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続きになります
家を出て電車を乗り継ぐこと40分、俺は池田の爺さんの店の隣にあるダーツバーに向かった。
そこで弓長さんと11時に待ち合わせの約束を取り付けてある。
バイト先には文化祭の準備で休むことを告げると快く了承してくれた。
実際には嘘をついたので心苦しくは思うが、店の人達に極力心配はかけさせたくない。
これは俺個人の問題だ。
戸田さんの名を語り、宮永さんを騙している奴を俺は絶対に許さない。
10分程歩き、件のダーツバーの中に入る。
そこには弓長さんが1人でダーツを投げていた。
相変わらずのくせっ毛パーマではあるが上着に高価なジャケットを羽織っている辺り、社会人としての余裕が感じられる。
俺は受付を済ませると、弓長さんの所へ向かった。
「おう、あの時のくそガキじゃないか。今日はどうしたんだ? いきなりこんな所に呼びつけて?」
何でもない風に軽快に声をかける弓長さんは去年あった時と同じような雰囲気である。
その姿はとても人の名を偽るような悪人には思えない。
「お久しぶりです。あの時はどうも」
「まぁ、積もる話もあるだろうからとりあえずそこに腰掛けて。店員さん、追加注文お願いします」
そういうと弓長さんは店員にオードブルとピザを追加注文をしていた。
「健一は払わなくてもいいからな。今日は俺のおごりだ。じゃんじゃん食べてくれ」
「はぁ」
この時俺は1人困惑していた。
弓長さんが会社を辞めたのならこんなに羽振りがいいはずがない。
むしろお金に困っているはずだ。
それがこうして俺におごる余裕があるのはよっぽどお金に余裕があるか、もしくは見栄を張っているかのどちらかだろう。
「それにしてもお前は変わらないな。そのボサボサの髪に黒縁眼鏡。見かけは中学時代のままだ」
「そういう弓長さんは変わりましたね。服装が大人っぽくて格好いいです」
「はっはっは、そうだろう」
豪快に笑う弓長さんも俺には昔のまんまのように思えた。
「そういえば、弓長さんは最近どうなんですか? 東京の会社に就職したって聞きましたけど?」
「会社? あぁボチボチやってるよ」
『会社』の単語を言った瞬間、一瞬ではあるが弓長さんの表情が引きつったのを俺は見逃さなかった。
やっぱりこの人は何かを隠している。
「もう、大変だよ。研修期間が終わったら残業残業また残業。たまに早く帰れると思ったら上司のお酒に付き合わないといけないし最悪だ。社会人なんてやるもんじゃないと思うぞ」
弓長さんは自分の会社のことを徹底的に貶めていた。
それから弓長さんの会社での愚痴は続く。
やれ、誰が悪いとか、こいつはダメだとか言いたい放題だ。
こんなに会社の悪口を言っていて他の誰かに聞かれたらどうするのだろうか。
弓長さんの言葉を聞いていて俺はそのことを懸念していた。
「弓長さん、そんなに会社のことを悪く言っていいんですか? もし会社の誰かがこのことを聞いたら大変なことになりますよ」
「別に大丈夫だよ。会社はもう辞めたから。聞かれてもへいきへいき」
瞬間、俺は硬直した。
多分、俺は弓長さんの噂が嘘だと心のどこかで思っていたからだ。
昔店にいた時は明るく後輩に優しかったのに、どうしてこんな風になってしまったのだろう。
横から店員さんが俺が受付で注文したドリンクと弓長さんが注文したオードブルとピザを持ってきてテーブルの上に置く。
店員さんが最後に言った「ごゆっくり」という言葉が耳にはっきりと残っていた。
「やめたって‥‥どうしてですか?」
「あんな口うるさい会社に残っていてもしょうがないだろう。それよりも俺は夢を追うことにしたんだ」
会社を辞めたことを得意げに話す弓長さんはテーブルのピザを1枚切り離し、口に運ぶ。
「夢‥‥ですか?」
「そうだ。プロのダーツプレイヤー、俺が今目指しているものだ」
この弓長さんの言葉で確信した。
この前宮永さんとここにいたのは弓長さんであるということを。
「でも、ダーツのプロはそんなに甘くないと思いますよ」
「あの戸田にもなれたんだから、俺にできないことはないよ。それにダーツのプロって格好いいじゃん。これが女性から結構もてるんだよ」
「そうやって、宮永さんを騙したんですか?」
俺はこの時弓長さんの顔を見ていなかった。
今自分がどんな表情をしているのかすら把握できていない。
「宮永‥‥‥‥あぁ、あの高校生の女の子? 何だ、健一の知り合いだったのか。あの子めっちゃめちゃ美人だろ。モデルって言っても不思議じゃないよな」
「そうやって、彼女を騙したんですか」
大声を張り上げたため、周りの人は自然とこちらの方に視線がいく。
店員も注意しようか、注意しまいかカウンターの方で相談をしているように見えた。
「騙したって人聞きの悪い‥‥彼女がここに来た時『ダーツを教えてほしい』って言ったから教えただけで‥‥」
「彼女から聞きましたよ、『ダーツのプロに教わってる』って。その人の名前が『戸田翔太』ってことも全て聞きました」
感情的になっていることが自分でもわかるが弓長さんがしたことは許せることではない。
