婆ちゃんはそう言うと店の奥へと入って行き、ごそごそと何か準備を始める。
この時期になると叔父さんが必ず注文をするあれである。
「お兄ちゃん、一体何を注文したんですか?」
「節分の時に食べるものだよ」
たぶん羽村さん達は叔父さんが注文したものを食べたことがないのだろう。
あれは普段食べることがないものだから知らなくてもしょうがない。
「節分の時に食べるもの‥‥‥‥」
「私は豆しか節分の時に食わないからわかんねぇーな」
羽村さんに続き水谷さんも何が出てくるのか考えている。
ただ1人柚子ちゃんだけは答えがわかってるように見えた。
「柚子ちゃんはわかったの?」
「うん。うちでもこの時期食べてるから」
「健一君、持ってきたよ」
奥にいるお婆ちゃんが持ってきてくれたのはパックに入っている海苔巻き。
それが1パックに3本ずつ入っており、3パック計9本の海苔巻きが入っている。
「これは‥‥‥‥海苔巻き?」
「海苔巻きは海苔巻きでも恵方巻きってやつだよ」
俺がお婆ちゃんから受け取ったのは恵方巻きと呼ばれるものである。
毎年季節行事にうるさい叔父さんが、この店のお婆ちゃんに頼んで作ってもらう特別品である。
「叔父さんはこういう季節ものに拘るからさ。毎年ここのお婆ちゃんに頼んで作ってもらってるんだよ」
「そうなんですか」
俺が店に出入りする前からこのような季節関連の催し物に叔父さんは積極的に取り組んでいた。
予想ではあるが、この後2月にあるバレンタインの日も店で何かするはずである。
「お嬢ちゃん達、恵方巻きは知らないのかい?」
「名前は聞いたことはありますが、実際に食べたことはないです」
「そうかい」
その言葉だけを言うとお婆ちゃんは再び店内に入っていく。
店内に入ったお婆ちゃんが持ってきたのは1口サイズに切り分けられた恵方巻きだった。
「せっかくだから食べておいき。うちの店の恵方巻きはおいしいんだから」
「でも、私達はお金があんまりなくて」
「そんな事は気にせんでもいいよ。健一のおごりだから」
「俺かよ」
みんなが笑う中、俺は現金なお婆ちゃんの発言にがっくりしながら、手を出すお婆ちゃんに恵方巻きのお金を払う。
そんな俺を尻目に羽村さん達はお婆ちゃんから渡された、皿に乗っている恵方巻きを手にとって口に運ぶ。
1口1口味をたしかめるように租借している中学生トリオである。
「おいしいです」
「本当だ。かんぴょうにきゅうり、それにうなぎまではいってるじゃねぇか」
「他にも桜でんぶや出し巻き卵も入っているよ」
初めて食べる恵方巻き(柚子ちゃん以外)にみんなどうやら満足してるようだ。
そして俺は俺でお婆ちゃんに聞かなければならないことがある。
「ちなみにお婆ちゃん、俺の分はないの?」
「あるにはあるがお駄賃はしっかり貰うぞ」
「ですよね」
再びがっくりする俺に羽村さんや水谷さん、それに柚子ちゃんが笑う。
その後お婆ちゃんの店を出て、俺達は叔父さんのお店へと向かう。
あの後お婆ちゃんはよっぽど羽村さん達のことが気に入ったのか、お土産にどら焼きやお饅頭を3人におやつとしておごってくれた。
もちろん俺に対しては何もくれない。
この中学生女子と高校生男子の格差に対して、俺は何も言えなかった。
「お兄ちゃんも後でお菓子を少し食べますか?」
「俺は大丈夫だから。3人で食べててよ」
羽村さんの気遣いに感動しながら俺達はバイト先につき、お店の中に入る。
お店の中には既に佐伯さんがいて、俺達の存在に気づいたようだった。
「おう、健一。やっと来たのか」
「何をしてるんですか、佐伯さん?」
今の佐伯さんは手に大き目のますを持って、鬼のお面を被った人に馬乗り状態でまたがっている。
そしてますの中に入っていた大量の豆を鬼の人に全力でぶつけていた。
ある意味先程水谷さんが言っていたことが当たっているような光景である。
「健一、助けてくれ」
「『助けてくれ』って、もしかして戸田さんですか?」
どうやら鬼のお面を被っているのは戸田さんらしい。
ある意味いつも通りの光景だが、佐伯さんがここまでやることは中々ない。
せめて理由だけでも聞いた方がいいのだろうか。
「戸田さん、一応聞きますけど何か佐伯さんにしたんですか?」
「俺は何もしてないぞ。決して佐伯ちゃんには何もしてない」
何もしてないと言っているが、絶対に何かをしてるだろう。
「何もしていないということは、何か言ったんですね?」
「確かに俺は佐伯ちゃんに『今年チョコがほしいんだよな。あっ、そうか。佐伯ちゃんは料理が超へただからチョコ作れないもんね』とは言ったが何もしてないぞ」
そんな事を言ったなら確かに佐伯さんは怒るだろう。
佐伯さんは料理はてんでダメな人だが、さすがにそれを言ったらだめだ。
「戸田さん、ご愁傷様です」
「何を言ってるんだよ。てか佐伯ちゃん痛い。豆が、その手に持っている豆が凶器になってるって」
2人の微笑ましいやり取りを放置して、俺は中学生トリオと共にカウンターの方へと行く。
羽村さんは反対の方向にいる佐伯さん達のことを心配そうに見つめている。
「お兄ちゃん、戸田のお兄ちゃんは大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ。いつものことだから。羽村さんが気に病むことはないよ」
あの2人のじゃれあいはいつものことである。
なので心配することなど1つもない。
柚子ちゃんも最近あの2人のやり取りに慣れてきたのか、平気な様子でダーツの準備をしている。
「それよりも叔父さんはどこにいるんだろう」
「呼んだか」
ビリヤード場の方から声が聞こえたかと思うと、そこから叔父さんが顔を覗かせる。
後ろの方に何人かいるので、多分いつも通り常連さんとビリヤードをしていたのだろう。
「頼まれたもの持ってきたよ。恵方巻き」
「おぅ、ありがとな。お前も今日はシフト入ってるだろ?」
「それはわかってるから。今準備する」
俺は叔父さんにそう言うと柚子ちゃん達に一言かけ、スタッフルームへと入り準備をする。
いつものように眼鏡をコンタクトに代え、髪もワックスでセットして準備をした。
この準備が非常に、非常に面倒くさいのだが叔父さん達にやるよう厳命されているためしょうがない。
スタッフルームに入って10数分後、セットが終わって店内に戻ると羽村さん達は既にダーツをしていた。
柚子ちゃんはスローイングラインに立っているので、俺は待機場所にいる羽村さんと水谷さんの方へと俺は近寄っていく。
「どう、2人共順調?」
「お兄ちゃん」
「やっときたか」
羽村さんと水谷さんも俺のこの姿に見慣れたようである。
最初に2人が来た時の驚きようは今でも忘れない。
「やっぱりその姿はなれねぇな」
「水谷さん、それはどういう意味で言ってる?」
水谷さんは複雑そうな表情で俺のことを見ている。
「普段からその格好すればいいのに。何でその姿でいないんだ?」
「面倒くさいから」
「それだけかよ。もったいない」
水谷さんはため息をはくが、俺としては余計なお世話である。
セットするのもいちいち大変だし、俺は静かで平穏な日常を送れればいいのである。
達也みたいなあんな派手な生活は疲れるだけなので絶対に送りたくない。
「俺は平穏な日々が送れればいいの。せかせかしているのは俺の性分じゃない」
「そうですよ。お兄ちゃんはお兄ちゃんのままでいいと思います」
「羽村さん」
どうやら羽村さんは俺の考えがわかってくれているようだ。
それだけでも正直うれしいことである。