戸田さんはプロ試験前は必死に店に来て練習をしていた。
それは俺や佐伯さんに叔父さん、店に出入りしたみんなが知っている。
だから戸田さんがプロになった時にみんな本気で喜んだのだ。
そんな死に物狂いでがんばった人の名を軽々しく使うとか、俺には到底許せることではない。
「お前だって同じようなことをしてるだろうが。店では変装みたいな格好で接客して‥‥」
「あの格好をしていても、俺は橘健一と名乗ってる。あんたみたいに他人の名前を名乗って人を騙すほど姑息なまねはしていない」
「このガキ」
弓長さんが拳を振り上げるが、その拳が俺に命中することはなかった。
その拳が振るわれる前に、彼の腕が何者かにつかまれたためである。
「よう、久しぶりだな弓長さん。非常にお元気そうで俺はうれしいよ」
横から現れた人はここにはいないはずの戸田さんだ。
その目はギラギラして弓長さんのことを睨み付けている。
何故この人がここにいるのだろうか俺には分からない。
今日ここで弓長さんと会うことは誰にも言っていないはずなのに。
「お兄ちゃん」
「橘君、大丈夫?」
今度は俺の元に柚子ちゃんと遠野さんが駆け寄ってくる。
この2人まで何でいるんだよ。
頭の中の混乱は限界に達していた。
「雪菜ちゃんから聞いた健一の話しとお前と戸田がした電話の内容でここが分かったんだよ。お前は感謝しろよ。こんなに大勢の人から心配されるのはお前ぐらいだ」
さらに後ろから出てきたのは佐伯さんである。
遠くのカウンターの方を見ると、池田の爺さんが店員となにやら話しているようだった。
多分、俺達のことを話してくれているのだろう。
いつもはふざけたことしか言わないのにたまにはいいことをしてくれる。
「戸田‥‥お前、どうしてここに?」
「俺のことなんてどうでもいい。それよりも俺の名前を使って高校生をたぶらかしてたらしいじゃねぇか」
「それは‥‥‥‥」
弓長さんは戸田さんの方から目をそらし続けている。
「どうなんだ?」
「仕方がなかったんだよ。あの子が勝手にダーツのプロって思ってたんだから。それにどうせ俺は今年のプロ試験に受かるんだから別にプロを名乗ろうが変わらないじゃないか」
弓長さんは見苦しい言い訳を続けている。
俺は逆に戸田さんや遠野さん達が登場したことで頭は冷め切っていた。
さっきまであった怒りが嘘のようになくなっている。
「そうか、そうか、もうすぐプロになるからいいと‥‥‥‥じゃあ将来有望なプロダーツプレイヤー候補がこんな所でアマチュアに負けるはずはないよな」
なにやら挑発的な笑みを浮かべながら、戸田さんは俺の方を見る。
「健一、お前こいつとダーツで勝負しろ。こんな似非プロ相手に俺が出る幕じゃない」
「俺ですか?」
「何を言ってるんだ? こんなガキに今の俺が負けるわけがないだろう」
中学時代に弓長さんとダーツをした時の戦績はハンデをつけてイーブンだった気がする。
当時やっていた時は、それほど実力に違いがあったわけではない。
「条件は悪くないと思うぞ。弓長さんが勝利した場合、俺の名前をどう使おうがかまわない。是非とも女の子をつるえさとして使ってくれ。その高校生の女の子にも俺達は一切口を出さない。ただし、健一が勝利した場合は俺の名前を二度と使うなよ。後は雪菜ちゃんの友達に二度と近づくな。メールをすることも許さない」
「いいのか? そんな条件を言って。後で後悔しても知らないぞ」
「そのことをそっくり返してやるよ」
そういい、弓長さんは自分のダーツを持ち、勝負の準備を始めた。
「いいんですか?」
「何がだ?」
「本当は戸田さんが自分でけりをつけたいんじゃないかと思いましたが?」
戸田さんの性格上、自分の名前を勝手に使われていたのだから、本当は弓長さんをけちょんけちょんにしたいのではないだろうか。
「これは俺の喧嘩じゃなくて、お前の喧嘩だろうが。だったらお前がやるのが筋ってもんだろ」
「でも、本音は違うんでしょ?」
「わかるのか?」
「はい、大方この後俺と勝負して勝ったら佐伯さんにデートの約束を取り付けるつもりでしょ? そのために緊張する場で俺の神経をすり減らし、疲れきっている所で勝負をして、勝利を得ようとしていることまでわかります」
「さすがだな。さっき店にいる時、本日限りだがお前とダーツして勝利したら今度佐伯ちゃんがデートしてくれるって言ってたからな。この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない」
この人はさっきまで格好いいと思っていた俺の気持ちを返してくれ。
本当にどんな状況でも戸田さんらしいなと思った。
大方佐伯さんは俺がいないことをいいことにそんな条件をつけたのだろう。
全く、迷惑極まりない。
「それに、お前今日はダーツ持ってきているんだろ? 久々にお前の本気のダーツが拝めるのなら純粋に見てみたいんだよ」
「分かりました。お望み通りやりますよ」
そういうと俺は自分のバッグからダーツケースを取り出し、ダーツの矢を組み立て弓長さんとの勝負に備えた。
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