ただ、隣にいる水谷さんは冷たい目で俺達の方を見ている。
「お兄ちゃん」
「柚子ちゃん? もう投げたの?」
「うん。終わったから戻ってきた」
「終わった?」
ダーツの筐体の方を見ると確かに3人のスコアー表示され、柚子ちゃんの所に『winner』という表示がされている。
どうやら3人でカウントアップをしていたようで、柚子ちゃんのスコアーがダントツのトップであった。
「やっぱり柚子はすごいよな」
「本当に上手いですよね」
「毎日やっているから」
柚子ちゃんは2人から褒められてどこかうれしそうに見えた。
「でも、羽村さん達も上手くなったよ」
「またまた。お前冗談きついぞ」
「本当だよ。水谷さんも羽村さんも十分上手くなってるから」
これはお世辞でもなんでもなく、2人は確かに上手くなっている。
昔はカウントアップで300も取れなかった2人が今では500以上のスコアを安定して取れるようになってきた。
毎回1000以上を安定して取ってる柚子ちゃんは別格だが、2人共十分上手くなっているといえる。
「お兄ちゃん、本当ですか?」
「本当だよ。これだけできれば十分だから」
実際ただたんに遊ぶ程度ならこのぐらいできれば十分である。
達也に至ってはいまだにカウントアップで400を超えられてないので、羽村さん達の足元にも及んでいない。
そしてよく投げ方を教えてくれと言われるが、俺は一生奴に指導をすることはないだろう。
「お兄ちゃん、あたしは?」
「柚子ちゃんだってすごく成長してるよ。公式の大会に出たら絶対いい所までいけるよ」
柚子ちゃんはうれしそうにはにかんでいる。
その顔を見れただけでも俺としてもすごくうれしく思う。
「そうだ。そういえば3人とも飲み物なかったよね? 今持ってくるよ」
「そこまでしていただかなくても。私達はダーツが出来ればいいですから」
「大丈夫だから。3人はゆっくりしていて」
俺はそれだけ言うと、3人のドリンクを準備しにカウンターへと向かう。
今回3人に準備をしたのは熱い緑茶。
和菓子を貰ってきたのでお茶請けには丁度いいだろう。
それと一緒に持ってきた恵方巻きを1本取り出し、包丁で切り分けたものを皿にのせて運ぶ。
「持ってきたよ」
3人がいる待機場所に俺はお茶と恵方巻きを置いていく。
お茶を飲みながら先程貰った和菓子も出してもらい、少し休むことにした。
「いつもここまで手厚くしてもらって、何か申し訳ないです」
「別にいいよ。3人にはお店に貢献してもらってるし」
雪菜や柚子ちゃんも含め、羽村さん達が通い始めるようになってからお店の売り上げは好調である。
殆どのお客さんが可愛い女の子が出入りしているという噂を聞き来店しており、それが店の経営にも大きな影響を与えていた。
中にはクリスマス大会の試合を見て、遠くから柚子ちゃん達と戦いに来た猛者まで最近は出てきている。
どうやら上村さんが色々な所でこの話をしていると佐伯さんが言っていたが、真実の方はわからない。
「それに最近は売り上げもいいから、気にしなくてもいいよ」
叔父さんも結構儲けているようで毎日ウハウハだと聞く。
ちなみに柚子ちゃんと雪菜の場所代はいまだに俺が全部払っている状態だ。
そんなに売り上げ出てるのなら雪菜と柚子ちゃんの場所代ぐらい出してくれてもいいのに、けちな叔父さんである。
「それよりも先程の恵方巻きも食べちゃっていいんですか?」
「うん、1本は俺達用だって叔父さんが言ってたから大丈夫」
雪菜達の分はこれとは別に取っておいてあるから別に問題はない。
残りの恵方巻きは冷蔵庫に保管しているので、よっぽどのことがない限り食べられることもないと思う。
そして柚子ちゃんは恵方巻きをもぐもぐとリスのように食べている。
相変わらずおいしそうに恵方巻きを食べており、その間はほぼ無言で食べ進めていた。
「そういえば恵方巻きってどうして食べるようになったんでしょうか?」
「元々は節分の夜にその年の恵方に向かって、願い事を願いながら太巻きを丸かじりするんだって」
そのようにするのが慣わしで、中には手巻き寿司等を食べる人もいるらしい。
俺も詳しくは知らないが、叔父さんに聞くとその辺は詳しく説明してくれる。
叔父さんは無駄な知識だけはたくさん持ってるから。
「じゃあ私達のこの食べ方は邪道なんですか?」
「別に。俺は邪道だとは思わないよ。食べ方は色々だと思う」
実際恵方巻きを食べない所もあるし、そこまで気にしなくても俺はいいと思う。
叔父さんはそのようなことに拘りはあるが、俺にはそんなものは一切なくおいしいものをおいしく食べられればそれでいい。
「それにこれって企業の販売促進活動の一環だからあまり気にしなくてもいいんじゃないかな?」
「お前、そんな夢のないことを言うなよな」
水谷さんは再び冷ややかな目で俺のことを見る。
「でも本当のことじゃん。バレンタインデーだって企業の販売戦略の1つだって噂だしさ」
「お兄ちゃん」
なにやら羽村さんの方から不穏なオーラが感じる。
隣にいる柚子ちゃんも羽村さんと同じオーラを感じるが、俺は何か悪いことを言ったのだろうか。
「バレンタインデーは女の子達にとっては重要な日なんです」
「はい」
羽村さんは笑顔で話しているが、その迫力に俺は何も言うことが出来ない。
彼女達の笑顔が今の俺に取っては非常に怖い。
「企業の戦略とか夢のないことは言ってはいけません」
「すいませんでした」
咄嗟に羽村さん達に向かって頭を下げる俺である。
こういう時は素直に頭を下げる。
引き際を間違うと戸田さんと同じ目にあうことは目に見えているから。
「わかればいいんです」
「お兄ちゃん期待しててね」
さっきまで恵方巻きをおいしそうに食べていた柚子ちゃんもいつの間にか話に参加していた。
それよりも期待しててねとはどういうことだろうか。
その日は祝い事とかもないので、何をしてくれるのか微妙に不安だ。
「柚子ちゃん達は一体バレンタインの日に‥‥‥‥」
「いたよ」
店内に鐘の音が鳴り響いたと思ったら、入り口付近にいる雪菜が俺の方を指差している。
その後ろから宮永さんと達也、後達也が連れてきた友達らしき人達が何人かいた。
「げっ、雪菜」
「健一君、いつの間に教室抜けてたの? 私達散々探したんだから」
「ごめん。羽村さん達、俺ちょっと倉庫整理があるから」
俺は3人に断わりを入れ、カウンターの中へと進んでいく。
その手をガッと誰かに捕まれ、俺はカウンターの外へと出された。
「誰?」
「私だよ、健一」
佐伯さんがいつの間にか俺の手を掴んでいたらしい。
彼女の笑みは先程戸田さんに馬乗りしていた時と同じである。
「お前、今日は雪菜ちゃんをおいて行ったのか?」
「いや、たまには違う人達と帰りたかっただけで‥‥‥‥」
確かに最近は雪菜と帰る機会が多かった。
だからたまには他の人と帰りたかっただけなのだが、佐伯さんは聞く耳を持つ様子がない。
「健一、丁度鬼のお面を持ってるんだよ。それだけ言えば何をするのかわかるよな?」
「はい」
こうして俺はこの後、戸田さんと共に佐伯さんに大量の豆をぶつけられることとなった。
その間雪菜は1人で怒っており、達也や宮永さん達はそんな俺の様子を見て笑っていた。
柚子ちゃんや羽村さん達も俺達のやり取りを見て笑っており、これはこれでよかったのかと思う。
「健一、覚悟しろ」
ただ、佐伯さんの顔を見てると何かこれは違うなと思う。
戸田さんを盾にしながら、佐伯さんの豆まきを避けている最中俺はそんな事を思っていた。




